表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女とは仮の姿ッ  作者: 夜月ジン
赤雷蛇編
29/72

郷愁と閃き(2)

 用意された書類に必要事項を記入する。

 登録証の縫い糸の色を選ぶ項目があったことで、そういえばローブに刺繍されるんだったな、と思い出した。

 特に着用を義務づけられているわけではないので、ローブに限定されているわけではないだろうが、やはり聖女といえば白いローブだ。

 聖女であることが私の野望を妨げないとわかった以上、特にひねくれた思いはないので、私としても素直に白いローブが着たいし、それにアネモネの花の刺繍が欲しい。

(無所属だと支給がないから、仕立てないとよね。姉さんが喜びそう)

 もう、魔力不足という制限は無くなったのだ。魔具師としての実力を思う存分詰め込んだ、最高の一着を作って貰える。

(そうよ、私……姉さんが制作してくれた魔導具の性能を、これからは存分に発揮できるんだわ!)

 喜びによる興奮で歪みそうになった文字に慌てつつ、記入を終える。

 ふう──と、顔を上げたタイミングで、紅茶が差し出された。

 私が書類と格闘している間に、スヴィニツさんが淹れてくれたらしい。

「まぁ、ありがとうございます」

「確認する間、少々お待ち頂きますので」

「わかりました」

 丁寧な一礼を残して、スヴィニツさんが書類を手に部屋を後にする。

 一人になった室内でカップを手に取ると、手のひら越しに温かさが伝わってきて、ほっと息が出た。

 覚えのある柔らかな香りに、ニフリトを思い出す。

(彼女が好きな茶葉だわ)

 深呼吸するようにゆっくりと香りを堪能し、一口味わった瞬間、唐突にあることを思い出した。

(そうか、これ……ラズゥムお兄様も好きだった紅茶じゃない)

 私がヴィクトリアだった頃の、二番目の兄だ。

 当時の私は紅茶よりも果実水が好きだったので記憶が朧気だが、ニフリトに感じた不思議な懐かしさが、この香りによってもたらされていたのだとすれば、納得がいく気がした。

 少しは嗜んでおけと出された紅茶に、容赦なく蜂蜜を混ぜたら、せめて香りを楽しんでからにしろと窘められたのを思い出す。

(うちの名産になる予定なんだぞって、言っていたっけ)

 ということは、この茶葉の産地はミルクレストだ。

 懐かしの、我が故郷。

 国境の森陰に潜む魔物の脅威に晒されてはいたが、肥沃な土に恵まれた、農産地でもあった。

 魔物との殺伐とした空気を、のどかな麦畑が癒やしてくれていた。

 父も兄も、あの黄金色の絨毯を護るために戦っていた。

 茶葉の栽培は、兄が趣味の延長で始めた小さな事業だったはずだが、まさか百年も愛される商品として成功していたとは。

 懐かしさに混じる寂しさに眉尻を下げたところで、扉がノックされる。

 返事をすると、静かに扉が開かれた。

「お待たせしました。……どうかなさいましたか?」

 しんみりとした空気が伝わってしまったのか、スヴィニツさんが微かに動揺を見せる。私は慌てて首を振って、気持ちを切り替えた。

「いえ、少し考え事をしていて」

「そうですか。確かに貴方からすれば、怒濤の数ヶ月だったでしょうからね。今日はその区切りとして、お気持ちを整理するのがいいかと」

「そうですね」

 言外に含まれている真摯さに、彼の為人(ひととなり)を見る。

 光の加減によっては目元が見えるが、表情はわかりにくい。

 表情がわかりにくいと、彼という存在に不安や不信を抱いてしまいそうなものだが、不思議とそんな気持ちはわかなかった。

(変ね。声音にもあまり感情が滲まないし、どちらかというと無愛想に感じるのに)

 そう思ってから、脳裏に表情筋が死んでいる男が過って、妙な納得をしてしまった。

(いやだわ。セルツェのせいで、無愛想な男に寛容になっちゃってるのかしら)

 笑みそうになった口元を咳払いで誤魔化して、スヴィニツさんが向かいのソファに腰かけるのを待つ。

「書類に不備はありませんでしたので、手続きは完了しました。登録証は装備品に刺繍する形になるので、この中からお好きなデザインを選んでいただけますか?」

「選ぶ……ですか?」

 差し出された冊子を、よくわからないまま受け取る。

 パラパラと捲ると、シンプルなものから凝ったものまで、様々なローブが描かれていた。いわゆるカタログだ。

「ええと、これはつまり、私のローブを協会が用意してくださろうとしている、という事でしょうか?」

 予想外の申し出に、ちょっと混乱する。

「遠慮は無用です。協会からではなく、将来有望な聖女への、ジェレザ様の気まぐれですので」

 私の焦りを恐縮と受け取ったらしい気遣いに、更に焦る。

「あ、ええと、違うんです。とても有り難い申し出なのですが、私は姉に作ってもらうと決めているんです。とても腕がいいんですよ」

 思わず自慢が滲んでしまったが、私の気持ちとは裏腹に、仮面の奥の目元が申し訳なさそうに歪んだ。

「残念ですが、それは無理かと」

「え?」

「聖女のローブは、他の服のように、布や糸を用いて仕立てるのではなく、魔導具として編む(・・)のです。つまり、魔具師でなければ作成できません」

 無理だと言われて驚いたが、理由の説明に至った事で納得する。

 その上で、どう収めたものかと思考を巡らせた。

「ジェレザ様の気まぐれ──ということは、無所属の聖女総てに、ローブが与えられているわけではない、ということですよね?」

「そうです。特別扱いの理由に自覚があるのであれば、ご自身を護ることに貪欲であって頂きたい」

 私だけ好待遇を受けるのは不公平だと、聖女らしい一言を言うと思ったのだろう。先読みの牽制に、思わず笑ってしまった。

 私の反応に少し面食らったらしいスヴィニツさんの目が、仮面の奥で瞬く。思いがけない仕草のお陰で、彼が意外と若いことに気づかされた。

「貪欲どころか、強欲なので安心してください。これだけの慈悲を女神から授かった以上、私は死なないし、誰も死なせるつもりはないので」

「では──」

「なので、素材だけください」

「は?」

「協会のツテがあれば、手に入らない素材なんてないですよね?」

「え、ええ。この世に存在するものであるならば」

「なら、完璧です。姉に相談して、遠慮無く必要素材を要求させていただきます」

「いえ、待ってください。話が──」

 少し前の私のように、スヴィニツさんが混乱を見せる。

 申し訳ないが、少し楽しい気持ちになってしまって、私は口元を拳で隠した。

「私の姉は、最高の魔具師なんです」

「──なるほど、魔具師だったのですね。確かに役職としては適任ですが、やはり無理です。技術面での信頼がない。私のリストに、イエインという姓の魔具師はいませんので」

「目立つのが嫌いなので、確かに無名なんですが、世界一ですよ。断言できます」

「聖女ラフィカ。家族を贔屓に思う気持ちはわかりますが、それではだめです。貴方の安全が、貴方を護る者達の安全にも繋がる。こちらとしても、妥協するわけにはいきません」

 柔らかかった物言いが、不意に強いものに変わる。

 諭すというよりは威圧の厳しさだったが、私を思えばこそだろう。

「信頼ですか……。国家魔具師の、ラススヴェート・チェラ・タルナダ様をご存じですか?」

 私の口から彼の名が出たことが意外だったのだろう。スヴィニツさんは微かな戸惑いを見せつつ、頷いた。

「もちろん。彼こそが、世界一の魔具師です。あの方が多忙でなければ、この一件を依頼していました」

「なら、貴方にとっても、姉は合格だと思います。ラススヴェート様は、姉の技術をご自身よりも上だと言っておられたので」

「え?」

 ちょっとした会話の流れでの一言だったが、言ったことは事実だ。

 巻き込んで申し訳ないが、ラススヴェート様も私のローブを姉が作ることには賛同してくれるだろう。

「これ以上は私が言葉を重ねても無意味だと思いますので、直接確認して頂ければと思います。納得いただけた暁には、素材の提供をよろしくおねがいしますね」

 絶句するスヴィニツ様に、私はただただ姉自慢全開の笑みを向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ