郷愁と閃き(2)
用意された書類に必要事項を記入する。
登録証の縫い糸の色を選ぶ項目があったことで、そういえばローブに刺繍されるんだったな、と思い出した。
特に着用を義務づけられているわけではないので、ローブに限定されているわけではないだろうが、やはり聖女といえば白いローブだ。
聖女であることが私の野望を妨げないとわかった以上、特にひねくれた思いはないので、私としても素直に白いローブが着たいし、それにアネモネの花の刺繍が欲しい。
(無所属だと支給がないから、仕立てないとよね。姉さんが喜びそう)
もう、魔力不足という制限は無くなったのだ。魔具師としての実力を思う存分詰め込んだ、最高の一着を作って貰える。
(そうよ、私……姉さんが制作してくれた魔導具の性能を、これからは存分に発揮できるんだわ!)
喜びによる興奮で歪みそうになった文字に慌てつつ、記入を終える。
ふう──と、顔を上げたタイミングで、紅茶が差し出された。
私が書類と格闘している間に、スヴィニツさんが淹れてくれたらしい。
「まぁ、ありがとうございます」
「確認する間、少々お待ち頂きますので」
「わかりました」
丁寧な一礼を残して、スヴィニツさんが書類を手に部屋を後にする。
一人になった室内でカップを手に取ると、手のひら越しに温かさが伝わってきて、ほっと息が出た。
覚えのある柔らかな香りに、ニフリトを思い出す。
(彼女が好きな茶葉だわ)
深呼吸するようにゆっくりと香りを堪能し、一口味わった瞬間、唐突にあることを思い出した。
(そうか、これ……ラズゥムお兄様も好きだった紅茶じゃない)
私がヴィクトリアだった頃の、二番目の兄だ。
当時の私は紅茶よりも果実水が好きだったので記憶が朧気だが、ニフリトに感じた不思議な懐かしさが、この香りによってもたらされていたのだとすれば、納得がいく気がした。
少しは嗜んでおけと出された紅茶に、容赦なく蜂蜜を混ぜたら、せめて香りを楽しんでからにしろと窘められたのを思い出す。
(うちの名産になる予定なんだぞって、言っていたっけ)
ということは、この茶葉の産地はミルクレストだ。
懐かしの、我が故郷。
国境の森陰に潜む魔物の脅威に晒されてはいたが、肥沃な土に恵まれた、農産地でもあった。
魔物との殺伐とした空気を、のどかな麦畑が癒やしてくれていた。
父も兄も、あの黄金色の絨毯を護るために戦っていた。
茶葉の栽培は、兄が趣味の延長で始めた小さな事業だったはずだが、まさか百年も愛される商品として成功していたとは。
懐かしさに混じる寂しさに眉尻を下げたところで、扉がノックされる。
返事をすると、静かに扉が開かれた。
「お待たせしました。……どうかなさいましたか?」
しんみりとした空気が伝わってしまったのか、スヴィニツさんが微かに動揺を見せる。私は慌てて首を振って、気持ちを切り替えた。
「いえ、少し考え事をしていて」
「そうですか。確かに貴方からすれば、怒濤の数ヶ月だったでしょうからね。今日はその区切りとして、お気持ちを整理するのがいいかと」
「そうですね」
言外に含まれている真摯さに、彼の為人を見る。
光の加減によっては目元が見えるが、表情はわかりにくい。
表情がわかりにくいと、彼という存在に不安や不信を抱いてしまいそうなものだが、不思議とそんな気持ちはわかなかった。
(変ね。声音にもあまり感情が滲まないし、どちらかというと無愛想に感じるのに)
そう思ってから、脳裏に表情筋が死んでいる男が過って、妙な納得をしてしまった。
(いやだわ。セルツェのせいで、無愛想な男に寛容になっちゃってるのかしら)
笑みそうになった口元を咳払いで誤魔化して、スヴィニツさんが向かいのソファに腰かけるのを待つ。
「書類に不備はありませんでしたので、手続きは完了しました。登録証は装備品に刺繍する形になるので、この中からお好きなデザインを選んでいただけますか?」
「選ぶ……ですか?」
差し出された冊子を、よくわからないまま受け取る。
パラパラと捲ると、シンプルなものから凝ったものまで、様々なローブが描かれていた。いわゆるカタログだ。
「ええと、これはつまり、私のローブを協会が用意してくださろうとしている、という事でしょうか?」
予想外の申し出に、ちょっと混乱する。
「遠慮は無用です。協会からではなく、将来有望な聖女への、ジェレザ様の気まぐれですので」
私の焦りを恐縮と受け取ったらしい気遣いに、更に焦る。
「あ、ええと、違うんです。とても有り難い申し出なのですが、私は姉に作ってもらうと決めているんです。とても腕がいいんですよ」
思わず自慢が滲んでしまったが、私の気持ちとは裏腹に、仮面の奥の目元が申し訳なさそうに歪んだ。
「残念ですが、それは無理かと」
「え?」
「聖女のローブは、他の服のように、布や糸を用いて仕立てるのではなく、魔導具として編むのです。つまり、魔具師でなければ作成できません」
無理だと言われて驚いたが、理由の説明に至った事で納得する。
その上で、どう収めたものかと思考を巡らせた。
「ジェレザ様の気まぐれ──ということは、無所属の聖女総てに、ローブが与えられているわけではない、ということですよね?」
「そうです。特別扱いの理由に自覚があるのであれば、ご自身を護ることに貪欲であって頂きたい」
私だけ好待遇を受けるのは不公平だと、聖女らしい一言を言うと思ったのだろう。先読みの牽制に、思わず笑ってしまった。
私の反応に少し面食らったらしいスヴィニツさんの目が、仮面の奥で瞬く。思いがけない仕草のお陰で、彼が意外と若いことに気づかされた。
「貪欲どころか、強欲なので安心してください。これだけの慈悲を女神から授かった以上、私は死なないし、誰も死なせるつもりはないので」
「では──」
「なので、素材だけください」
「は?」
「協会のツテがあれば、手に入らない素材なんてないですよね?」
「え、ええ。この世に存在するものであるならば」
「なら、完璧です。姉に相談して、遠慮無く必要素材を要求させていただきます」
「いえ、待ってください。話が──」
少し前の私のように、スヴィニツさんが混乱を見せる。
申し訳ないが、少し楽しい気持ちになってしまって、私は口元を拳で隠した。
「私の姉は、最高の魔具師なんです」
「──なるほど、魔具師だったのですね。確かに役職としては適任ですが、やはり無理です。技術面での信頼がない。私のリストに、イエインという姓の魔具師はいませんので」
「目立つのが嫌いなので、確かに無名なんですが、世界一ですよ。断言できます」
「聖女ラフィカ。家族を贔屓に思う気持ちはわかりますが、それではだめです。貴方の安全が、貴方を護る者達の安全にも繋がる。こちらとしても、妥協するわけにはいきません」
柔らかかった物言いが、不意に強いものに変わる。
諭すというよりは威圧の厳しさだったが、私を思えばこそだろう。
「信頼ですか……。国家魔具師の、ラススヴェート・チェラ・タルナダ様をご存じですか?」
私の口から彼の名が出たことが意外だったのだろう。スヴィニツさんは微かな戸惑いを見せつつ、頷いた。
「もちろん。彼こそが、世界一の魔具師です。あの方が多忙でなければ、この一件を依頼していました」
「なら、貴方にとっても、姉は合格だと思います。ラススヴェート様は、姉の技術をご自身よりも上だと言っておられたので」
「え?」
ちょっとした会話の流れでの一言だったが、言ったことは事実だ。
巻き込んで申し訳ないが、ラススヴェート様も私のローブを姉が作ることには賛同してくれるだろう。
「これ以上は私が言葉を重ねても無意味だと思いますので、直接確認して頂ければと思います。納得いただけた暁には、素材の提供をよろしくおねがいしますね」
絶句するスヴィニツ様に、私はただただ姉自慢全開の笑みを向けた。