郷愁と閃き(1)
「納得できない!」
城を後にし、必要書類を受け取るために学院に移動してきてから、かれこれ小一時間経つが、私は数分おきにそうして憤りを吐き出さずにはいられなかった。
シュティル様の執務室で、部屋をうろついてはソファに座る──を繰り返している。
何十回目の「納得できない!」を吐き捨てた私の背を、不意にザモークさんがぽんと叩いてきた。
思わず睨むように視線を上げても、彼の表情は子どもを諭す大人のそれだ。
「根拠がないと言われたら、その通りなんだ。仕方がないだろう?」
「そうですけど……。そうですけど!」
会話をするだけの冷静さが戻って来た頃合いを見計らわれたな、と返事が出来たことで気づかされつつ、唇を噛む。
本隊──邪竜と直接相対する立場を希望した私を、あの場にいた全員が拒否した。
誰も死なない。死なせないと断言したことが、何故かソンツァ殿下のお気持ちを変えさせてしまったらしい。
より経験を積み、次の討伐で希望を見せてくれと激励されてしまった。
(失敗した。唯一味方してくれると思ったのに!)
出し惜しみして討伐に失敗する方が大問題だと食い下がったが、ルナー殿下に「それはない」と一蹴されてしまった。
秘めた決意が滲んだ眼光に、背筋がぞくりとしたことまで思い出してしまい、思わず身震いする。
王族が──国の守護精霊の加護を受けた王子が二人参戦するのだ。
本来であれば、最終的にはどちらかの王子が本隊を率いる予定だったはずだ。
国の為に、片方は絶対に生き残らなければならないから。
けれど末の王子が産まれたことで、この不測の邪竜討伐をより確実なものとするために、二人とも参戦することを選んだのだ。
その気持ちを思えばこそ、彼らも絶対に死なせたくない。
けれど、さすがに総指揮を担う彼らに認められなければ、どんなに望もうとも、本隊に参加はできない。
「まぁ、参加自体は認められた──というか、望まれているんだ。露払いとて犠牲は多く出る。それを少しでも減らしてやってくれ。良い経験にもなるだろうさ」
「…………はい」
ザモークさんに食いついても無意味なので、ぐっと堪えて頷く。
微塵も納得していない私の態度に、ザモークさんは苦笑していたが、それ以上は何も言わないでくれた。
私が現状を理解した上で、煩悶していると察してくれている。
「待たせてしまってごめんなさいね」
不意に扉が開き、淀みがちだった空間に涼やかな流れが生まれる。
視線を向けると、シュティル様が少しだけ眉尻を下げた。
「さあさ、いつまでも不貞腐れていたって仕方がないわ。正式に聖女として認められた以上、やるべきことは沢山あるわよ」
「はい」
「じゃあ立って。これが協会に提出する用の卒院証明書よ。事前に連絡は行っているから、受付で名前を名乗れば伝わるはず」
「わかりました」
慌ててソファから立ち上がり、差し出された封筒を受け取る。
特殊であると一目でわかる封蝋が、きらきらと淡く発光していた。
「それじゃあ、俺もギルドに戻るとするか。落ち着いたら、顔出してくれよな。マリーナフカもアゴニも、もちろん俺も。お前には感謝しても仕切れない恩があるのに、なんだかんだでろくに礼も言えてないからな」
「とびきり質のいい赤斑の角、お待ちしてます」
そう言った途端、ぐしゃりと頭を撫でられて、勢いに前屈みになる。
文句を言おうとしたが、なんとも優しい微笑みを向けられてしまったので、言葉に詰まってしまった。
「お前のそういうところ、好きだぞ。期待しとけ」
手を振りながら部屋を後にしたザモークさんを見送ってから、ちらっと横目でシュティル様を見る。
予想通り、少し複雑そうな顔をしていた。
「ごめんなさい。決して、邪な気持ちで物品を要求したわけではないんです。ああ言った方が、ザモークさん達の気持ちが楽になるかと」
「あら、ごめんなさい。貴方の言動に顔を顰めていたわけじゃないの。というか、聖女の行いは奉仕ではないわ。正当な報酬はきちんと請求しなくてはだめよ」
「……はい」
「不安にさせてしまったわね。ただ少し、複雑な気持ちになってしまっただけなの」
「複雑、ですか……?」
思わず問い返すと、シュティル様がじっと私を見つめてくる。
目を瞬かせつつ見つめ返していると、伸ばされた手がそっと私の頬を撫でた。
「今まで色々な生徒を見送ってきたけれど、貴方みたいな子はさすがに初めてなの。貴方の輝きに目を眩ませているうちに、腕をすり抜けていかれてしまった気分だわ」
「……シュティル様」
「短い間だったけれど、貴方は間違いなく私の生徒よ。困ったときは、いつでも頼って。無茶も無理もしないで。それと……貴方の可能性を、信じ切れなくてごめんなさいね」
最後の一言は、絞り出すような掠れ声だった。
私に対する罪悪感に苛まれていることが、伝わってくる。
「そんな顔をなさらないでください。貴方の反対も心配も、私のことを思ってこその判断だと理解しています。それこそ、ルナー殿下がおっしゃった通り、根拠がないのだから、仕方がないです」
自分で改めて口にした瞬間、ごく当然の答えが脳裏に浮かんだ。
つまるところ、あればいいのだ。
(なんで、こんな単純なことに気づかなかったのかしら)
ルナー殿下に言われたときは、突き付けられた事実にただ憤ってしまったが、シュティル様を通したことで、ふわりと感情が解けた気がする。
そう猶予はないが、時間はまだあるのだ。
(誰にも文句を言わせずに──いいえ、むしろ望まれて本隊に参加する資格を得てみせる!)
「シュティル様。私、諦めずに頑張りますね!」
「え、ちょっと、どういう──!?」
瞠目したシュティル様を置いて、善は急げと駆け出す。
目的が決まった以上、その手段を探すためには一分一秒が惜しかった。
さっさとやることを済ませて、選択肢を洗い出さなければならない。
◇ ◇ ◇
聖ペルヴィ協会。
実際にこの建物がどこにあるのかを、知る者は少ない。
当然、私にもわからない。
けれど各国の主要な場所に入り口があり、そこを通れば辿り着けるようになっているらしい。
非常に高度な空間転移魔法なんだそうだ。
そして学院にはその入り口の一つがある──というわけである。
(相変わらず、不思議な場所)
入寮後に一度、挨拶もかねてシュティル様と訪れているので、さほど緊張することなく入館手続きを済ませることができた。
白い壁に、青い屋根。ぱっと見は図書館のような佇まいだ。
正面扉の上には、アネモネの紋章が掲げられており、訪れるものを出迎えてくれる。古い言葉で風を意味する花は、聖女の自由の象徴だ。
(聖女を護る機関の紋章に、有毒の花を選ぶセンスが最高よね)
そんなことを思いつつ、守衛によって開かれた門をくぐる。
エントランスの中央で会話していた男女が私に気がついて、顔を向けてくれた。
女性のほうは、協会長である聖女ジェレザだ。
「待っていたわ、聖女ラフィカ。貴方も大変ね」
「お久しぶりです、聖女ジェレザ。度々お時間をとらせてしまい、申し訳ありません」
「とんでもないわ。貴方には驚かされてばかりだけれど、即戦力はいつだって大歓迎よ」
私が差し出した書類を受け取りつつ、笑顔を返してくれる。
ほわんとした雰囲気がどことなく姉に似ていて、安心する。
けれど同時に、彼女の隣に立つ男性の異質さが際立った。
隙なく着こなされた夜色の礼服に、白手袋。一つに纏められた白金の長髪。それだけなら貴族の屋敷にいくらでもいそうな男だが、顔の上半分がシンプルな仮面に覆われているのだ。
(気にするなってほうが無理よね!?)
ジェレザさんも紹介しなかったし、従者のように脇に控えていたので、声をかける必要はなかったのかも知れないが、好奇心が勝ってしまった。
ジェレザさんが書類を確認する間だけでも、と口を開く。
「初めまして。聖女ラフィカです」
「お初にお目にかかります。副協会長のスヴィニツと申します」
肩書きに瞠目し、ばっとジェレザさんを見たが、書類に夢中だ。
「申し訳ありません。ご挨拶せず、ご無礼を」
「いえ、実際、彼女の従者か秘書のようなものです。お気になさらず」
立場を間違えられることを自覚している発言に、背中に変な汗が出る。
いくら聖女が地位や身分に囚われてはいけない存在だったとしても、礼儀くらいはわきまえたい。
「ジェレザ様、指輪を使わないと書類が燃えますよ」
私が二の句に迷っている間に、すっと伸ばされた白手袋がジェレザさんのローブの胸元を指差した。
「まぁ。私ったら、さっき外したのを忘れてたわ。ありがとう、スヴィニツ」
指摘に対してゆったりと驚いて、照れくさそうに胸元から指輪を取り出す。
装飾部分を封筒の封蝋に近づけると、解けるように溶けて消えた。
いそいそと書類を取り出し、素早く目を通してくれる。
「あら、国には属さないのね。冒険者ギルドにも、所属意思はなし?」
言われてから、そういえばその選択肢もあったな、と気づく。
元から冒険者として登録はしているので、頭から抜け落ちていたのもあるが、ザモークさんが勧誘する素振りを一切見せなかったのも一因だろう。
おそらく、上層部から命じられてはいたはずだ。
(それをあえて無視したってことは、ザモークさんは私が所属することを望んでないってことよね?)
ギルド上層部の望みと、彼の望みが対立している──ということだ。
(そうね。彼もマリーナフカさんも、私が邪竜討伐に参加することを望んでない)
所属してしまえば、実力主義の組織である以上、私を本隊に組み込んでくれるだろうが、同時にザモークさん達と上層部とに不要な軋轢を生んでしまうだろう。
それはどう考えても、よろしくない流れだ。
(聖女が冒険者ギルドに登録──ってのも、変だしね)
登録であれば、冒険者と同じように総てが私の意思の問題になるので、上層部云々はなくなるが、聖女には協会があるのだから、ギルドを選ぶ意味がない。
「その通りです。私はどこにも属さず、仕事は協会を通して受けさせていただこうと考えています」
協会の後ろ盾を得るのに申請や手続きは不要だが、事前に登録しておくと利点は多い。
発行される登録証が、聖女を利用しようと企む者への牽制になるし、冒険者ギルドや国を通して持ち込まれた案件を紹介してもらえるのだ。
個人で依頼を受けることももちろん可能だが、トラブルを避けるなら協会を仲介したほうが絶対にいい。
世の中には、聖女の義務を奉仕と勘違いしたタダ働き強要野郎や、不穏な仕事をさせようとする悪人はどうしてもいる。
「そう。まぁ確かに、貴方はどこかに所属しないほうが、世のためかも知れないわね」
「え?」
「ああごめんなさい。もしかしたら、の話よ。まだみんな、貴方の力を夢物語のように思ってるから。……あらやだ、もうこんな時間。それじゃ、申し訳ないけれど私はここで失礼させてもらうわ。登録に必要な書類の用意は、スヴィニツがしてくれるから安心してね。それじゃあ、また。これからよろしくね」
「あ、はい」
言葉の意味を深く考える間もなく、早口で話を切り上げられてしまう。
急いた足取りでエントランスを去るジェレザさんの背を見送ってから、スヴィニツさんに促され、ソファセットとローテーブルがあるだけの小部屋に移動した。