救護室にて
半月前にも訪れた、ハウヴェンの森のいずこかに隠されている騎士団の宿舎──の救護室。
寝台に寝かされた三人を横目に、椅子に腰かける私とハジュールさん。
その少し奥で、ラサーさんがマリーナフカさんの血液を核にした増血剤を生成している。
騎士はみんな制服を着ているのでぱっと見で得意分野がわかりにくいのだけれど、今までの行動を鑑みてもラサーさんは魔導師らしい。
それも治癒や調合に特化したタイプだ。
細長いガラス管の中で薬液が血と混ざり合い、綺麗なオレンジ色の火花を散らす。
完成した増血剤をマリーナフカさんの元に運ぶ姿を目で追っていると、不意に声をかけられた。
「試験段階の魔導具、ですか」
手にしていた幅五センチほどのバングルを私に返しつつ、ハジュールさんが告げる。
それを受け取りながら、私は頷いた。
「はい」
「ラススヴェート様を中心に開発中のもので、聖女が自分自身で窮地を脱する手段を増やすことを目的としています。身体強化と治癒を魔導具によって同時発動させることで、極限まで体の負担を減らしつつ、通常の数倍から数十倍の運動能力を発現することが可能です」
もちろん、嘘だ。
私自身の加護による怪力を隠すための方便。
ラススヴェート様発案、かつ制作。
それっぽい魔法式が内側に刻まれてはいるが、実際はただ魔力を通すことが出来るだけの装飾品だ。
私の血印登録がされているだけでなく、解析阻害が五重(!)に施されており、実験段階の極秘案件ですよアピールもしてある徹底ぶり。
研修に出向く前日、ラススヴェート様がこれを持って説明に現れてくれたが、よくまぁそんなこと思いつくなぁと感心した。
「聖女自身の魔力量によって発動時間が左右されてしまうため、最終的には聖石によって発動させることが目的だそうです」
「そのためのデータを君でとっている、と?」
「はい。私は聖女としては未熟ですが、魔力量が豊富だったので選抜されました。冒険者としての知識や経験も選考理由だと聞いています」
「理解はしましたが……その話を訊く限り、本来は逃走に使うもの、という認識で間違いありませんか?」
「間違いないです」
きりっとした顔で頷くと、なぜか額に手を当てて深い溜め息をつかれた。
「逃走に使う物を、君は君自身の魔力の豊富さゆえに、武器として使った──というわけですよね?」
「いやぁ、半月前までは冒険者だったので、つい」
最初から戦うために望んだ力なので当然だが、逃走補助が建前なので曖昧に濁す。
へらっと笑ったのがいけなかったのか、ハジュールさんに眉を顰められてしまった。
「つい、では済む話ではありません。石付きの冒険者だったと言っても、水晶位でしたよね? その実力で魔氷熊の前に出るなど、自殺行為と言っていい。その魔導具があったとしても、です」
反論する前に付け足されてしまい、口を噤む。
「確かに、貴方が得た力は非常に優れたものなのでしょうが、ご自身が聖女であることを忘れてはいけません。貴方は皆を護る為に、護られなければならない存在なのです。騎士の前に立つなど、今後二度となさらないよう」
彫りの深い整った顔立ちに、白金の長い髪と深緑の瞳。
それに弓を扱う優雅な姿が半妖精を思わせるが、言っている事は全くもって人間味あふれる騎士の言動そのものだ。
間違ってはいないだけに、悔しさが募る。
「ご指摘はもっともだと思います。だけど……一つ、質問をしてもいいですか?」
「どうぞ」
「私がもし、騎士と同等の戦闘力を有していたら、貴方のその言葉は変わりますか? 共に肩を並べて戦う者として、戦場に立てますか?」
私の問いにハジュールさんは微かに瞠目し、破顔した。
「そうか。貴方は聖女としてだけではなく、戦士として共に戦場にありたいと思ってくれているんですね」
「……はい」
戦士というか、あわよくば騎士になりたいんです。騎士に。
「なんとも勇ましい聖女様ですね。貴方は今日見た限り、女神に愛されているし、運もある。本来の意図と違うとはいえ、魔導具による力も。それを正しく使いこなせるようになるならば──あるいは」
正直に言えば、それでも……と否定されると思っていた。
先ほどの厳しい言動もあったので、どんなに戦闘力を有していたとしても、聖女が前線に立つことなどあってはならない、と。
嬉しいことなのに、予想外すぎて喜びはぐってしまう。
まるで私のその戸惑いを見越したように、ハジュールさんは眉尻を下げた。
「貴方が想像したとおり、私とは違う意見を持つ者のほうが圧倒的に多いでしょう。けれど第三及び第四──いわゆる魔物討伐部隊と呼ばれる我々は入れ替わりが激しい。本当に、無情なほどに。そして失われる命の三割は、魔物討伐そのものではなく、狙われやすい聖女を庇って死ぬのです。彼女たちも自衛の手段を身につけてはいますが、最低限だ。その時間しか、重大な使命を持つ彼女たちにはないのが現状……だから、騎士も冒険者も、戦える者は等しく聖女を命がけで護らなければなりません。その現実を踏まえた上で、貴方は我々にとって願ってもない逸材になり得る。騎士と肩を並べられるほどに戦えるのであれば、これほど心強いことはありません。共に生き残れるにこしたことはありませんから」
「……私も、そう思います」
「貴方の成長と、その魔導具の完成を心待ちにします。戦えずとも、聖女が安全に戦線を離脱できるようになれば、我々が生き残れる確率は飛躍的に上がる。いつか共に戦場に立つ者として、これほど喜ばしいことはない」
「肝に銘じておきます」
しっかりと目を見つめて、決意を伝える。
同時に、己の能力を隠すためについた嘘に、拳を握り締めた。
偽りの開発案件だが、本当に実現不可能なのか今すぐに確かめたい。
(咄嗟に思いつくにはラススヴェート様の説明はしっかりしていたし、構想は前々からあったんじゃないかしら? 私で力になれることがあれば……いいえ、この場合は姉さんか。会う約束は叶ったのかしら? ああ、あとはラススヴェート様と姉さん次第だと思って、なにも訊いていないわ。進展がないなら、私が直接姉さんに共同開発でもなんでも頼み込んで……)
現状ではどうしようもないことなのにじっとしていられなくなって、私は思わず立ち上がった。
勢いよく立ち上がったことで少し後退した椅子がギッと鳴り、突然の私の行動に驚いた様子のハジュールさんと目が合う。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、ええと……」
気恥ずかしさに、思わず目を逸らしてしまった。
「増血剤の投与、終わりましたか?」
咄嗟の思いつきのままラサーさんに話しかけると、脈を測っていたらしいマリーナフカさんの手首から指先を離しつつ顔を上げてくれた。
「ん? ああ。終わったよ。飲ませるだけだしね。あとはこのまま一晩休めば、あっちの若いのから順に目を覚ますんじゃないかな。マリーナフカさんとザモークさんは二、三日かかりそうだけど。俺の魔法薬だと、それが限界」
「あの、私になにか手伝えることはありますか? 聖石とか、魔法薬の材料に使えば効力上がったりしません?」
「そりゃ上がるけど、必要が無い」
「あれ……?」
目を瞬かせた私を見つめつつ、ラサーさんは感心と呆れの狭間のような、複雑な表情になった。
「本当に、めちゃくちゃ魔力あるんだな」
ラサーさんは童顔気味なので、目を丸くすると更に幼く見える。
少年のように見えてしまう年上の男性を笑うのは失礼なので、ぐっと堪えて私は頷いた。
「自分でもびっくりするぐらい、余裕あります」
「魔力測定の結果は?」
「実は、わからないんです。学院にあるものでは量りきれなくて」
「は?」
聖杖を譲り受けた日に、正確な数値をとシュティル様が測定器を用意してくれたが、ものの数秒で挙動がおかしくなったので、慌てて手を離させられたのだ。
「壊れそうだからやめろって、途中で止められました」
私の一言に、ラサーさんは目を何度か瞬かせたあと、斜めだった体を私の正面に向けた。
「まじか……この国で一番性能がいい測定器なのに」
「そうなんですか?」
「国宝だぞ」
その一言に、ヒュッと喉奥が鳴る。
「……だからシュティル様は、あんなに青ざめておられたのね」
すぐに手を離してよかった。
「あれで量れないのは王族くらいなんだが……、君、実はご落胤だったり」
「ラサーさん、根も葉もない言葉は身を滅ぼしますよ」
「わひっ」
背後からかけられた、文字通り冷気を纏った言葉に、ラサーさんがすくみ上がる。
連絡鏡で冒険者ギルドに連絡をとっていたセルツェが、仕事を終えて戻って来たようだ。
「セルツェ、先方はなんて?」
ハジュールさんが声をかけると、ラサーさんを睨んでいた視線を一度細めてから、視線の向きを変えた。
氷の眼差しから解放された途端に身震いしつつ、ラサーさんが小声で謝ってきたので、思わず苦笑してしまった。
「副隊長の指示通り、目を覚ますまではこちらで面倒をみると告げましたが、すぐに使者を向かわせると言っていました」
「ヴェーガの瞳のリーダーが倒れたとなれば、さすがに放置はできないでしょうしね。こちらとしては正直手間ですが、仕方ありません。セルツェ、西門に迎えの手配を──」
「俺が行きますよ。道中で症状を説明してやったほうが、先方も安心できるでしょうし」
ラサーさんの言葉に、ハジュールさんが頷く。
「三人に付き添う必要がないのであれば、お願いしたいところですが……大丈夫なんですか?」
「大丈夫というか、最初から必要無いですよ。そりゃ衰弱はしてますが、マリーナフカさんへの増血剤は俺の自己満足ですし。聖女ラフィカの治療は完璧でした」
言いながらウィンクされて、思わず照れる。
それに頷きを返してくれながら、ラサーさんは含み笑うように肩をすくめた。
「歴戦の冒険者の背中が深窓のご令嬢の肌みたいになってて、ちょっと笑いましたもん」
「……どういうことだ?」
「どうもこうも、瘴穴から噴出した瘴気で爛れたのを、再生したんだよな?」
そう会話の矛先を向けられた途端、異常だった事態のことを思い出して思わず声を張ってしまった。
「そうだ、そうです! 二度目に噴出した瘴気の濃度が異常だったんです。瞬間的なものでしたが、一度目のそれの比ではありませんでした。マリーナフカさんが一度目を赤帯寄りだと言っていましたが──っ」
当時の状況を思い出して身を乗り出そうとした私の肩に、誰かの手が触れる。
はっと視線を向けると、いつの間にか傍に来ていたセルツェだった。
「落ち着いて、ラフィカ。その報告はザモークさん達が目を覚ましてから、ギルドの人達も交えてしたほうがいい」
もっともな言葉と柔らかな薄氷の瞳が、私の熱を冷ます。
私は二度ほど深呼吸してから、改めて口を開いた。
「……それも、そうね。ごめんなさい。うまく説明する知識も言葉もないのに、興奮してしまって」
「気持ちはわかる。こうして安全な場所に来てからのほうが、恐怖を実感するもんだ」
「使者が来るまで、貴方も休むといい。セルツェ、彼女を椅子に。私はマールスの部屋から菓子をくすねてきます。あの男が机に隠している、とっておきのチョコレートをご馳走しますよ」
ラサーさんに続いたハジュールさんの言葉に少し笑いをもらって、私は強ばっていた肩から力を抜いた。
ハジュールさんが部屋から出て行くと、隣から差し出された優しい手が、椅子にエスコートしてくれる。
「ありがとう」
お礼を言いつつ、セルツェが引いてくれた椅子に座ろうとした瞬間、私はなぜか、大きくよろめいてしまった。
「あら」
「ラフィカ!?」
素早く差し出されたセルツェの腕が、私を支えてくれる。
驚きに目を瞬かせていると、アイスブルーの瞳が覗き込んできた。
「枯渇症状か!? 無理はするなとあれほど──」
「待って、違うわ」
声音に滲む焦りもあってか、常に無く表情もはっきりと青ざめて見えて、申し訳なくなる。
抱えてくれている腕に有り難く縋って、私は素早く上体を起こした。
補助はもう必要なかったのに、セルツェは私が椅子に腰かけるまで手を添えてくれる。
「ふぅ、驚いた。休もうと思ったからか、一気に身体から力が抜けちゃったわ。自分で思っていたよりも、ずっと緊張してたみたい」
「そう、か」
「驚かせてごめんなさい。聖女の魔力枯渇は、周囲の心臓にも悪いものね」
「え? あ、ああ。それは、確かにそうだが」
「?」
同意しつつも、どこか気まずげに語尾を濁される。
どうしたのかと思って見上げたが、ちょうどハジュールさんが戻って来たので表情を探り損ねてしまった。
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それぞれの巻の書き下ろしはラススヴェートとカナリスの話です。
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