同行実習(2)
「……なんか、楽すぎて逆に疲れるな」
「わかります」
巡回ルートを半分ほど消化し終え、昼食を兼ねた休憩中だった。
不意のザモークさんの言葉に、アゴニさんが同意の頷きを返す。
「聖女様って、聖女様なんですよね。それ以外の何者でもない──本来は」
「それな。どんなに魔物討伐の同行に慣れた聖女でも、冒険者や騎士のようには動けない。体力もない。森の中ともなれば、俺たちが先に道を踏み固め、枝葉を斬り落とし──のはずが、気づくと適切な哨戒距離で自分で道作ってるし、なんならマリーナフカより先に魔物に気づくし」
言葉半ばで視線を向けられたので、私はろくに噛まずに口の中のサンドイッチを呑み込んでしまった。
「んぐっ」
軽く噎せた私に、マリーナフカさんが水筒を渡してくれる。
「冒険者だった上で神聖魔力を得たんだから当たり前でしょ。むしろそれ前提で効率よく動きなさいよ。必要無いところに気を回して気疲れするなんて間抜けだわ」
厳しい一言に、ザモークさんは両手を上げた。
「まったくだな。後半はもう少しペースを上げよう。そうすれば、あと二、三カ所巡回ポイントを増やせる。ラフィカもそれでいいか?」
「もちろんです」
提案に頷き、私は急いで残りのサンドイッチを口に運ぶ。
ゆっくりでいいと言われたが、浄化魔法を使える場所が一カ所でも増えるほうが嬉しい。
素材に僅かに残っていた瘴気を浄化するのと、瘴気の留まりやすいポイントに淀むそれを浄化するのでは、やはり感覚がまったく違う。
実習に勝る経験はない。
「ザモークはああ言ったけど、魔力は大丈夫? 不慣れだと余計に消費するものだし、枯渇すると危ないから早めに言ってね」
再び歩き始め、新たに二カ所の浄化を終えたところで、マリーナフカさんが言葉をかけてくれる。
それに頷きながら、私は笑顔を向けた。
「全然大丈夫です。きちんと魔力回復薬も用意してますし、枯渇は魔力が最低限しかなかった私としては身近な脅威でしたから、感覚を間違えることもないです」
「そっか、そうだったわね。少し安心したわ。でも本当に、無理はしないでね。聖女様の青い顔って、心臓に悪いから」
「はい」
助けようがないからこそ、余計に辛いのだろう。
神聖魔力は特殊な性質をもつがゆえに、他者からの供給を受け付けない。故に、魔力を回復するための魔力回復薬も自分の魔力で作り、必ず携帯している必要があるのだ。
このことはシュティル様に真っ先に教えられたほど、重要なことだった。
体内を巡る魔力は、血液と同じように生命活動に深く結びついているため、失いすぎると死に至る。
枯渇による目眩や頭痛、昏倒などの症状は、体からの警告なのだ。
聖女は緊急の魔力回復手段が自身で作った魔力回復薬しかないので、絶対に無理は禁物だと、念を押すように何度も言われていた。
(魔力を共有できないっていうのは、不便よねぇ)
魔導師であれば、枯渇状態から魔石を囓って生き延びた猛者もいるというのに。
そんな考えを頭に巡らせていたら、次のポイントに到着していた。
そこにマリーナフカさんと並び立ち、無言で視線を合わせる。
魔導師である彼女は、私と同じように他との微かな違いに気づいたようだった。
「……邪竜の影響で全体的に蓄積量が上昇傾向にあるけれど、ここは特に濃いわね」
「はい。私もそう思います。ほんの少しの違いですけれど」
「次に来るとき、緩和用の小聖石を設置したほうがよさそうだわ。アゴニ、地図にメモしておいて」
「はい」
とか言いながら、すでに書き込み終わっている。
「さすが、優秀ねぇ」
思わず呟いたら、なぜか睨まれた。
「なによ、手際と察しの良さを褒めただけじゃない」
理由がわからなくて思わず反論すると、アゴニは微かに目を見開いたあとで気まずげにうなじを掻いた。
「あ、いや、……悪い。またかと誤解した」
「誤解?」
なにをどう誤解するのかわからなくて首を傾げたら、アゴニは言いたくなさそうに口を開いた。
「大抵、『さすが伝説の冒険者の息子!』とか『ザモークさんの血だな!』って言われるから──」
「なにそれ、馬鹿じゃないの。そりゃ確かに、資質として受け継がれたものもあるでしょうけど、それを活かすのは本人の努力じゃない」
その結果を毎度親の手柄のように言われたら、確かに不貞腐れもするだろう。
ちらと視線を飛ばすと、ザモークさんは少し離れたところを見回っていたので、私はアゴニへの同情を口にした。
「有能な親がいると、盗めるものが沢山あって羨ましいとしか思ってなかったけど、それはそれで大変なのね」
「……不快にさせて悪かった」
「いいわよ。ひねちゃう気持ち、わからなくもないし。ただまぁ、どうせならそこで『おかげさまで』って笑える度量は持っとくといいわね。実力が伴っている以上、相手も嫌味じゃなく褒め言葉のつもりなんでしょうから」
少しでも気持ちが楽になればと思って口にしたアドバイスだったが、アゴニには響かなかったようで、ただ無言で見つめられてしまった。
「アゴニ?」
「あ、いや。そんな風に考えたことがなかったから、驚いた」
「なぁに、全部嫌味だと思ってたの? 貴方、案外自分に自信がないのね。大丈夫よ、ザモークさんは息子だと言うだけで傍に置いたりはしないわ。貴方の方がよほどわかってるでしょうに」
「……そう、だな」
歯切れの悪い、複雑そうな声音だったが、反論はないようだ。
色々と重なって、それが父親への反発になっているだけなのだろう。
とくに続く言葉もなく見つめ続けられたので、励ましのつもりで微笑んだら、ぱっと顔を逸らされてしまった。
解せない。
「ん、ふ、ふ。若いっていいわね!」
顔を逸らされてしまったことで落ちた沈黙をどうしたものかと思っていたら、隣にいたマリーナフカさんが唐突に私に体当たりしてきた。
「おふっ」
油断していたので一歩よろめいてしまいつつ、目を瞬かせる。
「なにするんですか」
「ごめんね! 甘酸っぱい空気に耐えられなくて!」
「はぁ?」
意味がわからなくて、間の抜けた声をだしてしまった。
唐突な所業について追求しようとしたが、マリーナフカさんの視線が既に私を見ていない。
「ああん、逃げられちゃった」
どこか楽しそうな声音の先には、妙な早足でザモークさんの元に向かうアゴニの背中があった。
よくわからないが、微妙な空気を打破する必要がなくなったことには安堵したので、私は両手を瘴気が淀んでいる場所に向けた。
「ここ、浄化しちゃいますね」
「切り替えはやっ。そうなのね。こっちは甘酸っぱさの欠片も生じてないのね!? ああ、余計な世話を焼きたい。でも本当に余計だわ。見守るべきだわ!」
「マリーナフカさん」
「なぁに? 彼の辺境での活躍話なら多少はもってるわよ!?」
「? 魔物討伐関連の話なら興味ありますが──」
「本当!? どれが一番格好いいかしら! ええとね」
「とりあえず、うるさくて集中できないんでちょっと黙っててください」
「……はい」
しゅんと萎れるマリーナフカさんは、ちょっと可愛らしい。
(もしかして、マリーナフカさんはアゴニのことが好きなのかしら)
私の中の乙女心的な好奇心がめちゃくちゃ刺激されて、ちょっと気持ちが逸れてしまう。
割と冷静な印象のある彼女が、ほんのりと頬を赤らめてそわつく姿など初めてみたので余計だ。
(だめだめ、だめよ! 今はこっちに集中!)
この実習が終われば、お互いにゆっくり話せるだろう。
恋バナなんて初等教育院を卒業して以来なので、楽しみ過ぎる。
(いや、だから今は集中するのよ!)
またしても心が浮き立ちかけてしまい、私は雑念を払うために頭を左右に振った。
「生命力の流れを感じ、その中で星の瞬きと、軌道を視る──」
心を無にするための、おまじない。
それを呟いてから、さらに浄化に意識を向けるための言葉を紡ぐ。
「慈悲深き女神エテルノよ、その優しき息吹をここに」
神聖魔法は意思の明確さで効果や範囲が決まるため、その方向を定めるための言葉は重要なガイドだ。
これからすることを言葉にして口に出すという行為は、頭の中で考えるだけより意識を誘導する効果が高い。
「第一の加護・浄化!」
放出した魔力が綺麗に展開し、私が願った通りの形で魔法として発動した。
乳白色の輝きが瘴気を飲み込むように広がり、光の粒子に変換していく。
「おみごと」
少し離れた場所で、マリーナフカさんが手を叩いて褒めてくれた。
それに微笑みを返してから、赤黒い靄が視えていた場所に再び視線を落とす。
魔物の生息区域のあちこちに、こういった場所があるらしい。
霧散して消えるはずの瘴気が、邪竜が地中に張り巡らせている魔力の流れ──『竜尾根』に取り込まれて集まり、『瘴穴』と呼ばれる場所で魔力と共に噴き出して溜まっているのだ。
それは魔物を呼び寄せて強化させてしまうため、定期的に巡回して浄化しているらしい。
塞いでしまえばいいのにと言ったら、瘴穴の場所が変わるだけでかえって危ないのだと言われてしまった。
(確かに、場所がわかっているほうが対処できるものね)
噴き出す瘴気の濃度は、その周辺に生息する魔物に依存するので、強力な魔物が出没するエリアほど放置できない。
「ラフィカ、ラフィカ。もしかして、竜尾根を視ようとしてる?」
つんつんと腕を突かれて、はっと顔を上げる。
すぐ脇で、マリーナフカさんが苦笑いをしていた。
無意識に瘴穴を睨んでいたらしい。
「よくわかりましたね」
「めちゃくちゃ半目で地面睨んでたから」
すごくブスな顔をさらしていた気がして、うっと喉が詰まる。
思わず目元を揉むと、マリーナフカさんも同じ仕草をした。
「んふふ。ごめん。ついからかっちゃったわ。魔導師も聖女も、みんな同じ顔になるもの。薄目にしたほうが視える気がするのよねぇ」
「……はい」
瘴穴に近い部分は瘴気が視認できるお陰でうっすら視えるが、竜尾根はそこからかなり深い地中に伸びているため、その先が全く見えない。
「まぁ、本流が視えたところで意味がないから、基本的には地表近くにだけ注意を配ればいいわ。慣れてきたら、瘴穴になりそうな場所とかもわかるようになるから、気づいたら教えて」
「わかりました」
「ザモーク! 浄化が済んだわ。次の場所に行きましょ!」
マリーナフカさんが手を上げて、少し離れた場所にいた二人に手を振る。
それにザモークさんが応えようと片手を上げたところで、森奥からドンッと小さな爆発音が響いた。
木々の陰から一斉に鳥が飛び立ち、私たちの視線を誘導する。
その先には肉眼でも視認できそうなほど、濃い瘴気が噴き出していた。
「うそでしょ、近い!」
言葉と共に駆けだしたマリーナフカさんを慌てて追いかけ、ザモークさんたちと合流する。
すぐさまアゴニが地図を拡げ、その上にマリーナフカさんが指を彷徨わせた。
「この辺りよ。川向こうではなさそうだけど、濃度は赤帯寄りだと思う」
赤帯。正式には赤色指定地帯。Bランク以上の魔物が主として生息しているエリアのことだ。
つまりマリーナフカさんは、そのエリアに発生する瘴穴と同程度の濃度の瘴気が、指差した場所から噴き出していると言っている。
「確かですか? いくら邪竜の影響があるとはいえ、赤帯寄りの瘴気がこのエリアに噴出するなんてあり得ない気が」
「私は見間違ってなんか──」
アゴニの否定にマリーナフカさんが反論しようとしたが、ザモークさんが手で制した。
全員の視線が、彼に向く。
「原因があれば別だろう。騎士団から報告があった、巨大大角猪の余波の可能性が高い」
指摘に対して、アゴニがはっと目を見開いた。
「……二体出現して、浄化にも手間取ったと言ってたやつですね。相当な巨体だったという話だから、確かに相応の瘴気が竜尾根に取り込まれていてもおかしくはない」
「だな。万一に備えてくれと言われていた」
「マリーナフカさん、すみません」
「判断を間違わないために、意見をぶつけ合っただけよ。謝らなくていいわ」
「はい」
マリーナフカさんとアゴニのやりとりで会話が途切れたのは、次の判断を下すザモークさんが沈黙したからだ。
この後の行動を決めあぐねているのだとわかったが、即断即決の男が迷う理由など一つしかない。
「行きますよ?」
私の言葉に、ザモークさんが顎を撫でていた手を止める。
その眼差しに、微かな戸惑いが見えていた。
「いや、しかし」
「私は確かに未熟な聖女ですが、この実習で浄化が出来ることは証明したはずです。リーダーなら、巧く使ってください」
私の言葉に、ザモークさんは瞠目した後、くしゃりと笑った。
「聖女様は冒険者に使われちゃだめだろ」
少し諭すような一言に、自分の中でカチッとスイッチが入る。
「確かに。では、私が貴方たちを使います」
「へ?」
年上かつ経験豊富な男の間の抜けた声が、私に笑みを作らせた。
(コツは、もっともらしく振る舞うこと)
幸いなことに、人を使うことには、『前世で』慣れている。
経験不足を補うために、私は頭の中にある雑誌や新聞を漁りまくり、一つの記事を引っ張り出した。
とある冒険者が語った、瘴気に関する危機一髪エピソードだ。
「マリーナフカ、瘴穴対策用の聖石はいくつ持ってきているの」
「え、あ、と、小が二つに中が一つよ。赤帯レベルの瘴穴は想定してなくて……」
「数だけ答えればよろしい。ザモーク、第三部隊の今日の巡回路は把握している?」
「今日、は──この時間帯なら、西から南に下る経路で一部隊いるはずだ」
「川向こうだとしても位置的には近いわね。噴き出しの衝撃もあったし、あのレベルの瘴穴なら気づくでしょう。瘴気を抑える結界は、彼らが来るまで保てばいい。置く場所さえ間違わなければ、足りるわ」
「待て、聖女が同行してるかはわからん」
「聖女がいなければいないで、万が一の聖石を携帯しているでしょう。こっちの手持ちより、質がいいのをね」
「そりゃそうか。この時期だ、大聖石を所持している可能性も高い。それなら、翌日までは保つだろう」
「私の不確かな浄化に頼らずに済むよう祈ってちょうだい。他に質問がなければ向かいます。アゴニは周辺の魔物を警戒。マリーナフカは瘴穴に近づく間に設置位置を視て決めておいて」
「じゃあ俺は、聖女様の護衛にでもつきますかね」
どこか面白そうに、ザモークが私の傍につく。
馴れ馴れしい態度を不快に思った瞬間、いやそれはないと脳が否定して、はっと我に返った。
(ちょとまって……私いま、なにやってるの!?)
どっと背中に冷や汗が滲んだが、進みだした足を止めるわけにもいかない。
内心ではものすごく焦ったが、目的地に近づくにつれて、それは別の焦りに変わっていった。
「こりゃやばいな。まだ距離があるのに、俺でも視える」
言うなり、ザモークさんが先行するために足を速める。
一瞬向けられた視線に頷きだけ返して私がアゴニに寄ると、まるで生徒でも褒めるかのようににやりと口端をあげた。
意図を汲んだ行動を取れたことにちょっと嬉しくなったりもしつつ、ザモークさんの背の先にある淀みを睨む。
(すごく、嫌な色だわ)
瘴気が噴き出す勢いが、増している気がした。