同行実習(1)
冒険者ギルドの一階は、受付の隣に待合室を兼ねた食堂が併設されている。
依頼を物色するついでに同行者を探したり、待ち合わせに使ったり、打ち上げで盛り上がったり。
用途は様々だが、情報交換の場として最適なことは確かだ。
食堂の上は宿場も兼ねており、遠方から来た冒険者が長期滞在していたりもする。
朝早くから雑多に賑わうその一角に、彼らはいた。
冒険者集団「ヴェーガの瞳」。
フリーではなく、冒険者ギルド・ラシオン首都支部に所属している職員で構成されており、主に管轄エリアの巡回や難易度選定が必要な依頼の調査をしている。
約二十名ほどいるメンバーのリーダーはザモークさん。
白金の髪と金茶の瞳はラシオンでも一般的な色彩なので地味と言えば地味だが、頬にある大きな傷がより際立つとも言える。
短く刈り上げた髪が良く似合う、壮年の偉丈夫だ。
長大な両手剣を巧みに操り、攻守のバランスがとれた戦闘を行う。
今日は彼の他に、魔導師のマリーナフカさんと、見知らぬ若い男が一人いた。
(誰かしら。すごく不機嫌そうね)
私が近づいていくと、真っ先に気配を察したザモークさんがふっと視線をこちらに向けた。
目が合うと、目元を笑みに緩めて片手を上げてくれる。
「おう、何日ぶりだ? 暫く見かけてなかったから、心配したぞ」
「ラフィカじゃない。石付きになれたって聞いたわ。おめでとう」
「おはようございます、ザモークさん。マリーナフカさん」
二人に挨拶するついでに、見知らぬ青年にも軽く頭を下げる。
彼の顔は不貞腐れたままだったが、私に対して一瞥だけはくれた。
「おめーはよぉ、かわいいお嬢さんになんだその態度は!」
「いってぇな!」
ザモークさんに後頭部を叩かれて、青年が声を荒げる。
けれどザモークさんはそれを無視して、改めて私に向き直った。
「わりいな、愛想悪くて。俺と仕事だから機嫌わりぃんだ」
(えっ、そんな人いるの!?)
ザモークさんと仕事ができるなんて、盗める技術が山ほどあって最高なのに、なんてもったいない。
(声を掛けてもらっている私に向けられた、羨望の眼差しが見えないのかしら)
多くの冒険者にとって、ザモークさんは憧れの人だ。
若かりし頃の英雄譚は数知れず。
基本ソロで活動していたため、人数が必要な依頼を彼が手に取った日には、声をかけられたくて皆そわそわしたのだと、マリーナフカさんから聞いたことがある。
冒険者ギルドのスカウトに応じて「ヴェーガの瞳」のリーダーに収まったときは、新聞の一面を飾るほどの大事件として扱われた。
そんな彼がなぜ、新人の冒険者としても底辺だった私に声を掛けてくれるのか──。
それは非常に幸運なことに、私が出した魔物討伐の同行依頼に応じてくれたのが、ザモークさんとマリーナフカさんだったからだ。
正確にいえば、二ヶ月間も放置されていた私の依頼を、ギルド側が拾ってくれた結果だ。
なにせ、魔法を魔導具がなければ使えない冒険者だ。寄生案件だとしか思われず、誰にも受けてもらえなかったのだ。
魔物は危険度や討伐難易度に応じて、アルファベットのE~A、それにSを加えた記号でランク分けされており、石付きになるにはCランク以上に指定された魔物の討伐経験が必須だった。
なので、絶対に諦めるわけにはいかなかった私は、募集期限が切れるたびに更新料を支払って依頼の受付期限を延長していた。
どういう経緯で「ヴェーガの瞳」が動いてくれたのかはわからないが、受付のお姉さんの顔を思い出す限り、同情の類いであることは確かだったと思う。
道中、同行してくれた他のメンバーにも、ザモークさんに無駄な仕事をさせやがってと散々嫌味を言われた。
それでも、最終的には寄生ではないと証明できたらしく、帰路は嫌味ではなく、魔法が使えなくなったときの対処法や逃げ方を教えてくれたし、初討伐祝いとして最も状態の良い雪崩鹿の革を贈ってもくれた。
あれ以降、ギルド内で見かけるとからかい混じりに声をかけてくれることすらある。
その中でも、ザモークさんとマリーナフカさんは、よほど私が印象に残ったのか、時間があれば近況を聞いてくれるほど親身になってくれていた。
「石付きになって、ソロ出来るようになってからが新人は危ねぇんだ。浮かれて油断すんなよ?」
「はい」
「朝から若い子に説教なんてやめなさいよ」
「いや、俺はこいつのためを思って……」
「はいはい。それで、今日はどんな依頼を受ける予定なの?」
綺麗な亜麻色のロングヘアを揺らして、マリーナフカさんが問いかけてくれる。
正にそれこそが彼らに近づいた理由だったので、私は笑顔で答えた。
「今日は、皆さんに同行させて頂くために来たんですよ」
「は? いや、そんな話は聞いてないが」
マリーナフカさんよりも先に、ザモークさんが慌てた様子で口を挟む。
懐から取り出したのは、仔細が書かれたメモだろうか。
どうやら、名前までは伝わっていなかったらしい。それとも、別人だと思ったのだろうか。
ならば私はすることは一つだ。ちょうどよく青年の視線も戸惑い気味に向けられていたので、私は改めて頭を下げた。
「聖女ラフィカです。本日はよろしくおねがいします」
「は?」
魔物すら射すくめられそうな鋭い三白眼をこれでもかと見開いて、ザモークさんがぽかんと口を開けた。
「あ、もちろん。まだ研修中の身です」
「いや、それはわかったが、いやわからないな? 意味がわからないぞ!?」
ザモークさんが、困惑をそのままマリーナフカさんに投げる。
「え、と──つまり、ローシャが研修だけど人材確保! って騒いでた聖女が、ラフィカだったってこと……じゃ、ないかしら?」
「なんだそりゃ。ラフィカは冒険者だぞ?」
「状況から推測するなら、後覚醒──ってことよね?」
「はい」
「後覚醒!? そんなことあんのか!」
目を見開いたままのザモークさんの視線が、私とマリーナフカさんの顔を行ったり来たりする。
「うちの国でなら百五十年前に一例ある。他国でも数例あるな」
ぼそっと口を挟んだ青年に、ザモークさんの視線がぎゅんっと向いた。
「お前よくそんなこと知ってんな」
「なんでだろうな?」
暗い眼差しが一瞬だけザモークさんに向けられたが、それはすぐに逸らされてしまった。
「うーん……ラフィカが、後覚醒の聖女。聖女様かぁ」
知恵熱が出そうな顔で、ザモークさんが呻く。
私とて青天の霹靂だったので、気持ちはなんとなく理解出来た。
「驚かせしまってごめんなさい。私としても、ようやく気持ちが落ち着いてきたところで……」
「大変だったのね。よければ今日の実習が終わったら、色々聞かせて」
「はい」
マリーナフカさんの優しい笑みに、笑みを返す。
その脇で、未だに信じられないという顔をしていたザモークさんの背中を、マリーナフカさんの手が思い切り叩いた。
「いつまで呆けてるの!」
「いてっ」
「気持ち切り替えていきましょ。世に聖女が増えることは人類にとってとても喜ばしい事だもの」
「そうだな。悪い、驚き過ぎちまった」
「いえ」
「では改めて。覚醒おめでとう、聖女ラフィカ。貴方に女神エテルノの祝福がありますよう!」
「わっ、ありがとうございます」
言葉と同時にマリーナフカさんにぎゅっと抱き締められて、豊満な胸に顔が埋まる。
私とて小柄なわりにはあるほうだと自負しているが、マリーナフカさんのそれは宝物級なので、ただひたすらにその柔らかさを堪能した。
「さて。じゃあいい加減、こいつを紹介しよう」
ザモークさんが青年を手招きすると、不承不承一歩前にでてくる。
相変わらず不機嫌そうだが、根は素直らしい。
「この男前の名前はアゴニ。三年間、辺境で冒険者としての経験を積み、晴れてギルド所属になった期待の新メンバーで、俺の息子だ。いい男リストにいれておいてやってくれ。恋人募集中の二十歳」
言われて見れば似た顔つきの青年の肩をぐいっと抱き寄せて、ザモークさんが器用にウインクしてくる。
思わず笑ってしまったが、引き寄せられた青年は力一杯その手を振り払っていた。
「親父、マジで──次にまたそれをやったら、縁を切るからな。女は自分で選ぶし捕まえる」
「なー、いい男だろ!」
邪険にされたのに嬉しそうなのが、親馬鹿って感じだ。
それほど、自慢の息子なのだろう。
「ラフィカです。よろしくお願いします、アゴニさん」
「アゴニでいい。それとその、悪いな。一応、誰彼構わずじゃなく、いい女だと思った相手にしか言ってはいないはずだから、気分を悪くしないでくれ」
すごく恥ずかしそうなくせに、言葉が確かに男前だ。
間違いなくモテるだろうに、なぜ恋人募集中なのか。
疑問に思いつつ、私はひとまずの流れとしてザモークさんに手を差し出した。
アゴニの顔にハテナマークが浮かんでいるのを尻目に無言で見つめ合い、五秒後にがっしりと握手をする。
「ザモークさんからのいい女認定、ありがとうございますッ」
「ふはは。俺はお前のそういうところが気に入ってんだ! 是非とも俺の息子を落としてくれ!」
「惚れたら考えます」
「そらそうだったわ。頑張れ息子!」
「黙れ馬鹿親父ッ」
「はいはいはい。お仕事中ですよ~? けじめはつけてくださいね?」
割り込んだマリーナフカさんの顔が、全然笑ってない。
胸元で合わせていた両手の指先にパリッと魔力光が散ったように見えたのは、気のせいではないのだろう。
私たちは三人揃って口を閉じ、彼女の前に直立した。
◇ ◇ ◇
「まさか聖女として初めての野外実習までご一緒して頂けることになるなんて、本当に嬉しいです」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しいぜ。いやぁ、世の中、何が起こるかわかんねぇもんだなぁ。時期外れの実習に付き合ってくれと言わたもんだから、正直、どんな落ちこぼれがくるのかと覚悟してたわ」
「落ちこぼれ……」
西門を出て、ハウヴェンの森の南部へ向かいながらの雑談。
思わぬ単語に驚くと、マリーナフカさんが苦笑した。
「ローシャのメモが杜撰すぎるのよ。『見習い聖女の同行実習お願いします!』だけって……。時期的に補習だと思うじゃない。後覚醒だってことも、ラフィカの名前すらなかったわ」
「まぁ、名前があったらあったで混乱した気がするけどな!」
「あはは……。私が言うのもなんですが、ローシャさん忙しそうだったので、許してあげてください」
烏滸がましいとは思ったが、代わりに謝罪する。
すると三者三様に、複雑そうな顔をした。
「それは、なぁ。聖女の代わりは、聖女にしかできねぇからなぁ」
「浄化魔法を扱える魔導師も過労気味だし、ちょっと本格的に体勢を組み直さないと危ないわよね」
「そういえば、騎士団の奴が昨日来てたよな。なんの話だったんだ? どうせ親父も同席したんだろ?」
「おい、仕事中に親父はやめろと言っただろ。あと敬語」
「あ、悪い──すみません」
騎士団の奴、とはセルツェの事だろうか。
(そういえば、なんでギルドに行っていたのかまでは聞かなかったわね)
あまり仕事について聞くのもあれかしらと、流したのもあるが。
「正に、今後についての話し合いの場を──ってやつだな。邪竜討伐の件も含めて、足並み揃えねぇとあっという間に瓦解しかねん」
「嫌になるわね。あと十年──いえ、五年はあるつもりで準備していたのに、まさかこんなに早く動かれるなんて。最悪だわ」
「元より転生した邪竜が成体になるまでの三十年だけが安息時期だ。それ以降は希望でしかない。上はちゃんと、それで動いていたはずさ。だから、王子達の行動も早かった」
「確かに、言われて見ればそうね」
「問題は他国からの援軍だな。ラシオンの管轄の邪竜の活発化が従来より十年も早まったんだ。似たような時期の国は、万が一に備えて戦力を割けない」
「となると、頼みの綱は冒険者──ですかね」
口を挟むと、私の斜め後ろについていたアゴニが頷いた。
「だな。俺がいた南西支部にも、三ヶ月前の時点で噂を聞きつけた冒険者が集まり始めていた。国境の魔窟を乗り越えて来れる連中だ。相応の報酬が提示できれば、かなりの戦力になってくれるだろう」
「邪竜討伐は命がけだが一躍する絶好の機会でもあるからなぁ。後方支援でも充分金になるし。是非とも富と名声目当てに勇者様でも現れてほしいぜ」
「勇者様……」
むむっと眉間に皺を寄せた私を見て、ザモークさんが片方の眉尻を上げた。
すすすっと下がってきて、アゴニの隣に並ぶ。
「おい、未来の嫁が心動かされてんぞ。ぽっと出の勇者様にもってかれんなよ?」
「……ザモーク。あなたそれ、逆効果よ」
アゴニがキレる前に、心底同情した顔でマリーナフカさんが口を挟む。
顔を上げたザモークさんは、二人の冷ややかな視線に晒されて戸惑っていた。
「えっ、マジで? なんで!?」
助けを求めるように、視線が私に向く。仕方がないので、私は笑顔で答えをあげた。
「第三者のからかいほど、意欲を萎えさせるものってないと思います。それが親なら尚更」
「お、おう」
「あと、私とアゴニの気持ちを無視するのもどうかと思います」
「わ、悪かった」
「ついでにいうなら、勇者様が気になったのは、素敵な殿方を想像したわけではなく、いたら邪魔だなと思ったからです」
「へ?」
「え?」
「は?」
なんとなく舌が滑らかに回ってしまったせいで、余計な一言という名の本音まで口から飛び出てしまう。
三人が足を止めてまで私を見つめてきたので、思わず一歩下がってしまった。
「口が滑りました。忘れてください」
「いやいやいや? まさかと思うけど、狙ってる? 狙ってるの?」
「まさか、そんな。いやでも、ラフィカの性格ならありえる」
「おい、なんだよ。なんの話だよ」
戸惑うアゴニをよそに、さっとマリーナフカさんが私に近づいてくる。
逃げようとしたが両肩を掴まれて、満面の笑みを向けられた。
「そうね、そうよね。冒険者としての経験がある聖女だもの。邪竜討伐に参加する可能性は高いわよね?」
「だと、思います」
「でもね、蛮勇の先にあるのは『死』よ。貴女がどれほど名声を上げたがっていたか、私はその努力を見てきたから知っているけれど、実力が伴わないなら無茶は駄目よ? その分別はついている子だと思っていたのだけれど? 私の勘違いだったかしら? それとも、邪竜討伐という夢の舞台に目が曇ってしまったの?」
「マリーさん。マリーナフカさん。痛い、痛いです。その、大丈夫です。勇者いらない発言は間違いなく失言です。なんというかその、誰よりも活躍したいという願望が言わせた一言ではありますが、心から望んで言ったわけじゃないです! あと死ぬつもりも微塵もないので、無理だと思ったことはやらないです。それはもう、絶対に。お二人を含めた『ヴェーガの瞳』の方達が私を認めてくれた上で、誓わせたことじゃないですか。無駄死にはしない、って」
マリーナフカさんの早口に勝るとも劣らない勢いで弁解すると、ようやく爪が食い込む勢いで掴まれていた肩が解放された。
肉体的に痛いわけではなかったが、なんていうか、雰囲気で痛い──ということはあるんだな、と新たな発見をする。
「わかってくれているなら、いいけれど。……でも嫌だわ。ラフィカは無関係だと思っていたのに、参加の可能性が出てきてしまうなんて。全滅での相打ちが定石の討伐戦に、貴方を巻き込みたくない」
「お二人は行くのに? というか、冒険者のままだったら参加資格すらなかったって暗に言うのやめてくれます?」
事実でしかないだけに傷つくんですけど?
「ま、なるようにしかならねぇ──ってな。今は今で、やるべき仕事のことを考えようや」
「そう、ね。聖女ローシャが優秀だと断言した、聖女ラフィカの成長の手助けをさせてもらいましょ」
「よろしくお願いします」
腰帯に下げていた聖杖に、そっと触れる。
胸に不安が湧いてしまったのは、邪竜討伐で天秤にかけられる命を、参戦者との会話で実感したからだろうか。
(ザモークさん、マリーナフカさん、たぶんアゴニも。……それに、セルツェもよね?)
邪竜討伐の主力は、間違いなく王立騎士団だし、その要は魔物討伐部隊だろう。
三十年と少しの安定のために、繰り返し支払わされ続けている犠牲。
(その流れを変える力は、私の手にあるかしら?)
覚醒と同時に、偶然とはいえ神聖魔法の究極である蘇生を発動させられたのだから、潜在能力は申し分ないはずだ。
そこに泉の女神の加護まであるのだから、全部救えなければ困る。
(ああそうか。私、強い魔物を倒したいわけじゃないんだわ)
願うのは、その先。その結果。
──奪われたくない。
胸に強く湧いた想いは、ヴィクトリアとしてもラフィカとしても、共感できるものだ。
強い魔物に固執する焦燥の理由がほんの少し見えた気がして、安堵する。
(うん、そうね。誰も奪わせないわ。誰も)
誰一人欠けることなく、邪竜を討伐する。
シュティル様に軽口のように告げた言葉を、真実にしなければならない。
(他の誰の為でもない、私の為に!)
そのためにはまず、この研修を大成功で終わらせなければ。