西日と聖女とアイスブルー
「俺の知り合いに、何か用か」
「……い、いえ」
「そうか、では早々に立ち去ってくれ。俺は今、機嫌が悪い」
低い声が、頭上から落ちてくる。
男達は酔いなど吹っ飛んだ様子で顔を引き攣らせながら、驚きの速さで雑踏に消えた。
軽く溜め息をつきながら彼が周囲に視線を巡らせると、野次馬の視線も一斉にさっと逸らされる。
困っていた少女を助けたにしては周囲が静かなのは、彼の放つ怒気と魔物討伐部隊の制服が相俟って、恐ろしさの方が少し勝っていたからだろう。
「ありがとう、セルツェ。とても感謝しているけど、その怒気は引っ込めてほしいわ」
「……え?」
私が再び声をかけると、ようやくセルツェの気配が緩む。
足下の肌寒さが和らいだことで、気のせいではなく本当に彼から冷気が発せられていたのだと気づいて驚いた。
「貴方の魔力は、冷気と相性がいいのね」
「ん? ああ。よくわかったな」
「ええ? わからないほうが変よ」
「そう、か?」
「その様子じゃ無自覚だったのね。まぁいいわ、座る?」
「……君が、嫌でなければ」
「嫌なわけないじゃない。貴方のお陰で、最後まで鶏串焼きが食べられるもの」
言いながら席に座り直すと、セルツェは少し呆れた様子で腰を下ろした。
向かいではなく隣に来たことに驚いたが、なんとなくあのナンパ男が座っていた椅子に座りたくないのかな、と推測する。
「俺が言うのもなんだが、今の一件は君の油断もあると思う。なぜこんな場所で一人で食事を?」
「どこで食事をするかは私の自由よ?」
「それはそうだが……。自分で対処出来ないトラブルが起こる可能性がある場所は避けるべきだ」
「本当は出来たわよ。ただ、私って一応は聖女じゃない? 騒ぎにして彼らが罰せられるのも可哀相だと思って、穏便にあしらおうと思ったの」
「それなら、聖女だと言えばそれで逃げただろう」
「酔っ払ってたのよ? 白いローブも学生服もない私じゃ、嘘だと思われるだけだわ」
「……確かに、否定はできないな」
「でしょ? まぁ、最後は面倒くさくなって殴り倒そうと思ってたから、寸前で割り込んでくれて助かったわ」
「……冒険者の男三人に囲まれていたのに、そう言い切る君がものすごく心配なんだが」
「自分の力はわかってるつもりよ?」
疑わしい目を向けられたが、そっぽを向いて鶏串焼きを囓る。
この話を続ける気はないという意思は伝わったらしく、セルツェは大きく嘆息した。
「わかった。不愉快な話題は終わりにしよう。君も無事だったわけだしな」
「頼もしい騎士様のお陰でね」
ばちこん、とウィンクしたが、無表情がデフォルトの男は照れすらしてくれなかった。面白くない。
「それで、学院の寮に入ったはずの君が、なぜここに?」
「え? ああ、色々あって、今、冒険者ギルドで研修中なの」
「は?」
意味がわからないという顔を彼なりの微妙さでしてきたので、私は同意の頷きをした。
私だって、予想外の経緯で今ここにいるのだ。
「私だけ食べてるのも気が引けるから、一緒に何か食べない? せっかく会えたんだし、適当に近況でも話してあげるわ」
「そうしてくれ」
神妙に頷きつつ、セルツェが手近な屋台に声を掛けて注文をする。
麦酒と共に大盛りで届けられた焼き飯に二人で驚いたが、「騎士様、かっこよかったぜ!」と親指を立てながら去って行かれたので、私は少し赤面するはめになった。
第三者に改めて言われると、ちょっと恥ずかしい。
(よく考えたら、セルツェだって恥ずかしいわよね)
私を助けるためとはいえ、悪目立ちすることをさせてしまった。
「ごめんなさい。場所、変えればよかったわね」
「なぜだ」
「その、恥ずかしいことをさせてしまったわ」
「? 何が恥ずかしいのかわからないんだが」
素で言っているとわかるだけに、妙な感心をしてしまう。
どうやら彼は、見目だけではなく中身も相当に男前らしい。
「……あ。もしかして俺は、君に恥をかかせているのか?」
「違うわ、違う。あんまり格好良く助けて貰っちゃったから、ちょっと照れただけよ」
「格好良い? 俺は男として、当然のことをしただけだ」
真顔。至って真顔。
無表情だし無口だしで、誤解されてばかりのようだが、実際はとても気遣いが出来る紳士だ。
それに、「騎士として」ではなく、「男として」と言っちゃうあたりが、乙女心を擽る。
この魅力が世の女性達に伝わらないなんて、心底惜しい。
(まぁ、私も最初、ないわって思っちゃったくらいだしなぁ)
私の場合、任務で緊張していたせいで配慮を欠いていた──という追加要素もあったが、表情から感情が読みにくいのは普段からのようなので、そこに無口が加わるのは致命的だ。
「不器用って、損ね」
「うん?」
「何でもないわ。まず乾杯しましょ!」
「あ、ああ」
私が勢いよくコップを差し出すと、彼も同じように掲げてくれる。
木製のそれはコンッと乾いた音をたてて、中身を揺らした。
私の近況話に対して、セルツェは途中何度も驚いていた様子だったが、やはり表情にはほとんど変化がなかった。
どうしてこんなに表情筋が固いのか、ちょっと触ってみたくなってしまう。
「君は本当に、色んな意味で予想がつかないな。あれからまだ半月も経っていないのに、もう研修生とは」
「そうねぇ。この勢いなら、一月後には貴方と一緒に仕事してるかも」
「充分にありえそうなのが怖い」
「なんでよ。優秀な聖女が部隊に加わるのだから、嬉しいでしょう?」
「それはそうなんだが、危険な任務ばかりだから」
「だからこそ、でしょ。その危険な任務での死傷者を一人でも減らすために、私は行くのよ」
最初は聖女としての後援を望まれるだろうが、ゆくゆくは魔物討伐の主力として周囲に認められ、騎士の称号を獲得するのだ。
癒やせるし戦える──ともなれば、もはや無敵ではないだろうか。
そのどちらも、まだまだ未熟なのが惜しまれる。
(膂力があるからこそ選べる手段や技術が、沢山あると思うのよね。どう身につけようかしら)
ふと逸れた思考を、横顔に刺さる視線に戻される。
顔をあげると、逆光の照り返しで少し光って見えるアイスブルーとぶつかった。
「……君は、眩しいな」
「ええ? 西日のせいかしら。位置変わる?」
「いや、そういう意味では──」
「そういえば、セルツェこそなんでこんなところに? 第三部隊の駐屯本部は北区よね?」
冒険者ギルドのある南区は、生活圏ですらないはすだ。
平民層でもあるので、わざわざ激務の隙間を縫ってまで足を運ぶような店もない。
そう思っての問いだったが、その答えは至って単純なものだった。
「冒険者ギルドに使いで来ていたんだ。隊長の頼みでな」
「あ、なるほど」
「用事を終えて返ろうとしたら良い匂いがしてきて、辿ったらこの広場についた──というわけだ」
私と同じ経路で屋台に誘われていて、ちょっと笑う。
「用事が済んだら直帰していいと言われていてよかった。でなければ、ここに寄って食事を済ませてしまおうとは考えなかった」
「……改めて、助けていただきありがとうございました」
「俺も、君を助けられてよかった」
真っ直ぐに見つめて言ってくるものだから、どきっとしてしまう。
危機に瀕していた場面でもないのに、真剣にならないでほしい。
「やめてよ、恥ずかしい。あんなトラブル、この界隈じゃ日常なのよ。そんなに真剣にならなくて大丈夫よ」
「だが、誰も君を助けようとしていなかった」
「だから、日常だからよ。あの酔っ払いたちにも、悪意はなかったしね。本当に害意がある連中だったら、ちゃんと助けてくれていたわ」
「……それならいいが。一応、第五部隊に報告書は出しておく。夕方から夜半にかけてこの区画に見回りがいないのは疑問だ」
「やめてやめて。わざとよ。冒険者ギルドが近いんだから、無用なトラブルを起こさないようにしてるの!」
「うん?」
「冒険者が多い場所なのよ? それが酔っ払ってる時間帯に騎士がいたら、絡む馬鹿が出るに決まってるじゃない」
「…………理解した。一部に、俺たちをお高くとまった連中だと誤解している層がいることは確かだ」
神妙に頷かれてしまうと、反応に困ってしまう。
串の深い部分からフォークで肉を外しながら、私は少し遠くに視線を飛ばした。
「本当に馬鹿よね。高給取りだからとか、貴族だからだとか……。その才能や地位の前にある努力を、想像もせずにやっかんで。責任があるから、得られているものなのにね」
冒険者はいざとなったら我が身可愛さに逃げられるが、騎士は逃げられない。逃げてはいけない。
最後の最後は、国民の盾となるべく存在しているからだ。
それを誇りとすると誓ったからこその、地位と収入。
(そしてそれは、聖女も同じね)
「だが、君が一人でこの時間帯のこの場に留まることは推奨しない」
不意に話をそこに戻されて、思わず苦笑してしまった。
「そうね。今後はもう少し、聖女としての自覚を持つわ。私の油断が、誰かの人生を変えてしまうところだった」
本当に、騒ぎにならなくて済んでよかった。
彼らはのちのち、聖女のローブを身に纏った私を見て冷や汗をかくことになるだろうが、それで済んだことに感謝もするだろう。
「いや、そういう意味で言ったわけでは」
「うん?」
「……ここで食事をしたくなったら、誰かを誘えばいいのでは、と。一人でなければ、聖女だとわからなくとも絡まれたりはしないだろう」
「あら、誰かじゃなくて、俺をって言わないの?」
何気ない一言だった。
もちろん、からかいのつもりもあったけれど。
それでも、綺麗なアイスブルーの瞳がカッと見開かれて、ほんとりと目尻が赤くなったりしたものだから、私はもう満面の笑みになってしまった。
「あら、可愛い顔も出来るじゃない。予想外だわ!」
「……黙ってくれ。言おうか迷ったことを指摘されて、いつになく猛烈に恥ずかしくなっただけだ」
言うなり俯いて、顔を両手で隠してしまう。
長身でがっしりとした男前相手に、こう何度も可愛いなどという感想を抱かされる日が来ようとは。
しかしあまりからかうのも可哀相なので、わたしはただその珍しい光景を肴に、残りの鶏串焼きを平らげた。