研修聖女と不運な酔っ払い
「お疲れ~。進捗どう?」
かけられた声に顔を上げると、背後からすっと雪林檎が差し出された。
受け取りつつ振り返ると、もう一つ持っていたらしいそれに、大口をあけてかぶりつく聖女が一人。
「ローシャさん、おかえりなさい。林檎ありがとうございます」
「うん、ただいま。見せて貰っていい? その間、それ食べてていいよ。休んでて」
「はい」
自分が立っていた位置から一歩下がり、場所をあける。
ローシャさんは雪林檎を咀嚼しつつ、私が浄化した素材を一つ一つ確認し始めた。
聖女ローシャ。二十五歳。
飴色の長い髪を後ろで纏めてお団子にしているのは、尊敬しているシュティル様の真似だそうだ。
快活で面倒見のいい彼女は冒険者ギルド所属の聖女で、現在は仕事の合間に、私に神聖魔法を教えてくれている。
なぜこんなことになっているのか。
説明しようとすると、話は四日前に遡ることになる。
シュティル様の執務室で、新学期からの授業内容について話し合っているとき、彼女は唐突に現れた。
呆気にとられている私をよそに、ローシャさんはシュティル様に泣きついて冒険者ギルドにおける聖女不足を訴えはじめ、最終的には新学期から受け入れが決まっている研修生を前借りできないかという話をしだしたのだ。
当然、学院の生徒はみな帰省しているので不可能だとシュティル様は言ったが、そこに一人いるじゃないかと私に矛先が向いてしまう。
シュティル様は私が正規の学びを受けている生徒ではなく、後覚醒の聖女であることを説明しだしたけれど、なぜか途中で「いえ、ありかもしれないわね?」とか言いだして私を困惑させた。
シュティル様曰く、私が既に身につけている知識や経験を踏まえると、研修生として実践しながら神聖魔法を教わった方が、足りないものを確認できていいかもしれない、と。
実際、どの学年に組み込もうとしても既に魔物や薬学の知識がある私には無駄な時間ができてしまうため、二人で頭を悩ませていたのだ。
渡りに船と言ってしまえば、その通りだった。
もちろん、それを可能だと思った理由に、ローシャさんが教え上手だということも含まれている。
卒院後にギルド所属になった理由も、研修に来る後輩達の面倒をみたかったかららしいので、彼女自身も教えることが好きなようだ。
学院に在籍中も、後輩の面倒をよく見てくれていたらしい。
シュティル様がここまで太鼓判を捺した人物の元に研修に行くことを、拒む理由がない。
結果として独り立ちの近道になることや、シュティル様の負担を減らすことにも繋がっているとわかっているなら尚更だ。
私はシュティル様の提案に頷き、ローシャさんに泣きながら感謝され、今はここ──冒険者ギルドの素材管理倉庫の一角にいる、というわけだ。
「うん。綺麗ね。どれも瘴気の残滓なし、完璧な浄化だわ」
雪林檎の芯をゴミ箱に放り捨てながら、ローシャさんが満足げに頷く。
その一言にほっとして、私も雪を被ったように上部が白い、鮮やかな赤い実に囓りついた。
「ラフィカは本当に勘がいいわねぇ。治療と比べて浄化はイメージしにくいから、発動に苦戦する子が多いのに」
「瘴気を知っているからだと思います。皮膚がピリピリする、あの嫌な感覚を取り除く──と、考えればいいのかって」
「なるほど。やっぱり、経験に勝るものはないわね」
「そうですね。やっと瘴気を視認できるようにもなってきたので、昨日よりかなり効率よく浄化できるようになってきましたし」
「えっ、視えるの!?」
ローシャさんに素で驚かれて、戸惑う。
「魔法の資質があれば視えるようになるって、ローシャさんが言ったんじゃないですか。私、覚醒後は魔力値もかなり上がったので、条件は満たしてますよ?」
「いやいやいや。見えるようになるって言っても、数日で──とかまずあり得ないし、なによりこんな小物の、しかも一部に微かに残ってるだけの瘴気まで視えるようになるには、かなりの慣れとコツが必要なはずなんだけれど?」
「そうなんですか」
「そうよ。霜栗鼠なんて、普通の栗鼠とあまり変わらないじゃない。精霊魔法で浄化出来る程度の瘴気しかないし。こういうのの繁殖を見逃すと恐ろしい事になるから、ゆくゆくは必須になる能力ではあるけれど、まさか三日でとか……うーん。恐るべし、後覚醒の聖女の才能」
「よくわかりませんが、できないよりはいいってことですよね?」
「もちろんよ」
力強く断言されたので、ほっとする。
そんな私をじっと見つめてから、ローシャさんは何事か閃いたように手を打ち鳴らした。
「そうよ! そうね! 浄化魔法の発動にも問題はないし、すでに微かな瘴気すら視えているなら、さっさと同行実習に行かせて戦力に加えちゃおうかしら」
「同行実習、ですか」
「うん。うちに所属してる冒険者の哨戒に同行してもらって、瘴気が溜まりやすい場所を浄化して回るの。もちろん、最初は川向こうじゃなくて、それこそ精霊魔法で充分対処出来るエリアのよ」
「なるほど、浄化魔法の扱いに慣れるための、次段階ということですね!」
正直、倉庫の片隅で、浄化の必要もないような素材の処理をするのに飽きていたので、私は思わず目を輝かせてしまった。
それを見て、ローシャさんが苦笑する。
「嬉しそうねぇ。怖くないの?」
「全然です。川の手前までなら、私の活動領域ですから。霜栗鼠なんて、それこそ自分の手で狩ってましたよ」
「あ、そうか。ほんと、今までの子達と勝手が違って、こっちがちょっと戸惑っちゃうわね。いやでも──本当に、神聖魔法の扱いにさえ慣れてくれたら即戦力だわ。研修が終わって、シュティル様のお墨付きがもらえたら、うちに来ない?」
「あ、ごめんなさい。私、第三部隊を希望するって決めてるので」
「……自らの意思で魔物討伐部隊を希望する聖女なんて、ニフリト様だけだと思ってたわ。変わり者って、案外いるのね」
なぜちょっと可哀相な子を見るような目で見るのか。
納得がいかない。
聖女になったからには、最も活躍できる場を望んで何が悪いのか。
(というか、ニフリトも自ら志願して第三部隊に派遣されてるのね)
彼女は彼女で、何らかの願いを叶える為に実績を欲しているようだが、活躍したい方向が違うので、場合によっては協力できるだろう。
また話ができる機会が得られればいいなと思いつつ、落ち着いたら近況の手紙でも出してみようと思った。
「よし、じゃあ、同行実習の話はつけておくから、明日の午前八時頃、酒場で拾ってもらって。白金の髪のいかついおっさんで、頬に派手な傷があるから、すぐわかると思うわ」
その特徴に思い当たる人物が一人だけいて、私は思わず目を瞬かせた。
「もしかして、ザモークさんですか?」
「あら、知り合い? じゃあ私が顔合わせに付き合う必要はなかったりする?」
「仔細をザモークさんが把握してくださっているなら、全然大丈夫です」
「良かった。じゃあザモークさんに丸投げしちゃうわね。明日はちょっと忙しかったから、助かるわ」
「はい」
「さて、明日やることも決まったし、今日はもう上がって。明日に備えて、はやめに寮で休むといいわ」
「わかりました。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、倉庫を後にする。
擦れ違う職員の人達にも挨拶をしつつ、私は冒険者ギルドを後にした。
◇ ◇ ◇
その屋台で夕飯を食べようと思ったのは、冒険者ギルドからほど近い場所にあったからだ。
更に言うなら、雪林檎を食べたことで、食欲が刺激されていた──というのもある。
けれど同時に、その空腹は自分が今、質素なワンピース姿だということ失念させもした。
だからこれは、私の落ち度だと言えなくもない。
(言えなくもない、けど)
溜め息を隠さずについても、目の前で微笑んでいる男にはいささかのダメージも与えられないようだった。
「なに食べたい? これなんかどう?」
「いらないです」
勝手に向かいの椅子に腰かけてきて、なぜか上機嫌で話しかけてくる冒険者らしき男と私に、面識はない。
(いつもなら、鼻っ面に一発かまして退場してもらうんだけど。今はなぁ)
一応、研修生として冒険者ギルドに世話になっている身だ。
トラブルになった場合、相手が冒険者であるがゆえに、話がそちらに行ってしまう可能性がある。
そういう迷惑をかける事は、出来る限り避けたい。
(あと単純に、聖女に無礼を働いた──ってなった場合、厳罰なのよね)
聖女の見習いであることを示す学生服が届く前に冒険者ギルドに研修に来てしまっているので、気づけという方が無理な話だが、自己申告したところで一蹴されてしまうのも予見できて、私は頭を抱えた。
(酔っ払いじゃなければなぁ。真偽はともかく、自己保身で離れてくれたと思うんだけれど)
申告した上で尚も絡まれた場合、彼に情状酌量の余地がなくなってしまう。
(よくて首都から追放。最悪は冒険者ギルドの登録抹消よね)
そうなっては、この国で二度と冒険者として依頼を受けることができなくなってしまう。
酔った勢いで女を軟派した顛末としては、さすがに可哀相だ。
どうしようかと視線を巡らせたが、男の仲間らしい二人組がいることに気づいただけだった。
そっちも酔っ払っていて、にこにことからかい半分で見学している。
基本的に陽気で、悪意がないのが質が悪い。
(笑ってないで、止めなさいよ! 私が困ってるのわかるでしょ!)
冒険者が多い界隈でのナンパやトラブルは日常茶飯事なので、この程度では気に掛けてくれる人もいない。
こんな場所に、冒険者にも見えない女が一人で留まる方が悪いのだ。
声を掛けられることを目的にしていると思われても仕方がない。
(はぁー……本当に、失敗した)
慣れ親しんだ、甘辛い鶏串焼きの匂いに誘われてしまった自分が憎い。
「じゃあさ、こっちは? ていうか、名前なんていうの?」
「あの、本当に私、ご飯食べに来ただけなので、やめてもらっていいですか?」
「つれないこと言わないでさぁ。一人で食べても楽しくないじゃん!」
「相席したいだけでしたら、自由にしてくださってかまいませんが」
なるべく温和に言ったつもりだったが、男は少し機嫌を損ねたらしい。
手に持っていた木製のジョッキを、ガンッとテーブルに叩きつけるように置いた。
「なんで気取ってんの? こんなところに一人でいたら、声かけられるに決まってるじゃん。それともそうやって声をかけてきた男をあしらって遊んでるの? 必死な俺をみて内心で笑ってる?」
少し突き放し過ぎただろうか。
酔っ払いのナンパからトラブルに進展しそうな気配に、私は諦めて腰を上げた。
温和に解決が無理なら、一瞬の騒動として逃げるに限る。
「帰り道だったので、寄っただけです。誤解させたのなら、ごめんなさい。私はもう行きますから、お友達と楽しくお酒を飲んでください」
「あ?」
席を立った私の腕を、無骨な手が鷲掴む。
数週間前の私だったなら、間違いなく痛みを感じたであろう強さに、思わず眉を顰めた。
それが酔った目には怯えに映ったらしく、ほんの少しだけ緩められる。
「ごめん、ごめん。ちょっとイラッとして怖い言い方しちゃった。許して。ね? 飯も奢るし、美味しいお酒も飲ませてあげるからさ、俺と遊ぼう?」
「遊ばないわ。離して」
静かに、けれどさすがに怒りを込めて警告する。
しかし小柄な私が凄んだところで迫力などあるわけがなく、男はただ笑顔で腕を掴み続けていた。
「──お願い、離して。私まだ、加減がわからないの」
「ん? ああ、また強く掴みすぎてた? ごめんね。座ってくれたら、離すからさ」
違う、あんたが私の腕を掴む強さの話じゃない。
私があんたを怪我させずに殴る、力の加減の話だ。
(ていうか、力入れて引っ張ってるのに私がびくともしない事に気づきなさいよ)
酔っているからか、座らせようと引っ張っている自覚がないのかもしれない。
振り払って、走ってしまったほうが早いかもしれない──そう思ったところで、背後に新たな気配が近づいてきた。
振り返る前に、両肩を掴まれて固定される。
見学していたはずの、男の仲間らしき二人組だった。
そのうちの一人に、馴れ馴れしく肩を掴まれている。
「うける。フラれてやんの」
「ちげーし、いま座るところだったし。な?」
「お? 本当だ」
言いながら、私を座らせようとしてか、肩をぐっと下に押される。
さすがに、普通(に見える)女が冒険者の男三人に囲まれているからか、ちらほらと周囲の視線が刺さってきた。
(見ていないで助けてくれないかしら?)
腕を掴まれ、肩も掴まれ──逃げ場がないようで、たぶん逃げられる。
その確信が、私に騒ぎを起こすことを躊躇わせる。
二人を同時に振り払うとなると、更に力の加減がわからなくなって、私は眉間に皺を寄せた。
(面倒くさくなってきたわ、適当に吹っ飛ばしてしまおうかしら)
結果、どこかの骨を折ろうが、周囲は同情しないだろう。なにせ小柄な女に三人がかりで酔って絡んでいたのだから。
そう結論づけて腕に力をいれたところで、私を座らせようと肩を押していた手が消えた。
「おぁっ!?」
驚愕の声とともに、ずざっと地面を布地が擦る音がする。
振り返ると、聞こえた音から想像した姿と違わぬ様子で、男が地面に転がっていた。
「なにす──っ」
怒りに荒げた声が、首でも絞められたかのように詰まって止まる。
それほどに、迫力のある眼差しだった。
夕闇でもなお冷ややかに煌めくアイスブルーが、美貌と相俟って周囲の温度を下げる。
足下にひやりとした冷気が漂っているような錯覚すら感じて、私はぶるりと身震いした。
「セルツェ?」
この場に現れたことに驚きつつ名を呼ぶと、セルツェは一瞬だけ目元を緩めて微笑んでくれる。
けれどそれはすぐに鋭さを取り戻し、私の腕を掴んでいる男に向けられた。
特に何も言っていないのに、あれほどしつこかった男の手があっさりと離れる。
ナンパ男の顔色が、見る間に赤から白に変わっていった。