聖女様は邪竜討伐への参加をお望みです(1)
魔力。
エーテルとも呼ばれる。世界を構成する、空気、水、火、大地に続く、五つ目の要素として存在する「宙」の力。
大気はこの総てがバランス良く混じり合った「生命力」に満ちており、総ての命が育まれているとされている。
「マナの流れを感じ、その中で星の瞬きと、軌道を視る──」
シュティル様に教わった言葉を反芻しながら、ラススヴェート様によって提供されたダイヤモンドを床に置く。
立方体に加工されているので、純粋にエネルギー源として使うものなのだろうが、その大きさが子どもの拳ほどもあるとなれば、手も震える。
そう、私は今、人生で初めての聖石の生成に挑んでいるのだ。
乙女として、憤死ものの恥をさらした翌日である。
正直あの後の、お茶とお菓子の味は覚えていない。
今日も本当は恥ずかしくて来たくなかったが、先を見越したようにシュティル様の小鳥が私を呼びに来たので、しおしおのまま寮部屋から出てきた。
そして昨日の羞恥を反芻する間もなく、ぽんと巨大なダイヤモンドを手渡されたというわけだ。
ある意味気持ちは切り替わったが、正直嬉しくはない。
「はぁあああ。失敗のしようがない作業ではあるけれど、怖い。怖すぎる」
本来であれば、初めて聖石の生成をする時は水晶を用いるそうだ。
しかし私に用意されたのは水晶ではなく、恐ろしい値段がしそうなダイヤモンドだった。
ラススヴェート様にダイヤモンドを用意すると言われたとき、頼むから水晶にしてくれと縋ったが、聖杖の重さから蓄積されている魔力量を推測した場合、媒体を水晶にするには小屋ほどの大きさの塊が必要になると言われてしまったのだ。
そんな大きさの魔石なんて非効率の極みかつ用途が謎だし、ラススヴェート様としても困るだろう。
そもそも、人工水晶でなければ用意するのが難しい大きさだ。
(聖杖を使うのでなければ、手頃な鉱石に分割もできたけれど)
聖杖が「込められた魔力を一気に放出する」魔導具である以上、それはできない。
(落ち着くのよ、ラフィカ。大丈夫。『一定量の魔力を注ぎ続ける』という魔石や聖石を生成するにあたって最も難しい工程を、聖杖によって省略できるのだから、失敗はないわ)
失敗はないとわかっているのに、ダイヤモンドの塊の上で構えた聖杖を握る手に汗が滲んだ。
魔力遮断室に一人でいるのも、心細さを加速させる。
鉱物に込めてしまうとはいえ、膨大な量の魔力が放出されることに変わりはないので、大気のマナバランスが崩れないようにと放り込まれたのだ。
四方を壁に囲まれた部屋は恐ろしく広く、本当に──いやマジで、心細い。
「うぅ、早く終わらせて出よう」
そもそも、外ではシュティル様が待ってくれている。
数分で終わる作業を遅々とやっていては、不要な心配をさせてしまうだけだ。
「マナの流れを感じ、その中で星の瞬きと、軌道を視る──」
心を無にするための、おまじないだとシュティル様は言っていた。
願いや祈り──心に神聖魔力は反応してしまう。
だから、聖石を生成するときは、自分の内と外にある「宙」を感じて、可能な限り余分な思念を取り除くのだそうだ。
正直、さっぱり意味がわからなかったが、私は何度もこの言葉を口の中で呟いて、目玉の裏側あたりに星空が広がった気がする──と思った瞬間、聖杖をすっと下げた。
とん、と下端がダイヤモンドの表面に触れた瞬間、放出された魔力が閃光のような輝きを放ち、一瞬で呑み込まれていく。
途端に軽くなった聖杖が、込めていた力とのバランスを失い、僅かに跳ね上がった。
「お、とと」
体勢を立て直してから、しゃがみ込んでダイヤモンドを見つめる。
内側から放たれる魔力光が、真珠色に煌めいていた。
見慣れた青白い燐光とは違う輝きが新鮮で、不思議だ。
「普通の魔力の青白い光も好きだけれど、神聖魔力の輝きも優しくていいわね」
ともすればミルク色にも見えるそれに、ほんわかした気持ちになる。
聖女のローブが白いのは、神聖さを強調する意味もあるだろうが、この魔力の輝きを表してもいるのかもしれない。
(私もはやく欲しいなぁ)
持ち運ばれてきた時と同じ箱にダイヤモンドをしまい、箱の中心に填め込まれていた封印石に魔力を通して魔法を発動させる。
パチッと魔法陣が三重に浮かび、瞬く間に箱が溶接された。
魔法の封印だけではなかったことに少し驚きつつ、魔力遮断室からでる。
「お待たせしました」
シュティル様に向けて言ったつもりの言葉に、多くの視線が返ってきて驚く。
廊下にはなぜか、シュティル様以外に、騎士様が二人いた。
白い制服。襟章は金地に青い糸で交差する一角。
王立騎士団第一部隊。すなわち、王族の警護につく近衛騎士だ。
「近衛騎士様がどうしてここに。どなたかご訪問中なのですか?」
驚きを隠せないまま思わず問うと、なぜか騎士の二人が揃って気まずげに視線を逸らす。
それを横目に見つつ、シュティル様はわざとらしく嘆息した。
「ただのお使いよ。王族はいないから、そう緊張しなくていいわ。別件で来たようだけれど、貴方がいると知ってわざわざ見に来たのよ。いやらしい」
「いやら……!? そ、そういうよこしまな気持ちではなくてですね」
「ご容赦ください、シュティル様。我々は殿下の命令で、機会があればお目通りしておくようにと」
しどろもどろな二人から、シュティル様がふんっと顔を背ける。
不快を隠さない態度に動揺しつつ、私は一応と頭を下げた。
「ええと、その、初めまして。ラフィカ・イエインと申します」
「聖女ラフィカ、私は──」
「もう目通りは済んだでしょう。私たちは忙しいの。これ以上、ただの好奇心で煩わせないでちょうだい」
「シュティル様」
ずいと私の前にシュティル様が出てきて、私を後退させる。
戸惑ったが、後ろ手にさっさと行きなさいと指示されてしまったので、私は再びぺこりと頭をさげてから、三人に背を向けた。
「あ、お待ちに──」
「これ以上は、協会を通して抗議しますよ。どちらの殿下にもそうお伝えください。後覚醒の聖女──それも気になる話題がついていれば気に掛けるお気持ちもわかりますが、まだ不慣れで戸惑いの多い彼女がご期待に添えるはずがないことくらい、おわかりでしょう。貴方たちも選ばれた騎士であるならば、お諫めする勇気もお持ちなさい。騎士の称号が泣きますよ」
「……返す言葉もありません」
「突然の訪問、失礼致しました」
必死に立てていた聞き耳に、騎士様の消沈気味の声が届く。
引き下がってくれた気配に安堵しつつ、私は角を曲がったところで足を止めた。
暫くして、シュティル様が追いついてくる。
「驚かせてしまってごめんなさいね」
「いえ……あの、状況がよくわかっていないのですが」
「王子殿下たちの気まぐれよ。気にしなくていいわ」
「はぁ」
立ち止まることなく通り過ぎた背を、慌てて追いかける。
よほど腹立たしく思ったのか、いつも静かに歩くシュティル様の足音が、いつもより少し大きかった。
(王族の使いに出された騎士に対して、あれほど強気にでられるなんて。聖女って、本当に立場が強いのね)
我がラシオン王国には、双子のソンツァ王子と、ルナー王子。その下にヴィズ王女、そして今年お産まれになったばかりのネヴァ王子がおられる。
男の双子は跡目争いの元になるからと、他国では忌む傾向があると聞くが、我が国は守護精霊が対であることから、双子は祝福の象徴だ。
ソンツァ殿下もルナー殿下も、等しく皆から愛されており、互いに国に貢献することで、潔く跡目争いをしておられる。
お二人とも今は、どちらが先に邪竜討伐を果たすかを競うための準備をしているはずだ。
三ヶ月前に発行された「ストラナストラジャ・春号」の巻頭特集として、お二人のインタビューと共にその記事が掲載されていたので、間違いない。
(あ、そういうことか)
「なるほど、ご自身の部隊に配属させる聖女を選抜しておられるのですね」
「まぁ、よく知っていたわね」
「雑誌で特集記事を読んだのを思い出しまして」
「ストラナストラジャね。表紙がお二人の姿絵だったものねぇ。内容はともかく、普段は買わない若い子たちも買っていたのね」
「おっしゃる通り、今年の春号は表紙や巻頭特集の影響で幅広い層に売れたと聞いていますが、私は冒険者だったので毎号買っていました。実用ではなく、趣味の領域ですけれど」
それなりに真面目に目を通している雑誌なので、思わずミーハー層との違いをアピールしてしまう。
ちょっと語尾が強くなってしまった私の発言に、シュティル様は目を丸くしたあと、すぐさま「ごめんなさい、失礼な言い方だったわね」と謝罪をしてくれた。
ちなみにストラナストラジャは、いわゆる討伐ガイドだ。
過去の統計を元にした、季節ごとの魔物の出没傾向と種類。そして出現エリアの情報が纏められているだけでなく、有効な討伐方法や注意点も添えられている。
冒険者ギルドが発行しているので情報も正確だし、価格も良心的。駆け出しにもベテランにも有益な、正に良雑誌なのである。
「けれどつくづく、貴方が冒険者でよかったわ。聖女にとって、魔物の知識は必須だもの。この学院で学ぶことの半分といっても過言ではないわ」
「そうなのですね。残りの半分の神聖魔法を頑張らないと」
「薬学もよ。神聖魔力を浸透させた薬草や調合薬は、通常のものよりも効果が高いの」
告げられた瞬間、羨望の眼差しで虚空を見つめる父の顔を思い出す。聖女が作る薬がどれほど素晴らしいかを何度か聞かされていたのに、あまり興味がなかったのでど忘れしていた。
父の薬が一番だと思っているので、意図的に無視していた部分もあるかもしれない。
「……すごく、当たり前のことを失念していた気がします。恥ずかしい。聖女の魔法薬は、基本的に騎士や上級の冒険者の手にしか渡らないから失念していた──ということにしておいてください」
「ふふ。そういうことにしておきましょうか。これは一から覚えないといけないから、少し大変な量かもしれませんが、頑張りましょう」
「あ、それも大丈夫です」
「え?」
私の即答に、思わずといった体でシュティル様が足を止める。
一歩通り過ぎてから私も慌てて止まり、斜め後ろを振り返った。
「父が薬師なので、幼い頃から手伝いを。父は私を薬師にするつもりで教え込んでくれたので、よほど特殊なものではないかぎり、育て方も調合方法も身についています」
「……………………あら、まぁ」
左手の指先を口元にあててから長い沈黙を経て、ぽつりと呟かれる。
「貴方は治療魔法の発動もすぐに出来たし、神聖魔法の扱いにすぐ慣れそうなのよね。私の予想よりも遙かに短期間で、聖女として独り立ちしてしまいそうだわ」
シュティル様は吐息を零しつつ、少し複雑そうな表情のまま歩き出した。
「歳かしらねぇ。教え子の旅立ちは嬉しいことなのに、最近は不安や寂しさも強く感じてしまうの。ここ数年、魔物が活発化しているのも原因ではあるのだけれど」
「邪竜の気配──ですね。周期的には、少し早いんでしたっけ」
「ええ。本来であれば、もう十年は後のはずなのだけれど……殿下達の動きをみるに勘違いではなさそうだし、覚悟を決めなければならないわね」
邪竜。
世界各地に生息する六体の巨大な魔物で、周辺にいる魔物達の魔力を底上げしている厄介な存在だ。
かといって他の魔物を支配下に置いているわけではないので、邪竜の動きが活発になると、気配を畏れた魔物が森の奥から流れてくる。
単純に魔物の量も増えるし、常なら安全なはずのエリアが、一転して危険地帯になってしまうのだ。
「きっと、本格的な冬が来る前に討伐隊が出るのでしょうけれど……。貴方が間に合ってしまいそうなのが怖いわ」
「え? 普通に間に合いたいです。邪竜討伐なんて、最大の晴れ舞台じゃないですか!」
「……ああ、そうね。貴方はそういう子だったわね」
ふっ、とどこか遠くを見つめながら言うのはやめてほしい。
私が残念な子みたいじゃない。
(いや、聖女だって中身は普通の女の子だ。恐ろしい魔物がいる場所になんて、積極的に行きたいとは思わないか)
まして邪竜討伐ともなれば、死にに行くのと同義だ。
(過去、幾度となく繰り返されてきた邪竜討伐。その結果は、一度の例外もなく部隊の全滅と引き換えの相打ちだものね)
双子の王子殿下とて、名目上は競うことになっているが、実際は協力して討伐するはずだ。
「安心してくださいね、シュティル様。今回の邪竜討伐、誰一人欠けることなく帰還してみせます。このウートラの聖杖に賭けて!」
「……わかった、わかったわ。ちゃんと推薦します。けれど、私が独り立ちできると判断できたらよ」
「よろしくお願いします!」
語尾にハートマークがつきそうな勢いで、返事をする。
足取りが軽い私に肩をすくめて、シュティル様は口端を上げた。
先ほどまであった翳りは、表情から消えている。
「ああ本当に、不思議な子。聖女の誰もが恐れる道を、貴方は笑顔で進むのね。その気持ちに実力が伴うよう、育てるのが私の腕の見せ所だわ」
決意を改めるように告げて、シュティル様が私に微笑む。
それにつられるように微笑んで、私は私で新たに出来た目標を胸に刻んだ。
(そうよ。邪竜討伐! 絶対にこれに参加してみせるわ)
そのためには神聖魔法だけじゃなく、泉の女神の加護を上手く扱えるよう戦闘技術も磨かなければならない。
(基礎はあるんだから、体を慣らしていけばいいはずだけれど)
独学は効率が悪い。
(隙を見て、騎士候補生達の授業に紛れ込めないか試そうかしら)
魔力の資質を認められて学院に入学した者達は、その総てが魔導師として育てられるわけではない。
個々の魔力特性によって、魔導師か戦士、もしくは技術職に道を分けられる。
なので、魔法を補助とした戦闘技術を学ぶ場は沢山あるのだ。
加護の力で膂力が増している私が学ぶものとしても、最適と言える。
(きちんと技術を身につけて、実際にこの拳で邪竜の頭蓋が砕けるのか、試しに行こうじゃないの)