真魔銀(ミスリル)バラバラ事件
魔法学院にある、魔導具制作のための工房。
その工房の脇にある実験室の真ん中に、私は立たされていた。
強化ガラスを挟んだ隣室に、シュティル様とラススヴェート様が立っている。シュティル様が手を振ってきたので、かるく振り返した。
無邪気な御方だ。
『異常を感じた場合は、即刻中止してくださいね』
「はい」
伝声器越しのラススヴェート様の警告に頷いて、私は拳を握り締めた。
目の前には横一列で、様々な種類の合金の板が吊り下げられている。
本来は制作した武器の切れ味を試すためのものだが、今回は当然、私がこれを拳で破壊していく──というわけだ。
『では、右端から始めてください』
合図とともに、私は右端にあった銅板に向かって、思い切り拳を振り抜いた。
まるで張り紙でも破るように、厚さ三センチのそれに拳が突き抜ける。
出来るだろうと思っていたが、実際に目にするとちょっと自分でも引いた。
『……随分と慣れた動きですね』
『あら、言い忘れてたわね。彼女、元は冒険者なのよ』
ラススヴェート様の問いに、隣にいたシュティル様が答える。
それを補足するために、私は口を開いた。
「水晶ですが、一応石付きの冒険者です。剣術と格闘はそれなりに、他の武器も一通りは扱えます」
『これはまた、殺傷力の高そうな聖女様が誕生したものですね。騎士が護られてしまいそうだっ!?』
言葉尻を歪めながら、ラススヴェート様が飛び上がる。尻を右手で押さえていたので、抓られたのだろう。
『ほほほ、よく聞こえなかったわ、ラススヴェート。女性に対して、なんて?』
『ぼ、冒険者だったのですから、褒め言葉でしょう!』
『……そうかしら。そうなの?』
言われて嬉しいの? という顔で問われたので、私は満面の笑みで頷いた。
「大変に光栄です。聖女の使命を果たしつつ、騎士の称号も獲得できればと企んでおりますので」
『あら、そういえば、騎士になりたかったのだったわね』
きょとんとした顔でシュティル様が呟いた途端、ぶはっとラススヴェート様が噴き出した。
伝声器越しに、いつかと同じかそれ以上の大笑いが聞こえてくる。
『あははははは! ぐっ、ごほっ──くそ、君は何度私を笑わせる気ですか!』
「心外です。勝手にラススヴェート様がお笑いになっているだけです」
『ぐっ、ふう──まぁ、そうですね。失礼しました。ああ、君の野望を笑ったわけではありませんよ。むしろ私は心から応援します。魔物討伐で功績をあげたときは、必ず私に報告してください。推薦状を書かせて頂きます』
派手に笑われたことに対してむっとしていた気持ちが、スッと消える。
我ながら現金ではあるが、利用できるものは利用するに限る。
「その時は、是非お願いします」
『よし、では実験に戻ってください』
その一言で、互いに実験に意識を戻す。
私はそのまま、鉄、銀、鋼、魔導鉄、魔導銀、魔導銅、と次々と打ち抜いていった。
そしてついに、青銀色の美しい輝きを放つ板に辿り着く。
(これって、真魔銀よね……?)
銀に魔力を五割り以上混ぜ込むことができた合金を指す言葉。
その隣には真魔銅っぽい物も用意されている気がするが、値段を考えると恐ろしくて視界にいれたくない。
表面をコーティングするのとは違い、金属そのものに魔力を混ぜるのは非常に難しいので、相応のお値段がするのだ。
これは加工前の素材だから金貨二十枚ほどだろうが、これが加工品になった途端、平民には手が届かない値段になる。
魔力含有量が多いほど加工も難しくなるので、技術料で跳ね上がるのだ。
シンプルな指輪一つでも金貨五十枚以上はするだろう。そしてこれが真魔銅になった場合、もはや値段の想像がつかない。
そもそも市場に出回らない。
なぜ、魔力含有量が五割りを超えると、銀より銅のほうが価値が高くなるのか謎で姉に聞いたことがあるが、銀より銅のほうが魔力伝導率が高いかららしい。
多重付与魔法が格段にしやすくなり、魔法を発動したときの魔力ロスも少なくなるのだから、価値も上がって当然ということだった。
『ラフィカさん?』
「あ、ごめんなさい。その、値段が頭を過ってしまって」
『ふふっ。加工前の素材ですよ? 形が変わったところで価値は下がりませんから、安心して全力をだしてください』
言われて見ればその通りだ。
途端に安堵して、体から緊張が抜けた。
「行きます!」
呼吸を整えてから腰を落とし、最小の動きで最速の拳を繰り出す。
インパクトの瞬間に僅かな亀裂が入ったが、かなりの衝撃を拡散、反射された。
(むっ!?)
魔導鉄や魔導銅も金属とは思えない粘り気のようなものを感じたが、真魔銀はそれの比ではなかった。
ともすれば、液体のようですらある。
「なんのっ」
僅かに押し戻された拳を今一度押し込んだ瞬間、パンッと乾いた音が拳の先で弾け、真魔銀板が粉々に砕け散った。
「わっ」
驚きに後退し、目を瞬かせる。予想外の結果に呆然としたままラススヴェート様に視線を向けると、彼もまた、目を見開いていた。
『……拳は? 大丈夫ですか』
はっと我に返って自分の右手を見たが、ほんのりと赤くなっているだけで、異常はみられない。
「ちょっと赤くなってるけど、全然大丈夫です。痛みもありません」
『……なるほど。どうやらここまでですね』
「え?」
まだ真魔銅が残っていたが、ラススヴェート様はすでに動き出しており、そう待たずに部屋を繋ぐ扉から私の傍までやってきた。
魔導鉄からの板を順に確認し、最後に真魔銀の欠片を拾う。
「……うん。やはり、魔力が総て抜けてしまっている」
「どういうことですか?」
「耐久値を大幅に上回る衝撃を受けた、ということです。貴方の膂力は、真魔銀の形状維持・修復能力を上回るらしい」
言いながら、床に視線を落とす。
心なしかラススヴェート様の顔色が悪いような気がするが、気のせいだと思いたい。
「防具として加工されたものとは違い、防護系の魔法付与がされていないとはいえ……まさかここまでとは」
魔力が抜けてしまっている。そう言っていたのだから、転がっているのはただの鉄屑ということになる。これを溶かして一つにしたところで、真魔銀にはならないだろうことは、容易に想像ができた。
(え、待って。つまり、素材として死んだってことよね?)
形が変わったところで問題ないと言っていた、ラススヴェート様の笑顔が遠い。
「真魔銅は真魔銀の数倍の硬度があるとされていますが、真魔銀の時点で粉々になっていることを考えると、実験素材として提供することができません。なので、申し訳ありませんが実験はここまでです。金額的な理由ではなく、希少ゆえに、廃材にするわけにはいかないのです」
「……は、はいっ。異論ありません」
そんな申し訳なさそうな顔で言われなくとも、どれほど貴重な素材かは理解出来る。
この真魔銅とて、教材として学院に提供されているだけの、貴重な一つのはずだ。
「砕けてしまった真魔銀に関しては、私が所有しているもので補填するので安心してください。そもそも、膂力を測るのに魔合金を用いたのが誤りでしたね」
「え?」
「武具として使う素材ですよ? 強度はもとより、力を拡散させることにも優れている」
「あっ、確かに。魔導鉄以降は粘り気というか、衝撃を吸収されているような感覚がありました。真魔銀に至っては、まるで水面のように衝撃が逃がされてしまった上に、力の一部が反射されていました」
「そう、反射。まさに、五割超えの魔合金の特性です。というか、私は本当に、愚かなことをしましたね。貴方の拳を砕かせるところでした」
ぞっとしたのがわかるほど明確に、ラススヴェート様が身震いする。
その顔色が更に青くなった気がして、私は慌てて手の甲を見せた。
「大丈夫ですよ。ほら!」
「……失礼、触れても?」
「ええ」
しっかりと確かめないと、気が済まないのだろう。真摯な言葉に苦笑しつつ、私はそのまま右手を差し出した。
長くて綺麗な指先が、私の右手をくまなく検分する。
男の人は手が大きくていいな、と羨ましくなった。
(セルツェ様の手も大きかったわねぇ)
私の首など片手で掴めそうだなと思ったので、印象に残っている。
「大丈夫そうですね。しかし、武具の性能テストと同じ感覚で安易に考えていましたが、人の膂力を数値化するのは思いのほか難しいですね。状況や条件に左右されすぎてしまう。このまま他の方法を思いついて続けても、曖昧な結果しかだせないでしょう」
「たしかに。道具の有無や助走距離でも変化しますし」
「ええ。そして、唯一出せた答えとしては、貴方の力を魔導具で制御するのはまず間違いなく不可能だ。ということです」
国家魔具師が断言するのだから、その通りなのだろう。
反論の余地もなく、私は頷くしかなかった。
「自分で気をつけるしかない、ということですね」
「残念ながら」
本当に申し訳なさそうに眉尻を下げられてしまうと、私まで困った顔になってしまう。
つられそうになった感情を軽く頭を振ることで遮って、私はあえて明るい声を出した。
「まぁでも、厚さ三センチの真魔銀が砕けるとわかったのは、嬉しいです」
「しかも素手、助走無し──です。貴方は冒険者としての身体能力もありますから、もしかしたら物理で魔物を倒せるかもしれませんね」
ラススヴェート様も気持ちを切り替えようとしてか、冗談交じりの明るい声を出す。
私はその一言で、重要なキーワードを思い出した。
「あ、邪竜の頭蓋!」
「え?」
思わず零してしまった言葉を聞き返されたことで、我に返る。
気恥ずかしさで、私は口籠もった。
「いえその、邪竜の頭蓋も砕けたらいいなぁって」
「どぅっふ──ぐっ」
体は痙攣しているし、口元に拳を押さえつけてはいるが、ラススヴェート様は再びツボったらしい笑いをなんとか堪えたようだった。
「私を笑い殺す気ですか?」
「本気で言ってます?」
「いや、うん。おかしいですね。私、そんなに笑うキャラじゃないんですよ。私のこんな姿、同僚が見たら腰を抜かします」
「新しい一面の露呈を切っ掛けに、仲良くなれるといいですね」
「言いますね。まぁ、邪竜の頭蓋を砕きたい──なんて言葉で出てくる時点で、殺傷力だけではなくて殺意も高そうですが」
「強い魔物を一体でも多く倒したくて、騎士を目指したくちなので」
きっぱりと言い切ると、ラススヴェート様はじっと私の瞳を見つめてきた。
榛色の瞳が、レンズ越しに煌めく。
「なぜ、そこまで。聖女となった今、そちらの使命感に駆られそうなものですが──。魔物を倒すことより、魔物によって傷ついた者を一人でも癒やそうと思わないのですか?」
「なぜ、後手に回る必要が? 誰も傷つかない方が良いに決まってるじゃないですか」
「ああ、根底にあるのは、他者を護ろうとする心なのですね。安心しました」
どこか陰りを見せていたラススヴェート様の眼差しが、ぱっと明るくなる。
「どういう意味ですか!」
「申し訳ありません。あまりに強い魔物と強調されるので、戦闘馬鹿の気があるのではと邪推してしまいました。そういう輩はたいてい早死にするので、釘を刺さねばと」
「…………」
なぜ、私は思わず黙ってしまったのか。
その反応で、ラススヴェート様の眼差しが半眼のそれになった。
「ラフィカさん?」
「い、いえ。その、力を試したいわけではないので、戦闘馬鹿ではないとは思うのですが──。確かに、私は妙に強い魔物に拘っているなと、貴方の言葉で改めて思ったので」
そしてなぜか、そのことに対して「なぜだろう?」と思ってしまったのだ。
「自分の願望の理由を、自分で理解していないのですか?」
ふいに加わった新たな声に、視線を向ける。
長く話し込んでいたからか、シュティル様もこちらに来たらしい。
「なかなか会話が終わらないので、話すなら部屋に戻りましょうと言いに来たのだけれど……なんだか雲行きが怪しそうな話ね?」
「そう、ですかね?」
「当たり前でしょう。自分の願望に理由がないなんて、操られているみたいじゃない。ましてそんな、死に急がせるような内容。怖いわ」
「いえ、そこまでは。実力が伴ってからだと、自制する気持ちはちゃんとあるので」
ただその上で、「より強い魔物を倒さなければならない」という、謎の確固たる意思がある。
(いやだわ。今まで一度も疑問に思ったことなどなかったのに。そこに明確な理由がないことに気づかされて、動揺してる)
そして、今までそのことに気づかなかった自分を恐ろしく思う。
「もしかして、加護を与えてくれている精霊の意思ではないの?」
「それは絶対にない──と、思います」
シュティル様の言葉に思わず反射で返してしまったが、泉の女神エレジアの名誉のためと、シュティル様の心配が減るという意味において、ここではっきり伝えておいたほうがいいだろう。
「加護を受けている身だからわかるのです。決して、狡猾な類いの精霊ではありません。むしろ慈悲深く、高潔であるように思います。加護を与えてくださった経緯を忘れていることが、申し訳なく感じるほどに」
胸に手を当てて、沈痛な面持ちを意識する。
するとシュティル様は何か思い当たったような顔で、虚空を見つめた。
「……もしかしたら、自分の意思で、忘れているのかも知れないわね」
「え?」
「過去に一人だけ、貴方と同じように一部の記憶だけ失った子がいたのよ。研修で冒険者の討伐に同行した時、運悪く恐ろしい目に遭ってしまったことが原因でね」
「え、そんなことってあるんですか?」
「この目で見たのだから、あるとしか言えないわ。真面目で、責任感が強い子だった。話を聞く限りでは、冒険者パーティは全滅。その子自身も両足と片腕を失う大怪我をして瀕死のところを、別パーティに同行していた聖女に救われたそうよ。医療院で目を覚ましたとき、彼女はなぜ自分がそこにいるのかを、わかっていなかった。冒険者と合流したところまでの記憶しか、覚えていなかったの。その時に調べて、他にも似たような症例があることを知ったの」
「症例があるということは、思い出す手段が?」
私の言葉に、シュティル様は申し訳なさそうに首を左右に振った。
「これといった治療方法はないみたいでね、すべて本人次第なんだそうよ。思い出すのも、思い出さないのも。思い出したあと、どうなるかもそう。思い出して、そのまま折れてしまうか、踏ん張って克服するか。心の問題だから、周囲は手の出しようがないの」
「その聖女は、結局どうなったのですか?」
思わず問うと、シュティル様は肩をすくめた。
「思い出さないまま卒業して、何事もなく使命を果たしているわ。ただ──」
「ただ?」
「まったく神聖魔法が使えなくなってしまったので、協会に所属して薬草を育てているの。これをどう取るかは、個々の自由ね。本人も最初は戸惑っていたけれど、無意識にか積極的に原因を探ろうとはしていなかった気がするわ。その現実を、受け入れる方を選んでいた」
「そう、ですか」
俯いて、己の内側を探る。
けれどやはり、強い魔物に執着する切っ掛けになった出来事を、私は思い出すことができなかった。
同時に、忘れている気もしない。
忘れているのだから当然かも知れないが、なにか妙な違和感があり、私は眉を顰めた。
(待って、私。ヴィクトリアだった時も、強い魔物を討伐することに拘っていた気がするわ。その時は、お父様やお兄様のお役に立ちたいという思いと重なっていたけれど──。役に立ちたいなら、もっと別に出来ることがあったはずなのに)
なぜ私は剣術を選び、魔物と退治することに躍起になったのだろう。
あの人生では、魔法どころか剣技の才能すらなかったのに。
不意に、自分の胸の奥に小さな空白がある気がして、ぞっとする。
けれど確実に、この衝動がその空白と深く関わっていることだけはわかる。
(私の、記憶──。誰の、記憶?)
「待って、少し考えるのを止めましょう? こんな話を急にしてごめんなさいね」
腕にそっと触れてきた温もりに、はっと顔を上げる。
酷く心配そうな顔で、シュティル様が私を覗き込んでいた。
「本当に恐ろしい記憶だった場合、無理に思い出そうとしないほうがいいわ。ただ今は、それが加護を得た切っ掛けで、貴方が願った結果なのだとわかればいい。そうでしょう?」
「シュティル様」
「そうですね。これほどの膂力を、魔物討伐に役立てたいと考えられているのですから、現時点で問題は何もありません。そもそも、そう願ったからこそ与えられた力ではないでしょうか。切っ掛けについては、追々ゆっくりと向き合えばいいかと」
シュティル様に続いて、ラススヴェート様も私を励ますように微笑んでくれる。
体を萎縮させていた恐怖が薄らいだ気がして、私は自分の呼吸が浅くなっていたことを、深く息が吸えたことで自覚した。
「ラススヴェート様も、ありがとうございま──」
「それに、万が一酷い記憶を思い出したとしても、貴方なら大丈夫な気がします」
ぐっと胸の前で拳を握り締めて、ラススヴェート様が断言する。
なにを以って断言できたのか問い質したい気がしたが、それよりも早くシュティル様の指先が彼の口端を抓っていた。
「ラ、ス、ス、ヴェ、エ、ト? 女性の、それも感謝の言葉を遮るなんて! 万死に値しますよ!?」
「ほふひはへはりまへん! いえ、僕はただ励まそうと」
「言い訳無用。ちょっとそこに正座なさい!」
二人のやりとりに、ふっと笑みがこぼれる。
(ああ、このことに気づいたのが、今この瞬間でよかった)
シュティル様も、ラススヴェート様も、素敵な方だ。
曾祖母には逆らえないらしく、渋々と正座をしようとしたラススヴェート様を庇うべく、私は口を開きかけたが、声よりも先に、何故かお腹がぐぅと鳴った。
「……私の部屋に戻って、甘い物でも食べましょうか」
「いいですね。紅茶は私が入れましょう」
結果的に説教は中断したものの、私が彼の代わりに地面に崩れ落ちる。
「ここは! 笑う! ところだと思います!」
恥ずかしさのあまり、私は両手で顔を覆いながら叫ばずにはいられなかった。