聖女という肩書きにおける絶望と希望
王立魔法学院。
文字通り、王家によって設立された、魔法を学ぶための場所だ。
魔法の資質が表れた者は、入学後により精密な適性検査を経てクラス分けされた後に魔法を学び、聖女の資質が表れた者は、聖女となるべく神聖魔法を学ぶ。
セルツェ様の案内で踏み込んだ学院内に生徒の姿はなく、とても静かだった。
「先日、今期の卒業生を送り出したあと、長期休暇に入っている」
きょろきょろしていた私に気づいて、セルツェ様が説明してくれる。
「生徒達はみな実家に戻っているか、寮で過ごしているんだろう」
「なるほど。ほっとしました」
年頃に違和感はないだろうが、見慣れぬ女が騎士に連れられて歩いていれば目立たないわけがない。
現状に不安を抱えていた心が、少しだけ楽になった。
少しだけ、だ。
「あの、本当に勘違いだと思いますよ? 家族の中で私だけ魔法の資質がないのが信じられなくて、何度も自分で魔力値測定してたんですから」
「自分で……?」
「知りません? 使用済みの空になった魔石……ええと、おすすめは持ちやすいので水晶棒なんですが、その端を握って魔力を注ぐんです。私みたいに魔力が少ないと何にも変化が起こらないんですが、魔力が多い子がやると、内側に無数の亀裂が入ってすごく綺麗なんですよ!」
「なるほど、再利用を防ぐための細工を、簡易測定器として使ってたのか。君は面白いことを思いつくんだな」
「え、私が思いついたというか、みんなそうやって遊んでたんですよ。割れたら危ないからやめなさいって、親に怒られるまでが流れというかなんというか」
馬鹿な子どもだったと思われた気がして、言い訳が早口になる。
けれどそれが勘違いだということは、すぐにわかった。
「俺の育った家は貧しくて、その細工を恨めしく思っていた。君とは逆に、罅が入らないギリギリを注いで、無理矢理再利用していたよ。同じようにバレて怒られたのを、久々に思い出した」
見上げた先にある眼差しが、何かを懐かしむように細まる。
それはとても無防備な顔に見えて、思わずドキリとしてしまった。
慌てて視線を逸らして、会話を続ける。
「出力調節……憧れる言葉ですね」
調節する必要があるほどの魔力が欲しい。
「今後は君も覚えないとだな」
「いえ、ですから、勘違いですよ? たぶんまた額飾りで検査するんですよね? ここなら予備とかありそうですし。絶対に消えるし、もったいないと思います」
「どうだろうな。正直に言えば、俺もまだ半信半疑だ。君の額飾りの消失は記録されていたから、本当に君には魔法の資質がなかったことになる。けれど、聖女ニフリトは君が俺を癒やしたと確信していた」
「ニフリト様って、あの金髪の聖女様ですよね? とても動揺しておられたし、勘違いしたんじゃないでしょうか」
「どちらにしろ、結果はすぐにわかる」
いつの間にか辿り着いていた部屋の前で立ち止まり、セルツェ様がその扉をノックする。
応じる声がすぐに返され、私はごくりと唾を飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
綺麗に刈り揃えられた芝生が、さくりと音をたてる。
その青々とした色に、もうすぐ一年の中で最も短い夏がくるのだと、不意に思った。
「ええと、感覚としては、魔導具を発動する感じですか?」
手渡された杖を両手でしっかりと握りながら問うと、伸ばされた手が地面に付けていた杖の下部を持ち上げさせた。
「持ち上げていて。それと、魔導具の発動を促す程度ではなく、魔法を使うつもりで杖に魔力を注いで」
いや、魔法を使えるほど魔力がなかったのでわからないんですが。
学院の敷地内。
おそらくは魔法の訓練に使う演習場の隅で、私は年配の女性と向かい合って立っていた。
彼女の名前はシュティル。聖女シュティルだ。
背筋を真っ直ぐに伸ばした立ち姿がいかにも教師で、後頭部で一つに纏められている栗色の髪の大半が白いこと以外は、とても若々しい。
ミルク色のローブには濃緑の糸で縁取り刺繍が施されており、綺麗だった。
「集中して」
気が逸れていたのを見抜いた声が、私に杖を握り直させる。
頭部が四角柱になっている全長一メートルほどの杖は、吸い付くような手触りで握りやすいが、素材がまったくわからない。相当貴重か、珍しいもので作られた魔導具なのだろう。
頭部の側面には柊の葉と実が飾り彫りされており、美しい。
姉に見せたら大喜びで調べそうだなと思ってしまったら、家に帰りたくて堪らなくなった。
私の顔がよほど情けなかったのか、シュティル様が困ったように微笑む。
「大丈夫。記録は少ないけれど、貴方のように後天的に聖女の力に目覚めた人は過去にもいるのよ。貴方はまだ若いから、すぐに神聖魔法の使い方を覚えられるでしょうし、聖女として役目も問題なく果たせるようになるわ」
だから安心して──と、励まされる。
違う、そうじゃない。私は不安になっているのではなく、絶望しているのだ。
(なんで? なんで? なんで……?)
騎士への道を、再び歩めると思ったのに。
どうして今更、聖女の力が私に?
セルツェ様によって案内された部屋には、シュティル様がいた。
事前に連絡していたらしく、必要な道具を用意して待機してくれていたのだ。
事が事なだけに、挨拶もそこそこに額飾りの装着を促され──私は私が聖女だという事実を受け入れなければならなくなった。
額飾りの石は、憎らしいほど美しく、乳白色に輝いたのだ。
そしてその事実に呆然としている間に、信じられないことにセルツェ様の姿が消えていた。
私が聖女だと確認できたので報告に戻ったのだろうが、薄情すぎる。
去り際に何か言っていた気もするが、自分に絶望するのに精一杯で覚えていない。
心細さと絶望に打ちひしがれている間に今度は外に連れ出され、今に至るというわけだ。
「まだ何か不安? 自分の評価の高さに戸惑っているのかしら。そうね、報告では貴方が蘇生魔法を無意識に施した──という事だったけれど、私は、さすがにそれはないと思っているわ」
またしても気を逸らしてしまった私を叱らず、シュティル様が優しい声音で話しかけてくれる。
見当違いの心遣いだったが飛び出した爆弾発言が気になりすぎて、私はそこに食いついてしまった。
「蘇生魔法!? どういう魔法かはよくわかってませんが、子どもの頃に呼んだ絵本で『きゅうきょくのまほう』として表現されていたことは覚えています! 神聖魔法のしの字も知らない私が、扱えるわけないじゃないですか! 私のことを調べるより、その報告をした人が頭を診て貰う方が先では!?」
「落ち着いて、ラフィカさん。神聖魔法は聖女の祈りによって発動するため、実は精霊魔法や生活魔法ほど複雑ではないのよ。魔法陣も必要ないしね」
「へ……そう、なんですか」
驚きの事実に、目を見開く。
神聖魔法は聖女にしか使えないので、その仕組みを理解する機会など普通に生活しているだけではないのだ。
思い返してみれば確かに、聖女様がセルツェ様に治療を施していた時、魔法陣はなかった。
(子どもの頃、魔法医に怪我を治して貰ったときは、翳された手のひらに魔法陣があったわね)
綺麗だったので、よく覚えている。
ついでに腕を大きく裂いてしまった痛みも思い出してしまい、眉間に皺が寄った。
母親と訓練していたとき、木剣が割れて刺さったのだ。
あれは本当に、信じられないくらい痛かった。
「魔法陣を展開する必要がないなら、ある意味、楽……なんですかね?」
「それがね、簡単ではあるけれど、楽ではないの。魔法陣という指針がないから、発動する魔法の種類や規模が、己の心と魔力の制御にかかってくるのよ。私たちはそれを、心と体で覚えていかなくちゃならない。複雑ではないからこそ、難しい。でも、単純なの。わかる?」
わかるような、わからないような。
その戸惑いが、顔に出たのだろう。シュティル様はただ微笑んで、言葉を続けた。
「気持ちが第一で、それに魔力を伴わせる。だから、たとえ経験が不足していたとしても、強い意志と魔力が揃っていれば、蘇生魔法は発動しうるのよ」
「え、でも、さっきそれはないって」
「貴方一人では、という意味よ。誰かと全く同じ強さと想いで感情が重なることがないように、普通、聖女同士の魔法が干渉し合うことはないのだけれど、貴方と聖女ニフリトの相性がよかったのか、奇跡的にそれが起こった。セルツェ様を助けようとする気持ちが重なり、互いを補い合えたことで発動したのだと、私は考えているの」
「聖女様と一緒に……か。なるほど」
聖女の力に目覚めた私が、いきなり一人で蘇生魔法を発動させたと言われるより、素直に納得できる。
さすが教師。
「そういう意味では、貴方は膨大な魔力を有していることになるわ。聖女ニフリトが施そうとしていた再生魔法を、蘇生魔法に昇華させたのは、間違いなく貴方の魔力でしょうから」
「……昇華」
「そう、昇華よ。文字通り、蘇生魔法は便宜上魔法と呼んでいるだけで、実際には奇跡なのよ。魔法よりも高次元の現象なのよ。聖女の体を通し、女神エテルノの力を顕現させているの」
聖女様の手のひらから溢れた、目映い光を思い出す。
あの光が、女神の力そのものだったと知り、奇妙な感動を覚えた。
「めちゃくちゃすごい魔法の手伝いをできたらしい──ということは理解出来ました」
告げられた単語の羅列が壮大すぎて頭の悪い言葉が出たが、シュティル様はころころと笑ってくれた。
ああ、セルツェ様もこうやって笑ってくれれば、私も摩擦率ゼロの氷上を滑らなくて済んだのに。
「うふふ。貴方は面白い子ね。今はそれでいいわ」
「そう言って貰えると、安心します。ちなみに、一人で蘇生魔法を発動できる聖女様はおられるんですか?」
「いなくはないわ。ただ、発動できる魔力量を有していても、基本的にはその膨大な力の奔流に肉体が耐えられないのよ。私たちは神ではないもの」
その言葉に哀しみが滲んだ気がして、はっとする。
耐えられないのに、その魔法が存在している。それが答えなのだろう。
「浅慮な質問をしました。お許しください」
「あら、私こそ顔に出してしまったのね。ごめんなさい。いいのよ、気になることはなんでも聞いて。貴方は、学ばなければ」
その一言で、自分が聖女になってしまったという現実に引き戻される。
手に持っていた杖がずしっと重みを増した気がして、思わず下ろしてしまった。
とん、と地面に下部がついてしまう。
「あら、第一段階はここで終わりね」
「え?」
「重くて下ろしたのでしょう? この杖ははじまりの聖女の一人であるウートラ様の遺言に従い、その血と骨を混ぜて作られた聖杖なの。ほぼ無限に神聖魔力を蓄積できる魔導具なんだけれど、なぜか蓄積量に応じて重量が増してしまうから、こうして魔力測定器としてしか使えないのよ。もったいないわよね」
物理的にではなく精神的に重くなって下げてしまったが、よくわからないなりに水晶棒に罅を入れようとした時の感覚で魔力を注ぎ続けてはいたので、まぁいいかと力を抜く。
それよりも、さりげなく出された新たな単語が気になった。
「神聖魔力ってなんですか?」
「ああ、ごめんなさい。聖女の魔力のことよ。女神の力が宿った魔力は、神聖魔法しか発動できない特別なものだから、区別が必要なときは神聖とつけるのよ。この聖杖は普通の魔力は蓄積できないから」
「……なる、ほど」
私の絶望が、おわかりになるだろうか。
(聖女が聖女にしかなれない理由が、その希少性以外にもあったとは)
魔力が増えたなら、魔法が使えるのでは!? と、哀しみの中の一縷の光として縋っていた希望がいま、打ち砕かれたんですけど。
「自分の力で他の魔法は使えないけれど、動力としては使えるから、魔導具は発動するわ。日常生活に問題はないから安心してね」
「本当ですか!?」
絶望からの思わぬ朗報に、勢いよくシュティル様の手を掴む。
驚かせてしまったらしく、びくりと皺だらけのそれが震えた。
「ごめんなさい。姉が魔具師なんです。姉は魔力が少ない私の為に色々と魔導具を作ってくれていたのですが、その能力を最大限に発揮させてあげられないことがずっと悔しかったんです! でもきっと、これからは──シュティル様?」
少しテンションが上がった私と、シュティル様の視線が合わない。
斜めにずれているそれを辿ると、左手に握ったままの杖に辿り着いた。
「あの……?」
「貴方、その杖……片手で持てるの?」
「え、あ、はい。持てますけど」
「変ね。聖女ニフリトが蘇生魔法に必要な魔力の大半を担ったのだとしても、貴方の魔力が片手で持てるほど軽いわけがないわ」
「あ、ごめんなさい。さっきも言いましたが、私は元々本当に魔力がなかったので、感覚がよくわからないんです。だからその、うまく注げていないのかもしれません」
「なるほど。なら、神聖魔法を使うことを覚えてから、後日改めて量ることにしましょうか」
「はい。……あの」
差し出された手に杖を渡そうとして、一度手元に戻す。
神聖魔法を使うための杖はとても美しいけれど、私が握りたかったのはこれじゃない。
「私、聖女になるしかないんでしょうか」
「ないわ」
思わず零した言葉に、即座に厳しい声が返される。
今までかけられてきた言葉が優しかっただけに、驚いて顔を上げると、厳しい眼差しがそこにあった。
「ないのよ。貴方にしか救えないものが多すぎて、私はそれ以外の言葉を言えない。でもそうね、貴方は十六歳だもの……自分の道を歩み始めていたわよね? 十三の時に運命づけられた子とは違う葛藤があるのは当然よ。だから、私を恨んでいいわ」
「そんなこと、できません」
シュティル様が望んで聖女になったのか、違うのかはわからない。
それでも、彼女は教師という立場になるほど、真摯に聖女として在るのだ。
そんな彼女を、誰が恨めようか。
「できません」
唇を強く噛んで、俯く。
途端に目尻が熱くなって、私はきつく目を閉じた。
優しい手が、震える肩を撫でてくれる。
「ごめんなさいね。けれど、貴方が一つでも多くを救えるように。誰よりも幸せになれるように。……一日でも長く、生き残れるように。最善を尽くすと約束するわ」
「一日でも、長く」
その言葉に反応して顔を上げた私に、シュティル様の顔が歪む。
肩に触れていた指先に、ぎゅっと力がこもった。
「貴方はきっと、戦闘に同行することになるわ。魔物と戦う騎士様を、呪いや瘴気から護れるだけの力がある聖女は少ないの。けれど絶対に、どんなに頼まれようとも、未熟なまま連れ出させたりはしません。安心して──」
「それだ!」
「え?」
「それです。やったぁ!」
思わず杖を放り出して、シュティル様の両手を掴む。
嬉しくて、全身の血が沸き立つようだった。
「何故気づかなかったの! そうよ! そうだわ! 聖女なら、騎士に同行できる!」
ありがとう女神エテルノ! ありがとう世界!
私は聖女という存在を勘違いしていた!
魔物討伐に直接参加出来るほどの技量はまだないが、間近でその技術を見て盗めるのはありがたい。
(え、待って。待って。やばい、私。もしかしていつか、聖女でありながら騎士の称号を得られるんじゃ……?)
興奮に身を震わせながら、私は今までで最高のものだと断言できる笑顔を、シュティル様に向けた。
「ありがとうございます! 頑張ります!」
「よく、わからないけれど……やる気がでたのならば、よかったわ。近日中に学院から手紙が届くと思いますから、今後の事はそれに従うように」
「はい! あ、ごめんなさい。貴重な杖を!」
地面に放ってしまっていた杖を拾い上げて、呆れ顔のシュティル様に差し出す。
彼女はそれを受け取ろうとしたことで──肩を脱臼し、腕の骨を折った。