脳天に直撃する類いの──(2)
「……他にも何かあれば、遠慮なく言ってくれ」
眉間の皺を隠しきれなかったらしく、セルツェ様が問いかけてくる。
憤懣は私自身に対するものなので、誤解だ。
「いえ──」
確かに私から見て彼は配慮に欠けるし無愛想だが、さして親しいわけでもないのに指摘するのも妙だ。
そう思ったので何もないと答えようとしたが、見上げた先にあるセルツェ様の表情を見て言葉を止めた。
よくよく見ればそれなりに変化があるし、意外と焦りが伝わってくる。
(ああ、まったく変わらないわけじゃないのね)
感情すらほぼ揺らがないタイプの鉄面皮ではないらしい。
そう気づいてしまったら少しかわいい気がして、好奇心が湧いてしまった。
ちゃんと注視すれば、眉間や目尻、口元に感情がある。
微細な変化に気づけたのは、父に鍛えられた観察眼の賜物だろうか。
不思議なもので、薬師である父に薬を処方してもらいに来る人の中には、見栄を張る人が少なからずいた。
父はそれを見抜く術を幼い私に教え、指摘する役をさせていたのだ。
子どもに心配されると、頑固だったり意固地だったりする大人達(年配の男性が多かった気がする)が強ばっていた顔をへにゃっと崩して、本当は泣きそうなほど痛いと告白し出すのだ。
内心では馬鹿だなぁと思っていたが、少し大人になった今は、自分の弱い部分を晒すことに、とても勇気が要るということくらいは理解している。
ちなみに姉は、人見知りが激しすぎてこの役は出来なかったそうだ。
十三になり、自分の道を決める岐路に立った時点でその役目は終わったが、そのときに培ったノウハウは冒険者としての私をけっこう助けてくれている。
今だって、その経験のおかげで、目の前の男がただひたすらに生真面目で不器用なだけだと気づくことが出来た。
(……今はそうね、めちゃくちゃ反省してそう)
うっすらと寄った眉もそうだが、唇も少し引き結んでいる気がする。
モテない原因の一番は、この感情の読みにくさな気がして、思わず同情してしまった。
美形なだけに、無表情に近いと怒っているか不機嫌に見えるのだ。
(見ず知らずの女のために、躊躇うことなくその身を盾にしてくれた人なのに)
さっきだって、私を走らせてしまっていたと気づいた時、すぐに謝罪した上でハンカチまで貸してくれた。
そしてそのハンカチには、他者に貸すかも知れない配慮がされていたのだ。
(……あら? この人、普段なら女性の歩幅に合わせて歩く事くらいはするんじゃないかしら)
だからこそ、自分の失態にあれほど驚いていたのでは?
そう思い当たり、ではなぜ今回に限って? と、新たな疑問がわいてくる。
「あの、もしかして、緊張されてます?」
平民の小娘相手にまさかと思いつつそう問いかけると、意外なことにセルツェ様は微かに身を強ばらせた。
(え? なんで……?)
さすがにそれはないだろうと思っての問いかけに反応を返されてしまい、私の方も動揺する。
彼を緊張させる要素が、自分にあるとは思えなかった。
「……すまない。不得手な任務だったもので」
いや、いやいや?
任務っていったこの人?
「まさかマールス様、私との食事をご命令に……?」
さすがに青ざめて私が問うと、何故かセルツェ様は目を瞬かせた。
「食事?」
「え? あの、セルツェ様は──あ、セルツェ様とお呼びしてもよろしいでしょうか? お名前はその、助けて頂いた日にマールス様から教えて頂いて……」
「──っ、すまない。俺は君に、名乗ってすらいなかったのか。俺は王立騎士団、第三部隊所属、セルツェ・エテルノエルだ。セルツェで構わない」
スッと背筋を伸ばして、礼儀正しく名乗られる。
これがまた猛烈に格好良くて、思わず見惚れてしまった。
騎士服、美形、万歳。
私も早くその制服が着たい。
「それで、食事とは?」
「あっ、ええとですね。実はセルツェ様が回復されたら、お礼に食事をご馳走させてほしいと、マールス様に伝言を頼んでいたのです」
そこまで言ってから、自分の設定「セルツェ様に淡い恋心を抱いている乙女」を思い出したが、互いの顔に疑問符が飛び交っている状況ではどうでもいいことすぎて、すぐさま闇に葬った。
ちょうどいいので、このまま破棄してしまおう。面倒くさい。
「私はてっきり、それに応じてくださったのかと」
「いや、初耳だ」
乏しい表情の変化の中にしっかりと戸惑いを滲ませて、即答される。
マールス様、どういうことですか?
「正直、この界隈の店は私の財力では支払えないと内心焦っていたので少し安心しましたが、ではなぜ私を迎えに?」
「待て、待ってくれ」
少し喰い気味に問いを阻まれて、押し黙る。見上げると、セルツェ様のこめかみに冷や汗らしき雫が光っていた。
「はい、なんでしょう?」
「君の話を聞く限り、つまり俺は今の瞬間まで、奢られるために事前の連絡もなしに現れ、勝手に店まで決めていた男と言うことになるんだが……?」
「そうですね」
具体的に所業を上げ連ねられると、かなりやばい男だ。
唐突に騎士が訪ねて来たことに焦ったのもあるが、それが残念な男前だったことで観察することに夢中になってしまっていた。
騎士とはいえ、行き先も告げずにスタスタ歩き出した男についていくとか、年頃の娘としてもちょっとどうかと思う。
常識的かつ、客観的な状況判断を怠りすぎ問題。
(馬鹿ね。もっとはやく、なにか別の目的があって私を迎えに来たのだと、気づけたはずだわ)
「一応、訂正しておくが、もし伝言を預かっていたら、俺は君に、きちんと感謝と断りの手紙を書いていた。騎士が民を護るのは義務であり、感謝の言葉以上のものをうけとれないからだ。……その上で、他の騎士であればこちらから食事に誘い直したりするんだろうが、俺はそういうのが不得手で」
「……」
これは、結果的に食事を断られた私への配慮だろうか。
尻すぼみの声音や、うなじを掻く仕草で照れているとわかるのに、やはり表情にはあまり変化がなくて、思わず笑ってしまった。
「ふふ、お気遣いありがとうございます。でも本当に気になさらないでください。マールス様が伝えなかったということは、その必要がなかったということでしょう」
好奇心に満ちた眼差しを覚えているだけに、なぜ淡い恋心を匂わせた私の言葉を伝えてくれなかったのか。
気にはなったが、マールス様なりの事情があったのだろう。
(いや、どんな事情よ。伝言は無視して、彼に私を迎えに来させた理由はなに?)
任務。そう、任務だ。
セルツェ様は任務で、私を迎えに来たと言った。
「ええと、結局のところ、セルツェ様は私をどこに連れて行くおつもりなのですか?」
「ああ、そうだったな。実を言うと、まだ目的地は決まっていない。確かめたいことがあったから、少し話をしたかった」
「確かめたいこと、ですか?」
なんでしょう、と私が首を傾げると、セルツェ様は改めて私に向き直った。そのまま凝視という言葉が当てはまる眼差しで見つめられる。
不躾な視線だったが、特にやましいこともないので見つめ返した。
美形なので、遠慮なく鑑賞できるのはありがたい。これはよい目の保養。
「君は、十三のときに国から贈られた額飾りをどうした?」
アイスブルーの瞳を改めて綺麗だなと思っていたら、思いも寄らぬ言葉をかけられて面食らう。
答えのわかりきっている問いに、どんな意味があるのだろうか。
この国では、十三になると国から額飾りが必ず贈られる。
それは魔力を審査するための魔導具で、身につけた時に石が輝けば騎士職に就けるほどの魔導師に、石の輝きに更に乳白色の煌めきが混ざれば聖女になれるという証になる。
それはそのまま、魔法学院への入学証となった。
どちらの資質も無い場合は、額飾りは消失する。
姉が魔道の資質を示し、両親が大喜びしていた記憶もあったことで、私は希望と恐怖を鬩ぎ合わせながら、頭部に額飾りをのせた。
なぜ恐怖があったかというと、聖女にはなりたくなかったからだ。
聖女は、聖女にしかなれない。
それは国──いや、人類によってそう定められている。
創世神である女神エテルノによって授けられた、希望の光。
聖女が聖女としてその役目を果たさなければ、人類は魔物に滅ぼされるしかない。
だから、騎士になりたかった私は、その可能性を恐れていた。
頭に乗せた途端、額飾りが泡のように消えた感触を、今でも覚えている。
自身への失望と安堵。どちらに気持ちを置いたらいいかわからなくて、幼い私はわんわん泣いて両親を困らせた。
問われたことであの時の複雑な感情が蘇り、乗り越えたはずの苦い気持ちが胸の奥に広がる。
「どうした、なんて。この国の子どもが皆そうしたように、私だって未来への希望を胸に捧げ持ち……泡と消えるのを見届けましたよ」
こんな気持ちを思い出させるなんて、と声音に苛立ちが滲んでしまう。
険のある言葉を理不尽に向けられても、セルツェ様はただ私を見つめ続けていた。
冷静な眼差しに少し怯んで、目を伏せる。
「ごめんなさい、不快な言い方をしてしまいました。姉には魔法の資質があったので、私はとても自分に失望したんです。それを思い出してしまって」
「そうか。皆、一度は魔導師か聖女には憧れるからな」
「そう……ですね。私は、聖女だけは絶対に嫌でしたけど」
思い出に引き摺られて、思わず口にする。
すると僅かに、セルツェ様の気配が動揺に揺らいだ気がした。
顔を上げたけれど、既に取り繕われてしまったらしく、アイスブルーの瞳からは何も読み取れない。
「なりたくなかった、か。珍しいな。理由を聞いても?」
そう問われたことで、先ほどの動揺は、私が強く否定したことに対して驚いたからか、と納得する。
女の子は聖女に憧れるもの。そう誰もが思う程度には、女の子の大半は聖女になりたいと思うものなのだ。
女神に選ばれた、希望の光。特別な存在への憧れ。
ただ、私はそれ以上に騎士になりたかった。それだけだ。
「聖女より、騎士に強く憧れていたんです。聖女の資質が表れたらどうしようって、子ども心に怯えてました。滑稽な心配だと、理解はしていたんですけれどね」
女神エテルノの加護は、魔法の資質が高い女性──つまりは貴族に与えられることが多い。
ラシオンは王族を始め、貴族の一部が古に交わした精霊との契約を血と共に受け継いでいるため、非常に優れた魔法の資質を持っているからだ。
もちろん、彼らの血を婚姻やそれ以外の情熱によって受け継いでいる平民もいたりいなかったりするし、世界に数多いる精霊や女神の気まぐれによって、ぽっと高い資質を持った子どもが産まれることもある。
だからこそ平民にも有能な魔導師や騎士、そして聖女がいるが、やはり数でいえば圧倒的に貴族が多いのだ。
聖女は数がそもそも少ないので、平民の聖女ともなれば希少な存在の中の、さらに一部ということになる。
そんな極小の確率にすら怯えたのは、それだけ騎士になりたかったからでもあるが──。
(結果として魔法の資質まで欠落していて、騎士も目指せなかった)
だから私は、二年かけて諦めて、冒険者になったのだ。
しかし、今は違う。
私は魔力に変わる力(膂力)を手に入れたのだ!!
これを最大限利用して、のし上がってみせる。
(私は、騎士に、なるのよ!)
決意も新たに拳を握り締めたところで、はて、なぜこんな話をしたのだったかと思う。
思案に逸らしてしまっていた視線を上に戻すと、先ほどと微塵も変わらぬ表情のまま、セルツェ様は私を凝視していた。
「いえ、さすがに不躾すぎませんか? 目を逸らすのが惜しいほどの美少女ではありますが」
「……すまない。違う。不得手な任務だったので、つい」
生真面目な貴方に突っ込みを期待した、私が悪いのだろうか。
熟練の魔導師が魔法で作り出した氷よりも滑らかにスルーされるのつらい。
「あ、いや。そうじゃない。君は確かに美人だが」
やめて! 傷を抉りにだけ来ないで!
そうだ、任務よ。
セルツェ様は任務で私を迎えに来ており、何かを見極めようとしていた! はず!
「ええと、私に関係する任務と言われて心当たりがあるとすれば一つなのですが……魔導具に関する誤解は解けましたよね?」
ふと不安になって問うと、セルツェ様は視線を緩めて目を瞬かせた。
「魔導具? すまないが、その件については、なにも聞いていない。俺に与えられた任務は、君の言動の真偽を確認し、然るべき場所へ連行。もしくはお連れする──ということだけだ」
「……」
これは、どう反応するのが正解なんだろうか。「連行」と「お連れする」という言葉の、同じようでいて全く違う結論に基づいているであろう響きが物騒すぎる。
何かを探るような視線は、私がついている(かもしれない)嘘を見極めるためだったらしい。
「ええと、よくわからないのですが、結論はでましたか?」
「ほぼ出たが、決め手に欠ける。最後にもう一つだけ、質問をしていいか」
「……一つといわず、いくらでもどうぞ?」
「君は聖女か?」
「は?」
ぱかっと、本当に、素で、ぱかっと口が開いてしまった。
私が聖女だったならば、十三の時点で運命が決まっているし、十六まで魔法学院で神聖魔法を学んでいないとだし、国から与えられた豪邸に住んでいないとおかしい。
そう、聖女は聖女にしかなれないがゆえに、この国では生活が充分すぎるほどに保障されるのだ。それも本人だけではなく、家族まで!
「私の家が、豪邸に見え……?」
あまりに非現実的な問いだったため、ついふざけたことを口にする。
当然、セルツェ様は無表情だ。
「待って怖い。ご自身の無表情を自覚してください。真顔でその質問をする意図がわかりません」
「いや、俺は大真面目に聞いている。そして、大事なのはこの問いに対する君の反応だったんだが……すごく、わかりやすかった」
少し羨ましいとか、なんとか。
付け足されたところで意味がわからない。
「あの、結局なんなんです?」
「行き先は決まった。俺は今から、君を──いや、貴方を魔法学院へお連れする」
「え、なんで」
なぜ魔法や聖女の資質がある者達の学び舎に私が? という問いは、続けて告げられた言葉の前に霧散した。
「完全に無自覚なようだが、俺の傷を癒やしたのは君だ」
青天の霹靂という言葉を、ご存じだろうか。
私は今、まさにそれを脳天に直撃させられた顔をしていると思う。