唇と剣
――あたしに、キスしなさい。
目の前で発せられた一言を心の中で反芻してみるも、全く意味が分からない。
言った本人のエルは既に顔が赤く、恥ずかしそうに目を逸らしている。
今、ユーが俺たちのために一人で足止めをしてくれているのだ。
そんな状況で、いきなりキスしろだなんて言われても、困惑することしかできない。
「ど、どういうことだよ……?」
「いいから! 説明はあとでするわ。あたしからじゃ意味ないの、あんたからしてきなさい」
肝心なことは何も言ってくれず、ただ行動を促してくるのみ。
だけど、生憎とこっちは今までキスなんてものをしたことがないのである。
そんな俺が、理由も分からないまま、いきなり自分から唇を奪うだなんて――。
「早くしなさい! 死にたいの!?」
「くっ……ああもう、分かったよ!」
先ほどまでより更に鬼気迫る形相で催促され、自分の顔が熱くなるのを感じながらも自棄になって叫ぶ。
まだよく分からないが、これが今この場を切り抜ける方法だというなら、やるしかない。
ごくり、と唾を飲み込む。
騒がしいほどに心臓が高鳴る。
ゆっくり、ゆっくりと顔を近づけ――。
そっと、唇を重ねた。
刹那――エルの体が激しい光に包まれた。
しかし、その光は一瞬で治まり、次の瞬間にはエルの姿はどこにもいなくなっていた。
そして、もうひとつ。
先ほどまで何も持っていなかったはずの、俺の右手には。
赤黒く輝く、一振りの剣が握られていた。
剣は重いとか、鍛えていない一般人には上手く扱えないとか。
そういう話をどこかで聞いたことがある気がするけど、不思議と重さは全く感じなかった。
それどころか、妙に体に馴染んでいる感覚さえする。
『召喚した召喚主のあんただけが扱うことができる武器――それが召喚隷なのよ。召喚していない他の召喚主には扱うことができないし、その召喚隷によってどんな武器になるのかも違うんだけどね』
剣が、エルの声でそんな言葉を紡ぎ出す。
なるほど、つまりはこの剣を使って戦え、ということか。
怖くて怖くてたまらないはずなのに、何だか力が漲ってくる気がした。
「お、お姉ちゃ……あ、できたんですね。グレイさん、お願いします!」
ライオンの攻撃を剣で防ぎながら、ユーがこちらを振り向いて叫ぶ。
どうやら、少し押されているようだ。
自分で剣を出して戦うこともできるみたいだが、やっぱり召喚主の武器として戦ったほうが力を発揮するのだろうか。そうじゃないなら、わざわざ武器の姿になる必要すらない気がするし。
深く深呼吸。
ゆっくり立ち上がり、ライオンに向き直る。
自分より図体の大きな魔物というのは、やはりとても怖い。
だけど――剣を手に、地を力一杯蹴った。
ライオンはすぐさま反応を示し、俺へ目がけて手を振り払う――が。
俺は咄嗟に、剣を横に薙ぎ払った。
瞬間、真っ赤な鮮血が迸る。
剣によって、ライオンの手が真っ二つに切断されていたのだった。
悲痛な絶叫をあげるライオンの魔物。
次の一手を行う暇もないほど迅速に、俺は。
ライオンの腹部を、剣で貫いた。
すると、ライオンの肢体が光の粒子となり消えていく。
これは……もしかして、倒したということだろうか。
何とか無事に勝利できた安堵に、ほっと胸を撫で下ろしていると、剣は再びエルの姿へと戻った。
「ありがとうございます、グレイさん! かっこよかったです!」
「……ま、初めてにしては上出来なんじゃない」
ユーからは満面の笑顔で、エルからは少し目を逸らされながら。
まるで正反対だが、そう言われて悪い気はせず、自然と頬が緩む。
最初はどうなることかと思ったけど、意外と体が動いてくれた。
これも、召喚主になったが故の力なのかもしれない。
「それにしても、さっきの魔物……なかなかランクが高めのやつだったと思うわ」
「ランクって何だ?」
「魔物は、その強さによってランクで分けられてるのよ。一番強いのがSで、一番弱いのがDね。さっきのはBだったはずよ」
なるほど……ちょうど真ん中くらいだったのか。
さっきは何とか無事に勝てたが、もっと強いやつがいっぱいいるのだとしたら、さっきほど容易くはいかないかもしれない。
「でも、そのおかげでポイントは多めに貰えたと思いますよ……?」
「ポイントってのは?」
「あ……魔物を倒したり、人々の依頼を受けて解決したり、他の召喚主や召喚隷と戦って勝利したり、各地に点在するダンジョンを攻略したり……そういう色々な実績によって、自動的にポイントが付与されるんです。現在のポイントは、その痣から確認できるはずですよ」
ユーの説明を受け、再び痣を指で撫でる。
そして出てきた半透明の液晶画面を確認してみると、確かに現在のポイント数が表示されていた。
また魔物を一体倒しただけだが、それでも百近くになっている。
とはいえ、多いのかどうかすら、基準が何も分からないわけだけど。
「ショップっていうタブありますよね? そのポイントを使って、家とか家具とか乗り物とかを購入したり、更に家を大きく広くしたり、新しい召喚隷を召喚したり……色々なものと交換できるんですよ」
言われるがままショップと書かれたタブをタッチして開くと、カテゴリー別に様々な写真と、交換するのに必要となるポイントの数が並んでいた。
当然、そのもによって必要なポイントが異なる。
「まず、俺たちが暮らす家がほしいところだよな……」
「そうね。広くて綺麗なところにしなさいよ」
俺たちは当然この世界に住処などあるわけもなく、現段階で最も必要な住む家を探す。
広さも大きさも外観も様々だが、俺が今持っているポイントで購入できるものとなると、せいぜい二つくらいしかない。
あとで広くしたりなどもできるようだし、とりあえずは狭いところで我慢するしかないか。
そう思い、今持っているポイントの半分以上を消費し、購入を決定する。
すると――現在地に最も近い『プレリー』の街に出現しました、というメッセージが表示された。
どうやら、購入したことで自動的に近くの街に現れたらしい。どういう仕組みなのかは分からないが。
「それでは行きましょう、グレイさん。ここから徒歩で数時間かかりますが……」
「……おわぁ」
思わず口角が引きつる。
一番近いはずの街ですら、徒歩だとそんなにかかってしまうのか。
いつか、乗り物を購入するのも考えたほうがいいかもな……なんてことを考えながら。
三人で肩を並べ、『プレリー』とやらへ向かって歩を進めた。