召喚主と召喚隷
「……う、つッ……」
鋭い痛みに襲われ、半ば強制的に意識を取り戻した。
顔を顰めながら上体を起こし、辺りを見回す。
周囲には無数の木々が生え、とても薄暗く鬱蒼とした森の中だった。
何だ、ここは。
確か自分の家で、新しくリリースされたというソシャゲをインストールして、それで――。
記憶の断片を手繰り寄せるように頭を押さえていると、不意に視界の端に奇妙な光のようなものが映り込んだ。
訝しみ、そちらへ顔を向ける。
俺の右手の甲が、淡い光を放っていた。
いや、それだけじゃない。
右手の甲にはいつの間にか『♅』という記号のような痣が刻まれ、ズキズキと鋭く痛みを訴えている。
むしろ、この痣が光を発し、そして痣が痛んでいる気がする。
だが、一体何だこれは。自分の手なのだ、こんなものができればすぐに気づくだろう。
こんな訳の分からない場所で目覚めたことや、新しいソシャゲを始めようとしたときのアレとも、関係があるのだろうか。
どうしてなのかは分からない。
無意識に、左手の人差し指と中指の二本で、そっと痣を撫でた。
刹那――。
一瞬にして痛みが引いたかと思うと、痣から半透明で正方形の液晶画面のようなものが飛び出してきた。
様々なタブが並んでいるが、最初に開かれてある概要には、びっしりと文字が埋められている。
ここは俺がインストールしたばかりのソシャゲ――『リアリティ⇔レアリティ』の世界。
ソシャゲらしく、美少女や美男子が出てくるガチャや、色々なものを購入できるショップなども存在し、自身の体にできた痣からアクセスすることができる、と。
そして最後に、『本来はポイントが必要となりますが、初回のガチャだけは無料で行えるため、試しにやってみてください』と添えられている。
ソシャゲの世界だとか、ガチャで美少女や美男子が実際に出てくるとか、そんなことを文字だけで説明されても全く実感が湧かないし、信じられるわけがない。
それでも、こんな見知らぬ森で目覚めたのも、見覚えのない痣ができていることも事実なわけで。
半信半疑でありながらも、俺は『召喚』と書かれたタブを人差し指で押す。
大きく『初回無料ガチャ』と表示され、横には小さく、レア度は上から順にLR、UR、HR、SR、Rとなっているという説明も明記されていた。
ものは試しだ。
緊張や不安などにより震える指で、初回無料ガチャを押した。
それから、僅か数秒の演出を経て。
半透明の画面に表示された文字は――LR。
瞬間――画面が眩いほどの光を放ち、俺は咄嗟に両腕で顔を覆う。
やがて光が治まり、ゆっくり腕を下ろす。
そして、絶句した。
だって、何故なら。
見知らぬ少女が二人、目の前に立っていたのだから。
片方は、金色の髪をハーフアップにした少女。
赤色の服に、黒色のニーソックスに身を纏っている。
青色の瞳は少し吊り目気味で、どこかツンツンとした態度で俺とは目を合わせようとしていない。
そしてもう片方は、白銀の髪をサイドアップにした少女。
身を包むのは、青色の服に、白のニーソックス。
先ほどの子とは対照的で、とても柔らかな微笑を浮かべており、優しそうな印象を抱く。
どちらも、顔立ちはよく似ていた。
身長は金髪の子のほうが少し高く、逆に胸は銀髪の子のほうが少し大きいように見えるが。
「き、君、たちは……?」
「はあ? 説明、読んでないの? あたしたちは『召喚隷』で、あんたが『召喚主』でしょ。ったく、初回無料ガチャなんかで、LRのあたしたちを引き当てるんじゃないわよ」
俺の絞り出すかのような問いに、金髪の少女がこちらをちらっと一瞥してから素っ気なく答えた。
『召喚主』と『召喚隷』
確かに、概要タブで説明が書かれていた。
ガチャで呼び出した者を『召喚隷』と呼び、ガチャを行うことのできる体に痣のある者を『召喚主』と呼ぶ。
でも、まさか本当に出てくるなんて。
しかも、LRということは、いきなり最高レアが来たということだ。
「あはは、ごめんなさい。お姉ちゃん、いつもこうなんです。でも根は悪い人じゃないので、嫌いにはならないでいただけると嬉しいです」
と、銀髪の子がぺこりと頭を下げる。
やはり見た目だけでなく、性格まで対照的のようだ。
しかし、そんなことよりも発言の途中に紛れたひとつの単語を、俺は聞き逃したりはしなかった。
「お姉ちゃん……?」
「あ、はい。わたしはユー・フォルミア、こちらエル・フォルミアの妹です。他の『召喚隷』の人たちは一人ずつなんですけど、わたしたちだけは二人で一つ、みたいなものなんですよ」
そう言って柔らかく微笑む、ユーと名乗った銀髪の少女。
二人で一つ。だからこそ強さも二倍となり、LRになったのだろうか。
エルだけだとまともに説明もしてくれなさそうだし、優しい妹がいて本当によかった。
「安心してください。わたしたちは『召喚隷』なので、召喚してくださった『召喚主』のグレイさんの味方です。絶対に、グレイさんの敵になることだけはないですから」
「そ、そうか。って、何で俺の名前を……」
「ああ、自分の『召喚主』の名前と姿くらいは、召喚していただいたときに頭に流れ込んでくるので」
ユーから色々と説明してもらっているが、まだ分からないことだらけだ。
次は……と口を開こうとした、次の瞬間。
突如、俺の背後に生えていた木が、大きな物音をたてて勢いよく横に倒れた。
喫驚し、おずおずと背後を振り返る。
俺の身長の何倍もありそうなほど巨大な、ライオンが。
血走った目で、こちらを見下ろしていた。
鋭利な牙を覗かせた口からは涎が垂れており、今にも俺たちを捕食しようとしてきそうだった。
「ちっ、何してんのグレイ! 早く逃げるわよ!」
エルの金切り声で我に返り、俺は素早く立ち上がって踵を返した。
三人で走りながら、肩越しに後ろを振り向けば。
数々の木々を倒し、俺たちを執拗に追いかけてきているのが見えた。
「な、なあ、戦えるんじゃないのか?」
「うっさい、そのためにも一旦隠れる必要があんのよ!」
逃げながら問うも、エルに叫ぶように答えられ、続きの言葉を失ってしまう。
隠れる必要があるとは、一体どういうことなのだろうか。
もう少し、じっくりと説明を読んでおくべきだったと後悔していると――。
「お姉ちゃん、ここはわたしが足止めしておくからお願い」
「はあ? いや、それするならあんたが――」
「いいから。いつまでも素っ気なくしてたらだめだよ、お姉ちゃん」
それだけを告げ、ユーはライオンに向かって駆け出していった。
その左手に、青色の剣を携えて。
剣を持って戦うことができるのであれば、隠れる必要があると言っていた意味がますます分からなくなる。
しかし、そうやって困惑している俺に構わず、エルの怒鳴り声が再び耳を劈く。
「ほら、早くしなさいよ! 心配しなくても、ユーは簡単に倒れたりしないわ。だから、今のうちに……」
ゆっくり、エルが歩み寄ってくる。
そして、ごくりと唾を飲み込み――意を決したように、その言葉を発した。
「――あたしに、キスしなさい」
時間が止まった、気がした。