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糖度高めの現代短編まとめ

30歳だから恋愛はますますうまくできなくなる。……でも、勇気をだして、よかった。

作者: 木村 真理

「短い間でしたが、お世話になりました」



ぺこりと頭をさげると、パチパチと暖かな拍手をいただいた。

顔をあげると、課長も、松浦さんも、榎並さんも、加藤さんも、井浦さんも、みんなちょっと涙目で。


……いい職場だったなぁ、としみじみ思う。


勤めたのは、たった半年。

派遣とはいえ、短い。

前の仕事をやめてから、つなぎの仕事のつもりだった。

なんの興味もない、化学研究所の事務員なんて。


でも、職場の人は、すごくいい人ばっかりで。

若干5名の事務員は全員アラサーで。

わきあいあいとしつつも、仕事は集中して真面目にやる。

そんな姿勢もすごく馴染んで。


研究員さんたちも、すごく有名な学者さんとかもいるのに、皆さん温和で親切で。

お給料的な問題でずっと勤めるのは難しかったけど、本音を言えばずっとずっとここで勤めていたかった。


いただいた花束やお菓子、最後に残った荷物をまとめて、もう一度頭を下げる。

連絡先は交換したし、何度かはまたお会いできるかもしれない。


でも、もうきっと一緒に働くことはない。

それが、寂しい。


ありがとうございましたをお互いに何度も言い交して、半年間、通いなれた研究所を後にする。


空を見上げると、快晴。

すみわたる青空に、咲き始めの桜の花のコントラストが綺麗。


ぼんやりと眺めていると、カメラのシャッター音。

いくつかの研究所が集まったこの敷地内は、安い食堂目当てなのか観光客も多い。

桜並木に向けられたスマホカメラから逃げるように、足を速めた。


……進藤さん、会えなかったな。


日に焼けた、やさしい、やさしい笑顔を思い出す。

進藤さんは、この研究所の研究員さんだった。

中国の研究所と連携した研究を主にされていて、よく出張費の清算に事務室に来られていた。


初めて見た時の印象は、大きな人だな、って思った。

163cmプラスヒールのわたしより頭ひとつ大きくて、その大きな体を小さくかがめて、手続きの書類を記入していた。

わたしは、まだ海外出張の清算手続きに慣れてなくて、マニュアルを必死で見ながら、進藤さんが書いた書類をチェックして。


「お時間をいただきまして、申し訳ございません」


というと、進藤さんはくしゃっとした笑った。


「こっちこそ。新しい方ですよね。俺、出張多いんで、これからもお世話になると思います。よろしくお願いします」


なんてことない挨拶。

だけど、進藤さんの言葉や笑顔は、すごくあたたかくて、やさしくて。

わたしは、一瞬で、彼のことが好きになってしまった。


でも……、同時に、彼はわりと年下だな、とも思った。


わたしは、今年で30歳になった。

いわゆる大台。

進藤さんは、たぶん27歳か28歳くらい。

おまけに、すごくかっこいい。


わたしは、派遣の事務員で。

進藤さんは、有名な科学研究所の研究者。


それからも、進藤さんは言葉通り何度も事務室に顔を出してくれた。

でも、出張で研究所どころか国内にいないことも多かったし、忘年会も新年会も、欠席だった。

会えるのは、仕事中だけ。

仕事の潤滑剤的な雑談はできても、プライベートらしいプライベートな話はできなかった。


わたしが23歳とか24歳とかくらい若ければ、折りを見て連絡先くらい聞けたかもしれない。

でも、なりたての「30代」というレッテルは、わたしから積極性を払底した。

せめて彼と肩を並べるようなキャリアの持ち主であれば。

彼がさらさらと書く英語や中国語の書類をさらりと読める賢さがあれば。

あるいは「大人の女」にふさわしい恋愛スキルがあれば。


たら、れば、ばっかり並べて、結局連絡先も聞けなかった。

1か月前、進藤さんもこの3月末でこの研究所をやめて、違う研究所に勤務することになったってご挨拶までしてもらったのに……。


このまま、二度と会えないのかな。


同じ事務員の人たちにも、わたしが進藤さんが好きだなんて言えなかった。

そういう話はしないというのが、事務職員の中で暗黙のルールになっていた。

わたしたちと、研究員さんたちは、違う。

見えない壁が、研究員さんたちはないようにふるまってくれていても、はっきりとあった。

まして、派遣のわたしなんて。


……だけど、なんで連絡先くらい、聞かなかったんだろう。


研究員さんたちも、みんながみんな事務員に優しいわけじゃない。

「それくらいやってよ」と事務員の仕事じゃないあれこれを押し付ける人もいたし、書類の提出期限が迫っているとお知らせしたら「こっちは事務員と違って、秒を争う研究してるんだよ!」って怒鳴る人もいた。

でも、進藤さんは一度も事務員であるわたしたちを格下扱いしなかったし、態度にも現さなかった。

それどころか、出張のたびにお菓子をくださって、「おいしいかわからないけど!」ってあの優しい笑顔で言ってくれて……。


なんだろ。

もう会えないって思ってるのに、次から次に、進藤さんのことを思い出す。

郵便物を抱えて困ってたら、走ってドアを開けてくれた時のこと。

せき込んでいたら、のど飴をくれたこと。

お菓子のお礼を言ったら、「よかった。中国のお菓子って、わりとハズレもあるから、いつも不安なんだよね」って笑ってくれたこと。

馬鹿みたいに小さな出来事を、宝物みたいに思い出す。

30歳にもなって。

なんでわたしは、こんなに不慣れで、馬鹿で、後悔ばっかり。


せめて、最後に会いたかった。

進藤さんにとっても最後の日だから、今日は会えるかもって、思っていた。

だけど、昨日、中国の研究所に挨拶に行ったって……。


「し、んどう……さん?」


嘘みたいに、進藤さんがいた。

研究所のガレージに駐車した車から、大きな体が出てくる。


「あ、松田さん。……そっか、松田さんも、今日まで、なんだっけ」


「は、はい……!いま、勤務が終わったところで……」


「そっか。俺も、最後の挨拶まわりに行くところなんだ」


進藤さんが、後部座席に置かれた紙袋を指さして笑う。

いつもの、やさしい笑顔。

もう見られないと思った笑顔。


「し、んどう、さん」


「ん?」


声が、震える。

顔が、赤くなる。


迷惑がられるかもしれない。

笑われるかもしれない。

だけど、でも……!


「連絡先……、教えて、いただけません、か?」


ばくばく、心臓が音を立てる。

へんな汗がでる。

重い。

もっとさらっと訊ければ、さらっと教えてもらえたかもしれないのに。

このわたしの反応は、明らかに「訳あり」だ。


数秒だったと、思う。

沈黙がこわくて、逃げたくなる。


進藤さんは、「うわ」とうめくと、くしゃりと髪をかきあげた。


「ごめん、俺」


すっと血の気が下がる。

だけど。


「連絡先、俺が訊きたいって思ってた。だけど、松田さん美人だし、年上だし。ぜったい彼氏いるよなとか思って、勇気でなくて……」


「……え?」


「めちゃくちゃ情けないやつですけど、こちらこそ!プライベートの連絡先、教えてもらえますか?」


進藤さんは、スマホを出して、訊いてくる。


「……もちろんです!」


バッグからスマホをとりだして、言う。

嘘みたいだ。


でも。

勇気って、出すもんだな、と。


めちゃくちゃ赤くなってる進藤さんの顔を見つめながら、そう思った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 想いを伝えられないまま終わることは珍しくないです。
2019/05/02 20:17 退会済み
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