~思い出の在り処~
朝を告げる鳥たちの囀り(さえずり)で眼が覚める。窓から入ってくる光に眼を細めながら体を起こす。台所からは野菜を切る音と香ばしいパンの匂いがする。寝巻きのままで居間に出てお母さんのところへ駆け寄る。
「ねぇお母さん。何に作っているの?」
そう私が聞くと野菜を切る手を止めて私の頭を撫でながら答えた。
「今日はポトフを作っているのよ」
「ポトフ!私の大好物!」
と台所ではしゃぐ私を優しくたしなめる。
「こら、刃物を使っているところでは騒がないし暴れないの。あと寝巻きのまま出てきちゃだめでしょ、着替えてきなさい。お母さんはその間にご飯作っているから」
「はーい!」
私は元気よく返事をして服を着替えに寝室に戻る。箪笥から服を出して寝巻きから着替える。短パンを穿き、上を着て帯を結ぶ。それだけでは少し肌寒いので羽織物を羽織る。そして寝室から台所の様子を見てみるとまだご飯の用意が終っていなかったので部屋の窓から外に出る。そしてお母さんにばれないように忍び足でこの村にある小山に向かった。この村、“ラージュ村”に住んでいるのはたった8人。お母さんと私を除けば六人。お隣さんのラコさんは三人で住んでいる。お向かいさんのカシュさんも三人で住んでいる。この村には三組の家族しか居ない。だが他の村よりも結束が強く、助け合いながら生活をしている。そして私のお母さんは“魔法使い(マージ)”というある種の能力者。魔法使い(マージ)は国に重宝され、幼少時に魔法使い(マージ)と発覚した時点で魔術学園に入学を余儀なくされる。お母さんのような年齢になると魔術学園には入らなくてすむが、王宮で貴族に使えねばならなくなる。そしていざというときに戦場に出て戦わなくてはならない。魔法使いだということは誇りに思ってよいことだと周りの人は言うけれどお母さんは自分が魔法使いだということを嫌っている。私がもう少し小さかった頃、なぜ魔法使いということを自慢しないのかと尋ねたとき“人と少し違うだけで幼い頃から両親と引き剥がされ、ただひたすらに魔術の勉強をせねばならないの。それがお母さんは嫌だったの。こうやってエミルと静かに暮らしていたほうが楽しいでしょう?”と言って頭を撫でてくれた。決して豊かな暮らしはしていないけれどお母さんと暮らす日々は楽しい。小走りで走っていると小山が見えてきた。そこには一つのお墓がある。お父さんの墓。私が物心つく前にこの世を去ってしまったからお父さんの顔は知らない。お母さんに寝る前に聞かせてもらった思い出話によると聡明で優しく、誰からも好かれる人柄だったらしい。眼をつぶれば見たことが無いはずのお父さんが私の頭を撫でてくれる様子が思い浮かぶ。
「お父さん、おはよう。今日は私の生まれた日。誕生日だよ。天国で祝ってね、お父さん」
そういってお墓の前で手を合わせる。長いこと手を合わせていると後ろで誰かが私の肩に手を置いた。眼を開けて振り返るとそこに居たのはお母さんだった。
「ご飯が出来ても出てこないから部屋に行ったら居なくって。それでお父さんのところにいってると思ってきたのよ。勝手に外に出ちゃだめって言ってるでしょ?」
いつもいつも1人で外に出る私をお母さんは怒る。
「ごめんなさい、でも今日は誕生日だから早く伝えたくって!」
するとお母さんはお墓を見ながら
「そうね、エミルはもう8歳になったのね。ついこの間までご飯も1人じゃ食べられなかったのにこんなに大きくなったわよ」
とお父さんのお墓に向かって話しかける。そして私を見て笑いかける。
「お母さん、私結構前からご飯1人で食べられるよ!何年前の話をしているの…」
ふて腐れたような顔でお母さんを見ると何も言わずに抱きしめて撫でてくれた。
「エミル、誕生日おめでとう。これからも立派に育ってね」
その抱擁から伝わってきたのは不安だった。お母さんの顔を見てみると思いつめたような顔をしていた。なぜそんな顔をしているのか、私にはわからなかった。
「ねぇお母さん、なんで悲しそうな顔をしているの?」
そう私が訪ねたときにはもういつもの優しいお母さんの顔をしていた。そしてお母さんは何も言わずにただ頭を撫でてくれた。
「さぁ、帰りましょう。エミルの大好きなポトフが待ってるわよ」
そういってお母さんは立ち上がり私に手を差し出した。その手をギュッと握りながら二人で家に帰っていった。家が見えてくると私は走って家に行こうとした。だがお母さんに制され足を止める。振り返ってお母さんを見ると真剣な顔をして私達の家を見ていた。
「お母さん…?どうし…」
と聞こうとした口に手をあてて低い声でこういった。
「エミル、逃げなさい。まっすぐ逃げてアーシュ叔父さんのところに行きなさい。家の中にはたぶん“魔法使い(マージ)狩り(がり)”がいるわ…」
私の背中が一瞬のように冷たくなった。魔法使い狩りということはお母さんの命が危ないということ。必死に声を出そうとしてお母さんの中でもがく。
「暴れないで…!ばれたら貴方はッ…!」
お母さんが少し声を張り上げてしまったために家の中にいた魔法使い狩りの人にばれてしまった。
「おい!いたぞ!捕らえろ!捕らえれば報奨金が沢山もらえるぞ!」
そういいながら魔法使い狩りの三人の男がお母さんのほうに向かって襲い掛かる。お母さんのほうを見ると、お母さんは冷静で懐から短い杖をだす。
「下がりなさい、エミル。お母さんから五メートルくらい離れたところに隠れなさい…!」
お母さんはいつになく真剣な声で私に言う。私はお母さんの言うとおりに五メートルくらい離れた茂みに隠れた。男たちはお母さんだけに気づいて私にはまだ気づいていないようで男たちの視線はすべてお母さんに向けられている。お母さんは杖を男たちに向け、小さく息を吸う。
「――――――!」
次の瞬間お母さんの周りに風が生まれた。お母さんの周りをクルクルと回りながら男たちに襲い掛かる。男たちはあっという間に吹き飛ばされ地面に体を打ち付けて気を失う。杖をしまって私のいる茂みに“もう出てきていいよ”と声をかける。ゆっくりと顔を出してお母さんのほうを見やる。傷はなく、いつものお母さんだった。
「怖かったでしょ?もう大丈夫よ」
と言って私の頭に手を伸ばしてくる。その時後ろのほうの茂みが光ったような気がした。そして私が次に見たのは背中に矢が刺さったお母さんだった。お母さんは力なく私の方に倒れかけてきた。
「お…母さん…?」
倒れたお母さんもゆする。まだ意識のあるお母さんを必死におぶろうとするがまったく出来なかった。
「エミル…逃げなさい…貴方は捕まっては…いけない…。逃げるの…。さぁ…!」
とお母さんが私の背中を押した瞬間二度目の矢がお母さんに突き刺さった。そしてそのままお母さんは息絶えた。私は走った。息が苦しくなって、心臓が痛くなっても私は足を止めなかった。草に絡まって転んでも立ち上がってまた走り出した。私には今、走ることしか出来ないのだ。それがつらくて、苦しくて。
「くそっ…!小娘を捕らえ損ねたか…!」
遠ざかる足音に耳を傾けながら必死に叔父さんの家に向かって走り続ける。
もうどれくらい走ったのだろうか。夕日が傾き始めて初めて私は足を止めた。人の居ない森の中に私ただ1人。泣いちゃだめだ。今泣いたらもう我慢できなくなってしまう。ここで泣いたらきっとお母さんの温もりを探してしまう。
“走りなさいエミル。貴方はここで死んではいけない。”
ふと聞こえたその声に辺りを見回す。だが誰も居ない。
“貴方は死んではいけない。さぁ走りなさい。その足で、地面を蹴って、走りなさい。生きて叔父さんのところにいくのよ”
「私は…、もう何も分からない。でも…」
私は走り出した。だめだ、遅い。足が遅い…!もっと速く…!
“力を貸してあげる。私の力を求めなさい”
「私に…もっと速く走る力を…もっと…もっと!」
“いいでしょう、エミル。貴方は立派だわ”
その言葉で異様な会話は途絶えた。そして足に何かが纏わりついた感覚があり、一瞬にして格段に速度が上がった。速くて周りの風景が目まぐるしく変わる。すると視界の端に叔父さんの家が入る。
(もうすぐで…)
さらに速度を上げた私は虎のように速く走った。意識はそこで途切れた。
眼が覚めたら、アーシュ叔父さんの家だった。起き上がろうとすると右肩に激痛が走って顔をしかめる。右肩を見てみると包帯が巻かれていてすこし血がにじんでいた。自分の傷つき具合を見て驚いているとアーシュ叔父さんが卵粥をもって現れた。小さい頃に良く可愛がってくれたアーシュ叔父さん。私が何日寝ていたのかを質問しようと口を開き言葉を発しようとする。
「…ッ…!…ッ!」
だが喉から聞こえてくるのはヒューヒューという音だけ。何故、急に声が出なくなってしまったのか。それが分からずに一生懸命に声を出そうとする。
「エミル、おやめなさい!喉が傷ついてしまうだろう!落ち着いてこの紙に書いてごらん」
と手渡された紙に震えながら“私は何日間寝ていましたか?”と書いておじさんに見せる。そして叔父さんは卵粥を器によそいながら“三日ほどだよ。朝、扉を開けたら傷だらけのエミルが倒れていてね。何かあったんだと思ってすぐに手当てしておいた。傷が膿むことはないだろうが、後は残るだろう…”と悲しげな顔をする。私はすぐに紙に“痕が残ってもかまいません。助けてくださってありがとうございます。”と紙に書くと叔父さんは驚いたように私を見つめ、やがて“少し見ないうちに大きくなったな…。言葉遣いもきちんとしている。フラムはそなたを賢い子に育て上げたのだな”と言い、しわくちゃの大きな手で私の頭をゆっくり撫でてくれた。その時今まで我慢してきた涙が堰を切ったようにあふれ出た。私はその涙をぬぐうこともせずに叔父さんの胸の中で泣いた。叔父さんは何も言わずただ撫で続けてくれた。それが私にとってなんとありがたかったか。8歳という若さで母親までなくし、どう生きればよいのかなど分からない。今まではお母さんが道に明かりをともしてくれていた。でもお母さんが居ない今、私の足元を照らす人は居らず、真っ暗闇に放り出された状態。ふと自分の枕元を見てみるとそこにはお母さんの杖があった。私は持ってきた覚えはない。だが他のお母さんの遺品はすべておいてきてしまったから、この杖が唯一の遺品。母の杖を握り締めてまた頬を濡らした。
私がエミルを見つけたときあの子は死にかけていた。すぐに抱きかかえ家に入れた。そして右肩の傷の手当をして、私の娘のフラムに何かあったのだと察し少しばかり家を空け、“ラージュ村”へと馬を走らせた。馬でも半日近くかかるのにあの子はあの傷を負ったまま歩いてきた。どれほど遠く、つらい思いをしたのだろうか。
手綱を握る手に力が入ってしまう。フラムは私の反対も聞かずにエミルを産んだ。そしてその時に約束したのだ。“この子は私が守り抜く。この子に自由というものを知らせたいの。多くのことを知ったうえで学園に入るか入らないかをこの子に決めさせたい”とフラムの決意に満ちた目をこの眼で確かめ、私はエミルを育てることを許可した。なのに、フラムよ。お前は約束を破るのか…。父を1歳のときに失い、さらには母親にまで旅立たれるエミルの気持ちを察してくれ…。残された者のつらさはお前が良く知っているだろう。お前は幼いころに両親を亡くし、私養子として生きてきたのだから。
“ラージュ村”着いたのは日が落ちる頃だった。その村は、いいや。もう村ではなかった。すべて燃やされた後だった。エミルと、フラムが過ごしてきた村が、ひと時の幸せの場所はもう跡形もなかった。フラムの家に行って遺品を捜すが、もうすべて燃えていた。ふと、黒くこげた茂みのほうに目がいく。そこにはいつもフラムがつけていた木苺の髪飾りとフラムの愛用していた杖が転がっていたのだ。フラムは、ここで息絶えたのだと。娘を守り、私の家に行くようにと、意識が朦朧とする中で言ったのだろう。フラムは、最後まで、エミルの母親だった。立派な母親だったのだ。私は髪飾りと杖を懐に入れ馬に飛び乗った。一刻も早く帰らねば、フラムが身を挺してでも守ったエミルを今度は私が守らねばならない。後に伸びてくる学園からの手から。そう思いながら馬を走らせた。
エミルは母親であるフラムを失くしショックで失声症になり、紙での筆談生活が始まった。まず8歳の子供は文字を書くことすら出来ないはずなのだが、フラムが独自でエミルに教えたのだろう。前に会ったのはエミルの6歳の誕生日の日。そのときのエミルはワンパク少女でいろいろなものに興味を示し“これなに!?”“これってどういう意味!?”などと沢山聞いてくる元気な子だった。二年間でこれほどまでに大人びるとは思わなかった。礼儀作法もきっちりしていて、言葉遣いも教え込まれていた。まるでいつ別れがきてしまっても大丈夫なようにと、そう感じられてしまうくらいエミルは大人びていたのだ。エミルと暮らし始めてから二週間近くがたった。もう筆談にも慣れ、生活に支障をきたすことは少なくなった。肩の傷もふさがり、傷痕だけが残った。傷が治ってからエミルは率先して家事をしてくれた。本人が言うには家においてもらっているお礼なんだそうだ。私としては傷がまた開いたらとか、姪がこんなことしなくてもいいのにとは思っているのだが、母親を亡くした今の時期は何か熱中できるものがあるほうがいいと思ったので、何も言わず続けさせている。物思いにふけっていると、服の裾をエミルが引っ張ってきた。そしてスープが少し入った小皿を私に差し出してくる。この行動は“この味でいいですか”という意味なので小皿を受け取りスープを味見する。エミルが心配そうにこちらを見てきたので“おいしいぞ”と伝えた。嬉しそうに私から小皿をとって台所に戻る。食卓に朝食を並べ、向かい合って座る。手を合わせ無言で一礼する。エミルの声のこともあるので無言で頂きますをすることに決めた。今日の朝食はハーブのスープに焼き立てのパン。そして半熟卵のグラタンだ。一つ一つがおいしくて味の背後に娘のフラムの顔が見え隠れする。まるでフラムの手料理を食べているような気分になる。エミルは幼いころからフラムにいろいろなことを教えてもらっている。まだ8歳というのにほかの八歳児とは何か違った雰囲気を出している。ふと私は遠い遠い過去のことを思い出していた
「娘をさがせ!必ずや見つけ出すのだ!」
怒号が飛び交う町の端に私はうずくまっていた。鳴り止まぬ悲鳴、泣き出す子供の声、炸裂する魔法音。数時間前まで静かで美しかった町はどこへ行ってしまったのだろうか。どんどん近づいてくる金属音に、逃げなきゃと思い立ち上がろうとする。私の後ろには両親がいる。ここでばれたらきっとお母さんたちは殺されてしまう。お母さんたちだけでもいいから逃げてほしい。
「お母さん、お父さん、私家に忘れ物しちゃった。だからここで待っていて。戻ってくるから」
お母さんは一人で行かせたくなかった様子だったけど、反対を押し切って家の方向へ駆け出す。お母さんたちは捕まってはいけないから。私だけが捕まれば丸く収まる。もうお母さんに会えなくても、それでもお母さんには生きていてほしかった。ごめんなさいお母さん、私は今日、お母さんの言いつけを破ります。一緒に生きていくという約束を破ってごめんなさい。
私はゆっくりと兵のほうへ歩き出す。私に気付いた兵がこちらに駆け寄ってくる。
「君!待ちたまえ!名前は?」
「私は…フラム。魔法…使いです」
その一言で私の楽しかった日々は終わりを告げた。
私が魔法使いに生まれてしまったから。遺伝子の異常で普通の町人の夫婦の中にも稀に魔法使いが生まれてくる。多くは下級魔法使いで、上級魔法使いが生まれることなどないはずなのに。私は上級魔法使いだった…。上級魔法使いは能力が発覚したと同時に国(学園)に献上しなければならない。でも、両親は私のことを国から守ってくれた。そのために、人里離れた“ラージュ村”に越してきたのに…。町に出かけた日に、私が訪れた町が襲われた。
“ここでならフラムと一緒にずっと暮らせるわ”
お母さんが笑いながら言ってきた言葉がよみがえる。このまま学園に入ればおそらくもう会えない。それに、今まで私をかくまってきたことの罰が下るかもしれない。私が、大人しくしていれば、両親は助かるかもしれない。
私はその希望にかけたのだった。
読んでくださりありがとうございました。
初投降でしたが、楽しんで読んでもらえたなら嬉しい限りです!
投降ペースは亀のように遅いですが、どうか温かい眼で見守ってくださると嬉しいです。
それではまた。