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ついでの召喚物  作者: 湊 恵
第一章 魔法と精霊
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 食事の用意をするため、部屋を後にする。階下に着くと、手摺の陰に隠れるようにアトゥルが居た。ほかに人の気配は無い。

 もう朝食の時間としては遅いが、村長が食事の準備をしてくれたとは聞いている。この棟には独立した厨や水場があるので、村長一家と顔を合わせずとも済むのが幸運であった。

 祭りの翌日であるため、昨晩の片付けや田畑での作業など、村人たちにはやることが山積みだ。村長やその娘達も、各々仕事に向かったらしく、棟周辺にも人の気配を感じない。

 ノルトが厨に向かおうと足を踏み出したその時、一瞬で周囲が白い景色に替わり、部屋の中にあったもの一切が消える。

 おおよそ予想できていた事態ではあるが、ノルトはことの首謀者に眇めた顔を向ける。


「……なんなのですか、先ほどのアレは」


 呆れ声を弟子から向けられても、当の本人はいたって涼しい顔をしてそこに立っていた。

 紅色の長い髪とゆったりとした蒼い衣を揺らして、浮き上がるようにアトゥルは居た。


「少々興が乗ってな? お前と暮らす中で忘れていた新鮮な反応で、ついどこまでいけるものかと」

「やりすぎだと、先ほども言いました。彼女が抑えてくれたから良いものの、感情を弄ぶものではありません。使い方の分からない魔力の暴走の後押しなど、(むご)いだけでしょう」


 ノルトが真正面から言葉を放るが、アトゥルはノルトの顔に浮かんだ非難の色を、口元に笑みを浮かべたまま見ている。

 真白の空間で、一歩アトゥルが前に出た。ノルトとの距離が縮まる。柳眉を寄せ続けている弟子を上から覗き込むように上体を曲げた。


「しかしそうはならなかった。何故ならお前があの子の前に出たからだ」


 その声色はやわらかく、優しさがあった。ノルトの師は目を細めて――喜んでいる。


「……僕で遊ぶのはまだ良いです。けれど彼女は」

「私はお前で遊んだことは無いぞ。あいつらと違って」


 途端、鋭く差し込まれた言葉にノルトは黙る。一転して、アトゥルは不愉快さをあらわにしていた。


「……と、思っていても、お前がそうだと思えばそうなのだがな」


 しかしすぐに空気は砕け、それまでの軽いものに戻った。アトゥルは既に(・・)笑みを戻している。


「アトゥル様」

「確かにアレは善い選択ではない。だが、出会ったばかりで信頼も信用も無い関係。更に言えば相手はこちらを信じるだけのものすら手元に無い。何ができる、何が示せる?」


 苦笑とともに言葉を返された。アトゥルの告げる内容は分かり易すぎる事実の羅列だ。それが理解しているので、ノルトも強く言い返せないままである。


「信頼を重ね、その上で互いの条件を提示し合う、ああ、それがやれれば良かろうな。『庭園』に戻って、お前とあの子に時間の許す限り――、そんな状況であればな。だがそうではない。……そうはなっていない」


 ノルトと対になるかのごとく、アトゥルも眉を寄せ言葉を落とした。最後の音には、少しの苦しさが垣間見えた。


「お前はきっと否定するだろうがね、時に怒りというのは大事なものだ。一時的には後押しになる。踏み出さねば後が無いときならば、使えるものは使うべきで、拘りは放り投げろ」

「しかし、あの子に無駄な重圧をかけるのは……関心しません」


 アトゥルはくつくつ笑った。口元に手を寄せ、人差し指の関節を下唇に当てる。


「これはまた随分と優しいことだ」

「そうでしょうか」

「そうだとも。なぁ、――お前が責任を感じることではないよ、ノルト」

「…………」


 師の声は優しく響いた。労わるように、何かから守るように、ノルトの上から降り注ぐ。

 しかしその声を聞いても、ノルトの憂い顔は晴れなかった。


「私も聞いたことがないし、ありえぬ事態。ゆえに、彼女がこちらに至れた原因が分かれば、お前の願いの道標となりえるかもしれない。なぁに、心配せずとも簡単に投げ出したりはしないよ」

「……『全ての物事に因果があると思うのはやめておけ』。以前、師匠が僕におっしゃった言葉ですが?」

「おや、師の言葉を覚えているとは、流石は我が弟子だ」


 やられたな、とほがらかに笑うアトゥルの返答に、ノルトは閉じた口をほんの少し尖らせた。


「怒るな怒るな。言ったことも事実だ。人は、因果があるのだと理屈をつけたがる。そうしたほうが楽な場合もあるからな。納得できないことを妥協し誤魔化すために必要な思考であろうよ。世の中にはなんの関係もなく、呆れるほどの不幸に見舞われ、精霊に弄ばれることがある。――なんてのは、私たちなら厭というほどっている」


 ゆっくりと、アトゥルの手が上がり、ノルトの頭の上に乗せられた。軽く添える程度ではあったが、その手が薄灰色の髪を幾度も撫でる。


「あの子に起きたことを、紐付けて利用するのは忍びないかい? だが儀式をしたのは私だ。ノルトが背負うものではないが……お前は気にせずにはいられない、か」

「キョウに精霊の適性があることは不幸中の幸いだったでしょうけど、能力自体は不可ではないという程度です。保護する必要と責任は感じます。ですがあくまでそれは、彼女自身の保全であるべきで――、」

「それも正しかろうが、気になることを否定せずとも良いのではないかね? 存在自体異質なのは確かだろう。お前の願いのためにも、あの子の願いのためにも、試す材料は多ければ多いほど良い。違うか?」

「…………」


 黙る弟子に、師は頭を撫で付けていた手を下ろした。肩を竦めておどけてみせる。


「利用するようでどうしても気に入らないなら、私とあいつらの所為にすればいい。何、いつものことだろう?」

「余計な恨みを買う必要がどこにありますか」


 ノルトは呆れをにじませた声できっぱりと言った。

 ふざけたようでいて、アトゥルが本気で言っているのが分かったからだ。

 渋面を作るノルトの気を解すように、アトゥルは笑いかけてくる。


「買うだけの価値があると思っているよ。反骨心、大いに結構。私へのうらみつらみが糧になり、お前や彼女が道を見出せるならばそれで良い。私は古いイキモノだからな、新しいものには託したくなる」

「貴女に、いずれそれが返ってきてしまうかもしれないのにですか?」


 何を馬鹿なことをと咎める声をしっかり受け取っておきながら、ノルトの師は余裕綽々で佇んでいる。


「むしろそうなってもらわねば困るよ。私に一撃喰らわせる、そんなことをやってのけて欲しいものだ。そのための発破であるし、――第一、」


 紅の瞳がまぶしげにノルトを見る。ふと、その様子に引っ張られるように、ノルトの記憶の縁から蘇ってくるものがある。


「私にとって大事なものは、あの日あのときに決まっているからな。やり遂げねばならぬことは私にもあるのに、ただでやられる訳もなかろう?」


 ――十年前のあの雨の日と同じ顔で、アトゥルはそこに立っていた。




 ひとしきりノルトから不満と小言を聞きだして満足したらしいアトゥルは、最後に重いものを示した。


「それからな……、お前も感じただろうが、あの子の内側、かなり厄介なことになっているぞ。今はまだ止められぬものではないにしろ、な。私も多少反応に期待した面はあるが、あれほど急激なものは久しく覚えが無い。つい一刻ほど前は、死にかけの老人かと思うほど、内に何も無かったというのに」


 それはノルトも気づき、どう対処すべきか考えていることだった。アトゥルとキョウの会話の中で、少女の内側から魔力反応が急激に膨れ上がるのを感じたのだ。

 怒りの気配を色濃く示していたものは、感情の起伏に魔力が引きずられていることの表れだった。それ自体は問題ではなかった。喜びや悲しみに怒り、果ては僅かな体調変化から魔法の効果に影響及ぼしてしまう人間はままいる。魔道士のように日々一定の出力を要するものならば、日頃の鍛錬によりその影響を押さえ込めるが、市井の大半はそうではない。

 問題は、キョウがこの世界にやってきた当初、彼女の中には魔力をほぼ感じなかったのにも関わらず、あの場では、怒りにより一気に膨れ上がっていたことだ。

 膨れ上がった量はたいしたものではなかった。それこそ幼い子供と同等といってもいい。しかし、精霊を宿したことにより、魔力を蓄えられる器になったのは分かったが、それにしても反応が劇的過ぎた。


 この場にいる二人の魔道士に掛かれば、想像しうる外獣や遺跡の蝕物であろうが排除、制圧に不可能など無い。よって召喚により突如現れた少女に何が起きようが何をされようが、二人に害が及ぶことは無いのである。だが、気にかかっているのはそんなことではなかった。


「――気をつけます。あの子の身体も、あいつらからの横槍も」

「お前に任せる。しばらく苦労をかけるが」

「僕が……決めたことです」


「そうか」と零し、アトゥルはゆらりとノルトから離れる。


「私はルースに連絡をとる。あそこならば、キョウ殿の今後を考える上で環境は最上だからな。……少し篭るぞ」

「はい」


 踵を返したアトゥルがまばゆい光の中に消える。ノルトはその背をじっと見つめていた。


 師が創り上げていた魔法障壁の一部がほどけ、ノルトだけが現実に戻った。師は未だ障壁の中で述べたとおり、今後の策を考えているのだ。それから遺跡の上に建つ都市で待つ知己に、到着に関する変更も合わせて告げるつもりなのだろう。

 アトゥル曰く『内緒話』をするにはこれが最適とのことだが、人間や獣だけを気にするならば、わざわざ『壁の部屋』を作らずとも、目くらましと感知能力をかく乱する術式を周囲に展開するだけで十分なのだ。ノルトも似たものを創り出すことはできるが、使用後に起きることを考えると進んでやりたくはない。

 けれど、アトゥルがわざわざ高位術式を展開したのは、ひとえにノルトのために他ならない。

 あの師は、なんだかんだノルトに甘いのだ。余計な負担は、例え一時的とはいえ弾き飛ばそうとする。

 『庭園』ではアトゥルの傘の下で、完全ではないけれど、十分すぎるほど憂い少なく過ごせていた。その好意が分かっているからこそ、ノルトはアトゥルの身を案じた。道化を演じ、自身に悪意が集まることすら承知の上で険しい道を選ぶ人。

 そんな人が、ノルトの手を離し、好きにしろといった。

 自分も期待をされているのだ。

 今回『下』に降りたのも、ノルトのためではあったが、そんなときに巡り合った、有り得ないとされる異世界からの来訪者。

 ――いや、こちらが巻き込んだのだ。

 頭を振って、思考を切り替える。憂いをまとわせていては、いつかあの少女に気づかれてしまう気がしたから。


 厨で竈の熾き火から火を大きくし、用意されていた鍋をかけて汁を温めながら、ノルトはこれからを考える。


「道標……か。あるのかな……そんなもの」


 それを探すために世に出てきたことは分かっていながら、そう思わずにはいられなかった。



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