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「……師匠」
気配なく突如部屋の入り口を陣取った女性に、振り返り応対するノルトの声に剣呑さが混じる。女性の登場とともに変わった雰囲気が、少しだけ怒った猫みたいに思えた。
師匠と呼びかけられた女性は、鋭い声を浴びても怯むことなく、むしろ面白そうに口を片方だけ吊り上げ、目を細めて座っている二人を見た。
「睨むな。最低限のことは伝えたようだが、迂遠とはお前らしくも無い。仕方なかろうが、通すところは通さねばならん」
女性は肩を竦めた後、ゆっくりと足を進め二歩と半分でノルトの斜め後ろについた。必然、寝台に腰掛けるキョウからは首を傾けて見上げることになる訳だが、ずいぶんと背が高い。軽く見積もって、180cm以上はあるだろうか。
その女性はキョウと一度視線を交わすと、少しだけ微笑んでくる。挨拶めいた、形式的な笑い方だ。
すると、その長身を折りながらしゃがみこんだ。全身を覆っている布ではっきりとは分から無いが、どうやら片膝をついたらしい。
ノルトと同じく、身体の線を隠すように羽織っている外套の裾から、長く節だった指先が現れる。手の甲は長袖から伸びた布で覆われ、中指に装飾品を通した紐を通して引っ掛けているらしい。その作りだけみると、日焼け防止用に手の甲までかかる腕カバーみたいだなと、場違いにも思った。
何かの物語の騎士のごとき姿勢で、胸元に片手を当て腰から頭を倒し下げた女性は、顔を上げると共に伏せていた目を開き、しっかりとキョウを見据えた。
瞳は髪と同じ深紅の輝きで、まだ何も言われていないのに、その目に映されていると思うだけで気圧されるくらいに力強い。
「ご挨拶が遅れ申し訳ない。私はアトゥル・スパース。ただ馬齢を重ねただけの、しがない根無し草魔道士です」
「わ、たしは、キョウといいます。イチノセ キョウ、――です」
身構えすぎずに返事をしようとするだけで、言葉に詰まる。
恐ろしさからなのか、気配に圧倒されただけなのか、経験の浅いキョウには判別がつかないが、ただひたすら、目の前の紅から顔を逸らさぬようにするだけで精一杯だった。
アトゥルはそんなキョウに何を思ったのか、ほんの僅かに目を眇めたが、すぐに顔を元に戻して立ち上がると、ノルトの横にある椅子に腰を下ろし、弟子に一度だけ視線を向けて口を開いた。
「キョウ殿、此度の祭りにて召喚の儀を執り行ったのは私。ゆえに、貴方をこの地に召喚したことの非難は、私になさるが良い」
「――え?」
アトゥルの言葉に、思わずノルトを見るが、相手は灰緑色の瞳を揺らめかせ、物言いたげな顔をするのみで何も返してはこなかった。
そういえば、説明では僕たちと言っていた――、ことにやっと気付く。
「我が弟子が言葉足らずで申し訳ないが、そういうことです。なればこそ、私は貴殿の問いの答えと、今からのことをお伝えせねばならない」
「は――、い」
自然と背中に力が入り、背筋が伸びる。ぎゅう、とみぞおちを掴まれる様な、苦しさを感じて、そこでやっと自身が緊張していたのだということが分かった。
ただ座っているだけなのに、呼吸が浅くなっていく。
――怖い。
――逃げたい。
――嫌だ。
この威圧感はなんだろうか。
なぜこんな思いを、私がしなければならないのだろう。
「結論から申し上げる。貴殿が元の世界に戻る方法は、何も分かっていない」
「――――っ!!」
眉一つ動かさず、何でもないことのように言われてしまった。
相手の言葉を頭が理解した瞬間、奥歯がぎりりと音を立て、鈍い痛みを感じる。
平然と言い放たれてしまったが、かといって悲壮感いっぱいに言われたところで事実は微塵も変わらない。
相手がどんな気持ちで、どのような対応をしようが、キョウが置かれた状況に変化は起きないのだ。
多少なりともこんな状況に置かれた自分の心情に配慮してくれ、と思いはしても、それはキョウの言い分であって、相手が配慮したいと判断しなければ意味は無い。
されないということは、相手にとっては必要が無い程度の存在と認識されているわけなのだ。
「そもそも、召喚の儀は物を寄せることのみに特化しており、還すという考えがない。従ってそのための技術も考えられていない。召喚すればそのままという、極めてこちらの都合に良い理屈で成り立っている。それもそのはず、これまで異世界から手に入れた物で、還して無かったことにしたい、と思ってしまうほど、世界に悪影響を与えうるものが無かったからだ。あっては困るものが出てしまえば、世で流行はしない。もっとも、民が活用方法に気づいておらず埋もれているものは当然あろうがね。ともかく、たった一つで生活や価値観を一変させるものが民の間に広まれば、国は儀式の規制や形式化を命ずるよ。けれどそうなっていないことが、召喚儀式の重要度が高くは無い表れとも言える。あくまで娯楽、遊興に属するもの。加えて、貴殿は理解っていないし知らぬだろうが、この世界では魔法を使えど、生きた人間を別地点から召喚することそのものが不可能なのだよ。ましてや、異世界からの人間であれば、尚のこと有り得ない」
滔々と言葉を浴びせられ、その勢いに流されまいと堪らずキョウは口を開いた。
「――でも! 私は実際に」
「そう、貴殿はここに存在している。有り得ないことが起こってしまっている。昨晩は特別な術式も特別強い力を出したわけでもない。月もいつもと変わらず、ただの、どの村でも行われている有り触れた祭事で、ことは起こった。――起こってしまった」
顔色も表情も変わらないまま、けれど最後の一言、不意にアトゥルから紡がれる音が低くなる。合わせて、周りの空気まで重くなったと錯覚する程度には息苦しさが増した。
キョウは、こらえるように膝に添えていたうちの片手をみぞおちに押し当てる。
それでも視線は外さなかった。逸らしてしまえば、ニ度と合わせられないと思えてしまったから。
どれほど威圧を感じても、空気が重くても、見るべき相手を見ずに逃げをうつのだけは我慢ならなかった。ただの意地である。
なぜそんな意地になっているかといえば、先程有り得ない、不可能だと何度も言われ、心の奥でふつふつと滾り始めたものがあるからだ。
「もともと、召喚の対象は貴殿の所有物のいずれか一つであったはずだ。それが、何が原因か分からぬが、貴殿含め他のモノも纏めて此方に来てしまっている。重ねて言うが、キョウ殿は召喚の対象ではない。召喚物として村人が望んでいない上に、呼べるモノでもないからだ」
「そんな……、ついでの、貰い事故、みたいな」
「実際そうであるよ。巻き込まれた形ではあるが、儀式の目的からしてみれば貴殿は"ついで"の"おまけ"なのだよ。そして、そんな有り得ぬことが起こったのならば、調べねばならないが、現時点で要因も理屈も分かっていない以上、出来るとは言ってやれない。魔道に身を置く者の端くれでしかない私だが、それでもこれは断言できる。――貴殿を還す方法は今は無いと」
冷静な紅色の瞳がキョウを映している。
希望を持たせるものでも、慰めとなる言葉でもなく、ただ事実であると告げてくる。
こちらの心情を斟酌しない物言いは、鋭さがあるからこそ余計に真実味があった。
かみ締めた唇の端が震える。目頭が熱い。
「それ――でも、」
だがキョウは、認められなかった。
そんなこと認めてしまってたまるかと胸の内で喚き、外にすこしだけ零した。――零れてしまった。
「――それでも、私は帰りたい、です」
アトゥルやノルトが言う異世界の召喚あれこれの実情は分かった。告げられたことがどれだけ事実で正しいのか、判断材料が乏しすぎる状態ではあるが、ここでキョウを騙したとしても、この二人にどれほど利があるというのだろう。
だから、キョウは得た情報をそのまま受け止めた。それしか選びようが無かったともいえる。
キョウには、約束があった。
くだらない、勝手にしろ、私たちは関係ない、迷惑だけはかけるなと親には切り捨てられた願いだったが、大切な約束。
キョウを大事に想ってくれた、愛してくれていた人たちとの約束がある。だからどうしたって、何があっても、帰りたい。
あの約束を蔑ろにするのは、あの人たちを蔑ろにすることで、それだけは絶対に許せないことだった。
「帰りたい理由があります。帰らなければならない約束があります。お願いします。何か道はないでしょうか。手立てを探すことすら、できないのでしょうか」
還せないと言われ、絶望で身体が震えたのではない。目頭が熱くなったのも、悲しさからではない。
――ふざけるな。
――そんなこと認めない。
自分にできることの有無など度外視して、強く思う。
――私が帰りたいと思っているのに、やれないなんておかしいだろう。
世界の理不尽さや人の無力さを理解しつつ、それと平行して矛盾する思考をしている。おかしいと分かっているが、感情の発露は自然なもので、誤魔化しようがない。
キョウの身の内を渦巻くのは、怒りと屈辱である。
有り得ないと言われた。
ついでだと言われた。
おまけだと言われた。
ああそうかい、理解したよ。予想外に来ちゃって悪かったな。自分は招かれざる者、厄介者ってわけなんだろ。
――ふざけるなよこのやろう。
胸の中の激情をそのままに、けれどアトゥルから目を逸らさず、顔を歪めながら叫びだしたい気持ちを押さえ請う。この場で今のキョウにできるのはそれくらいしかない。
頭を下げると、脚の上で握り締めた拳が見える。やるせなさで震え続けるのが、惨めさを際立たせるようで自分自身に嫌気が差した。可哀想がっていたところで、奇跡なんて起きやしないのだから。
下げた頭を戻す。希う側でありながら、険しく叩きつける勢いが乗ってしまったのは、ただキョウに様々なものが足りないからである。
こんな事態に慌てず対処できるほどの知識も経験も積んではいない。
学生という立場くらいしか得たことがない。
十六年と少しの人生では、子供だからと侮られたことの方が多い。
こんな時に、大人であれば、もっと落ち着いていられるのであろうか。
自尊心を踏みにじられるような状況も簡単に受け入れて、順応できるのだろうか。
そんなこと――御免こうむる。
「――それに、私が召喚されるというあり得ないことが起きたのなら、還すというあり得ないことがやれたって良いはずじゃないですか……!!」
表面上敬語の形式をとったものの、発するキョウの心情は罵る一歩手前である。言っている内容も、無茶であるのは分かっている。だが退くことを考えてしまえば、きっとキョウは諦め続けの人生をこれからも選んでしまう。
他の何を諦めても、これだけは譲れない。
あの約束だけは、キョウが死なないで生きるために、必要なもので、今までずっと支えにしてきたものだからだ。
「私は帰りたい。帰ります。諦めたくない。だから――、アトゥル・スパースさん、貴方に要請します」
言葉が、きちんと翻訳できているように、身の内に宿ったという精霊に願う。
キョウが想定しているよりも脅迫めいた意味だったり、軽いお願い程度になっていては、駄目だ。
「私が私の世界に戻るための手立てを得るために、協力して下さい。支援を要請します。……助けて、下さい」
アトゥルから視線を逸らさずにいたため、片や冷静な観察の気配を宿す紅と、片や泣くのをこらえ睨み付ける黒という状況になってしまっている。
キョウの言葉を咀嚼したのだろう、アトゥルは両膝の上で両手の指を組ませた。
「……ふむ、『手立てを得るために』か。不思議なことを言う御仁だ」
やはり無理だ、無謀だと断られるだろうかと身構える。この世界の常識を分からないがゆえに、キョウは自分本位のことしか言ってない。
それはアトゥル達からすれば、常識をひっくり返すほどの暴言足りえたのかもしれなかった。
「その上、『私が』か。さて、まことにもって奇怪だな。私もこう返ってくるとは思っていなかった」
「アトゥル様」
「口出しするなよノルト。我らが願いもやることも、変わりは無い。キョウ殿の願いはそこに一石投じるものにはなれど、道を変えるほどには成りえんだろうさ。だが――さて」
咎めるように発したノルトの一声を、けれど一瞥して黙らせたアトゥルは、これまでの冷静な表情から一変し、面白いものをみつけたといわんばかりに――歪んだ。
「自分で成すというその気概、本当に立派なものだ。他人任せにせず己の身は己で――そうだな。人はそうでなくてはならん。しかしだ、『手立てを得るために』と貴殿は言うが、いったいどうするつもりなのだ? ここは貴殿のいう『異世界』だ。社会基盤も、歴史も、社会通念も持たぬし知らぬだろう。召喚しておいて私が言うのもなんだがね、まさに貴殿は僅かばかりの持ち物だけで、身一つで放り出されたようなもの。そんな状態で、何の確証があってことを成せると思っているのか」
「っ、それ……、は」
まさかそういう返しがくるとは想定していなかった。できないと頭ごなしに否定されることは容易に想像できていたが、やるならどんな方法を持っているのかと、やや皮肉交じりに言われている。
ただ否定してくるよりも、これは面倒な手順を踏むことを好む相手であると、――直感する。
返答に困り口ごもるキョウを視線で舐めまわし、アトゥルは笑っている。
「提案をする上では、それをするに至る前提の情報や条件があってこそ初めて提案足りえる。何の手札もなく、こうなれば良いという希望のみは提案ではない。それはただの夢だ。そして夢に対して支援要請をされた所で受諾はできん。主体として動く存在がなければ支援しようがないからだ」
お前の言っていることは子供の絵空事だと、言葉で殴られたような気分だ。
具体案を出してみろと言外に言われている。
「働き口は、……ありませんか。この世界を知った上で、それでも私は――」
「『働き口』な。さてどんなものを想定しているのだ? キョウ殿は体つきや手を見る限り、漁や猟、農に携わる民では無かったようだが、元の世界ではよほど一芸に長けていたのかな? かなりの才があったならば、何処の誰とも知れぬ者であれ、近隣の村々で仕事は得られるだろう。あぁ、大きい街までいけば才が無く身元不明とも日銭は稼げよう。ただやれそうな都市はいかんせんここからは遠いところばかりであるが――」
何か計っているのか、アトゥルの瞳がゆるく伏せられ、視線が横に流れる。
投げつけられた言葉の数々に口をかみ締めるが、だがそれでも、とキョウが口を開こうとすると、遮るように言葉を打ってくる。
「加えて言わせてもらえば、貴殿の持っていた車輪の器、あれを道で走らせるのはおすすめしない。近場の都市に着く前に数日で駄目になる。壊したいのならば、止めはしないがね」
「――なぜ、ですか」
アトゥルの言い様に、少しずつキョウの眉が寄っていく。
どうしてだろうか、この女性は妙におかしな言い回しをさっきから選んでいるように思えてならない。それとも意図せず素でこれなのか。それはそれで、この女性を師匠と呼んでいるノルトは面倒この上ない人の下についていることになる。
ノルトはアトゥルに比べれば随分と友好的に思えるが、しかし上司がこれではあまり期待もできそうにない。
「軽く視ただけだが、あれは道に耐えられんよ。強度が足りん、軟すぎる。私の知る召喚物のいくつかに共通する条件と合致するが、キョウ殿の世界には精霊や魔法は無いのだろう?」
「はい……無いです」
神の力だ霊力だという信仰分野があるのは知っているし、世界中の『御伽噺』や宗教ネタには槍でこねて島を作るだの海を割るだの神の加護で特定部位以外無敵人間を作り上げるだのあるが、少なくともキョウ自身は先程ノルトが見せたような現象を他には知らないし、体験したこともないので頷いておく。
アトゥルは合点がいったとばかりに何度か首を縦に振った。
「やはりな。キョウ殿の所持していた物には精霊の気配も魔力含有も感じなかった。となれば、キョウ殿の世界のものは全てこの世界のものより脆いと推測できる」
「そんな、こと」
「あるのだよ。そういうことになっている。これは私も何度か試したが故に分かる。精霊や魔力を微塵も感じず弾きもしない世界のものは、皆例外なく弱かった」
言うなり、アトゥルは役者めいた仕草で組んでいた手をほどき、手のひらをキョウに見せる形で腕を開いた。
その表情は、変わらずずっと笑っている。
「もっとも、余程腕に自信があるならば、足でかけて幾日にも及ぶ街道旅の途中で野盗や外獣に襲われようが、ことごとく返り討ちにできるだろうがね」
お前はどうだ、と紅の瞳が哂っている。
そんなこと、分からない。いや、やれはしないだろう。
キョウはただの学生で、申し訳程度の護身術しか学んだことはない。小指をひねるとか、間接の筋を違えるとか、身体の真ん中から線を引きそこを狙うとかその辺りは知っているが、知っていることとやれるかは別だ。
姉弟喧嘩で頭に回し蹴りをしたり胸を掌底打ちをするのとは訳が違う。
第一、通り魔に襲われたときのもっとも有効な手段は、助けを呼びながら全速力で逃げろなのである。どんなに訓練した人間でも、死にたくなければ武器を持った相手からはひたすら逃げろ、である。
普段から運動はしているので、同年代と比べれば体力測定の結果は上位といえるかもしれないが、所詮はその程度だ。
右も左も分からぬ場に放り出され、手段が無い。
相手に価値ある回答を、今のキョウは提示できない。
どうする、どうする――、
ぐるぐると頭の中を言葉が回る。焦りを持ったまま、口を開いた。
「――貴女は、非難は自分にとおっしゃいました。なら協力を願うのは、いけないのでしょうか?」
「言ったな。だが貴殿が望むとおりの対応をする、と確約したわけではないが?」
「――っ!」
こともなげに言われ、思わず言葉に詰まった。確かにそうだ。詰るのは自由のようだが、責任を取るとは言われていない。
キョウの存在は、アトゥル達からみれば望まぬ来訪者なのである。
今回の召喚の原因を調べるとアトゥルは言ったが、調べるためにキョウの存在が必要ならばこんな話の流れにはなっていないだろう。
つまりは、キョウ自身に価値は見出されておらず、場合によっては最低限のものを与えて、放逐される可能性もあるのだ。野垂れ死にしようがどうしようが構わないと、存在を望まれていないならば、そんな判断もありえる。
かみ締め過ぎて、再度唇から血の味を感じる。
自分の価値を示さねばならない。
世界の理も分からない場で、追い詰められた場で、お前は何ができるのだと問われている。
才を、覚悟を、技術を、意志を、アトゥルにとって価値があると示さねば、道はぷっつりと途切れてしまう。
願うだけではただの夢だと言い切られた。
あぁ確かにそのとおりだろう。だがしかし、願いを夢で終わらせないだけの手立てを、どうやって――今ここで示す。
今のキョウに、何ができる。何がやれる。
腹の奥が熱い。怒りだけではない、ぐわりと湧き上がるソレを必死で抑える。気を抜くと、全身の血が沸騰してしまうような錯覚すら覚えたからだ。衝動に任せて口を開けば、とんでもないことを言ってしまいそうだったのもあるが、なぜだかそれをしてしまえば、酷く怖いことになりそうな、漠然とした予感があった。
相手に何かされるのではない。
自分の身に何かが起きてしまいそうな、根拠の無い妄想の類。
理由は分からないが、それはまだ駄目だと、頭のどこかでなにかが警鐘を鳴らす。
「――もう、良いでしょう」
今までずっとアトゥルの横で黙っていたノルトが声を上げた。