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ついでの召喚物  作者: 湊 恵
第一章 魔法と精霊
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 11月の夜空の下、きょうはいつもどおり自転車で帰路をひた走る。

 行きと帰りの最難関である大橋を立ちこぎで上りきり、アーチ最上部で冷えきった強風にあおられながらも足は止めないまま、今度はスピードを出し過ぎないように注意しつつ下っていく。


「さっむ」


 制服の下に着込んでいるジャージのズボンのおかげで寒風からくる冷え対策は出来ているものの、そろそろコートを出すべきかなと考える。

 歩道と車道の段差でかごの中のスポーツバッグやリュックががちゃがちゃ音を立てるが、気にせずに交差点を曲がり、住宅地域に入っていく。

通り過ぎる公園の時計を視線で捉え、19時50分といつもと変わりないタイミングに安堵した。


(間に合った。ご飯なに作ろうかな)


 自分用として宛がわれている冷蔵庫の中身を思い返しながら、今日も卵かけご飯に野菜の切れ端をとにかくたくさん入れたお吸い物かなとメニューを決めていく。

 身の丈より少し高い土塀の続く道に入り、響は自転車から降りてから山門をくぐって自転車を押していくが、所定の位置に自転車を仕舞う直前、視線の先によく知った黒い影を捉えて、その場に愛車を置き影に向かって近寄った。


「トロ! また外に出されちゃってる!」


 駆け寄ると同時に防犯用のライトが点灯し、響と、トロと呼ばれた黒い影――市之瀬家の飼い猫――を照らした。響の発した内容を理解したのかしていないのか、寄ってくる響を見上げながら猫はその場にごろんと横になると、ぐねぐねと地に身体をこすりつけながら腹を向けて、にゃあと低く鳴いた。


「砂だらけになっちゃうよ。トロー、おいで。」


 なおも地の上でうねるのを止めない愛猫を両手で抱きかかえ、その身についた砂をなでて落としながらトロの両前足を肩に乗せ、その首元に鼻先を寄せて顔を埋める。トロの方も、響に向かってぐりぐりと頭をこすり付けて盛大に喉を鳴らし始めた。


「ほんと、あの人ら私の注意聞きゃしない……」


 耳元でごろごろと鳴る猫の喉の音を堪能しながら、もう何度目になるのか分からない愚痴をこぼす。視界を埋める黒い毛は、防犯用の灯りの下で、砂粒とほこりのせいかその輝きがかげっていた。


「トロただいま~」

「ぅるにゃん」


 ぐるぐる、ごろごろと鳴る音に耳を預け、響はほうとため息をついて肩を落とした。


「トロは悪くないのにね~……、は~トロ可愛いね~可愛いね~いい子だね~……癒される~~」


 他人が見れば不審かつ不毛なやり取りであろうが、ここはもう市之瀬家の敷地内であり、誰の目も無いのだ。しばし毛や匂いを堪能しつつ、トロを抱きかかえたまま自転車の場所まで戻り、片手でかごの中の荷物を取ろうと手を伸ばす。


「寒いねトロ……おうち入ろうか……」


 すりすりと猫に頬ずりを繰り返し、響は止まぬ愚痴をこぼし続ける。


「自分の欲のためにしか扱わないんだよなぁ、あの人たち。外に出すなって言っても理解できないしないする知性が無い……ってほんと、情けな」


 瞬間、身体に走った寒気に全身が跳ねる。

 腕に抱いていた愛猫は尻尾をぱんぱんに膨らませ、顔をくしゃくしゃにして耳を倒し、響のブレザー越しの腕に爪を立てしがみついていた。

 まるで、背中を鋭い氷の切っ先でなでられたような気がした。

 分からない、わからないが、なんだかこれは――


「トロ、行って!!!」


 ヤバイやつだ、と身体が訴えている。

 とにかくこのこを逃がさなければという思いが先に立ち、愛猫を腕から無理やり外し放るように手放す。手から離れる際、出されていた爪で手の甲に赤い弧が幾筋か浮かんだ。

 トロはシャーッとある方向に威嚇をしながらも響の腕に縋ろうとしていたが、放られ、空中で綺麗に向きを変えると、全身の毛を逆立てながら響の足元に向かって唸った。

 すると、ぐらりとめまいに襲われた。視界がゆがみ、世界が回る。立っていられなくなり、手を伸ばして自転車に縋るが、サドルに触ったはずの手のひらも、足元の感覚もあやふやだった。


――空気が重い。苦しい。


 身体中で暑さと寒さが渦巻いている。全身がじりじりと小さい何かに引っ掻かれているみたいだ。気持ち悪い。引っ張らないで。痛い。

 口腔内に溜まった唾液が苦い。でも喉が上手く動かない。飲み込めない。吐き出そうにも唇すらまともに動こうとしてくれない


「なん、……で」


 やっと開いてくれた唇から、だらだらとよだれが垂れる。

 夜なのに、足元から光が流れ、周りが真っ白に染まる。

 気が遠くなる寸前、視界の端にトロを捉えた。愛猫は、全身を膨らませながらも逃げ出しはせず、響の足元に向かってずっと威嚇をしていた。


(とろ……逃げ、て)


 愛猫の怒り狂ったような甲高い鳴き声を最後に、響は白い輝きに呑まれた。

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