序幕
空には二つの月があった。
足の甲を覆う程の丈を持つまだ若い草が、いびつな轍を残すかのように道の脇と中央に茂っている。夜露を乗せ始めた草々を散らし、その道を必死に走る少女の頭上で、輝く白と、光を放つ黒くまるいものが後を追う。
途端、少女は横っ飛びに跳躍した。その高さは優に大人ひとり分。そして少女の足が地から離れた一瞬あと、空中に回避していた少女の胃の腑に響くほどの衝撃を与える音が響く。
少女は弧を描きながら広々とした畑の中に勢いはそのまま、ごろごろと転がっていく。が、すぐに起き上がると先程までとは方向を変え、強く地を踏んで駆け出していった。
少女が踏んだ後の畑には、踏んだ際に出来たのだろう土が押しのけられた跡には、人が丸まって入り込めてしまうほどの穴が、数メートル置きに出来ている。
――そして、少女が先ほど飛びのいた場所に、こちらは大人五人が車座で座れる程の穴があいており、道を完全に潰していた。その穴から、黒く大きな岩と見紛うものが這い出てくる。
二つの月光に照らされたその姿は、少女の世界で言えば羆と呼ばれる生き物に酷似してはいたが、その身のあちこちに光を反射する鉱物らしきものを付着させている。
羆は、巨体で穴を崩しながらも身を出し終えると、少女が走り去った方向に顔を向けひくりと鼻を動かし、土を大きくえぐりながら、先の少女と同じ方向へ動き出した。
(ちくしょうちくちょうちくしょう……!!)
少女は思考する。立て続けに我が身に起こる不条理の原因を。
少女は苦悩する。このありえない、唐突にやってきた暴威に。
少女は足掻く。こんなところで終わるなんて自分で自分が許せないから。
少女は憤る。何故自分がおかしな不幸に合わねばならないのだと。
少女は決意していた。――私は、絶対に帰るのだから、と。
「こんなとこで、人生終わってたまるかぁぁぁぁぁ――!!」
後方から迫ってくる黒い殺意の塊を感じながら、キョウは吠えた。