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第22話「帰還」:A3

 静寂が包む図書室に、伊奈はいた。

 広げたノートとプリントの前に立てた安っぽいタブレットにイヤホンを差し、いまは社会の授業を受けている。

 これが伊奈に与えられている教育の実態だ。


 教室で他の生徒と一緒にいれば和が乱れ、生徒の態度が悪くなる一方であるが、義務教育である以上授業を受けさせないわけにはいかない。

 そうしてできた環境が、これである。

 授業態度の評価は3で固定され、ほとんどの評価は試験で下される。


(……今考えてみれば、ずいぶん狂ってるよ)


 大人たちもこれでずいぶん譲歩した方だ――とでも言うのだろう。

 地方の公立中学校という予算も少ない場所で、わざわざ一人の生徒の為だけに特別な環境を与える。

 彼らにとって特別な支援を要する子供と同様なのだろう、伊奈は。


(そのくせ、親には個人の性格に合わせたとか、いじめが起こらないようにとか言って……)


 要するに体のいい隔離である。後者に至っては隠せていないと思う。

 不満は募ってばかりだったが、少し落ち着いて考えてみればこれが妥当なのだろう。

 そのまま同じ教室に置いていれば、いじめが起こり生徒の素行が全体的に悪くなる。それは学校側としても避けたいはずだし、伊奈も被害を受けたいわけではない。

 ならば、「瞳が持つ魔力めいたものに狂わされている」と表現するには、少しくらいは寛容であるように見える。

 こうしていくらか理性的に見られるようになったのも、あちら側での経験のせいだろうか。

 もっとも、納得できるかと言われれば別だが。


『じゃあ、ここでプリントの左下を見てください』


 授業に大して身が入らず聞き流していたが、それだけは妙に明確に聞こえたので指示に従う。

 どうやら世界各国の食料自給率に関するグラフのようだった。

 日本の自給率は年々下がっており、最近は技術の進歩で持ち直しているものの、現在も変わらず大半を輸入に頼っているという。


『人口の減少は今でも大きな課題となっています。人がいないと産業の衰退を招くだけでなく、働く人も大変になりますし、みなさんを含めた若者の負担も大きくなってしまいます』

『先生。もし輸入が止まったらどうなるんですか?』


 話が一区切りしたところを狙ってか、男子生徒が手を挙げて質問する。

 眼鏡をかけた、いかにも本の虫と言った風だ。

 伊奈に危害を加えていたわけではないが、見て見ぬふりをしていたという点では同じようなものだ。

 多少、印象は違うが。


『そうですね、お肉の少ない食事になると思います。牛や豚を育てる餌も多くが輸入品ですから、それに頼らないとなると、既に自給率の高い食事が大半を占めることになるでしょうね』


 教室が少々ざわつくが、教師はすぐに「すぐにそうはなりませんよ」と苦笑しながら補足する。


(……どこかで聞いた話だな)


 そう、あれはPLACEでのことだ。支給部を訪れた時に、このような話を聞いた覚えがある。

 ヒュレプレイヤーやPLACEの登場と開戦。それが世界各国を鎖国させ、世界の在り方を変えてしまった。

 同時にプレイヤー達はそれぞれの組織に徴用され、物資を生み出す仕事に就かされている――というのは、伊奈の勝手な印象だが。

 一方で、彼らの存在が豊かな食生活を維持していたのだろう。

 そう思うと、その力の大きさを改めて感じられる。


(いま、俺がプレイヤーだってバレたらどうなるんだろうか)


 周囲からの評価は変わるだろうか。

 救世主、とでも呼ばれるだろうか?

 もはや薄っぺらい自己肯定感しかない伊奈にとって、これ以上目立つのは避けたいし、万人に平等でいられる自信もない。

 そんな神のような立場になれるだろうか? いや、多分そうはならない。


(……道具にされて、一生モノを作り続けるに違いない)


 それはある意味で幸せな結末の一つかもしれない。

 誰にも迷惑が掛からない場所で、機械のように過ごすのだ。

 しかし疑ってばかりの伊奈にとって、それも現実味があるようには思えなかった。


(俺が死んだらどうなる? その前に延々子供を産まされるのか……?)


 幼いながらに架空の世界をいくつも見てきた伊奈ならではの発想だ。

 希少な能力を持つ者は、何らかの形で複製などの実験が試みられる。

 あくまで架空の話だからと言えるほど、伊奈のもつ力は常識の範疇にはない。

 自分の住む国の中枢すら、信用はできない。


(俺は、ここにいていいのか?)


 ふと、そんな疑問が浮かぶ。

 プリントに記された、科目を示す「社会」という二文字が、伊奈の視線を釘付けにしている。

 この社会、この世界において。

 自分は異物なのではないかと。

 境遇が、この目が、異世界での経験が。

 声のないものに、そう言われている気がする。


 しかしそれは、この現実から逃げてしまいたいという言い訳だ。

 この世界で抗うことをやめ、自身に合っているであろう環境への逃避。


(結局……嫌なことから逃げようとしてばかりじゃないか)


 逃げることは非難されること。

 諦念から生まれたその考え方はしかし、伊奈の中に反するものがあった。

 彼は異世界では、逃げようとはしたものの、逃げはしなかった。

 困難に向き合うことで、仲間を助け続けてきたではないか。


(それは、あっちの世界の話だ)


 あくまで自分は瑞月伊奈。

 帰る手段も分からないのに、あの世界を逃避先にはできない。

 そう思っているようだ。


(……あの世界、か)


 伊奈が思い悩む中でも、授業は進む。

 結局、苦しんだところで誰も待ってはくれない。


 それにいくらあの世界のことを考えても、いまいち自身のことのようには思えないのだ。

 出来の良すぎるVRゲームでも遊んでいたような。

 夢と断ずるには記憶がはっきりとしているが、自身がそこに確かにいたのかと言われれば違う気がする。

 AGアーマーも纏えるし、ヒュレプレイヤーの実体化能力もそのままだというのに。

 しかしこの違和感が、あちら側での経験を伊奈が実感できないようにしていた。


『――では、今日はここまでにします。来週は確か原爆資料館への社会見学ですね』


 沈んでいた意識が、教師の言葉で再び引き戻される。

 社会見学の話など初耳だった。

 伊奈にとっては数か月以上前の記憶だ、忘れていても不思議ではない。


『身近にある第二次世界大戦の痕跡をぜひ見てきてください。より授業内容の理解が深まると思います』

(……戦争)


 この世界では、最後の戦争から間もなく100年を迎えようとしている。

 伊奈のような若者にとっては、完全に想像上の出来事でしかなく、実感が沸かないのは仕方のないことだが。

 依然として紛争は世界各地で起きているし、見えていないだけ。目を背けているだけと言える。

 そんな国に生まれたからこそ、こうして悩む余裕もあるのかもしれない。

 言い換えれば、遠くにいる所縁もない他者のことを考えられるほど、伊奈は満たされていない。


 自分のことで精一杯なのに、そんな自分から逃げようとして、他者に目を向けてしまう、ということだ。


(あいつらも戦争を知れば、俺の目なんて……)


 そんなことを思い、伊奈は不意にその異常性に気付き、自身の肩を抱いた。

 いいわけがない。

 あの悲鳴は、苦悩は、孤独は、痛みは。

 平和の中で暮らしてきた人間が知ってよいものではない。

 しかし、痛みを知ることで否応なく人は変われるという点はあながち間違いでもないだろう。

 あるいは、伊奈ならばその火種を作ることができるかもしれない。


(……やめろ、やめろ!)


 現実に疲れた学生がするのとは違う。

 妄想では終われない。


(それで何人が死ぬ? 俺のわがままで誰が死ぬ?)


 ――この世界にそんな心配が必要な人間がいるのか?

 内側からの声は、ひたすらに伊奈を苦しめる。

 最終的には、そんな決断を下せないのをいいことに。


「……俺は」


 意識を無理やりつなぎとめるように、わずかに乱れた息と共に声を絞り出す。


(どうしたらいいんだ、俺は……)


 社会という楔、檻というべきか。

 そこに閉じ込められた無知な少年は、こじ開ける度胸も手段も知らない。

 ただ潰されて、静かに消えるだけなのだと諦めて疑わない。


『余裕があったら歴史の教科書の年表や資料集も見てみてください。それでは――今日はこの辺りで』


 定刻通りに鳴るチャイムに合わせて、教師が授業の終わりを告げる。

 イナも一応は板書を取ったノートを納め、次の授業科目の教材を鞄から取り出す。

 頭の中は、この苦悩をどう取り払えばよいかということで一杯だ。


 確か普段の伊奈は、架空の世界に入り浸ることで目を背けていた。


(アニメ……ネット小説とか……か)


 幸い、アニメの方は期間が過ぎた余り見逃してしまったということはない。

 伊奈の記憶力ならば、前回の内容を全て忘れたということもないだろう。


(少しずつ、取り戻せばいいんだ)


 そうすれば、自分はただの無力な人間に戻る。

 自分が苦しんで、それで終わればいい。

 消えても誰も困らない。あの夜に零した願いのように。




 変わらない、というより――彼は、止まっていた。

 苦しみ続けるのだとしても、行動を起こしてさらに苦しむよりもマシだと思い込んで。


 伊奈が本当に望んでいたのは、この世界なのかもしれない。

 あの世界での出来事は、それに気づくための幻だったのだろう。


 そう思うことでしか。

 過去の自分を否定することでしか、彼は前に進もうとはできなかった。


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