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第22話「帰還」:A2

 状況があまり飲み込めないでいるイナに、誠次は「まあ」と肩をたたいた。


「散歩の帰りだろう、家まで送っていくよ」

「え、いやその……」

「ここにいるのが不思議かい? いつも娘が世話になっているからね、たまには誕生日くらい祝いに来なければ罰が当たる」

「……なんか、すいません」


 ――ここにいる理由の説明にはなっていないと思うが。

 ともかく流されるまま助手席に座ったイナは、落ち着かない様子でシートベルトを締める。

 誠次も運転席に座り直すと、操作端末に触れて車に運転指示を出した。

 その画面に日時が表示されていることに気付いたイナは即座に確認し、現在が7月7日の夜、イナが家を出て間もない頃で間違いはなかった。


「受験生だから家でも居心地が悪いんだろ? けど、夜道には気を付けたほうがいい」


 イナの心中を見透かしたような言葉は、意外と不快ではない。

 それどころか不思議な安心感がある。

 大きく歳は離れているが、気のいい叔父のような。

 こうして会って話すのは滅多にない機会だったが、以前からこのような関係だったような不思議な感覚になる。


 しかしその一方で、小さな疑念が生まれていた。

 今まで誠次自身が赴いてイナを祝いに来るなど、一度もなかった。

 それが今年になって来るのは、何か理由があってのことだろう、と。


(……さすがに、あっちの世界のことは関係ないか)


 少し思考が偏って鋭敏になっていることを反省していると、早くも車はイナの家の前にたどり着く。

 そもそも近所を歩いていたのだ、そうそう時間がかかるものではない。


「じゃあ、その。ありがとうございました」

「ああ、伊奈君」

「……はい?」


 シートベルトを外していると呼び止められ、イナは顔を見上げる。


「娘はあれでなかなかできた子だと思っているが、幼さゆえに暴走するきらいがある」


 まさか、チカの本性を知っているのか?

 反射的にイナはそう思ってしまったが、子を長く見ている親ならば普通に言いそうな台詞だ。

 今一度敏感になっている自分を戒める。


「君に手綱を握ってほしい――というのは、少し重いかな?」


 ちらと見ると誠次は微笑みを浮かべていたが、瞳は真剣だった。

 しかし、イナに即断できる力があるはずがなく。

 目を泳がせて、あからさまに困惑の様子を見せていた。


(それって、俗に言う「娘を頼む」ってやつだろ。チカは多分俺のことが好きだけど、俺は……俺は?)


 自問しても咄嗟に答えは出ない。

 出せなければならないはずだと勝手に自分に圧を加えるが、理性がそれを許さない。

 それほど大事なことだとわかっているからこそ、簡単に答えを出してはいけない――言い訳をするように、そんな声が心を埋め尽くす。


「まあ急ぐことでもない、余裕があったら考えてみてくれ。最後に決めるのは君だ」

「……はい」


 答えが出せなかった自分を恥じながら、イナは安堵している自分がいることに気付く。


(……情けない奴)

「引き止めて悪かった、今度またプレゼントを贈るよ」

「いや、悪いですよ」

「ま、そう言わずに。――と、瑞月さんには適当に言い繕わないとか。一緒に降りるよ」


 エンジンをかけたまま、誠次も車を降りて瑞月家の玄関へ向かう。

 隣に誠次がいるのが、イナを何か悪いことをしたような気分にさせて落ち着かない。

 事実、夜に無断で家を出たのはちょっとした悪事だが。

 誠次がインターホンを鳴らして間もなく、パタパタとスリッパを履いた足音が近づいてくる。

 出てきたのは、母の瑠羽だった。


「あら、どうも悠里さん。って、伊奈……?」


 ばつが悪そうに視線を逸らすイナを守るように、誠次が一歩前に出て口を開く。


「娘のことで少し話があって、仕事帰りに合わせて玄関先に出てもらっていたんです。ご心配をおかけしてすいません」

「いえいえ、こちらこそ……」


 何があったのかをいまいち把握できず、少しばかり困惑の色を見せる瑠羽。

 どうやらいつ外出したのかは知らないようだ。

 それならば、イナの外出時間はかなり短く錯覚させられる。


「あの、息子が何か……」

「ああいえ、娘がいつも助かっているので、そのお礼を」

「助かって……?」

「ええ。娘も難しい年頃でして、彼のような存在は本当に支えになっているんです」

「あら……そうなんですね」


 息子が迷惑をかけたのではないかと心配していたのだろう、瑠羽は意外そうな顔をしながらイナの方を一瞥した。

 イナとチカが連絡を取り合っていることは知っているのだろうが、詳細まではその限りではない。


「伊奈君さえよければ、これからも仲良くしてほしい――と」

「ええ、ええ、こちらこそ。千佳ちゃんいい子ですから」


 話に混ざれるわけでもなく居心地悪くなっていたところ、ふと上げた視線がまた誠次と合う。

 わずかに頷いた気がして、イナは軽く会釈をして家の中に入っていく。


「ああ、伊奈。ちょっと」

「いいんです、少し疲れていたようですから。今日は休ませてあげてください」

「はあ……」


 瑠羽も思い当たるところはあるはずだ、それ以上イナを引き留めようとはしなかった。

 言いようのない罪悪感に襲われるも、イナは本来の目的を思い出して足早に自分の部屋へ向かった。


 PCの電源を入れ直す間にスマートフォンを手に取れば、見計らったかのように通知が届く。

 差出人は推測するまでもなかった。


《2043/07/07 21:24 千佳 さんのメッセージ:

 伊奈》


 自分の名前が書かれただけの、簡素なもの。

 時間は現在時刻と一致している。

 その上、イナの予想は外れていないようで一安心した。


 すぐさまアプリを起動して返事しようとすると、チカの方がメッセージを作成している途中であると表示されていた。

 どうやら、何をどう伝えていいかが分からなかったのだろう。


(……でも、離れても俺のことが分かるんなら、記憶を確かめる必要はないはずだ)


 現実に戻ってきたという認識が、非常識な事実を否定しようとしてくる。

 イナとて未だに信じ切れてはおらず、これもあくまで推測に過ぎない。

 ならばひとまず取るべきは、無難な会話。


《どうした?》


 返事はなく、入力中であるという表示がやたらともどかしい。

 そこでイナは、珍しく察しの良い仮説が思い浮かんだ。


(……話しづらいってことか?)


 仮にそこにいるチカが異世界で再会し助けた彼女と同一ならば、いくらその場で和解したとしても、後ろ髪を引かれるような感覚があるのだろう。


(でも、確かめるにも傷をえぐることになりそうだし……違ったらひたすら痛い奴だろ)


 幸い、連絡が取れているということは彼女も命の危機にあるというわけではなさそうだが。

 それすらも今はあまり触れるべきではないだろう。

 イナと状況が同じなら、最後に残っている記憶はあの時のもの。

 悪夢から目覚めたばかりの彼女に、それを思い出させるようなことはするべきではない。


 が、それが定かでないのだから、どうすることもできずイナは机に突っ伏す。

 その矢先ようやく、チカからのメッセージが送られてきた。


《全部、覚えてる。傷も、残ってる》


 傷。

 イナは無意識に自身の胸に手を当てていた。

 彼女にも残っているのだ、イナと同じものが。


《何かあったら、すぐに呼んで。今度は間違えないから》


 文章ゆえに、彼女がどのような面持ちでそれをしたためたのかは知る由もない。

 しかしそこからは、彼女の心境の変化が読み取れた。

 その一方で、まだ不安定さをうかがわせているようにも見える。

 ゆえにイナは、少し考えてから短く、文字を打った。


《わかった》


 彼女のことだ、イナが何を考えていたのかはお見通しなのだろう。

 どちらからともなくそれ以上の会話は続かず、イナは背もたれに身を預けて息をついた。

 椅子の軋む音も不思議と懐かしい。


(……そういえば、明日も学校なんだっけ)


 ふいに思い出すと、気が重くなった。

 まがりなりにも戦争を体験したイナからすれば、中学生の生活など無価値に思えて仕方ないだろう。

 ただでさえ、価値を感じていないのだ。

 しかし昨日までの経験がどんなものであっても、相変わらず受ける精神的な苦痛には関係ない。

 痛みは痛みだ、比べようもない。


 あるいは、重いストレスのあまりAGアーマーを展開して、生身の人間を傷つけるような事態に陥るかもしれない。

 エイグの戦闘には慣れていたが、初めて敵のエイグの腕を弾き飛ばした感覚と悲鳴は確かに残っている。

 万が一を想像してしまうと、余計に鮮明なものとしてよみがえる。


(バリアが生身で展開されたら、それこそ……)


 拒絶の際に、反射的に振り上げた腕が、もしも。

 もしも――噴き出す鮮血のイメージが離れず、咄嗟に自身の肩を抱く。

 今までにそんなことはなかったが、それはあくまで仲間に囲まれた安全な環境下にあったからであって。

 イナにとって敵しかいない学校の中で、それが起こらない保証はない。


《休んで、いいんだよ》

「……ッ」


 それが声ならば恐る恐るといった様子で、チカがメッセージを送ってきた。

 彼女の言葉は暖かく、凝り固まったイナの心をほぐそうとしてくれる。

 しかしそれが許されるイメージができず、イナはその言葉を受け入れきれない。


《いろんな心配があるかもしれない。けど、どうなっても私はイナを支える》


 その一言で、イナは自身の中にある感情が明確になった。


 怖いのだ、彼女を信用するのが。

 彼女にすがり、背中を預けて、しかしいつかふいに消えてしまったら。

 そんな拭えない不信感があるのだ。

 無意識に依存しながら、意識的に依存することはできない――といったところか。


(あんだけ自分で言ったくせに、かっこ悪い……)


 思えばずっと、そうだったのではないか。

 自分がどうすべきか、他者がどうすべきかはなんとなくわかっているというのに。

 いざイナ自身がその言葉通りにできているかと言われれば、甚だ疑問である。


《少し、考える。チカも俺のこと気にしないで、休んでくれ》


 そう言って遠回しに距離を取るのが精々だった。

 本来、今後のことを考えるうえで彼女の言うことに耳を傾けるべきではあるのだろう。

 しかしイナは、否、チカも同様にまだ心の整理ができていないはずだ。

 自分に言い訳をしていると、チカからの返事が届く。


《わかった。伊奈も休んでね》

《ん》


 端的に返事をして、切り替える意味を込めて会話アプリのウィンドウを閉じる。

 どっと疲れたような気がして、イナは大きく息を吐いた。

 そして思い出される、チカの父・誠次の言葉。


(こんな風に避けてるのに、チカを背負うなんてできるのか……?)


 もしくは、互いに背負い合うか。

 そのどちらも、イナには気の引けるものだった。

 自分のような面倒な人間を背負わせるわけにもいかないからだ。


(たぶん、チカは俺でも良いって言うんだろうけど)


 自分がそれに応えられない。

 彼女の大きな愛を受け止める自信がない。

 彼女に愛想を尽かされる可能性もないとは言えない。

 チカがダメでも次の相手を探せばいい――と言われたとして、すぐに切り替えられるイメージは湧いてこない。

 すべて、イナの経験不足に由来しているのだが。

 それを自覚したとして、彼は前向きになれる人間でもない。


 ふと、視線がカレンダーに移る。

 明日は7月8日。

 ただの学生である瑞月伊奈は、普段通りに登校することになる。

 普段通りというのが、他の人間に当てはまるのかはともかく。


(……風呂は入った(・・・)んだっけか)


 異世界の出来事を省いた『伊奈』はそうだ。

 なるだけ自然に過ごさなくてはと考えるあまり、既に自分に無理を強いているが、彼がそれに気付く余裕はない。




 彼は非日常の戦いを経てなお、変わっていなかったのだから。



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