第20話「立ち止まる少年、駆け出す少年」:A4
「で、どうするんだ? どうすれば、お前を止められる」
鼻をすすりながら立ち上がり、イナは赤くなった目元を拭いながらチカに問う。
彼女は自身を抱くように腕を組み、少し考えるようにしてから口を開いた。
「私がもう一度、私の中に入って本能を抑え込む。イナには、その為の隙を作ってほしいの」
「よくわからないけど、できるんだな」
チカが頷く。
面持ちには焦りや不安が窺えるが、そもそも不可能であれば言葉にもしていないだろう。
「……あの、ごめん、少し話が逸れるけど。お前はどこまで知ってるんだ? この世界で起きてることとか、真理? みたいなこととか……」
そこでようやく、イナが問いを投げかける。
わざわざ理性と自称するのだから、単にチカの幽霊というわけではないことは、発言の端々からうかがえる存在のズレのようなものからしても明らかだ。
「ごめんね、イナの知りたいことは知らないの。私はただ悠里千佳っていう人間を動かすのをサポートしたり、それを記録したりする機能みたいなものだと思って」
「脳、みたいな……?」
「というより、脳を動かすOSとか、リモコンとか……かな。ぴったりの言葉は見つからないけど、イナにもあるよ。普段は意識できないだけで、ちゃんといる」
イナは答えを聞いてもいまいち理解が出来ていない。
ひとまずはリミッターのようなもの、と解釈した。
しかし人間の普段の言動が理性によって成立しているのならば、付随しているのは本能の方ではないのだろうか。
まあ、あくまで理性本人がそう言うのだ。深く考えても仕方ない。
「まだ信じられないかもしれないけど、イナの言うシャウトエネルギーはちゃんとある。それが人間を動かしてるの。……とりあえずはそれでいいよ?」
「……なら、そうする。頭を使うのは俺の仕事じゃないから」
きっとミュウを始めとする研究陣に聞かせた方が、得るものも多い筈だ。
イナは思考を切り替えて、作戦の話題に戻していく。
「それより、あの赤いエイグを止めるどうこうの話だけど」
「大丈夫、イナが心配しなくても、向こうから来るから」
「……頑張って受け止める、と」
改めて言われればかなり無茶な話だとは思うが、女に見栄を切った手前、今更断ることもできない。
それに、断るという選択肢はもとよりないようなものだ。
「やれるだけのことはやるよ。今までだって、シャウティアが何とかしてくれたし」
「うそつき」
びくり、とイナの体が震えた。それは、イナがいまここにいる切欠になった言葉といってもあながち間違いでもないからだ。
誕生日の日にチカが発したその言葉は、この世界で死を受け入れようとした彼に、それが本心から来るものでないと明らかにしたのだ。
普段彼女が使いそうもない言葉と声音だっただけに、異様に印象に残っていた。
「そのシャウティアっていうロボットも、イナがいないと動かない筈だよね」
「……で、でも、ほとんどシャウティアの力に頼りっぱなしで」
「それでも、力をどう使うか決めたのはイナでしょ?」
「……それは、そうだけど」
これまでイナの戦いを見てきた者達も、きっと同じ感想を述べるだろう。
例えシャウティアを始めとするエイグ達が搭乗者をただの部品としか見ていないのだとしても、現状、エイグの稼働は人間に依存する部分がほとんどなのは事実だ。
「そんな力をちゃんと使えてるんだよ、それだけで十分」
「……けど、お前が乗ってたあのエイグはシャウティアより性能が良く見えた」
励ましに水を差すイナに、チカも苦笑する。
イナも別に、彼女を不安にさせたいわけではない。
あくまで謙遜なのだが、上手く言葉選びが出来ていないのだ。
「私も、その辺りの記憶は曖昧だから詳しく教えられないんだけど……シャウトエネルギーって、案外自由だよ」
「自由って、具体的には?」
「う~ん……極端なことを言うと、なんでもできる」
(……ん?)
再びイナは、どこかで似たようなことを聞いた気がしていた。
無意識に立ち止まり、どこで聞いたのかと記憶の海に潜り込むと、初めて自分の意思で戦うことを決めた時に、シャウティアのAIから言われたことが該当することに気づく。
その時AIは、丸腰のシャウティアに武器を求めたイナに「全部できる」と答えたのだ。
(あの時は無我夢中で、今もわりと直感でやってるけど……シャウトエネルギーでもそういうことができるのか? けど、それでも負けてるってことは)
「要するに、気の持ちよう」
「……ここにきて根性論かよ」
「人間って結局そういうものみたいだから。けど頼りきりはよくないし、ちゃんと休めなきゃだけどね」
思えば、イナが好んで視聴してきた架空世界の人間も、案外と根性論で状況を打開するという展開も少なくなかった。
だがあれはそれで解決できる構造設定がされた架空の世界であるから成立しうるのであって、現実で、自分がそれをやれる気は一切しなかった。
(……ってのが、既に負けてるわけか)
「確かに私の本能が持つのはまっすぐな意思だから、ほかに考えることのあるイナは勝ちにくいかも知れないけど……その為に、叫ぶことが大事なの」
「叫ぶのが?」
これこそ戦闘中、呼吸をするようにほぼ無意識にしていることだった。
ミュウの話を聞いた後であるため、それがシャウトエネルギーと無関係でないことは分かっているが、具体的にどのような関係であるかは定かではない。
「叫んでる時って、色んな迷いが一気に吹き飛んで、一つのことに集中できる。つまりその一瞬に、勝機がある」
「いいのか、一瞬で」
「一瞬でいいんだよ。エネルギーの生成は無限に近いけど、常にフルパワーで出せるようにはなってないから」
「水が湧き続ける泉から一気に水を抜いても、すぐに泉は満たされない……って感じか?」
自分なりの解釈を交えた比喩に、チカが頷く。
「そうだね。私はきっと無理をして来るだろうから、絶対にガス欠する。そこを突けば、私が入り込む大きなチャンスになる。エイグっていうロボットのことは詳しくわからないから、もしかしたら予定が狂うかもしれないけど……」
本人が言うのだから信じるほかないが、本当にうまく行くのか改めて心配になる作戦の曖昧っぷりだ。
ともかく、大筋は用意できた。要するにイナに丸投げ、いつもと同じだ。
二人はそのまま、複数ある格納庫のうちの一つの出入口に辿り着いた。
外から見て目立たないように地下を掘削して作られており、今は偵察隊の出撃・帰還があるために天井部分のハッチが展開している。
「シャウティアは確か、2番格納庫だから……ここか」
「……私も入って大丈夫?」
「ウロウロしなきゃ、大丈夫じゃないか」
空きっぱなしのシャッターを無防備だと思いながら、イナはエイグの胸の高さに合わせられた通路を歩き始める。チカも恐る恐るといった様子でそれに続く。
視野を広くして中を見れば、レイアの駆る赤紫色の高機動型エイグ『シフォン』やアヴィナの駆る青色の重装型エイグ『シアス』のほか、PLACE用に青と白にカラーリングされた一般エイグが数機並んでいるのが分かる。
その中でも、奥に立つひと際目立つ赤と白のエイグが、イナの駆るシャウティアだ。
「……どうかしたのか?」
「え、あ、ううん。なんでも……ないよ?」
シャウティアを見上げたチカが、明らかな動揺を見せる。
先ほどから不安げだったが、今度は顕著に出ていた。
(仕方ないか、エイグは見慣れてないみたいだし……)
イナも架空現実問わず馴染みがあったとはいえ、実物を見た時には圧倒されていた。
加えてエイグは40m近い巨大兵器であるがゆえに、そんなものが並んでいる状況で困惑しない方が難しいだろう。
「……外、出る?」
「ううん……大丈夫だよ」
「そう言うなら、いいけど」
見れば見るほど、彼女の面持ちは神妙そうだ。
シャウトエネルギーで構成されているらしい彼女だからこそ、シャウトエネルギーを操るシャウティアには得も言われぬ何かを感じているのだろう。
それともシャウティアのAIがチカを模していることと関係があるのだろうか。
ともあれ、本人そのものではないから当然とはいえ、イナはチカが遠い存在になってしまったように感じられた。
(チカもさっき、そう思ってたのかな)
いま、それを問うことはできなかった。
否、ちょうど遮るかのように、返し忘れていたPLACEフォンが鳴ったのだ。
着信元は、レイアだ。
「はい。早いですね?」
『……ズィーク司令に手早く指示を貰った。今からそれを伝える』
彼女の声音は妙に重々しい。
いまだに疲労が抜けていないのだろうか――などと、呑気なことを考えるイナ。
しかしそんな思考が吹き飛ぶほど、ズィーク・ヴィクトワールからの命令は簡潔で。
『ミヅキ、お前には件のエイグの破壊を命じる』
「……えっと。それは、別に普通の、こと、ですよね?」
わざわざ電話で伝える必要がある内容とは思えず、イナは恐る恐る問いかける。
動揺のさざ波が、止まらないのだ。
電話越しのレイアは数拍の沈黙を置いて、ため息にも聞こえる小さな吐息を漏らした。
『……搭乗者、もろともだ』
「なッ」
疑念が確信に変わるが、それですぐに受け入れられるものではない。
レイアの言葉、ズィークの指示が意味するところは、つまり。
「チカを、殺せって……!?」
『エイグに搭乗している以上、搭乗者もエイグのようなものだ。今更AGアーマーの存在を知らないお前ではないだろう』
「で、ですけど!」
『……お前の言いたいことは分かっている』
ルーフェンの搭乗者たるチカは、ファイドに暴走状態を利用されているだけ。
イナは、元の世界からの知り合いである彼女を救いたい。
レイアもそのことを理解しているから、所々言い淀んでいるのだろう。
『だが我々はやはり組織なんだ。件のエイグとその少女は、一連の作戦を成功させるための障害となる』
「……でも、一応成功したことになってるんじゃ」
『真偽が定かでない以上、完遂したとは言えん。加えて、あのエイグの危険性は計り知れん。下手をすれば被害はここにいる戦力にとどまらず、全滅に至る』
PLACE隊員の生還の為に、イナにチカを殺せと言うのだ。
如何に一兵卒で経験の浅い彼と言えど、その命令に従えるわけがなく。
しかしいくら待っても、電話の向こうから沈黙を破る言葉が届く様子はない。
仮に、レイアと対面して話をしていたとしたら、彼女はどんな表情をしていただろうか。
もしも、彼女が苦虫をかみつぶしているような顔をしているとしたら――無意識に考えてしまい、イナは反論することをためらってしまう。
(何か……ないのか。チカを救う方法は)
単純な話だ、PLACEを捨てればいい。
何よりPLACEの命令よりもシャウティアの力の方が上だと自分で証明したのだ、それをここで振るわない理由はない。
(……本当に、それでいいのか)
PLACEの目的は果たされたも同然だ。
加えてチカと再会するというイナ個人の目的も果たせれば、この世界の出来事に関わる必要はない。
あとはどう元の世界に帰るか――あるいはこの世界でどう生きていくかを考えていけばいい。
いつかPLACEから離れる時が来るのは分かっていたはずだ。
(チカと、PLACE……)
無意識が勝手に天秤にかける。
イナを殺したいほど愛しているチカと、イナを肯定してくれた人間がいるが制約を課してくるPLACE。
シャウティアの力が確かなものならば、どちらを選ぶこともできる。
どちらも選べるからこそ――イナは、選べなかった。
選ぶということは、片方を捨てるということ。
当たり前であるゆえに、大きな壁になっていた。
鼓動がやけにうるさく聞こえ、自分が溶けていくような眩暈。
時間が止まり、五感も遠ざかっている気がする。
PLACEフォンも、手の中にあるのかわからない。落としたような音がした気もする。
「イナ」
「――っ」
真っ暗な水面へ、一滴落ちるように声が響いた。
「私は、イナのことを決めてあげられない。どんなに苦しいことが伝わっても、それは私の苦しみじゃないから」
「……わかってる。結局誰かのせいにしたいんだ、俺は」
しかし。
今回ばかりはどちらを、誰に強いられたとしても受け入れられない。
「それは、イナが自分で選ぼうとしてるってこと。その苦しみはイナだけのものだよ」
「……俺が、お前の願いを叶えたいと言ったら?」
チカとの心中。
抗い戦うことも放棄して、この世界での役割も捨てて、彼女の愛に溺れる選択。
要するに、思考停止だ。
「いいよ、今から殺してあげる――そう言ったら、イナは殺されてくれる?」
本能的な恐怖と共に、その感覚で現実に引き戻される。
「死にたくない、そうだよね」
チカにはすべて見透かされている。
彼女の言葉があったからこそ、イナは生きたいという自分の意志に気づきここまで歩き続けたのだから。
今更、簡単に死を選べるはずもない。
「……けど、俺は。俺は。どうしたら、いいんだ。お前を助けていまの居場所を捨てて、俺を殺したいって思ってる奴を傍に置くのか? それとも生きたいって思わせてくれたお前を殺したことを引きずりながら、すぐに離れ離れになるかもしれない仲間のところに戻るのか?」
チカは答えない。
何を言ってもイナを混乱させるだけだとわかっているのだ。
しかしふと、彼女が口を開いた。
それと同時だった、イナが未知の感覚でチカを感じたのは。
「――来るよ」
「……チカ……」
チカが警告する。
目の前の彼女ではない、本体の彼女。
自分に向けられた強い殺意も、深い愛情も、確かな感覚として伝わってきた。
迷う暇は、もうない。
世界はいくら願っても、時間を止めてはくれないのだから。
残った責任感でイナは愛機の顔を見上げる。
彼女は物言わず、ただ操縦席への道を差し出した。
イナはおぼつかない足取りで、シャウティアに惹かれるようにしてコアに乗り込む。
《BeAGシステム、スタンバイ――行くよ、イナ》
「行って、どうするんだ」
シャウティアと一体化する前に、イナの呟きがコアの中にこぼれる。
「教えてくれ、シャウティア……お前は俺のこと分かるんだろ。どうしたいんだ、俺は……?」
《それは、答えられない》
「なんでだ! 殺すか殺されるかって時なんだぞ!」
《イナは絶対に死なせない。だから答えを焦らないで》
「……じゃあ、どうしたらいいんだよ……!」
《『わたし』を――チカを必ず救い出す。それを私が絶対に保証する。その前提があるなら、イナがしたいことはなに?》
シャウティアの助力があるとしても、結局その力をふるうのはイナなのだ。
机上の空論に過ぎない前提があったところで、戦意の削がれた彼にできることは――
――……否。
肝心なことを失念していた。
彼は、とても単純で、そこに至るまではひどく愚鈍だということを。
しかし、それゆえに吹っ切れた時の力は、果てを知らない。
それは向こう見ずともいうが、躊躇して足を止めるよりは、遥かにマシだ。
いずれの選択肢とも違う、たった一つの願い。
それがどう転ぶかを考えるより先に、イナは格納庫を飛び出していた。




