第2話「居場所、無き者」:A3
《BeAGシステム、オールグリーン。動けるよ、イナ》
(……ああ)
イナの想い人、悠里千佳を模したAIの声が響く。
眠るように閉じていた瞼を開けば、緑と白を基調に彩られた巨人――エイグ・シャウティアの視界がイナの目に映った。
最初は赤と白だったのだが、国連軍の所有するエイグであることを示す目的で、機体の赤い部分が緑に塗り替えられたのだ。
左右には自分と同じ程の大きさのエイグ、しかし色と形状の違うものが多数立ち並んでいた。
形状と言っても、何から何まで違う。
多少似通っている部分はあるが、言うなれば『量産機』と、それを基にした『ワンオフ機』という形容が合うくらいには、別物である。
シャウティアの背部には、小さいながらに翼のようなパーツがある。
また顔も、兜とヘルメットを比べるほどに雰囲気が違う。
全くの異質な雰囲気を放っていることは、明確であった。
ただ皆、各部を緑色に塗られているのは同様だ。
加えて、肩には識別用の番号が書かれている。イナとシャウティアには、23だ。
視線を下に注げば、固定具の役割も果たす可動式の通路。
整備員と思しき者や搭乗者、その他何らかの役割を持っているであろう人々が、働き蟻のように視界の端々で蠢いている。
国連軍が保有する、戦艦型エイグ壱号《エキドナ》。
ここはその中で、非戦闘用のエイグ――復興支援に携わる者のエイグのみを収容する第二格納庫である。
エイグを高層ビルヂングに例えるならば、些か異様な街にも見える。
一列の横並びになったエイグは、向かって右端の機体を先頭に、一歩前に出て順次ハッチから出撃するという仕組みのようだ。
のだが――その指示が出るまでは何もできない為、この日が初めてとなるイナは不安と緊張に満ちていた。
別の地球と思しき場所に来てから初めての夜が明け、二日目。
イナはこの日から、ドロップ・スターズの被災地における復興支援活動へ参加することになっていた。
参加に必要な書類や、それに伴う親族の許可などが不要であるらしいことには、本来はダメなのだろうとは思っていても、彼は感謝していた。
如何な疑念を拭えなくとも、ここで活動するほかに居場所を得る方法はないのだから。
《……大丈夫だよ。落ち着いて》
「……ああ」
深呼吸に溜息を混ぜながら、イナは心を落ち着けようと努める。
が、そう簡単にうるさい脈を黙らせることができれば苦労はない。
不安でなくとも、頭の中に響くように伝わるチカの声が、否応なしにイナの神経を興奮させる。
それは単なる興奮ではなく、思春期特有のモノもむろん、多少なりとも含まれる。
「安心しなァボウズ!」
不意に下方から響いてきたのは、ゼライドの叫ぶような声だった。
やたらと親身になってくれているからだろうか。彼の言葉は、イナの耳にはよく響く。
豆粒のような顔をよく見たい、とイナが無意識に思えば、AIが操作したのだろう、視界がゼライドに向けてズームされる。
どうやら、脳が操縦桿の代わりのようだ。
「あー……まあ、エイグを使った労働なら、大したこたぁねえさ! 何なら俺が手伝ってやってもいいぜ!」
「――大尉。どうか自分に与えられた職務を果たしてからでお願いします」
あまり言うことを考えていなかったであろうゼライドが言い終えるとほぼ同時に、いつの間にいたのか、長い黒髪を揺らす女の士官が彼に言う。
聞こえる話から推測すると、部下か何かだろうか。
「あとでいいだろ、んなもん」
「何にせよ、間もなく復興部隊の出撃時間です。大尉ともあろう人が名指しで注意を受けたとあっては、ほかの部下に示しがつきません」
「どうせお前しかまともなのいねえじゃねえか……」
女の方は凍り付いたかのように表情を変えない。
一方でゼライドは困り顔になっているが、どこか嬉しそうだ。
無粋なことを考えてはしまうものの、とにかく仲が良いことは確かだろう。
そんな二人をイナが何も言わずじっと見ていると、その視線に気づいたらしいゼライドが再びイナの方を見上げる。
正確には、シャウティアの顔だが。
「とにかく、よほどじゃなけりゃ怒られゃしねえよ。気楽にな!」
根拠はないが、不思議と安心を覚える励ましだ。
現状、彼を頼るほかないのだから、すべて前向きに捉えてしまっても仕方ないのだが。
手を振るゼライドと、一礼のみを残して彼と共に去る女性を見送りつつ、イナは再び出撃を待つ。
それからほどなくして、カンカン、カンカンと鐘を鳴らすような大きな音が、格納庫に響いた。
次いで、拡大された男の声。
『20番から25番機の出発準備を確認、これより通路ハンガーの変形を開始する。通路に残っている者は通路からすぐに退避を――』
出撃ではなく出発と言っているのは、兵士との区別だろう。
エイグを兵器として運用するか否かの。
――などとイナが思い至ることはなく、その間も事は進んでいく。
固定具を兼ねていた通路は折りたたまれ、エイグが出ていくための道が拓かれる。
格納庫はエイグの列の前を通れるようになっているらしく、傍にいるエイグは慣れたような足取りでハッチに向かっていく。
隣の22番を与えられたエイグが出るのに合わせて、イナも慣れないながらに歩みを進めていく。
足元に人でもいるのではないかと、踏んでしまわないかと思うと気が気でない。
《大丈夫、ガイドを出してあげるから》
チカの優しく撫でるような声ののち、イナの視界の下方に矢印が現れる。
指された方向は言うまでもなく外へと続くハッチで、必要ないとは思うが。
エイグ非搭乗時であれば聞こえるはずのない無駄に大きな足音。
庫内ということで反響も加わり、イナは鼓膜が痺れるような感覚を覚える。
と――その疎ましさの感情に応えるように、足音の音響だけがおとなしくなって聞こえるようになる。
なるほど、降ってきた割には親切にできているらしい。
「外に出たら一度俺の、20番の近くに集合してくれ!」
「はい」だの「へい」だのといった男たちの声を聴くと、イナも遅れて返事する。
――やっぱり、みんな日本語なのか。
集団行動という地獄に浸かっていた忌々しい記憶の中で、無駄に染みついてしまっている癖。その小走りで、20番機の近くに寄る。
地上へと続く坂道になっているハッチの上を駆ければ、無駄に大きな音が鳴る。
「おいおい新入り、そんな慌てなくても大丈夫だって」
「俺たちゃ軍隊じゃねえんだからよ」
「え? あ、はは……」
どうやら頭が固くなりすぎていたようだ。
それに気づかされたイナは恥じらいを誤魔化すように笑う。
同時にゼライドの言葉にも説得力が生まれ、イナの心の中にも少しずつ余裕が生まれていく。
「――さて、これで全員か」
20番機の男が、この場に集まった者達の顔を見回す。
イナはこの間に、周囲の状況を軽く観察していた。
どうやら少し離れたところにある集落の傍の山でひどい土砂崩れが起こり、流れた土砂や倒木によっていくばくか被害が生じているようだ。
「新入りもいるので改めて言わせてもらうが、俺たちの仕事はドロップ・スターズの被害を受けた被災地の復興、その支援にある」
――確かに、それだけならあんな数のエイグを全員出さなくてもいいか。
イナは握力を確かめるように軽く右手を開閉させ、しかしその強さの実感は未だない。
非搭乗時と同じ感覚でエイグを動かしているものの、実際はそれよりも遥かに強い力が働いていることは想像に難くない。
だが。
いや、ゆえにか。それを振るった時に何が起こるのか、想像もつかないのだ。
「今回から新入りの23番機、ミヅキが参加する」
不意に自分の名前が呼ばれ、イナは過剰に身を震わせる。
その場にいる皆の視線が集まり、薄れかけていた緊張感が戻ってくる。
おまけにエイグは柔軟に変化する人間の表情までは真似ないらしく、武骨な鎧武者のような顔が並んでいるため、不気味この上ない。
目にはどうやら、瞼のような機構があり、口も開くようだが。
しかしそれだけでは、笑顔を浮かべられても分かりはしないだろう。
――ニヤニヤしてるとして、それが見えるよりかはマシだけど。
「エイグを用いれば楽な作業と言えど、集落も近くにあるため油断はしないように」
「は、はい」
礼儀をもって返事をすれば、周囲から苦笑が漏れる。
イナはこれでも失礼が無いようにと努めているため、あまり気分は良くないようだが。
――……まあ、慣れるか。
「ではこれから、指示された仕事の内容と割り振りを行う。まず俺、20番は――」
20番機の男が話す内容をしっかりと頭に入れ、間違っていないかと心配になりながらに指示に従う。
聞くに、土砂・倒木、倒壊した住宅の後片付けのグループと、支援物資の運搬及び配布のグループがあるらしい。
それぞれ三機ずつ分けられ、イナは前者の方を任されることとなった。
――……できるかな、俺に。
大雑把な仕事内容を伝えられたものの、実際にできるというわけではない。
知識や経験がゼロであるにもかかわらず、否、ゼロであるがゆえに、そこから無限の不安が噴き出すのだ。
何より。
――失敗したら、どうしよう。
イナにとっては、それが怖かった。
手が震えるわけでもない。
頭が痛くなるわけでも。
吐き気を催すわけでも、めまいを起こすわけでも。
足がふらつくわけでもない。
ただ、失敗して辱められ、貶められる自分を勝手に想像してしまう。
過去にそうだった自分を。
そして、そんな自分になる未来ばかりが見えてしまうのだ。
《……イナ。私が支えてあげるから》
(…………うん)
シャウティアのAIがコピーしたに過ぎない言葉だとしても、イナにとっては今、それが本物だった。
彼女の言葉が、呆けて止まっていたかのようなイナの時間に、再び流れを与える。
カッコ悪い自分を、押さえつけて。
「どうした新入り! こっちだぞ!」
「木を踏み倒すなよ、仕事増えるからな!」
先行していた同グループの男たちが手を振りながら、突っ立っているイナに声をかけていた。
「……ああ」
イナは、自分にしか聞こえないような小さな返事をして、また駆け足で寄っていく。
――疑いすぎだ。俺は。
言い聞かせるように、彼は何度も心の中で繰り返す。
そうでもしなければならないのが、彼にとっての『他人』なのであり。
ゼライドはそれだけ、特別な人間であるということだ。
否、まだそうと決めつけるのは早いだろう。
状況からして、仕方ないとしか言えない。
あらゆるものが彼の中で渦を巻いて混ざり合おうとし、しかし水と油のような関係であるがゆえに互いを弾きあっている。
それがイナの、今のイナを構成している原因となっているのなら……。