第20話「立ち止まる少年、駆け出す少年」:A1
シオン・スレイドは、米国生まれのただの少年であった。
特別な才覚もなく、眩いばかりの容姿を備えているわけでもなく。
一般人から離れていることといえば、父親が連合軍に所属しているということくらいだ。
ただ、その父は反連合組織PLACEの登場以降多忙を極め、家庭に姿を現すことはほぼなくなった。
それが当たり前のこととして受け入れ始め、日本人である母の実家で生活が始まろうとしていた頃。
シオンは父親を経由してファイド・クラウドに召喚された。
戦争終結の為に必要であるからと、理由も曖昧なままシオンはエイグに搭乗させられ、左右も分からないままにファイドの指示に従いPLACEのエイグを攻撃してきた。
しかし結局のところ、自分である必要性はなかったのだと思う。
それどころか、始めは気にかけてくれていたファイドも急激に興味を削がれているように感じていた。
その興味が今、どこからか拾ってきた少女・チカに向けられているのは明白だ。
先の戦闘でも、シオンの駆るルーフェンとは別のルーフェンをわざわざ用意し彼女を搭乗者として出撃させたために、シオンはここで待機していた。
実を言えば、チカに興味を向けているのはシオンも同じだった。ほぼ他者と隔絶された環境で、同年代の異性が現れれば、少し気に入らない点があっても好意を抱いてしまうのは仕方がなかった。
シオンは、彼女で孤独の寂しさを紛らわせたかったのだ。そのついでに、ファイドの興味を再び自分に向けたかったのだ。
しかしそれは、上手くいくことはなかった。
会った時から感じていた異質さは、自分の知識と経験の差に由来すると思っていたが、そうではなかった。
眠るチカが見せた異常な現象で、ファイドは一般人と見ている世界、立っている場所が全く違うことに気づいたのだ。
「……ボウズ、大丈夫か」
不意にかけられた声で、シオンははっとなる。
気づけばゼライド・ゼファンの服の裾を強く握ってしまい、目を閉じたまま地下基地の通路を歩いていた。
「離れろとは言わねえ、足元には気を付けろよ」
ゼライドは会った時から妙に馴れ馴れしい口調ではあったが、今は不思議と安心感を覚えていた。
嫌々任務をこなしている感じがして印象も良くなかったのだが、思えば面倒見はファイドよりも良かったように思う。
「まったくあのジジイも大したタマだぜ、ガキども連れて何考えてやがる」
目の前でガキ呼ばわりされるのは少しだけ気分が悪かったが、シオンも同感だった。
だが本人から話を聞いたところで、理解できるとは到底思えない。
「さあて、お待ちかねの格納庫だ。イアル、アーマーの用意はいいか」
眼鏡をかけた女性、イアル・リヴァイツォが神妙な面持ちで頷く。
いつも寡黙で話しかけづらいイメージがあったが、今は人間味のある不安が滲んでいるようで、妙な安心感がある。
自身の搭乗するエイグを模した鎧、AGアーマーが必要になるということはつまり、この先で戦闘になる可能性が低くないということを意味する。
シオンもその端くれであるのだから知ってはいたものの、この二人に混ざって有事に立ち向かえる自信はなかった。足を引っ張る未来しか見えない。
「行くぞ。――イチ、ニ……サン!」
囁くような声音のカウントダウンで、ゼライドが格納庫の扉を開く。
そこには通路の薄暗さとは比べ物にならない光量で照らされたエイグの数々が立ち並ぶ光景があった。
シオンも何度か見たことはあったが、今はそれらが急に動き出して襲い掛かってくるのではないかという根拠のない不安に駆られていた。
少なくとも、飛び込んだ瞬間に襲われることはなかったが。
少数の整備員たちが黙々と作業するのも警戒しながら、3人でルーフェンの足元にいる人影に近づいていく。
機体を見上げたまま動かないその背には、目が付いているように思えてならない。
シオンは今まで何も考えずにこの男に従ってきた自分までもが、怖くなっていた。
「……どうか、したのかね?」
徐に振り向いたファイドの視線で、周囲の空気が張り詰める。気のせいか、ファイドの表情から得も言われぬ圧力が出ているように感じられた。
おじけづくシオンを置いて、イアルが一歩前に出てくちをひらく。
「部屋で例の少女……チカ・ユウリが異常な行動を見せました。護衛任務継続のため、説明をしていただきたく参りました」
ふむ、とファイドが振り向きながら小さく唸る。
僅かに驚いているようにも見えるが、反応からして想定内であるといったところだろうか。
「具体的には、何が起きたのかね」
「急に体を起こし、全身を痙攣させたりしていました。……少なくとも私は、少しの間体の自由が利かなくなりました」
「俺もだ」
頭の中で情報を整理するように、ファイドが虚空を一瞥する。
「何か被害は?」
「いえ……部屋に目立つ損傷は見当たりませんし、誰も傷を負ってはいません」
「だろうな」
ファイドが息を吐きながら言う。
どこか満足気で、妙に人間臭く感じられたその素振りに、シオンの本能が危機を感じ取った。
そしてそれが間違いでないと保証するかのように――ファイドの表情が、悦楽に歪んだ。
「現時刻を以て君達『ブリュード』の護衛任務を解除する。今までご苦労だった」
「な……」
先ほど任務の内容を変更したにもかかわらずあまりに突飛な命令を下すファイドに、さすがのゼライドも言葉を失ったようだ。
「君もさすがに気づいていないわけではあるまい、私が何かをしようとしていることを」
コツ、コツ、とファイドの革靴の音が静かに響く。
その視線はゼライドに向けられていた。
「……てめえ」
敵に対し唸る獣のようにゼライドの声音が低くなり、同時に暴力的な色を滲ませる。
「どうせどちらか滅ぶ運命だ、聞くだけ聞いておくがいい。私の目的は地球の征服、および地球文明の再構成にある」
満を持して語られたファイドの思考は、やはり常人には理解ができないことだった。
この地球を征服するなどという言葉は、昨今架空でさえ見聞きする機会は減ってきている。
にもかかわらず、この男は現実でそれを言って見せた。
しかも、その笑みには自信が窺える。
単に狂っているわけではないらしい様子が、より狂気を増大させている。
「先史文明より存在するヒュレプレイヤーは、手の届く限りのあらゆる人々に無限の恵みを与えてきた。ヒュレプレイヤーはその力で、人々は何度でも失敗を重ね、短期間で文明を発展させていった。しかしそれは、地球の寿命を縮めることに他ならなかった」
「……なんだ、環境保護のご高説か? やっと『らしい』ことをアンタの口から聞けたぜ」
狂気に対する強がりなのか、ゼライドが鼻で笑う。
「むろん、それだけではないよ。私は決して短くはない命の中で、絶望的と言われたヒュレプレイヤーの生成手段と、私の計画を阻む者を抑止する力を手にした。無神論者のつもりだったが、信じてみたくなるほどの僥倖だった」
「………」
ゼライドの眉根に皺が寄る。
そこまで多くの知識を持っているわけではないシオンでも、ファイドの言葉が本当であればどうなるのかは想像がついていた。
少なくとも、シャウティアがファイドの脅威だとするならば、それを止める力――おそらくはルーフェンが背負っていたあの蒼い推進器――を得た今、地球上にそれを止められる者はいなくなる。
そう長い時間をかけずに、対抗勢力は潰すことができる。その気になれば、ヒュレプレイヤーを残して人類を殲滅することもできるだろう。
「ヴェルデッ!!」
ゼライドが自身のエイグの名を叫ぶ。
すると少し離れた所に格納されていた蒼い機体が固定具を破壊し、傍にあったライフルを素早く手に取ってルーフェンに向け、引き金を引いた。
耳の傍で花火が炸裂したかのような衝撃に、シオンは反射的に耳をふさぐ。
むろんそれだけで防ぎきれるものではないため、無意識下でAGアーマーを展開し防御する。
イアルも既にアーマーを纏い、防音しながら攻撃の準備を始めていた。
数発、弾丸が発射され音が聞こえなくなったところで、閉じていた目を開く。
「無駄だよ」
ファイドが言った通り――銃撃されたはずのルーフェンの装甲には、傷一つすらついていなかった。
ちょうどそれは、シャウティアがいつもそうして攻撃を無効化していたように。
「『紅蓮』を過去のものにする力だぞ」
歯噛みし睨みつけるゼライドに、ファイドはふと「ああ」と何かを思い出したような声を出した。
「そういえば、アグール・ゼファンは君の父親だったか」
「アァ……?」
突然に父親の話をし始めるファイドに、ゼライドの眉が歪んだ。
「いやなに、似ていると思っただけだ。私の目論見を逸早く止めようと行動を起こすその姿がな」
「……!」
言葉の意味を理解したらしいゼライドの目が見開かれる。
同時に彼の体も震え始め、力の行き場に迷っているように手が強張る。
理由はともあれ、怒っているのは明白だ。
しかし彼は感情に任せ、ファイドに飛び掛かるようなことはしなかった。
「その理性の強さはある種の美徳だな。それとも本能的に敗北を悟ったか……いずれにせよ、ルーフェン――否、『蒼穹』に銃を向けた時点で君達は私を裏切ったことになる。逃亡するのなら見逃してやらんでもないが、なおも向かってくるというのなら『蒼穹』の稼働テストに付き合ってもらおうか」
「ヴェルデェッ!!」
怒気を含ませた叫びに応え、ヴェルデが再びライフルを構える――今度は、ファイドに。
それから間もなくして引き金は引かれ、人間に当たれば跡形もなくなる大きさの弾丸がファイドに高速で接近する。
だが、結果は同じだった。
エイグに搭乗もせず、AGアーマーすら展開していないファイドが、銃弾を消し飛ばした。
そうとしか見えなかった。
「仮に私が死んでも、計画は止まらんよ」
「クッ……」
そう言いながら、ファイドはこれまでに一度も反撃していない。おそらくは本当に、それだけの余裕を手にしたのだ。
「……大尉。いえ、義兄様」
傍にいたイアルが階級で呼ばなかったからか、ゼライドが驚いたように彼女の方を向く。
「おそらく阻止は不可能です。そしてファイド・クラウドに銃を向けた以上、引き下がることもできません。ここから脱出し、PLACEに応援を要請しましょう」
状況が把握できていないシオンは、一瞬イアルが発した言葉の意味が分からなかった。
異常を目の当たりにしすぎたあまり、それが正しいのかを判断する能力が低下していたのだ。
PLACEはシオンにとって、世間にとっても敵であった。
しかし目の間にいるファイド・クラウドも今、敵となった。
だからと言って、依然として敵であるPLACEに助けを求めるのは、漠然と違う気がしていた。
「イアルはあの嬢ちゃんを頼む! ……行くぞ、ボウズ!」
ゼライドの指示に従い、駆け出すイアル。
意を決したらしくヴェルデに向かって駆けだしたゼライドに呼びかけられ、シオンも何も考えずに後を追おうとしたとき。
シオンの背に、ファイドの声がかけられた。
「スレイド君は残りたまえ」
「え……」
シオンは、立ち止まってしまった。
何も言われなければ、ゼライドと共に脱出していた筈だというのに。
彼らを信じ切れない迷いが、足を止めた。
「何言ってやがる! 早くこっちに来い、ボウズ!」
振り向こうとしたシオンの背に、ゼライドの声がかかる。
ぴくりと足が動くが、彼の方へと駆け出すことはなかった。
どうすればいい。
その7文字がシオンの頭の中で巡り回り、延々と絡み合い、頭脳に強い負荷がかかっていることも自覚できなくなっていく。
体の中が段々と溺れて、頭が重くなるような感覚。
そして遂に――彼は、気を失った。




