第19話「歪に回る歯車」:A4
『やっと出たわね』
開口一番から圧の強い口調で、幼い少女の声が鼓膜を揺らす。
イナが身を置いていたPLACE日本支部でエイグの研究を行っている、ミュウ・チニのものだ。
しばし聞いていなかったためか、不思議な安心感と懐かしさを覚えていた。
「いや、やっとって……一応作戦中なんだけど」
『別に責めてないでしょ。作戦中だからこそ、手早く報告するから聞くだけ聞きなさい』
エイグが自動で記憶してくれているため、聞き流すだけでも問題はない。
しかし、その情報を半ば無理やり理解させられるという感覚はイナも未だに慣れないのだが。
『この間協力してもらった時のデータを基に、私なりの見解をまとめたの。随分と突飛だけど、こうでなければいよいよ分からない感じ』
この作戦が始まる少し前に、イナはシャウティアを用いた実験に協力していた。
機体の特性である絶響と攻撃を消し飛ばすバリアの発動条件、詳細な周囲への影響など、シャウティアが情報を開示しない代わりに可能な範囲で解明しようという試みがあったのだ。
その時から既に様々な考察は進められていたが、ミュウの言うように説明がつかない部分も多く、推測に留められていた。
だが、ついに結論が出せるようになったようだ。
あるいは、どこかで疑うことを諦めたのかもしれない。
『まず一つ、例の高速移動――絶響と名付けた現象について。アンタの視点では、周囲の時間がほぼ停止しているように見えている。けどアンタ以外には、アンタが目にも留まらない速度で動いているように見えるし、アンタが少し動いただけでも、こっちにはその数倍の影響が出ている』
イナは実験の時のことを思い出しながら、自分でも理解できるように努力する。
その時は絶響中に100mを走ったり、コンクリートの壁を殴ったりしていた。
イナの視点でも走ることは普通にできたが、異常を感じたのは後者だ。
本来なら軽々しく破壊できるはずの壁が、いくら殴っても壊れなかったのだ。
しかし、ミュウの視点から見れば、壁は突然爆発したように吹っ飛んだという。
『おそらく外界に影響の及ぶ速度、またはアンタに及ぶ速度も変わったから、アンタの方では壁が異様に固く思えたし、そう見えた。違う?』
「確かに、固かった」
『不思議に感じたアンタは合計で3回殴った。それが爆発じみた破壊の原因ね。つまり、一瞬で3回殴ったのと同じ力が壁に加わったの』
オーバーキル、という言葉がイナの頭の中に浮かぶ。だがあの時は壁だったからそうなっただけであって、それより硬いもの、例えばエイグの装甲も拳一つで破壊することも可能だということだろう。
『100m走で風が起きたのもそれと同じ現象が起きたと考えられるわ。人間が走るのとは比べ物にならない速度で空気を押しのけ、アンタの通った後はほぼ真空状態になった。そして、その気圧差を埋めるように風が吹く。ただ、本来ならもっと大変なことになってもおかしくはないから、そこは何か細工があると見ていいわね』
「お、お、おぉ……」
ペラペラと話され理解が追い付かない所はあったが、言わんとすることは把握できた。
ミュウの方も、なるべくイナにも理解できるようにしてはいるのだろうが、分からなければ放置するスタンスのようだ。
『さて、ここが本題。バリアについてだけど……いや、シャウティアの根幹にかかわることかもしれないわね』
「……と言うと?」
『アンタの報告と、色んな実験で分かったの。でもやっぱり常識から外れていて、録画したデータを何度も見返したりしてた。そのせいで報告が遅れたんだけど』
露骨にミュウの声音が曇る。そこまで信じがたいことだったのだろう。
『結論から言って、シャウティアの稼働はアンタの精神に大きく依存してる』
「……と、言われても」
それ自体はなんとなく、根拠はないがわかっていたことだ。
だからこそそれが意味するところが何なのか、イナには咄嗟にわからない。
『例えば、シャウティアのバリアで防げるものと防げないもの、生物は私以外で実験できなかったのがネックだけど、基準はアンタの信頼だと思うの』
「信頼?」
『銃弾やブレード、エイグの格闘、そのどれもが、アンタにとって受け入れがたいものでしょ?』
「まあ、そうだけど」
『大体はそれらを受け入れられない拒絶の意思が、何らかのエネルギーとなって機体表面に展開された。防げなかったとしたら、大体は不意打ち、あるいはその行為の意図を理解できなかったからでしょうね』
これはすぐに理解ができ、同時にかつてゼライドの攻撃を防げなかったことへの理由が明確なものになった。
要するに、裏切りへのショックがバリアに如実な影響を及ぼしていたということだ。
ルーフェンの攻撃を防げなかったのも、搭乗者がチカだと考えていたがゆえに効果を発しなかったのだろうが――それでも、少しも削れなかったのは何故か。
どうやらミュウの推測を超えていることが起きているらしいが、口にするのは憚られた。
『バリアが発動している時、触れた物が消えたように見えたのは、おそらく高速で微振動を起こしているから。シャウティア自身が振動していないとすると、そのエネルギーが振動していると考えられるわ』
「いやでも、エネルギーってなんでわかるんだ……?」
『シャウティアの推進器から発せられていたものは、燃焼による噴流ではなかった。採取させてもらっていたけど、この世界で観測できる如何なる物質とも違ったわ。精々分かったことと言えば、軽く微振動していることくらい』
「……は、はあ」
内容はともかく、よく分からないエネルギーが存在する、ということが判明したことだけは辛うじて把握する。
『未知のエネルギー、おそらくはアンタから発せられる意思がその正体だと考えられるわ。人間が等しく発しているのか、アンタが特別発せられるのかはわからないけど、シャウティアはそれを抽出して戦闘に利用している』
「でも、バリアって大体見えてないだろ?」
『おそらく、それがデフォルト。密度を変えて、水の様に気体・液体・固体の三態があるとすれば、推進器から出ているエネルギーが液状なのも説明がつく』
「いや……でもさ、どっから出てきてるんだ? 俺、体からそんなエネルギーを出してる自覚なんてないぞ」
『ヒュレ粒子よ』
その言葉はイナも知っていたため、ここに至るための知識をすぐに掘り返す。
ヒュレ粒子とは、大気に含まれる粒子であり、特定の人間による想像を実体化する特性を持っている。その人間というのが、ヒュレプレイヤーと呼ばれる者達だ。
『このエネルギー――仮にシャウトエネルギーと呼称するわ。このシャウトエネルギーがヒュレ粒子と反応を起こすことで、エネルギーに内包された情報を実体化させる現象が起きるのよ』
「……てことは、そのシャウトエネルギーはヒュレプレイヤーにしか出せないのか?」
『確認する術がない以上、現時点で断言はできないわ。ただ意思のエネルギーなんてものが実在するのだとすれば、それは誰にでも出せるはずだし、プレイヤーは何か別のものを発していると考えるのが自然よ』
人の想いというエネルギーの概念は架空上で今までに何度も耳にしたりしていたが、いざそれが実際に存在すると言われると、イナも反応に困り黙ってしまう。
とりあえず、シャウティアの力を借りて後で思考を整理することを心に決め、イナは一旦心を落ち着かせる。
『さすがのアンタでも、理解しがたいって感じね。けれど、意思が絡んでるっていうのは間違いないはず。名前がシャウティア、叫びを想起させてるのも無関係ではないだろうし……とりあえずは、メンタル管理に気を付けるのよ』
絶賛落ち込み中のイナには、何とも刺さる言葉だった。
同時に、過去レイアに再三言われた言葉が、頭の中で蘇る。
イナの疲労を気遣う彼女も、知らず知らずの内にシャウティアの運用に役立っていたのだろうか。
『じゃあ、詳しいデータも含めて、今からシエラのエイグでシャウティアに送るから。頭に入れておいて』
「……それ、いままで話した意味あるか?」
こればかりは理解が早く、思わず言葉が口から出ていた。
すると電話越しのミュウは露骨に沈黙し、故障かと思ったイナがスピーカーを少し強く耳に押し当てる。
環境音が細々と聞こえる中で、ミュウのものと思しき舌打ちが響いたのをイナは聞き逃さなかった。
(……え。俺、いま気に障ること言ったのか?)
これまでの報告と比べても、一番理解できないことだった。
もとよりその態度や染めた桃色の髪から、反抗期の只中にあるような素直でない性格であることは分かっていたが、何を察せば良いかイナにはさっぱりだった。
『無駄に心配した私がバカだったわ。……ちゃんと帰ってくるのよ』
世話を焼きたがる母親のような言葉を残し、ミュウはイナの返事も待たずに電話を切る。
アヴィナとはまた違うが、彼女も嵐のように去っていく。
などと思っていると、頭の中で線をピンと張ったような感覚が走る。
《シエラのエイグから通信が来てるよ》
(ああ、繋いでくれ)
(……えーと。元気?)
(元気だけど)
おずおずと話しかけてくる少女の声は、ちょうどレイアからトゲを抜いたかのような感じ。むろん、それは声の主であるシエラが、レイアの妹であるからだろう。
(お姉ちゃんは?)
(あー……まあ、ちょっと苦労してるかも。……主に俺のせいで)
(お姉ちゃんもちょっと抱えすぎるところあるから、あんまり気にしないでね)
(……善処はするよ。そっちは?)
(司令――アーキスタさんは相変わらず忙しそう。それも含めて、いつも通りかな)
(そっか)
PLACEで最初に関係を結んだ相手の割に未だ会話がぎこちないのは、互いに性を意識してしまう時期が理由でもあるだろう。
もっとも、大きな理由は二人の間に小さくない溝を残したまま、作戦の都合で離れてしまったことにあるのだろうが。
まだ会話を始めてばかりだというのに、互いにそれ以上の話題が思い浮かばないようで、僅かな沈黙が二人の間に流れる。
(えっと、じゃあ、データを送るから)
(分かった、受け取るよ)
刹那、脳天に冷たい水滴が落ちてきたような感覚が走る。
《――受信したよ。ウイルスもない》
(確認した。じゃあ、もう少し頑張るから)
(うん。私達も、ここを守ってる)
(……じゃ)
(うん)
綺麗な会話の切り方も分からず、フェードアウトするように言葉を短くし、遂には通信が自然と途切れた。
わずかな間だけ帰郷していたような感覚になり、イナは先ほどまで自分が緊張状態にあったことを認める。
見知った仲間も少ない中、歴史に刻まれうる戦争に身を投じているのだ。
無意識に緊張して心をすり減らしていたとしても何ら不思議はない。
《データ、開ける?》
(裏でやっといてくれ。少し落ち着きたい)
《わかった。じゃあ、またすぐあとでね》
(ああ)
シャウティアとの通信も終え、イナはふとPLACEフォンの画面を見、現在時刻を確認する。
すると、大して時間を要していないのを改めて感じる。
エイグ同士を介した通信は本当に一瞬であるが、電話は実際の時間を消費している。
(もしかしたら、エイグとはシャウトエネルギーってやつで通信してるのか? ……だとしたら、シャウトエネルギーっていうのはそもそも凄く速い……?)
などと、脳を休めようとした矢先に推測が加速し始める。
だが確かめる方法もない以上、真実にはたどり着けない。
(……なんかこのところ、そればっかだな)
確証のないものにどこまで振り回されていいのかが分からず、半目で空を見上げて溜息をつく。
ひとまずPLACEフォンをまた預けに行こうと、重い腰を上げる。
その折、イナは肌を撫でるようなそよ風のようなものを感じ、なんとなく振り向いた。
「……え?」
彼の瞳に映ったのは、求めていた事実そのものであり、できることなら嘘であってほしかった事実でもあった。
ゆえに目を疑い、そんな声が漏れた。
なぜなら涙をあふれさせながら、懇願した彼女は。
『――助けて、イナ』
間違いなく、悠里千佳だったのだから。




