第19話「歪に回る歯車」:A2
――光の届かない場所にある施設の通路に、二人分の足音が寂しく響く。
そこはつい先日まで、連合軍の本拠としていたアメリカ基地の地下だ。
通路が暗いならば照明を点けるべきなのだが、最低限通路が見えるくらいの薄暗い光源が壁に点在するくらいだ。おかげで数メートル先はもう暗闇である。
「……まったく、帰って早々お呼び立てたぁな」
「向こうから接近の機会を与えてくれているのです、大人しくしていましょう」
「むしろ袋小路に誘われてる気がしねえでもねえが」
ぼやきながら頭を掻くゼライドに、イアルは表情に動きを見せないまま静かに応える。
艶のある長い黒髪を無駄に揺らすこともなく歩き、赤ぶちの眼鏡の奥にある物珍しい紅色の瞳にも動揺の色は見られない。相変わらず無機質な彼女に、ゼライドは今更何かを言うこともない。
彼女との付き合いは開戦からの僅かな期間に留まってはいないのだから。
(本当は大人しくしててほしいもんだが、そうはいかねえからなあ)
戦争中の軍人である上に敵への圧力となる存在である以上、そんな勝手が許されるはずもないことは、ゼライドも重々理解している。
だがあくまで建前だ。血が繋がっていないといえど、イアルは亡き父に託された義妹である。
無事であればそれに越したことはない。
にもかかわらず危険に飛び込むゼライドに付き従い、時として冷静なふりをして彼より先を行こうとすることもあるのだから、目が離せない。
(……ま、こいつも似たようなこと思ってんだろうな)
エイグを介した通信の際、表面の思考とともに感情がいくらか相手に伝わる。
その積み重ねで、詳細は分からずとも互いの内面は大まかに把握していた。しかし互いに知られたくないこともあろうから、実際に内面について触れることはしない。
知りたくはあるが――などと一人悶々としていると、事前に知らされていた壁の目印を見つけ、ゼライドは足を止める。
赤い線で描かれたジグザグ……脈拍のような、とでも形容すれば適切だろうか。
ともかくどこか攻撃的で気味の悪い印象を抱いたが、個人の感情は今どうでもいい。
ゼライドは咳払いをして、鉄の扉を軽くノックした。
「えぇ……『ブリュード』両名、到着しましたァ。そちらにおわすはファイド・クラウド国連事務総長でお間違いないでしょうかァ」
どこか気だるげに、表面的な敬意だけは取り繕ったような口調で問いかける。
声をかけた相手がそんな見え透いた挑発に乗るような人間ではないとは承知の上だが、日々いいように使ってくれることへの地味な反抗だ。
逆に言えば、無様にもこれくらいでしか反抗できない。
「待っていたよ、入ってくれたまえ」
「では、失礼します」
「失礼いたします」
万が一に備え警戒しつつ徐に扉を開けるゼライドに、イアルも続く。どうやら万が一はなかったようだが、どこまでも油断はできない。
音を立てないように扉を閉め、ゼライドは部屋の中をさっと見渡す。
独房かと思うほど殺風景で狭い部屋で、机に向かい椅子に座る男が一人。ベッドに腰かける少年が一人。あとは――ベッドに横たわる、見慣れない少女が一人。
「『紅蓮』の足止め、ご苦労だった」
そのことを問う暇もなく、ファイド・クラウドが背広を着直しながら立ち上がる。
文字通りの思い以外に察せる感情はない。平坦で、『言っただけ』のような無意味な言葉。
別にテレパシーの能力があるわけではないが、ゼライドでなくともそれくらいは推測できるだろう。
本来、そこにいる少年シオンの駆るルーフェンがいれば足止めか破壊に追い込めたはずである。
にもかかわらずソレは敗北したのだから、普通はここまで冷静ではいられない。
とはいえ、今のゼライドはあくまでただの一兵卒。
追及することに大した意味はない。
「そんで、次は本当のスイス移動の護衛ですか」
「いや。まだPLACEがあそこに留まってこの周辺を警戒している以上は、表立った行動は難しい」
無論だが、世に流したファイドの死は偽の情報である。
もっとも他の官僚が乗っていたのは事実であり、生死は定かではない。
しかしいまなおPLACEを警戒するのなら、早急に大部分の戦力とともに本部のスイスへ逃げていればよかったはずである。
そうしなかった理由は、『紅蓮』ことシャウティアだけではなく、そこにいる2人の少年少女にもあると考えていいはずだ。
他に何か企んでいても不思議ではないが、これだけは確かだろう。
「では、どうなさるおつもりで」
「君たちに護衛を任せていた、もう一機のルーフェン――あれが役に立ちそうだ。なに、私とて無意味にここに留まっているわけではないよ」
(……やっぱりこいつ、俺の思考読んでるな?)
ただ疑うだけならば誰でもできるが、それを口にして、ピンポイントで当ててみせるのは流石に気味が悪い。
しかしこちらがいくら疑おうとも、相手は気味悪く微笑するだけで否定も肯定もされない。
一方的に不利にされている状況はただただ不愉快だ。
「役に立つ、とは。具体的にどのような運用をなさるのですか」
ゼライドの思案の最中、イアルが静かに声を発する。
「ルーフェンには『紅蓮』をおびき寄せ足止めする力がある。『紅蓮』は奴らの作戦の要、ここで足止めか破壊に追い込みでもすれば、スイスの防衛に貢献できるだろう」
(……どうだか)
スイスの防衛云々は誰かに任せればいい話であり、ファイドがわざわざ手を下さねばならない理由がないことは考えるまでもない。
その詳細までは知る由がないため、自然と意識はもう一方の疑問、ルーフェンの方に向く。
連合軍で『紅蓮』という異名で呼ばれるPLACEのエイグ、シャウティア。
ルーフェンはシャウティアを意識したようなカスタマイズをなされたエイグであることは、ブリュードの二人も知っている事だった。
何せその搭乗者であるそこの少年、シオン・スレイドの護衛を任されていたのだから。
しかしながら、当初のルーフェン――カスタマイズ前のシオンのエイグは、シャウティアのような人知を超えた高速移動もせず、バリアらしきものを発動している様子もなかった。
(だとすれば……やっぱクサいのはあのドデカい推進器だな)
ある日を境に、特に説明もなくルーフェンが装備していた蒼い推進器。
それを装備してから、シャウティアと同等の機能を手に入れたと考えられる。
ならば、目には目をといった戦法をとることができただろう。
(あんなトンデモ兵器が簡単に作れるとは思えねえ。それにただの着せ替えエイグが推進器背負っただけでバケモノになるだなんて異常すぎる。……あるいは、あの嬢ちゃんが何かの鍵か?)
推進器の装備と少女の登場はほぼ同時だ。
もしかすると、高速移動やバリアといった現象は推進器の機能ではなく、特定の人物の持つ能力なのではないか。
(とすると、わざわざガキを連れ出すのもわからんでもないが……このジジイのことだ、エイグを弄れても不思議じゃあねえ。だがそれじゃ、ガキである意味がわからねえ)
それを疑ったところで、依然として彼にできることはない。
「どうかしたのかね?」
「……いいえ。それで俺達は何をすりゃいいんです?」
「引き続き彼と、新たに彼女の護衛を頼みたい」
ある程度想定できていた内容だが、納得できる指示ではない。
シオンの方は戦うためのエイグを失っているし、少女の方は今会ったばかりで得体が知れない。
ゼライドがその不満を表情に滲ませている間に、イアルが疑問を口にしていた。
「近いうちにこちらから仕掛けるのですか」
「そうだな、少し様子を見てから行動に出るとしよう。そう焦ることもない、向こうも手を出しづらい状況の筈だ」
「……了解」
確かに依然として向こうにシャウティアがいる以上は、こちらも下手に手は出せない。
戦力もアメリカに多少残っているとはいえど、シャウティアがいれば一瞬で蹴散らされることは目に見えている。
しかし、やはりファイドには別の目的があるように思えていた。あるいは、準備を整えることなど最初から考えていないかのような。
(……なんてのも読まれてるかと思うと、無茶なことはできんわな)
「おひとつ、よろしいでしょうか」
イアルが再び発言する。
「何かね」
「その少女については」
「ああ、チカ・ユウリ君だ」
ゼライドの脳裏に閃きとも衝撃ともいえる電撃が走った。
その名前は、つい最近聞いたことがあるものだ。
そうだ。そう――
(……ボウズが、呼び掛けていた?)
シャウティアとルーフェンが交戦中、巻き込まれないよう少し離れていたが、ルーフェンが撤退する時にシャウティアの足止めをする直前、イナがその名前を口にしていた気がする。
否、確かにしていた。
「街を彷徨っていたので保護したところ、協力を申し出てくれた。先の戦闘でも示したように、天性の才能がある」
ファイドの語る過程に、ゼライドの頬が引きつる。
(本気で言ってんなら大した狂人だわ)
例え本人の了承があるにしても、子供を戦場に出すのは正しいことではない。
何より重い罰の待つ国際テロ組織のPLACEはまだしも、世界を統括せんとする国連の軍がそれをするのはどう考えてもおかしい。
それは、シオンの護衛を任されたときにも思った事だった。
その当の彼というと、複雑な心境がうつむいた表情に滲んでいるように見える。
(……あっさり負けちまった上に、ぽっと出の嬢ちゃんにジジイがお熱でまいっちんぐ、てところか?)
推測の真偽はともかく、ぽっと出、というのが自分で引っ掛かる。
連合軍に急に加入した少女の存在を、なぜイナが知っているのか?
真っ先に思いつくのが、チカが本来はPLACEの一員であること。
これがもっとも現実的であるが、現状イナを始めPLACEに害となる存在であるのは疑問だ。
ファイドが何かしらの細工を施したとも考えられる。
そうでなくとも、彼女か、もしくは別の何かを人質にとり彼女をPLACEの敵になるよう仕向けたか。
それなら、イナの呼びかけに応えなかったのも納得はできる。
(ん……ちょっと待て。なんであのボウズはルーフェンにこの嬢ちゃんが乗ってるって知ってたんだ?)
チカ自身がイナかPLACEの指揮官に漏洩したとも考えられるが、それをファイドが見逃すだろうか。
(駄目だな。わかることが少なすぎる。下手な詮索は勘違いにしかならねえ)
「では、私はルーフェンの様子でも見てくるとしよう。出撃の際はまた連絡する、それまで待機だ。彼らと話がしたいならここにいても構わんよ」
「……了解」
イアルだけは返事をし、部屋を去るファイドの為に扉を開ける。
カタン、と扉が閉められると同時に、言いようのない重い空気がこの場を沈み込ませていた。
一番の圧を放つファイドが消えたにもかかわらず、依然としてこんな空気である理由はなんとなく想像がつく。
悩み、疑念、不安――この部屋にそういった感情が立ち込めているのだ。
当然、ゼライドもその発生源だ。あるいはゼライドだけがそう思っているだけかもしれない。
「……ボウズ、話できるか」
「………」
声をかけるが、シオンは露骨に目を逸らす。
護衛とは名ばかりで大した交流もなく、シオンも年齢だけ見れば思春期の子供なのだ。
そう考えれば不思議ではないが、軍人ばかり相手にしてきたゼライドは違和感ばかりで仕方がない。
ひとまず無言を肯定と受け取り、ゼライドは話し始めた。
「その嬢ちゃんのこと、ファイド・クラウドに聞かされたか?」
返答はない。
だがファイドの名前を出した瞬間、体がピクリと動いたのをゼライドは見逃してはいない。
(ジジイになんかされたのは間違いねえだろうが、それが言葉とは限らんか)
「……大尉、よろしいですか」
小声でイアルがささやきかけてきたので、ゼライドは視線だけで応える。
「『紅蓮』の少年がその少女の名を知っていたことが気にかかります。……それに、そろそろ潮時ではありませんか」
離れていればまず聞こえることはないだろう声量。耳元でも多少曖昧なところはあるが、推測で補完できる程度だ。
(確かに、ルーフェンが安定して使えるようになりゃ、俺達はいらなくなる。どう嗅ごうがくせえことやってんだ、遅かれ早かれ捨てられるのは目に見えてるか……)
つまり、イアルの言いたい事はこうだ。
――用済みとなって口封じで処分される前に、この子供達を連れて連合軍を去るべきである。
少なくとも、PLACEにいるイナとあの少女は顔見知りであろうから、人質にされる前に盗み出すべきだ。
ゼライドはむろん、子供が戦争に利用されるのは見るに堪えなかったが、ファイドの目をかいくぐって逃げおおせる算段が今までになかった。だから今日に至るまで渋々と従ってきたのだ。
(問題は、このガキ共がファイドにどれだけ細工されてるか、だ)
既にシオンらが完全にファイドに服従し、いざという時は『ブリュード』の処分を任されていたとしてももはや不思議ではない。
どんな妄想もあり得てしまうと思ってしまうあたり、既に術中にあるような気もするが。
(とはいえこいつも一応エイグ乗りだ、そうそう負けるとは思わねえが油断もできねえ)
搭乗エイグと同じ外観と機能を備えた鎧、AGアーマー。
シオンのルーフェンは先の戦闘で推進器を破壊されたとはいえ、シオン自身に特異な能力があるとしたら、勝敗の行方は事前には分からない。
ゼライドが敗北する可能性も十分に考えられる。
「もう少しだけ、様子を見てもいいだろ」
「……では、常にその算段は考えておきます」
「頼む」
小声の会話を早々に切り上げ、ゼライドは相変わらず寡黙なシオンを見、次いで未だ眠るチカに目を向ける。
(ボウズが無理でも、嬢ちゃんに確認が取れりゃ良いんだが、そうもいかねえ。今は大人しくするしかねえか)
次に起きたら連絡でもくれ、とシオンに言おうとした瞬間、ゼライドはチカの体が僅かに動いたのを認めた。
無意識に身をよじるのとは違い、一度だけ痙攣を起こしたかのような。それを怪訝に思いつつ、今度こそシオンに言づけようとする。
だが、再びチカが動く。
今度は痙攣などという微細な動きなどではない。
目を閉じたまま、徐に体を起こしたのだ。
「……!?」
まるで見えない糸で操られる人形のような不気味さと不自然さ。
ゼライドの本能が危機を感じ、チカから目が離せなくなる。
イアルとシオンも同じようだった。
『 い な 』
「ッ!?」
瞼を大きく開いたチカが、口も開かずに言葉を発した。
ただそれは聴覚を通してではなく、直接脳に響いて認識された。
エイグでの通信に似た感覚ではあったが、如何せん声が遠く――音声で置き換えるならそう形容するほかなく――感じられた。
同時になぜか、ゼライドは唐突にこれまでのイナとの戦闘を思い返していた。
(んだァ……何が起こってる!?)
自分の体が、自分の手を離れて動いているような感覚。
意識が体の外に押し出されそうな錯覚に陥り、ゼライドは眩暈を起こしてふらついていた。
(この嬢ちゃんがやってんのか……!?)
戦闘のことを思いだしたかと思えば、この世界に来たばかりのイナと会話した時のこと、彼を追い出した時にまで記憶がさかのぼる。
なぜ、イナのことばかりを今思い出しているのか。
理解を超えたことが多すぎるがあまり、ゼライドは完全に混乱の渦に飲みこまれていた。
『……カワイソウニ』
誰に宛てられたのか分からない言葉の後、ふっ、とゼライドを縛る不可思議が解かれた。
見ればイアルやシオンも同様の現象に苛まれていたようで、肩で息をしながら周囲を確認していた。
その視線は流れるように、チカへと向けられる。
『……ジャマ』
彼女はうわごとの様に呟く。
しかしゼライド達に向けられたものではなさそうだった。
「ボウズ、俺の後ろに来い。何があるか分からん」
怯えと困惑に染まったシオンを、ゼライドは半ば引っ張るようにして背後に置く。
ファイドの命令がなくとも、不可解を前に無力な子供をそのままにはできない。
今度は何が起こるのか、警戒しながら扉へと近づく。
いざという時は咄嗟に逃げることも視野に入れている。
「!?」
そして、何かは起こった。
しかしそれはチカの全身が大きく痙攣したばかりで、現象の得体は依然として知れない。
だが今度は、ゼライド自身にも、イアルもシオンにも、影響が出ている様子はない。
幽霊が目の前に出たかのような状態だ。たとえ実際には意味のない動作であるとしても、過敏に警戒してしまう。
「ウ……」
短く呻き、チカが沈黙する。
そして糸が切れたかのようにベッドに倒れ、そのまま再び眠りについた。
「な、何が起こってやがる……!?」
単に気が触れている、というだけでは片づけられない。
異常であることは分かっていても、何をすればいいのかはこの場の誰にも理解できなかった。
「クソ、知ってる奴問い詰めるぞ。イアル、あとボウズも。あの嬢ちゃんと同じ部屋にいるのは安全じゃねえ、ついてこい」
イアルは素直に従ってくれたが、シオンはどうするか迷っていたようだった。
ここで無理やり引っ張れば、無駄に反抗心を育てるだけになるだろう。
「なら、すぐ戻る。それまでじっと――」
しかしシオンは、無言でゼライドの方に歩み寄る。
頼りたくはないが、自分たちしか頼れない。そんな感情が見て取れる。
「……大人しくしてろよ」
扉を開けるゼライドに、シオンは俯きがちに頷いた。




