第19話「歪に回る歯車」:A1
わざわざ苦い思い出を想起させるような口調で自己紹介する男――ゼライド・ゼファンは、シャウティアに触れるその寸前まで顔を近づける。
イナの中で、二つの想いがせめぎ合う。
この男に真意を問いただすか、チカを追うか。
(……どうせ、今からじゃ追えない!)
どちらを選んでも失敗し仲間が殲滅されるヴィジョンしか見えなかったが、後者に関しては、チカの言葉に感じた純朴すぎる想いを疑えず選択肢から消えた。
であれば、逃せば現実的な被害がより想定できる彼の相手をする方が良い、と彼は判断を下した。
おそらくは彼と共に『ブリュード』の片割れであるイアルの方が、遠距離から砲撃をしてきたのだろう。
となれば余計に無視はできない。
「こっちの虎の子を潰したのはたまげたが……お前とソイツの弱点はある程度割り出されてんだよ。大方アレに気を取られてレーダーの確認を怠ったな?」
図星だ。
砲撃を受けた時、確かに彼は肉眼でしか周囲を見ていなかった。
集中力の欠如は事実で、言い返すこともできない。
「さて、俺の仕事はだいたい察しが付くよな」
「時間稼ぎ……けどもう、十分だろ」
「さあな。ま、やるってんなら相手になる」
断れないことは互いに分かっているだろう。
ゼライドはここでイナが自分を無視できないことを。イナはここでブリュードを無視することは、仲間の安全の為にも、自分の我儘の為にもできないことを。
だが、チカの声が未だにちらつく。
彼女を疑えないのが気持ち悪いのだ。
「……やる。相手になる。いや……」
イナは静かに息を吸い込む。
そこに今の懸念を全て溶かし込むように、一瞬の間を置いて。
解き放つように、叫ぶ。
「かかってきやがれ、ゼライド・ゼファンッッ!!」
半ば強引に迷いを振り切り、イナは目の前の蒼いエイグに狙いを定める。
エイグ単体での機動力を重視し、余計な装甲は削られ、携行する武器もなくほぼ丸腰。
しかしそれこそがゼライドの駆るエイグ『ヴェルデ』の最大の特徴だ。
イナもさすがに覚えている。
「いいぜ、やってやらァ!」
挑発しながら、ゼライドは虚空から短刀を数本投擲する。
イナはそれを防御するでもなく、手刀に纏わせた光ではじいた。
ゼライドのヒュレ粒子の実体化を利用しているため、実際には彼の周りには無数の武器庫が存在しているようなものだ。
そのような複雑な処理をしながら戦うのは、AIに頼ってもイナには困難だろう。
「どうしたボウズ! トンチキなバリアは使わねえのか!」
強がりも言う余裕も、イナにはない。
ゼライドも、彼がそれを使えないことを分かって言っているのだ。
「そうだよなあ、何故か俺の攻撃は防ぎきれねえもんな。だが……あのチートじみた高速機動は別の筈だ。まだへばっちゃねえだろ?」
「いらねえよ、んなもん……!」
こちらは強がりなどではなく、ただ彼のワガママだった。
確かにゼライドの言う通りにすれば、一瞬で決着もつく。
懸念事項も確実に一つ減らせる。
だが、それでは同時に失うものがあった。
「アンタには聞きたいことがまだ山ほどあんだよ! そのためにセコい手使ってられるかッ!!」
「ハッ、おもしれえ。だったら少しでも長引かせてみやがれ!」
吠えるゼライドは地を蹴り、イナに肉薄する。
先ほどのチカに比べれば動きを追えるほど遅いのだが、それでも普段の感覚からすれば速いことに変わりない。
ナックルガードで覆われた手には新たに何も持ってはいないようだ。
この一瞬ではそれを確認するので精いっぱいだ。いつもは攻撃を受ける前にほぼすべて終わらせていたのだから。
慣れない動作に顔をしかめながらなんとか身をよじり、拳を回避する。
「あン時からしてみりゃ悪かねえが、まだおぼつかねぇな! 性能にドップリじゃねえのか、ええ?」
図星だ。イナが舌を打つ。
真正面から殴り合うことなど、これまでに数回あれば良い方だった。
だからと言って、易々と挑発に乗るわけにはいかなかった。
「シャウティング……バスタードッ!!」
精一杯の反抗は、同時に召喚の詠唱でもあった。
背負う鞘から剣を抜くように振った手には、収束し形をなしていく光が握られている。
輪郭と質量を得た光は色づき、やがてイナには見慣れた武器がそこに具現化していた。
シャウティング・バスタード。
小型の砲身を長い刀身に収めた大型のブレードだ。
柄も銃のグリップの意匠が混じり、人差し指と中指をはめ込む輪にはトリガーが仕込まれている。
「それがボウズの獲物か!」
「言え、アンタはなんで『そこ』にいるッ!!」
重さなどまるでないように振り上げ、イナはゼライドに斬りかかる。むろん、胸部のコアは狙っていない。
しかしそれもお見通しだろう、生半可な攻撃は軽々と回避される。
そこですかさず横に薙ぐが、当たるタイミングを見計らって跳躍し、距離を取りながら回避されてしまう。
「俺だってバカじゃあねえ、ちゃんとワケくらいあるさ!」
「アンタは、連合のやることが正しいなんて思っちゃいないんだろ!?」
「だったら、てめえらは正しいのか?」
「ッ」
言葉に詰まる。
正しいのかと言われるとまず受け入れてしまい、自身を疑ってしまうイナの悪い癖だ。
「お前らが変な正しさを叫ばなけりゃあ、戦争も起こらなかった。違うって言いきれるか?」
「うるせえ、そんなの知ったこっちゃねえよ……!」
ゼライドの言うことには一理あったのかもしれないが、イナの協力している第一の理由はPLACEに絶対の正しさを感じているからではない。
「俺を信じて助けてくれた人を守るためだ! PLACEの目的なんざ、正直どうだっていい! なんだよ追い出しといて今更恨み言か!」
そのイナの言葉が予想外だったのか、ゼライドに僅かな驚きの色が浮かぶ。
「そうか。ああ、そうだな、お前を追い出したのは俺だ」
「……けど、今ならわかる。アンタが本当に、心の底から俺を嫌っていたのなら、そうしなきゃいけないと思ってたなら、あの場で俺を殺していたはずだ」
――死んだな。
あの時、意識を失う寸前で耳に届いたゼライドの言葉は、口にする必要はないものだった。
「俺の思い込みもあったかもしれない。俺を気にかけてくれたのは誰かに言われたからじゃないって。本当はあの時の命令だって納得はしてなかったって。……俺を逃したせいで随分な扱いを受けたはずだ、罰も半端な物じゃなかっただろ」
ゼライドは答えない。
代わりに腕を振り上げ、黒い石のようなものをばら撒いた。
むろん、石などではない。
シャウティアの解析能力を利用して小型の爆弾であることを察知したイナは、もろに浴びてしまわないように回避を迫られる。
(後退? いや、ここは無理やりでも距離を詰める――俺の意思ごと、ぶつかりに行くッ!)
「ボウズならそうするよなァ!」
身をわずかに屈め懐に飛び込もうとするイナに対して、ゼライドが再び小型の爆弾を撒く。
予想できていたことだ。だからといって具体的な策があるわけではない。
ゼライドに対してはシャウティアのバリアが確実には機能しないこの状況では、バスタードによる防御が無難だろう。しかしイナが取ったのは、そのままの直進。
特に対策をしたわけでもない為、イナの目の前と背後で小さな爆発が連続して起こる。
これくらいでエイグが破壊されることはなくとも、確実な足止めにはなる。
その筈だった。
しかし爆発から間もなくして、黒煙を引き裂いてシャウティアが現れる。
赤と白の装甲には、多少の傷はあれど爆発によると思しきものは見られない。
成功したのだ、バリアの正常な発動に。
「チッ」
ゼライドが舌打ちして反撃の姿勢を取る。
素早く繰り出される右腕のストレートは黒煙を貫き、彼から見て左に飛んだイナには腕を曲げても当たらない。
「チートは使わないんじゃねえのか!」
「好きで出してるんじゃねえッ!」
いつも以上に興奮しているせいか、イナの口調もゼライドを真似たように荒々しくなっている。
あるいは、彼を理解しようとした結果なのかもしれない。
彼は今まさに、その相手に再び上段から斬撃を食らわせんとしているわけだが。
「どうしても連合軍を離れられない理由があるなら、俺がこいつでぶった斬ってやる!」
「だったら余計に……斬られるわけにはいかねえな!」
ゼライドもモノを振る動きを取り、瞬時に実体化したブレードでイナのバスタードを受け止める。
鍔迫り合う刃の間から、火花が散った。
「何が……何がアンタにそこまでさせるッ!!」
「さあな、馬鹿正直に答えてやるつもりもねえ! どうせすぐに答えは出る!」
「ガッ!?」
このまま鍔迫り合いを続け更に情報を聞き出そうとするが、ゼライドがイナの腹を蹴り飛ばしたことで対話は中断される。
だからと素直に折れるイナではない。
すぐにまた仕掛けようとして――右方から、曖昧な『危機』を感じた。
防御は自動だ、今回も無傷で済ませられるだろう。
問題はこれが時間稼ぎであること、防ぐにしても隙は生まれてしまう。
無意識下の逡巡の間に、予感通りに砲撃は近づいてくる。
『――ビンゴ』
脳裏を駆け抜ける、囁くようなアヴィナの独り言。
到着を目視で確認するよりも早く、それを告げる弾丸が空を切り、砲弾を貫いた。
それは周囲に爆炎を撒き散らすが、イナには届かない。
『あちゃあ、まずった?』
(十分だ、まだ逃してない!)
彼女の芸当には驚いたが、視線はまだゼライドに向けられたまま。
せめて腕だけでも斬り落とそうと剣を構えた瞬間、再び右方から危機を感じる。
二回目の砲撃、とは違うようだった。
細かな粒が接近するイメージだ。だが、ゼライドが投げてきたような爆弾ではない。
更に詳細に情報を求めようと、そちらを向いたのが最後。
神経をこじ開けるような衝撃を受け、イナの意識は一瞬で闇に沈み込んだ。
電撃。
それはすぐに目覚められるほどの弱さではあったものの、ゼライドが撤退するには十分すぎる隙を生んでいた。
「くそ、待てよ……!」
《ダメだよ、無理しないで!》
シャウティアが案じるように、まだ全身が痺れていた。
架空の人間であれば製作者の都合で簡単に立ち上がることもできるだろうが、ただの人間でしかないイナには酷だ。
『だーから、まずったって言ったのに』
(……お前が近くにいるってことは、そっちは大丈夫なんだな)
『まぁなんもなかったけど、あくまで結果としては、ね? 帰ったらちゃぁんと説教受けること。いーね?』
分かったとは言いたくなかったが、既にレーダーの範囲を離れたブリュードを無理に追うこともできず、冷静になった彼にはそうせざるを得ないことくらいは分かっていた。
渋々といった感情を溜息に込めながら、無言で肯定の意思を示す。
エイグに乗っているだけが理由でない足取りの重さに辟易としつつ、イナは基地へと帰還を始める。
道中レイアになんと話したものかと、ここで会ったことを振り返ろうとするが――どうにもやはり、巧く伝えられる自信はなかった。
ふと脳裏のレーダーに加えて表示させた現在時刻を見れば、未だ正午を過ぎてはいないことを認める。
シャウティアで戦闘したのちに時間を確認すれば、大体いつもこうだ。
移動を含めれば、イナの体は間違いなく数時間を感じていた。しかしそれはシャウティアで自身の時間の流れを遅めたからであり、実際には数十分ほども経過していない。
その疑似的な時差が疲労の原因であることはおぼろげにも分かっていたが、若い身体ゆえに多少の無理が押し通るのだ。
レイアを始めとする周囲のPLACE隊員の心配は、そこにも由来しているのだろう。
そんな彼を陰から気遣うような視線に、イナは道中気づく事はなかった。




