第18話「堕ちゆく誓い」:A2
薄緑色の目を開いたイナは、ここが何処なのかが一瞬分からなかった。
寝起き直後の頭痛を払いながら、イナは身を起こす。
敷かれた布団は柔らかく、整ったベッドに身を預けていたようだ。
周囲が薄暗いのは、寝ぼけ眼だけが原因ではなく、窓の外に広がる空が雲で覆われているからだろう。
視線をあちこちに向けてみても、大して人影は見当たらない。
だが多数のベッドやカーテンといった設備を見る限り、休憩室と救護室を兼ねた場所だろうか。
(……さっきまで戦ってたはず……ここはどこだ?)
人影も見当たらず、声も聞こえないのを訝しみながら、イナは念じるように愛機、シャウティアへと問いかける。
返事は瞬時に来た。
《おはよう、イナ。睡眠時間は18時間43分、現在時刻は11時22分。ここはまだカナダ、PLACEの仮設基地だよ。帰ってすぐに気絶したから、レイアさんに任せたの》
一瞬だけ、聞き慣れたその声に驚いてしまう。
だがすぐにそれがシャウティアのAI、悠里千佳を模したに過ぎないものだと思い出す。
するとそれを察したらしい彼女が、人間のように口ごもりながら声を響かせた。
《……その。あれはちゃんと現実だったよ。イナは私を、悠里千佳を感じてた》
(それって、どういうことなんだ。これもシャウティアの力なのか?)
《……それは》
言えないらしい。
以前から何か大事なものを隠す癖のようなものはあったため、答えてもらえなくとも、もはや諦めていた。
あるいは、シャウティアはイナの意識を参照して話すこともあるため、イナの知らないことは知らないと改めて言っているだけなのかもしれない。
いずれにしても、ひとまずチカは存在し、連合軍の手中にあると考えてもいいかも知れない。
ただ他人に提示できる確かな証拠がない以上、不用意な言動は控えるべきだろう。
あくまで可能性。だがそれが真実であった場合、最悪の事態をどうしても考えてしまう。
とはいえど、中学生相当の彼の頭では『最悪』にも限界がある。
精々、複数人に囲まれ凌辱を受けることくらいだが……想像したところで気が滅入るだけだ。
(……それに、そこまでして戦場に出す意味が分からない)
加えて、彼女が戦えるとも思えない。
少なくともイナは今までの付き合いから、彼女に対して強いというイメージを抱いてはいなかった。
にもかかわらず、わざわざ戦場を出した理由は――
(俺への揺さぶりか?)
《可能性はあるね》
その理由は気になったが答えは出ないため、イナは別の疑問を浮上させる。
(……なんで、チカはあそこにいたんだ?)
イナは自身の誕生日の夜、外を歩いていた筈が、いつの間にかこの世界に誘われていた。
時間の違いや彼の常識を外れた存在を根拠に異世界と断定したものの、元の世界に帰る術がないため、偶然手に入れ現在に至るまで搭乗していた愛機シャウティアにより、連合軍の保護を離れたのちPLACEに協力することを決めたのだ。
同じようなプロセスを彼女も経たと考えるべきだが、イナ自身の事例が特殊であるため、答えに近づくこともままならない。
(……けど。俺への揺さぶりが目的なら、また何か行動を起こしてくるはずだ)
《そうだね。ひとまずは皆のいるところに行こ》
なまっている体を伸ばしながらベッドを離れ、イナは救護室の外へ出る。
たまに吹いてくる風が半袖の彼には少し肌寒く感じられたが、動けないほどではない。
こういった環境の違いから、ここが慣れた土地ではないことを実感する。
あたりを見渡し、ここが森の中で、レンガ造りの箱のような建造物――いわゆるトレーラーハウスの類だろう――がいくつもあるのを確認する。
武装している人間が散見されているが、あまり空気は張りつめていない気がした。
(……俺が寝ている間に戦闘は?)
《すぐ近くに痕跡はないね》
ふうん、と返事代わりの吐息を漏らそうとして、イナは体の内側がひどく乾いていることに気づく。
そこで彼は、思い出したように喉を潤す手段を選んだ。
だが、近くの水道の蛇口を捻るでもなく、水の入ったボトルを探して手に取るわけでもなく。
両手で作った器に、焦点を当てていた。
(……水。この手に収まるくらい。温度は……そんなに冷たくなくていい)
誰かに言うでもなく、否、あえて言うならば世界の摂理に対して、イナは願望を伝えていく。
するとどこからともなくヒュレ粒子がイナの手に収束し、少しずつ透明な液体が彼の手の器を満たしていくと同時に、体温と大きく離れた温度を彼の手に伝える。
成功したと一安心し、隙間から零れて量が減る前にそれを喉に通していく。
肌寒い中で温かくもない水を飲むと更に寒くなった気がするが、体の芯が引き締まるような感覚でぼやけた思考が明瞭になる。
「おー。慣れたもんだねえ、イーくん」
聞き慣れた幼い声の方を向けば、アヴィナの紅色の瞳と目が合う。
彼女はいつもと変わらない笑顔で駆け寄り、イナの腕に抱きつく。
「ちょ、ちょ……っ!」
「どったのイーくん? こういうのは不慣れ~?」
隠すまでもなく、イナは性欲も盛りの思春期中学生。
一応の想い人がおり駄目だと分かってはいても、満更でもないのが本音だった。
が、やはり罪悪感はあるので、彼女の体を優しく振り払う。
「あーん、いけずぅ」
「……それはそうと、今どうなってる。知ってるか?」
んー、と唸り無駄な身振りを山盛りに、アヴィナは記憶を掘り起こしているようだ。
「とりあえずコーチャクジョータイ。虎の子がやられて困ってるんだろうねえ」
「虎の子……ね」
シャウティアを模したような青い推進器を背負うエイグ、ルーフェンのことだろう。
それを撃墜したのは間違いないが、問題は。
「もう一機出てきたんでしょ、ボクらもちらっと見たから。けど、とりあえずはナイショね」
周囲を見ればわかる。
ルーフェンを撃墜したという情報が広まり、勝利への道筋が再び見えたことで少し浮ついた空気が流れている。
ここでまだルーフェンが残っているなどと言える度胸は、さすがにない。
「……もう一度、やるか」
「だぁめ」
俯きがちに言うイナに、アヴィナはたしなめるように人差し指をピンと立てる。
言われてすぐ、彼女やレイアのことを考えていなかったと反省した。
「違う違う、ボクは別にいいけどさ。イーくん無茶言ってるのわかってる?」
「無茶って……俺はただ」
「アレが少なくとも2つあったってことは、3つ4つあっても不思議じゃないってこと。さすがに負けるかもしんないのに、行っていいよとは言えないよ」
「でも……」
イナ以外に対処できる人物は――正確には、シャウティア以外に対処できるエイグはいない。
そして、ルーフェンをすべて撃墜しなければ、PLACEに勝ちはない。
そのことはアヴィナもわかっているだろう。
「イーくん。もう、無理しないで」
「な。なんだよ、急に……」
いつもと違う真面目な調子に、イナもたじろぐ。
先日のことがあって心境に変化があったのかもしれないが、それとは別の感情がある気もした。
「イーくんはこの世界のヒトじゃないんだから、PLACEじゃないところに帰る場所があるんでしょ。こんなところで無理して死んじゃ駄目だよ」
「なんで……そんなこと言うんだ」
心配されていることはわかる。それを無視できないのもイナだ。
しかしだからと言って、自分にしかできないことがあるのに黙って見ていることなどできはしない。
それが負け戦ならば、余計に。
「出ずっぱりでみんなまずいって思ってるってことだよ。さすがにイーくんの性格はなんとなくわかってきてるけど、ボクもさすがに止めないと死んじゃうって思ったわけ」
他者の意思を強く尊重するイメージがあったわけではないが、自分の意見を押し付ける印象もない。
そんなアヴィナが自分でそう言うのだから、よほどのことなのだろう。
しかしイナにも止まれない理由がある。
「……それでも、確かめたいことがあるんだ」
「うん、だろーね。それはなあに?」
「最後に一瞬出てきたあのエイグ。乗ってるのが、俺の元居た世界の……知り合いかもしれないんだ」
「なるほど、そりゃあムキになるわけだ」
アヴィナは腕を組みながら、大げさに頷く。
こんな時でも緊張感に欠けている。
「つまりイーくんの目的が果たされれば、ボクらも勝てるかもしれない。とりあえずは目的が一緒ってことだね」
(……なんだ? さっきから妙によそよそしいな……)
彼女の口ぶりは、イナがPLACEの一員ではないかのよう。実はさきほど除名された、と言われたら信じてしまうだろう。
「ま、決めるのは偉い人とイーくんだからいーや。わすれてちょ」
「うん……?」
アヴィナの意図がつかめないまま――否、いつもつかめていないが――一方的に話を切り上げられ、彼女は背を向けて歩き出す。
「とりあえずごはん食べよ、ね? この辺の案内もしたげるからさ」
空腹は人をマイナスの方に向ける。
過去の経験からもそれを知っていたイナもその部分には納得し、控えめに了承する。
彼女が何か本音を隠しているのは気になったままだが。
「……じゃあ、まあ、うん」
「はいは~い」
迷いない足取りで駆けだすアヴィナをほほえましく思いながら、イナは彼女の影を追う。
多くの隊員が収容できるような、特別大きな建物がないことを不思議に思いながら歩いていると、風に乗って食欲を刺激するスパイシーな香りが鼻腔をくすぐった。
その源を探すと、緑色の巨大なテントが目に入る。アヴィナもその下でイナに手を振っていた。
見れば奥の方で大鍋を用いて調理されており、複数のカウンターから隊員たちに配られているようだ。
「ほら並ぼ? 今日はカレーだって」
「なんかキャンプみたいだな」
どこか席のある場所へ移動する者もいるようだが、すぐ近くの地べたに座って食べる者もかなり多い。
とてもそんな気分にはないが、どことなく和やかな雰囲気の中ではイナがそんな感想を抱くのも無理はなかった。
「戦闘続きでピリピリする元気もない人もいるよねえ、そりゃ。とりあえずゆっくりご飯食べて落ち着かなきゃあ」
「ま、そうだな……あ、ありがとうございます」
並んだ列が案外とスムーズに流れ、イナは水の入った紙コップとカレーライス、多少の野菜が乗ったトレイを受け取った。
アヴィナより心なしかボリュームの多いカレーライスを見て、思わずごくりとつばを飲み込む。
正直なところ、空路での移動中は簡素な食事で済まされていたため、カレーライスなどという手の込んだ家庭的な料理はしばらく口にできないと思っていた。
大袈裟だが、彼は生きててよかったと言いそうになる。
「どーする? そのへんでたべる?」
「そうだな……」
周囲を見渡し、建物の壁にもたれて座れそうなスペースがあるのを確認する。
「どこに何があるとか分からないし、とりあえずそこの壁に――」
「良ければ、同席しても構わないか」
不意にかかった声にイナは驚き、手放しそうになったトレイになんとか力を入れ直す。
幸い、何も零れていなかった。
「そんなに驚く必要はないだろう」
イナは振り向き、不満げな声を上げる彼女――レイアの存在を確認する。
「いきなり声かけられたら、こうもなりますよ……」
「まあいい、そこに座るんだろう」
「わぁい、隊長さんもいっしょ~」
そろそろ慣れたと思っていたが、改めて目の当たりにすると、歳の離れたこの二人が親しげにしていることへの違和感が湧き上がってくる。
「どうしたイナ、呆けて。そんなに嫌か」
「いや、そうじゃなくて」
既に座る二人に並んで地べたに腰を下ろし、イナはあぐらをかいた足にトレイを乗せる。
「そうじゃなくて、なんだ?」
「……いや、その。忙しくないのかなって」
なんとか話題をそちらに向かないよう取り繕う。
するとレイアは苦笑して、自嘲気味に目を細めた。
「忙しいさ、今朝も早くから日本支部やイギリス支部の司令と連絡を取っていた」
「……何か言ってましたか?」
「日本支部で特別大規模な戦闘はなかったそうだ。隊員も別段異常はみられていない」
「んぐ。そんじゃ、イギリスの司令さんは~?」
早くも唇の端にカレールウをつけているアヴィナが問いを続ける。
「ズィーク司令からは、今しばらくここで待機し偵察、必要であれば戦闘を行うよう指示された」
「……目標が目の前にいるのに?」
「ああ、それだが」
カレーを咀嚼しながら、レイアが懐から携帯端末PLACEフォンを取り出す。
イナやアヴィナも同様のものを所持しているが、今は一括で保管されており手元にはない。
独自のインターフェイスやツールだろうか、見慣れないレイアウトの画面にはニュースサイトらしきものが表示されている。
そこには、ファイド・クラウドをはじめとする国連議員がニューヨークからの脱出に失敗し、搭乗していたシャトルが墜落したことが報じられていた。
「……え?」
「んにゃ、初耳~」
「本当に先ほどだからな。空気が浮ついているのはこのせいでもある」
墜落したという以上のことはわからないが、つまり高い確率でファイドは死んだ。
つまり、PLACEの作戦の目的は果たされたということであり。
PLACEは連合軍に勝利した、ということだろう。
しかしイナがその手を下したわけではない結末には、いまいち実感がわかなかった。
「とはいえ、残存戦力は抵抗の意思を残している。お前が倒せなくとも、他のエイグは倒せる可能性があるからな」
「戦いはまだ、続くと……」
だから、なのだろう。
アヴィナが急に距離を取ろうとしていたのは。
後の戦いはPLACEによる事後処理でしかなく、そこにイナは必要ないということだ。
「ところで――ああ、食べながらで構わん」
僅かな沈黙の中、イナは既にカレーを口に運んでいたので、レイアの言う通りにしながら耳を傾ける。
まだ何か言われることがあるのかと、やはり身は強張る。
これまでやれるだけのことはやってきたつもりであるが。
「先の戦闘中、調子を崩したようだが。あの時は何かがあったのか」
言われてみれば投げられて当然の疑問だ。撤退の際も、レイアは彼の不調を案じていた。
イナは辛さで弱くヒリつく口内を野菜で緩和したのち、咳払いして思考を整理した。
だがあまりにも曖昧な要素が多く、うまく伝える方法が見つからず眉間にしわが寄っていく。
「言えないことか?」
「……いや、言えるけど、難しいというか」
「何をいまさら。お前が異世界から来たという話以上に、理解の難しい話もない」
冗談めかしてレイアが苦笑する。
彼女の言うように、イナは数か月前この世界に突如として現れた――としか言いようがない。
しかし確たる証拠はなく、異世界の人間と推測されるにとどまっている上、それを知っていたり信じていたりするのは、PLACE内でもごく一部である。
確かに、それよりも信憑性の薄い話はそうそうできないだろう。
だが問題は、今まさにそれをしようとしていることなのだが。
けれどもイナはレイアの厚意を無駄にはできず、半ばあきらめた状態で話を始めた。
「……赤いエイグを見たか?」
「私は見ていないが、蒼い推進器を背負ったエイグがいる、といった報告はいくつかあった。おそらくは未確認のカスタマイズ・エイグだろうが……それがどうかしたか」
「そのエイグから……なんていうか、知ってる人を感じたんだ。俺が元いた世界の人。……テレパシーって言うと分かりやすいかな」
間違いなく、唐突に超自然的なことを話題に出してしまったせいだろう。レイアは怪訝そうな表情になり、アヴィナも首をかしげていた。
「意味わかんないのはわかってます、俺も同じなんです」
「……エイグの通信ではなく、か? あれも思考を通じ合わせているようなものだし、テレパシーの類だろう」
「声が聞こえたわけじゃないんです。本当に……言葉にできない」
ニュータイプのような――といって通じるのならまだしも、イナと同じ知識を持ち合わせていない以上それは望めない。
五感に次ぐ新たな第六感とでも言えばよかったのだが、イナにはその一言がなかなか発想できずにいた。
「それが本当だとして、イナはその赤いエイグから知り合いの……気配のようなものを感じたと?」
「……そう、なるのかな」
「すまない。何せまったく未知の領域であるから半信半疑なのだが……とりあえずそれが確かだとなると、連合軍にお前の知り合いがいるということになるのか」
「……けど、さっきも言ったように確かじゃない」
「だから、調べに行こうとしたんだね?」
合点がいった風なアヴィナに、イナは控えがちに頷く。
「ならば、気が気でないのもわかる。……だが、やはりそれだけの為にお前を動かすことはできない。確証がない以上は罠の可能性も否定できないからな。……すまない」
「いや、いいんです。話せて少しは落ち着いたし」
イナは改めて自分が焦っていたことを自覚し、溜息を吐いて残りのカレーをさらい胃に収めきった。
思えば、落ち着いたのはちゃんと食事をとったおかげでもあるのかもしれない。
その感謝も込めて、イナは空になった食器に手を合わせた。
「ごちそうさま」




