第17.5話「幕間③」:A1
困っている人を見捨ててはならない。
物心がついたばかりのイナでも、そのことは架空の物語からなんとなく学んでいた。
特に泣いている人は、急を要する。
だが、そこから助けるかどうかは個人の勝手であり、見捨ててはならないというのもイナの勝手な解釈である。
ではなぜ、彼はそんな解釈をするに至ったか。
発達の未熟な精神でも、後味の悪さというものは確かなものであり。
また同時に、この時の彼がその矮小な脳で小難しいことを考えることがなかったからである。
ゆえに幼き日のイナは、本能の赴くままに叫んでいた。
「まてぇえいッ!!」
自分たちの遊びに利用するために、女児から人形を取り上げようとする男児二人。
彼らが唐突な大声に驚き、声をした方を向くと――小さな人影からさす逆光にさらされ、目を細める。
その隙に影は跳躍し、涙ぐむ女児の前に着地する。
影は彼らと同様に小柄な体躯ながら、足を開いて腕を組む堂々たる姿は、妙な威圧感を放っていた。
先ほどまで下卑た笑みを浮かべていた男児たちも、息を呑んで押し黙る。
「よわいやつからモノをうばうなんてヒキョウだぞ! サイテーだぞ! エゴっていうんだぞそれ!」
人差し指を向けながら、イナは一気にまくしたてる。
むろんこんな年代の子供がエゴなんて言葉を知っているわけがない。イナは調べたので知っていた。
ともかくイナが怒っている、自分達が責められているとわかったのだろう、支配者たるセンセイに発覚する前に男児たちは足早に去っていく。
悪は去った――と言わんばかりに、イナは鼻息を大きく吹き出す。
「だいじょうぶ?」
イナは振り向き、女児に声をかけながら手を差し伸べる。
恰好をつけたかったわけではない。
ただ単に、『悪』を許せなかった。
泣いている『君』を見過ごせなかっただけだ。
そして。
架空の英雄たちならば、きっとこうした――自分の中にある幻影が、背を押すのだ。
気取って言えばそんなところだが、身も蓋も無くしてしまえば真似事である。
ごっこ遊びのたぐい。
しかし。ゆえにこの時のイナに、好意を寄せてもらおうなどという邪な思いはなかったのである。
「……うん……ありがとう」
青い瞳いっぱいの涙をぬぐいながら、女児が立ちあがる。
このときの彼女こそが悠里千佳であり。
二人のかかわりは、ここから始まったのである。
ただ。
イナにとっては、忘れてしまいたい若気の至りでしかなく。
とてもロマンチックな思い出などでは、ない。




