第17話「それぞれの始動」:A3
(ねえ、シアス)
《なんだい》
一足先に修理作業中の輸送機に戻ったアヴィナは、格納庫に横たわるシアスの許を訪れていた。
アヴィナが搭乗しなければ動くことのない機体の周りを歩きながら、彼女はAIに問いかける。
(はっきりしたこと、まず一つ。君は『シアスさん』じゃない)
記憶がはっきりしてきた中で、このAIが模した声の人物は『アルフレッド』の方だと判明した。
つまり、『シアス』は別にいる。
(でもって、日記に書かれた名前の中にシアスってのもなかった。ボクも呼んだ覚えがない。けど頭の片隅にあるんだ、どの記憶にも結び付いていないけれど)
シアスは答えない。
(もちろん、君はボクの記憶をもとにしただけのAIだし、知ってるわけないと思うけど。可能性がありそうなのは一つ、思いついた)
アヴィナはこの一帯が戦火に焼かれた原因も分からず、その時何が起こっていたのかも、記憶の有無を含めて判明していない。
だが、そこに鍵があると彼女は考えている。
(そのシアスって人が、君やあそこにいた子たちをヤったことに関わってる。直接かどうかはわかんないけどね)
《……復讐心、かい》
(似たようなもんかなあ)
足が止まる。ちょうどシアスの顔の前だ。
(知りたいのさ、『キミ』が何者なのか。ボクが何者なのか。わかんないって気持ち悪いし)
生き残ったからには何か理由があるはず――というのは、虚構の動機。
結局のところは、自分の欲望に従うだけだ。
(それでもし、シアスさんが悪者なら……懲らしめるくらいはしてもいいかな)
《そんなのでいいのか?》
(だってボクにやられたって実感ないし。ボクはただ『アリサ』にケリをつけたいだけだよ)
正直、アヴィナという今の自分と、アリサという過去の自分が今にも混ざってしまいそうで、なんとか過去のことと言い聞かせることで寸止めているような状況だ。
(……でも、そーだなぁ)
アヴィナの紅い視線が、通路に向けられる。
そこには音も立ててないのに気付かれたことに驚くイナの姿があった。
慌てているものの隠れようとはせず、こちらの様子をうかがっている。
そんな彼に対し、アヴィナは微笑みかける。
(全部終わったら、またアリサになろっかな)
《それも、過去との決別かい》
(だね。まああえて言い換えるなら、リスタート?)
アヴィナとして認識している人々には迷惑をかけてしまうかもしれないが、どうせこの作戦が終われば結果はどうあれ隊員は解散するだろう。
不完全な組織がそのまま国連にとって代われるとは、いかに子供のアヴィナでも思っていない。
その時、自分がどこで何をしているかはわかるはずもないが。
(イーくんの傍になら、僕の居場所はあるのかな)
この世界において、一人だけで生きることができる力を持つ人間。
まだまだ未熟で頼りない部分があるのは事実だが、目の前のこと、課せられたことに真摯に取り組もうとする姿勢は本物だ。
彼ならば許せることも多いように思う。
好意――というと少し大げさな気はするが。
「好きだよ、イーくん」
彼に聞こえないのをいいことに、彼に向かってつぶやく。
自分の中にある、不明瞭な気持ちを確かめるように。
しかしながら結局、経験の薄い自分にはわかりようもなかった。
シアスに問いかけても、答えをよこさない。
ただ一つ――妙に鳥肌が立ったあと、足の先から頭のてっぺんまで、アヴィナの肌が熱くなっていたのは確かだった。
□ □
(……ニュータイプかなんかかよ……)
イナは音を立てないように注意しながらここへ赴いたのに、着いた途端にアヴィナに気づかれてしまっていた。
ひとまずレイアから様子を見るよう命じられたものの、これでは目的は果たせないかもしれない。
とはいえ彼女に逃げる様子もなかったのでしばらく見ていたが、特に異常は見られていない。
さすがに戦場でも調子を崩さない彼女だ、それは虚勢を張っているのではなく、本当に強い精神力を持っているのだろう。
イナも見習うべきだとは思うが、仕方はない。
(でも大丈夫かな、これからアメリカ行くってのに)
輸送機の修理は順調らしく、夜が更ける前には移動を再開できるという。
いわく作戦に変更はなく、ほどなくしてニューヨークで多勢を相手にするわけなのだが。
そう考えれば彼女の事情を知るレイアでなくともアヴィナのことが心配になる。
(……俺がすぐ、終わらせればいいのか)
作戦の目的は、国連事務総長――実質的な連合軍のトップである――ファイド・クラウドの沈黙である。
表向きは確保としているが、そこまでする余裕があるとは言えないため、今はそうと言われているらしい。
ともかく、イナならばそれができるはずだ。
多勢をすべて殲滅し、国連本部にいるファイドを確保することが。
《……ふうん、優しいんだ》
(……これも嘘だって言いたいのか?)
今や優しいという評価が信じられないほど、イナは敏感になっている。
《ぜーんぜん。もう、これっぽっちも》
(じゃあなんでそんな不機嫌そうなんだ……)
シャウティアのAIはイナの幼馴染、悠里千佳を模している。
より正確には、イナのチカに対するイメージが投影されている。
要するにこの反応も、イナが『チカが自分に好意を抱いていたら』という妄想が投影された結果、嫉妬しているように見える――といったところか。
さすがにエイグのことも何となくわかってきたイナだ、そこまでは理解が及び、悲しさすらも覚えている。
(でも……なんなんだろう、この感じ)
確かなのは、イナもアヴィナが気にかかっていること。
それはもちろん、彼女に同情したゆえでもある。
だが同時に、これを恋慕と勘違いしているのではないか。そんな思いがよぎってくる。
(チカもそうだ。未だに好きなのか、ハッキリできてない)
恋愛というものは、架空では媒体を問わずラブロマンスだとかラブコメディだとかでいやでも目にしてきたものだ。
だがこれは現実だ。
いざ架空で見たものと同じ状況になったとき、イナには分からないことが多すぎるのだ。
そこで好意の有無を明確にしようとして、まず出てくるのが――性行為。
要するに、快楽。
思春期の男児ゆえに致し方ないところはあるが、それだけではいけないという分別は持っている。相手の些細な癖が気になってしまうというといった話は、どこでもよく聞くからだ。
が、一つ問題がある。身近な異性には似たような感情を抱いていることだ。
要するに性的な目で見れることが第一段階である、または要素の一つであり、そこからさらに一人を選び取るにはまだプロセスが必要なのである。
でなければハーレム願望の持ち主である。
それもまた良いと思ってしまうのも年頃ゆえだが、そう都合よくは行かない。
総合すると――好意を認めるには要素が足りず、その要素がなんなのか、イナには理解できていないのだ。
(とはいえ、俺が好きでも相手がそうだとは限らんしなあ……)
それも彼を悩ませる難しさの一部だった。
加えて、むろんのことイナは童貞である。心体問わずだ。
初めて思いの丈をぶつけた人間が、自分を好きであったなら――という理想が、難しいことくらいは知っている。
わかっていても、受け入れがたいのがまた厄介なところだ。
(……まあ、ないだろ。変な目の陰気なオタクだし)
と、ふいに心に冷たい風が吹いて冷静になる。
不明瞭で芽生えてすらいないラブロマンスにうつつを抜かしている場合ではない。
今はアヴィナに負担をかけないようにと決心し、イナは格納庫を去るのだった。
――その直後だった、『それ』の出現が伝えられたのは。




