第17話「それぞれの始動」:A2
「んぁー?」
壁にもたれて眠っていたアヴィナが、間延びした声を上げながら目を覚ました。
口を開けたままだったので、涎まで垂らしている。
「……よく寝れたな、さっきまで戦ってたのに」
呆れながらイナが言う。
目元と口元をこすりながら、アヴィナは首をかしげる。
すると急にスイッチが入ったように、目を見開いて人差し指をピンと立てた。
「おぉ、アメリカ突っ切ったんだっけ」
「それで今はPLACEのカナダ基地に来てる……だよな?」
《合ってるよ》
エイグに記録された正確なデータをなぞれば、間違いようもない。
だが未だに、安全が確保できたとは言いづらい状況だ。
いま最も守りが厚いのはアメリカ。そこを抜けたとはいえ、隣国のカナダに戦力を割いていないわけがない。
現在のPLACE日本支部遊撃隊の戦力は、イナのシャウティア、アヴィナのシアス、レイアのシフォンのみ。
途中まではメキシコの仮設基地部隊の援護もあったが、足手まといになることを憂慮して突撃前の中継地点で別れている。
事実アメリカ突破においてはシャウティアの力があるとはいえ他者に気を配る余裕はなく、彼らの判断は正しかったと言える。
問題は――体力的な限界。
いつ敵が襲ってくるか分からない状況に陥って初めて、イナは事の異常さを実感していた。
(人を殺すとか、それ以前の問題だ……)
シャウティアの補助もあり、殺生に迷うような状況にはなっていない。
だがこのままでは迷う前に戦えなくなってしまう。
「そーいや、たいちょーさんは?」
「少し寝てるらしい。エイグに起こしてもらうからって」
ちらと右の座席にいるレイアの様子をうかがう。
飛行音でかき消されているが、寝息を立てているのがわかる。
「イーくんもそれで寝たらいいのに」
「……なんていうか、体は疲れてないんだ」
疲労感は果てしないのに、寝ようとしても眠れないのだ。
何度か徹夜した経験もあるが、その時とはまた違う感覚だった。
「ほーん、若いんだねえ」
「何度言われてもツッコみたくなるな、その発言……」
シャウティアなどという異常存在があるのなら、熟練の女性が幼い姿に若返るなどという異常現象もあり得るのではないかと思ってしまう。
発言にある妙な含蓄もその仮説を裏付けている。
「とりあえず起きれるとしても、みんな寝てるのはマズいだろ。だから一応起きてた――おわッ!?」
不意に輸送機全体が揺れ、あやうく舌を噛みかける。
何事かと口にするよりも先にレイアが目覚め、機内通信が入る。
『エンジンに無茶をさせすぎました! 急で申し訳ありませんが、開けた場所に着陸します!』
「了解した、我々は念のためエイグに搭乗する。必要があればサポートに回る」
『どうかお気をつけて……通信、切ります!』
無言で視線を合わせ合い、レイアを先頭に格納庫へと駆け出す。
同時にイナは脳内にレーダーを浮かべ、昼間ながら周辺に目立った敵影がないことを確認する。
(シャウティア、輸送機の状況とか分かるか?)
《構造とかは分からないけど、変な音は聞こえない。たぶん、派手な故障はしてないんじゃないかな》
(ならとりあえずは、大丈夫か)
ならば座席にいても良かったのではと思うが、万が一の不測の事態で大きな衝撃が加わっては無事では済まない。
訓練を受けた操縦者と言えども、彼らも人間だ。疲労で腕が落ちることも考えられる。
そういったことを考慮すれば、エイグの中にいる方が安全だろう。
着地まであとどれほど猶予があるのか分からないが、ともかく駆けていたところ――後ろにいるアヴィナの足音が止まり、イナも立ち止まって振り向いた。
何か放心しているように見える。
「アヴィナ、大丈夫かッ!?」
「……え。あぁ、うん、ちょいと疲れがねぇ」
明らかに別の要因があるが、イナはそれに気づかずにまた走り出した。
それから――輸送機は無事に着陸した。
人の手が加えられていない荒地は本来飛行機が着陸するような地形にはなっていないため憂慮されたが、付近の森林に開けた場所があったため、事故は回避された。
ただやはり、機体には無理をさせたらしく。
「我々でもやれる範囲ですけど……これは少し時間がかかります」
「手伝えることがあったら言ってくれ。二人は機内で休憩……おいミヅキ、アヴィナはどこだ」
「あれ、さっきまでそこに……あっ、あんなトコに!」
気取られることなく姿を消したアヴィナは、周囲の廃墟――というよりは残骸というべきものの傍へと駆けていた。
無事に着陸するまで意識する余裕はなかったが、どうやら戦場の跡らしい。
「……何があるか分からん、連れ戻してこい」
「は、はい」
ため息交じりの声には、疲れ以外のものも含まれているような気がした。
だがイナにそんな詮索ができる脳はなく、やたらとすばしっこいアヴィナを追いかけるので限界だ。
「ちょっ……アヴィナぁ! 待ってくれよ!」
手を振って声を上げてもアヴィナは振り向きもしない。
マイペースなのは今に始まったことではないが、今回は度が過ぎている気がした。
何かに取りつかれたよう、というと少し大げさだが、狂気を滲ませているのはイナでもわかることだった。
(なんでレイアさんもアヴィナも……ここってヤバい軍事施設とかなのか?)
呼吸を整えるために立ち止まりながら周囲を見渡す。わずかに残った残骸から窺えるのは、民家であろうことくらいだが。
(でも、この周りは森だし、それを抜けても人が住んでる感じはなかった)
《ここだけで完結してたってことじゃないのかな。畑の跡もあるし》
(それなら、なんで戦場になったんだ。プレイヤーがいたとか?)
《……わからない。今はとりあえずあの子を追おうよ》
疑問は解消されなかったが、チカの――シャウティアの言う通りだ。
不明瞭なことに時間を割いている暇はない。
見ればアヴィナは、ひと際大きかったであろう建造物を漁っている。
それだけはどうやら木材のみで建築されたものらしく、あちこちが焼け焦げて元の輪郭も想像できない。
他の残骸に比べて調べる価値は明らかにないと思うのだが、アヴィナの目にはそうは映らないらしい。
服や肌にすすがついてしまうのも構わずに調べ物をしている彼女にようやく追いつき、イナはその背中に恐る恐る声をかける。
「ア……アヴィナ?」
「う、うう……っ!」
途端に、アヴィナが頭を押さえて苦悶の声を上げる。
反射的に自分が声をかけたせいかと思ってしまうが、そんなはずはない。
突発性の頭痛というにはあまりにも急だ。
普段からそんな癖があったようには思わない。
だとすれば何か。彼女の中で異変が起きているということか。
イナはすぐにレイアへ通信をつなぐ。もう慣れたものだ。
(レイアさん、アヴィナが苦しんでます!)
『……予想はついていた』
(は? な、なにがですか?)
一切事情が分からないイナは、素っ頓狂な問いかけしかできない。
レイアも答えるのを少しためらっているようだったが。
『ここは……私がアヴィナを発見した場所だ。あいつは、その時の戦闘のショックで記憶がない』
(えっ、でもそれじゃあ、いまアヴィナは)
『見える範囲で距離を取れ。記憶の内容は定かではないんだ』
不安の混じった信号とともに、イナの中に思い出したような閃光がよぎる。
おそらくはレイアの記憶が同時に乗ってきたのだろう。
燃え盛る家々、下敷きになった男。
意識を失った今よりも幼いアヴィナ。
男のその口元が震えながら動き――レイアに伝えたのは、アヴィナの名前か。
どうやら、アヴィナというのは本来の名前ではない可能性があるらしい。
そんなことまで伝わってしまうあたり、レイアの動揺が伺える。
ひとまずイナはアヴィナから視線をそらさず後退を始める。
ふいにアヴィナの苦悶が止まり、徐に立ち上がった。
もしも彼女が連合軍の手先で、本来の目的を思い出してしまったとしたら――などと、根拠のない不安がイナの中にも生まれる。
彼女が記憶喪失だという事実すらまだ受け止め切れていないのに、いきなりその記憶が戻る場面に出くわすなど、イナでなくても処理が追い付かないだろう。
「イーくん」
呼ばれ、足を止める。
その次につづく言葉次第では、AGアーマーを展開しなくてはならない。
「心配しなくても、ちょっと思い出しただけだよ」
その言葉も、どこまで信じていいのか。
疑いの尽きないイナの脳裏に、通信とは違う感覚が走る。
あの時と。メキシコの街で出会った少女――モニカという名らしい彼女の時と同じだ。
声にしていない、イナに宛てたものではない言葉が、思い浮かんできていた。
『……イーくん、疑ってる。仕方ないよね、一人で見るしかないかなぁ』
寂しそうな声音だ。
先ほどのレイアのような、漏れ出たエイグ通信だと解釈しているが、いまいち把握はできていない。
ともかく、これがアヴィナの内心だとすれば。
彼女には悪意はなく、むしろ傍にいるべきかもしれない。
先ほど斬り捨てた不明瞭に今度は従い、イナはアヴィナに歩み寄る。
「イーくん、ダメだなあ。たぶん隊長さんから聞いたでしょ。なに思い出したか分かんないのに近づいちゃダメっしょ」
「いや……そうかも、だけど」
「ほっとけなかったってカンジ? やだなもう、レディにだって一人になりたいときはあるんだぞっ。うっかりイーくんに八つ当たりとかしたらどうすんだい」
「でも」
彼女は強がっている。
それを指摘するのはその虚勢を踏みにじるような行為に思えて、一瞬言葉が詰まってしまう。
しかしイナは、腹をくくってつづけた。
「でも……そう言ってるけど、何もされてない。本心じゃ、ないんだろ?」
「――っ」
背を向けられたままで表情は見えない。
しかし声音からなんとなく察することはできる。
いつも笑ってばかりの彼女からは想像もできないほど、表情が歪んでいることくらいは。
「……こわいから。警戒しててもいいから、そこにいて」
彼女が吐露した感情は、恐怖が初めて明確になったものだった。
敵を前にしても調子を崩さなかった彼女の恐怖が。
見れば彼女の足元には、床下収納の扉のような。いや一般家庭にあるものと比べてずいぶんと厳重そうなそれがある。
モノを納めるというよりは、隠すためのものだろうか。
グリップの傍にキーパッドがあり、アヴィナはそこにパスコードを入力していく。
勘で当てるには難しい桁数を迷いなく打ち込むあたり、以前から知っていたのだろう。
そして気圧で空気が抜けながら、分厚い扉がひとりでに開いていく。
開放されたそこにあったのは、これもまた分厚い金属製の箱のようだ。金庫と言った方がいいかもしれない。
そのダイヤルにも臆せず、彼女は手早く解錠する。
いつものアヴィナからすれば多少の不思議も「アヴィナだから」で雑に受け入れていただろうが、今の彼女は解錠するたびに表情に滲む悲しさを濃くしていた。
まるで開いてほしくないとどこかで願っているように。
しかし道具は素直で、差し込まれた鍵が正しければ開くのが鍵だ。
差し込んだものを主だと認識し、中身をさらけだす。
おそらくはアヴィナが主ではない、その中身というのは――
「手帳……?」
「日記みたい」
数冊あるうちからアヴィナは適当に手に取り、パラパラとめくる。
内容にさして興味がないのか、あるいは特定の何かを探しているのか、最初の数ページに軽く目を通すだけで、すぐに別の日記帳をまた手に取る。
それを何度か繰り返したあと、ぴたりと彼女の手が止まった。
「これ、最初のだ」
うまく言葉もまとめられないのだろう、彼女は端的にイナに伝える。
否、一緒に見てほしいのだろう。
イナはおそるおそる近寄り、アヴィナの後ろから日記をのぞき込む。
(……日本語だ)
今までも何度も見てきたものだが、ここでもそうだった。
外国の人間がわざわざ日本語を使う理由が分からない。
ともあれ今は、これに目を通すのが先だ。
□ □
A.D.2028/10/09 Mon.
この日記を読んでいるということは――いや、やはりやめておこう。研究日誌とは違うから、昔見た映画に憧れてしまっただけだ。
それに、これを誰かに読ませる予定はないしね。
とはいえ、こうして記録する時点で誰かが読むかもしれない。
ならばあえて言うのであれば……この日記を私以外が読んでいるのならば、私が処分を忘れたということだろう。
こちらには、特に価値のあるようなことを書く予定はないのだから。
しかし、他者が見るといっても何を書けばいいのか。
ひとまず日々の出来事を書き連ねていくつもりでいるが、そうだな。
万が一ということもある。
とりあえず私を含めた彼らの名前を書き連ねておこう。
もしも彼らがどこかで生き残って、ここに戻ってきたときなんかに困らないように。
ここに生きていた人がいたことを思い出してもらえるように。
アルフレッド・ルーツ(私)
ヴィニー(女、金髪、耳の裏にほくろ)
リーズ(男、赤髪、出っ歯)
サラ(女、緑髪、二の腕にアザ)
ジョイス(男、黒髪、垂れ目)
アリサ(女、青髪、大人しい)
ミルドレ(女、茶髪、太ももにアザ)
サンドラ(女、赤髪、福耳)
□ □
イナがそこまで読むと、アヴィナは日記帳を閉じた。
推測だが、アルフレッドという男は少年少女を預かり孤児院のようなものを切り盛りしていたのかもしれない。
ただ個人の特徴に関してはあまり把握するのが得意ではなかったようだ。これでは個人を特定するのは難しいだろう。
彼が分かればよかったのかもしれないが。
「……ん? ちょっと待て……」
「気付いた? なんか誰かのそっくりさんがいたよねえ」
ぱっと見なので細かく記憶できたわけではないが、引っかかるものがあった。
女、青髪、大人しいという特徴のアリサ。
とても彼女と一致しているとは断言できないが、無視ができないのも確かだった。
アヴィナが記憶喪失であることを、考慮するならば。
アヴィナの名をレイアに伝えた男が、そのとき正確に発音することが出来なかったとしたら。
「お前は……ここにいたのか」
「そーみたいだねえ」
未だ記憶がはっきりとはしていないのか、思い出した記憶が自分のものとは思えないのか。
アヴィナの口調はどこか他人事のようだ。
「ドロップ・スターズが3年前だから、1年ここにいたかどうかだろうねぇ」
(周りに隕石が落ちた様子はなかった……軍事施設でもなさそうなココがなんで、わざわざ焼かれたんだ……?)
たとえば、その日記を書いた男、アルフレッドが軍を脱走した人物であるとか。
重要な情報を消すために襲撃した、という話は架空でもよくあるものだ。
(でも、ただ子供を預かってただけで襲われるなんておかしい)
その常識もどこまで通用するか。
だがこれまでに世界の事情を垣間見てきたイナは、自力で一つの仮説にたどり着いた。
襲撃する理由になる要因、それは。
(アヴィナは……ここにいた子供たちは、ヒュレプレイヤーだってことか?)
《でも、それに気づいてないのっておかしくない?》
シャウティアの言う通りだ。
元の世界でもイナは、プレイヤーのことは知らずとも能力を行使していたことを考えると、まったく気づく機会がなかったというのは考えにくい。
むろん、アヴィナはそうでなくとも、アヴィナ以外がプレイヤーである可能性も捨てきれない。
あるいは彼女は、既にその答えを得ているのかもしれないが。
「戻ろ、イーくん。隊長さんにはボクから話すよ」
「……うん」
残った日記帳を抱え、あきらかに複雑な感情を処理しきれていない彼女に問いを重ねることは、イナにはできなかった。
それ以前に、彼女を何と呼べばいいのかすら迷っている。
戻った時のレイアの表情は、今のイナのそれとよく似ており。
アヴィナを引き止めなかった彼を責めるようなことは、しなかった。




