第16話「独り善がりの正義感」:A3
昨晩の戦闘から、いくばくか経ったのちのこと。
立ち並ぶ背が低く彩度の高い建造物、日本の様には舗装されていない道。
少し汗ばむような気温の中、イナはレイアとともにメキシコの街並みを歩いていた。
目的は、買い出し。
それも仮設基地のためのものではなく、自前の食料を買うためだ。
本来、ヒュレプレイヤーのイナがいれば買う必要もない。それ以前に仮設基地のために派遣された隊員たちの食料を分けてもらえばよいのだが。
(……実体化ができないことがあるのか)
仮設基地の隊員はイナをあてにして、運搬する食料を少なく見積もっていた。
そこでイナが慣れた調子で実体化を行おうとして、ヒュレ粒子がつどい輪郭を取ったところまでは良かった。
しかしそこから、質量をもつことなく粒子が霧散したのだ。
「粒子というからには濃度が存在する……とミュウが言っているのを聞いたことはあるが。実際に如実に影響が出ているのを見るのは初めてだった」
「でも、基本的にエイグの弾丸とか実体化で作ってるんですよね。結構デカいですけど」
人間よりもはるかに大きな弾丸をいくつも実体化して補給しているにもかかわらず、日本支部で粒子不足になったことはない。
メキシコの仮設基地も見てきたが、仮設というだけあって日本よりも規模は小さい。
原因が全く不明なのだ。
「とはいえ日本支部は戦闘が多いわけではない。ここもそのはずだ」
「……俺、だったり?」
「シャウティアの放つ光がヒュレ粒子で実体化している、という話か。否定はできないが、それでもやはり日本で同様の現象が起きていないのはおかしい」
イナの足りない頭では、そのほかの可能性を考えることが出来ない。
「ヒュレ粒子の性質がすべて明らかになっているわけではない。まだ知られていないことがあるのか、あるいは……」
あからさまに言葉を途切らせたレイアの表情は、少しだけ険しくなっていた。
さすがに無神経に追及して怒りを買うのは控えたいイナは、もやもやとした感情を抱えたまま街を歩いていく。
いつしかテレビで見た程度のおぼろげな記憶しかないが、実際に見てみると印象はかなり違う。
無駄な緊張感もなかった。知らない街に来た、という感情以上に湧いてくるものもない。
イナにとって外の世界はもっと、未知と非常識を煮詰めた異世界のような気味悪さをもつものだったが、そんな印象がおもむろに変わりつつある。
「しかし妙だな。こうも店がないものだろうか」
「確かに……」
町に入ってからずいぶんと歩いているが、店らしき店は見当たらない。市場らしきところもあったが、そう見えるだけの通りだったりもした。
仮設の基地ゆえにそこの隊員は長期の滞在をするわけではないため、いまは保存食で済ませているようだが。これではいざというときの食料の調達も難しいだろう。
「プレイヤーを随伴させてもこれでは意味がない。最悪予定を早巻きする必要がある」
(……どうにかする間に腹減って戦えません、はシャレにならないもんな)
「! ――ミヅキ、そこの路地に隠れるぞ」
「え? は、はい」
突然何かに気づいたレイアが、イナを引っ張るようにして狭い路地に入り込む。
そして目を閉じたかと思うと、脳内に声が響き始める。
『アヴィナ、聞こえるか。私のいる地点周辺を見てくれ』
『はいほいほ~い』
邪魔をすまいとイナは沈黙している。
どうやら仮設基地で待機しているアヴィナがAGアーマーを纏い、狙撃用のスコープで周囲を確認しているらしい。
そんなものが必要だということは、非常事態に違いない。
『そっちに送りますよん』
『む……これは』
イナの脳内にも、アヴィナからのリアルタイムの映像が表示される。
『緑のAGアーマーってことは連合軍ですかねぇ。でっかいコンテナ運んでますけど』
(兵器……?)
『破壊が目的ならばエイグでいいはずだ。それに白昼堂々そんなことをすれば我々を撃ってくれと言っているようなものだ』
『それが狙い……っていうなら、近くにあるこっちを狙えば早いですよねえ。先攻後攻の問題?』
『いや……コンテナが開くぞ』
緊張が高まる中、イナも生つばを飲み込みながらコンテナの奥を中止する。
そこにあったのは、この街を焼く兵器――などではなく。
『あれは……ゴハン?』
『………』
思考を漏らしかけたレイアが、まだ渋っている。
ともかく危険はないとわかり緊張はいくらか解けたが、代わりに疑問が湧き始める。
「市民の皆さん! 国連軍です! 皆さんに食料をお待ちしました!」
(ここの人たちも食料に困ってるってことか……?)
拡声器で広く声を届ける軍人の男。アヴィナのスコープから見える住民の表情は不安げながら、その足取りはコンテナの方へと近づいていく。
『貧困にあえぐ人々に食料をねェ……いやあ、涙ちょちょぎれじゃないですか』
『やはり妙だ』
『まあ、ですよねェ』
(え、ええと……)
二人の猜疑心ばかりが伝わってきて、肝心の内容がわからないままだ。
『ミヅキ、この一帯には店どころか工場らしき施設もなく、港はあれど動いている船はなかった。畑が多少ある程度のもの……しかしそれだけでこの町がまかなえるはずがない』
(! ヒュレプレイヤー……!?)
傍にいるレイアが頷く。
『想像の域を出ないが、おそらくここはほとんどの資源をヒュレプレイヤーに頼っているんだろう』
『そうなればヒュレ粒子が少なくなって、ヨソの人には実体化ができないこともある……ってわけですね』
(……ん? でもじゃあ、ここの人たちも時々実体化ができないんじゃ)
『ひとまず確かなのは、今はあれに頼らざるを得ない状況であること。ミヅキ、いつでも動けるようにしておけ。アヴィナは万が一に備えてシアスに搭乗してくれ』
『あいあいさ~』
のんきな返答を最後に、通信が切れる。
戦闘になるかどうかはこのあとの行動次第だろう。
「敵が現れた以上、買い出しどころではない。戦闘が起きる前に基地へ戻り撤収の準備を始めるぞ」
「……はい!」
走り出したレイアを追い、イナは狭い路地を駆け出す。
陽の当たらない影の中はごみ箱や野良猫が寝転んでいるくらいで、住民は皆コンテナの方へと向かっているらしい。
明らかに体力に差があり、少しずつ二人の間に距離が生まれ始める。
レイアも時折気を遣ってくれているようだが、速度を落として見つかる方が危険だ。
イナもそれを理解して追いつこうとするが、やはり限界やこれまでの疲労もある。
極めつけに、十字路を抜ける際の左側からの人影――。
「ッ!?」
イナは慌てて身を翻し避けるが、体勢を崩してしまう。
そのままでは壁に激突してしまいそうになるところを、すかさずレイアが受け止める。
「ご……ごめんなさい!」
目まぐるしく動いた視界が落ち着く中、イナは顔を上げてぶつかりそうになった人物の表情をうかがう。
だが彼の翡翠色の瞳は、驚きに大きく見開かれた。
「な――」
そこに立っていたのは、イナだったのだ。
否、瞳と髪は茶色だ。しかし顔立ちはそっくりで、鏡といわずともそう錯覚してしまうほどに、似通うものがあった。
おそらく向こうもそうなのだろう。二人は見つめ合ったまま、驚愕に硬直していた。
「知り合いか」
「い、いえ……でも……」
「愚図っている暇はない、行くぞ!」
「は……はい!」
半ば無理やりに意識を切り替え、また二人は走り出す。
それでもイナは少年のことが気になり一度だけ振り向くが、彼はまだ衝撃を受けた表情のままこちらを見ているばかりだった。
(なんなんだ、あれ……)
他人の空似で片付けるしかないだろう。
しかし自分の異常性からして、自身との関連が全くないとは言い切れない。
この世界は並行世界で、この世界における自分があの少年だとしたら。
それでも、いまこのタイミングで会うものだろうか。見た目からして、現地の人間であるようには見えなかった。
(クソッ、何もわからねえ!)
確かなのは、いまイナはレイアとともに基地に戻らなくてはならないこと。
あとは――あの少年も予想外の出来事だったということだろうか。
誰に尋ねればこの答えを得られるというのうか。
知りたい、知りたい、知りたい。
イナの願いが暴走しかけたところで、ふいにレイアが立ち止まってイナを手で制した。
何事かを問おうとすると、彼女は口元に人差し指を当てる。
『そこにいる少女――見てみろ』
通信で伝えられ、イナは示された方向に従い曲がり角の先を見る。
確かに座っている少女がいるが、特段おかしなところは――否。
(ヒュレプレイヤー……!)
彼女が手で器を作ったところにヒュレ粒子がつどい、何かの輪郭をかたどる。
しかしそこから、実体化が為される様子はなかった。
『どうして……』
「!?」
突如響いてきたのは、レイアの声ではなかった。
『これじゃ役に立てない……お父さんとお母さんの代わりなんか……っ』
『どうした、イナ?』
(な、なんか……声が。レイアさんには聞こえてないのか……!?)
『声? 私には聞こえないが』
どこかの通信を傍受したのだろうか。
だがこの声はそこにいる少女のものとしか考えられない。
彼女がエイグ搭乗者だというのならあり得る話だが。
『――なるほど、本当だとすればきな臭い話だな』
イナの焦りで、少女の声がレイアにも伝わったらしい。
『私が周囲を警戒する。同じプレイヤーのお前が話を聞いてみろ』
(は、話って言ったって何を)
『私が誘導する』
まったく安心できない文句だったが、このまま愚図っているわけにもいかない。
イナは冷や汗をかきながら、少女の前に姿を現した。
彼女は悪事を見られたかのような怯えを見せ、そのまま逃げだそうとしていたが。
『実体化を試せ。まずは仲間であることを示す』
レイアに従い、イナは少女に見せながら実体化を行おうとして、やはり失敗する。
「あ、あなたも……なの?」
「……う、うん。そうなんだ」
演技がうまいとは言えないイナだが、緊張が逆に緊迫感を演出して及第点といったところか。
少女もいくばくか安心した様子を見せている。
『よし、ではお前が聞いたという声について聞こう』
「ええと……大変だね。こんなことになって」
さすがにいきなり声が聞こえたと言っても通じないだろう。
「そのうち、私たちの番が来るよ」
「番……?」
レイアの指示を待たずに、イナは問い返してしまう。
少女は懐からくしゃくしゃになった紙切れをイナに差し出した。
そこに書かれていたのは、連合軍への従事者の募集についてだった。
食料供給の際に名乗り出てくれればだれでも受け入れるといった旨の。
『……つながってきたな』
(え?)
『やはり、本来ならこの町が軍の援助を受ける必要はない。にもかかわらず受けざるを得ない状況になっているのなら、連合軍が何かしているとしか考えられない』
(それはまあ、確かに……)
彼女が特別守られているわけでもないところを見るに、複数のヒュレプレイヤーがいるのだろう。
『連合軍にもヒュレプレイヤーがいる。その力でこの周辺の粒子を奪い食料を提供する代わりに、用済みになったプレイヤーをあぶりだす――といったところか』
(で、でも、名乗り出る人がプレイヤーとは限らないんじゃ)
『適当に使い捨てればいい。最後にプレイヤーがいればいいんだ』
(じゃあ、もらうだけもらって名乗り出ないっていうのは)
『考えられることだが、連合軍が介入している以上、裏で手を回されている可能性が高い。時間的にも余裕のある連合軍なら、遅かれ早かれプレイヤーが手に入る』
少なくともこの少女は両親が軍に名乗り出ている。
アヴィナほどの幼い少女が一人残されるのは、普通ではない。
もっとも、その普通がここの常識に通じればの話だが。
(……だったら、この子だけでも)
『その子はどうにかなっても、この町は悪化の一途をたどるばかりだ。根本的な解決のためには、連合軍を一帯から撤退させるしかない』
「……ッ」
おそらく、世界各地で同じようなことが行われているのだろう。
仮にここを解放したとしても、まだ苦しんでいる者がいる。
それ以前にイナの目的は、ここを解放することではなく、ファイド・クラウドを拘束するという作戦を速やかに遂行することだ。
はっきり言って、ここで行動を起こすのは無意味だ。
自己満足でしかない。
『長居は無用だ、退くぞミヅキ』
「くそ……ッ」
「おっと――ようやく見つけたぜ? なァ、ボウズ」
投げ捨てるようにして少女に紙を返そうとした瞬間、聞き覚えのある声が耳に届くとともに、奥の曲がり角から人影が現れる。
絶望を加速させる彼の名は、ゼライド・ゼファン。
『ブリュード』がここにいることを、示すものだった。




