第14話「広い蒼穹へ、狭い箱の中で」:A2
(……大丈夫だろうか)
窓際の席で遠くなる地上を眺めながら、レイアは自分だけに聴こえるように小さく溜息を吐いた。
彼女でなくとも心配だろう。
世界の命運を担うと言ってもいい作戦の要となるのが、輸送機の離陸ではしゃぐような子供なのだから。
今見ても分かるように、イナは目の前のことに気を取られてしまう注意力のなさが目立つ。
はっきり言って同じ子供でも推定年下のアヴィナの方がマシだ。
下手な成人よりも腕が立つし、優れた五感と柔軟な思考は戦闘に利用するには勿体ない。
が――残念ながら、エイグは最初に登録した人間以外を搭乗者とは認めない。
登録を塗り替える試みもされたようだが、成功した事例は今までに一度も聞いていない。
ゆえに、やはりシャウティアはイナが扱うほかないのだが。
あの時決意を口にし、PLACEの指導者に大見得を切った少年と彼が同一にはやはり見えない。
未知のことに恐怖し、緊張にも弱い。
しかし、裏を返せばそれらを乗り越えた――気にする余裕もないともいえる――時の土壇場の力は底知れないということ。
それはいつ飼い主、いや誰彼構わず牙を剥くか分からない猛獣のようなものだ。
幸いにも精神は年齢相当なのである程度までは御しやすくはあるが、ストレスばかりが付きまとう環境でそんな猛獣の世話を頼まれて、心が休まらないはずもない。
アヴィナは放っておいても大丈夫とは言え、一応は子供なのだから目は離せない。
おまけに、日本支部に置いてきた妹、シエラのことも気がかりだった。
もしも日本支部に再び敵が襲来してきたとしたら。気を抜けば、そんな悪夢のような想像が脳内ですぐに上映されてしまう。
(イギリスからの支援があるとはいえ……いや、信じるほかはない)
組織の人間としては、ただの新兵一人の命よりも目の前の作戦の成功の方が大事に決まっている。
ただそれは、建前の話であって。
それが家族だとしても、組織の為だからと割り切れるだろうか。
(……そう言いながら結局ここまで来ておいて、女々しいか)
ここにいること自体が、建前を選んだことに他ならない。
シエラは――幼いにしろイナよりは落ち着きがある。
理解こそしてくれるだろうが、正直受け入れてほしくはない。
本来なら、ああして戦いに赴く事こそ望ましくはない。
その必要がなくなるように、そう思わなくても済むように、強く在ろうとしていたはずなのに。
(……矛盾していることは、わかっている)
所詮は自分も、戦いに向いていないのだ。
『操縦席より搭乗者各位、高度が安定した。シートベルトを外し離席しても構わない』
「だそうだ。格納庫は座席の後ろ側にある、自分の部屋を確認しておけ」
「ハワイまで何時間くらいです?」
「7時間ほどだ。だいたい昼過ぎに着くと考えていいだろう。食事の時間になればアナウンスがある、それくらいでいいか」
「はぁーい。そんじゃボクはお先にベッドにランデヴーしてくるよ~いっ!」
シートベルトを外して飛び跳ねるように席を立ったアヴィナが、元気な足跡と共にあっという間に通路の奥へと消えていく。
しかしそこへ続く足音がしなかったことを怪訝に思い、イナの方を一瞥すると――窓の外とレイアの方を交互に見やっている彼の姿がまだそこにあった。
「行かないのか、ミヅキ」
「え、いや……すぐじゃなくてもいいんですよね」
さすがにもう離陸の後だからか恐怖の色は見られないが、まだシートベルトを律儀に着けている辺り、慣れていないのが窺える。
「まあ、そうだが。私といても何もないぞ」
「ええと……」
イナもそれを期待していたわけではないだろうが、だからと言って何か目的があるようには見えない。
否、目的はないが何かを求めているのだろうか。
まさか単純な会話でもないだろう――とは思ったが、思えばイナと一対一で話す機会は殆どなかったことを思い出す。
だが、特に話題があるわけでもない。
レイアは少し頭を回転させて、ようやく無難な言葉を出すに至った。
「不安か?」
「……えと、まあ。こうして移動してますけど、実感は湧かないっていうか」
それが正常な反応だろう。
自信満々に違うと言われても困る。
「正直私も、お前がこの作戦の命運を握ると言われても、実感が湧いていない」
「……はは」
イナから苦笑が漏れる。
どうやら力量不足を案じられていると取られてしまったようだ。
それ自体は事実なのだが、シャウティアの性能からしてさほど心配はしていない。
「そう自嘲することではない。経験がないのは否めないが、いざという時の決断力は認めているんだ」
「…………はは」
頬を掻く彼は、今度はどこか恥ずかし気だ。
なんとなく察してはいたが、イナはその時は夢中になっていて、あまり意識が働いていないのかもしれない。
それで思い出されたのは、ディータとの会話だ。
初めての出撃後、ミュウに自身の戦闘映像を見せられた時、イナは自身が自身でなくなったかのような振る舞いに気分を悪くしていたという。
あくまで自身の力ではない、という認識もそこから来ているのかもしれない。
かく言うレイアも、最初に自身の戦いぶりを三人称の視点から見た時は驚いていたが。
だからこそ、理解し寄り添えることもあるだろう。
というか寄り添ってストレスを軽減させなくては、作戦の成功が危うい。
「ところで、少し聞いておきたいことがある」
「……なんですか?」
「そう構えなくていい。お前にはこの世界、どう見えるかが気になったんだ」
「どう、と言われても……」
イナは顎に手を当てて沈黙する。
自分の考えが特にない、というよりは、単純にそれを固めるための情報が足りないのだろう。
「戦争の事とか、俺の世界ではもうおとぎ話みたいな扱いになり始めてるらしくて。正直、現実感とか無いです。ヒュレプレイヤーのこともまだ慣れてないし……」
その一言だけでも、イナのいた世界が平和だったことが窺える。
(まあ、私達の世界も似たようなものだったが……)
ドロップ・スターズとエイグの出現が全てを狂わせてしまった。
イナの表現を真似れば、空想上の概念になりつつあった戦争が再び現実のものとなってしまった。
(いや……違うか)
その火種は、ドロップ・スターズ以前にもあった。
PLACE以外にも紛争を起こすテロリストはいたし、見えない所ではヒュレプレイヤーの争奪を巡っての争いもあっただろう。
それが誰の目にも見える形で肥大化したというだけのことだ。
むろん、イナのような子供にも無縁でないこと以上の不幸はない。
「あの」
「なんだ?」
「……戦いが終わったら、どうなるんですか。国連を潰すっていうのは聞いてますけど」
どうするのか、ではなく、どうなるのか。
無意識かもしれないが、イナは一応、広い視野を持つことができるらしい。
「そうだな。ヒュレプレイヤーの保護や災害復興は当然だが……どちらも簡単ではない。復興はすることが決まっているぶんまだわかりやすいが、プレイヤーの扱いについては慎重にならざるを得ない」
イナもヒュレプレイヤーの力を粗方聞いたのなら、この懸念の意味もわかるだろう。
少なくとも理解に苦しんでいる様子はない。
ヒュレプレイヤーの想像実体化能力は本人にも不明瞭かつ不安定であるものの、それを補って余りある価値がある。
使い方次第では文化が短期間で上書きされる。
彼らがそれを恐れたのかは定かではないが、歴史上にプレイヤーと思しき存在が堂々と記録されていたのは年表の初め頃に集中している。
いわば、空想上の存在が現代によみがえったものだ。
「能力を持たない人間と同じように扱うか、同じ場所に集めて管理するか。どこまで実体化能力を世間に干渉させるか……わかるか?」
「ええと……」
「貨幣や労働の概念が大きく崩れるんだ。既にそうなりかけているがな」
言うと、イナは以前のことを思い出したように目を少し開いた。
ヒュレプレイヤーを独自に確保した国は既に、日本相手に限らず貿易をやめつつある。
プレイヤーに依存することで、自国の中で産業をほとんど完結させられるのだ。
「……悪い事、なんですかね」
「使い方次第だが、食糧問題も解決する。貧富の差も解消できるかもしれない。大量の物資により試行回数に任せた実験も進み、更なる発展も望めるだろう。実際にそうなるかはわからんがな」
もしかすると、平等な世界というものの実現が単なる理想ではなくなるかもしれない。
だが、それもヒュレプレイヤーを単なる物資製造の道具として見た場合のビジョンだ。
一方で放っておけば拉致等の事件に巻き込まれる可能性も低くはない。だからといって今の環境から引きはがして保護することも人道的とは言えない。
「……そういった、あくまで可能性しか見えてない。最終的にズィーク司令が方向性を決めるのだろうが、それも思い通りにすすむとは限らない」
「やってみなきゃわからない、と……」
頷く。
「世界の行く末ばかりは、やり直しが効かないからな。戦後の復興もそうだが、あくまでその世界に生きる者達が決めていくことだ。ゆえにお前の問いに対する答えは、『わからない』だ」
大人として適切な答えではなかったかもしれないが、完璧な答えを自分に求められても困る――レイアは自分の中で開き直った。
(ここで答えを提示して思考停止されても困るしな)
それに、彼女には気がかりなことがあった。
イナがここと異なる世界から来訪した人物であるということだ。
未だ眉唾ものであったが、疑わなければならない理由もない。
しかしそれが本当なのだとしたら、イナはこの世界には全く関係がない。
彼にこの世界の行く先を憂う必要は、なくてもよいのだ。
もっと言えば、戦う理由もない。ヒュレプレイヤーである上にエイグも持っているのだから、最悪一人でも生きていける。
(知った以上、無視ができない質か)
かく言うレイアも、自身が同じ立場だったらそのように立ち回れる自信は無かった。
(……反実仮想で考えても仕方ない。ただ、そうだな……)
もしも、元の世界に帰れたとしたら。
日本のお伽噺に出てきた――そう、ウラシマ。
彼のように、周囲の環境と自身の変化の差に大きな衝撃を受けてしまうのではないかということが心配ではあった。
(だが、エイグに頼ればいいだろう。そのつもりがないとはいえ、殺し合いに身を置いた記憶などない方がいい)
しかしそうなると、気になることがある。
なぜシャウティアはイナの下に現れたのか?
見たところ、イナに特異性は見られていない。
精々、なぜかヒュレプレイヤーであることくらいだが……それが条件だというならば、他のプレイヤーの下に現れない理由が分からない。
明らかに常軌を逸した存在が選んだのだ、何か作為的なものがあっても不思議ではない。
だとしたら、なぜ異世界の少年なのか?
それはやはり、いくら考えたところで答えが出るものではないかも知れない。
ただ、彼とシャウティアを観察し続ければ、その兆候は見えてくる可能性はゼロとは限らない。
(……さすがに、責任が重すぎる)
それが任務の一部であるとしても、さすがにオーバーワークが過ぎる。
加えて観察を任務とするならば、アヴィナの方が適任だろう。
(当たり前のようにアヴィナを頼ってしまうのも、どうにかせねばならんとは思うが)
現状、子供でも力がある以上頼らざるを得ないのがPLACEの実情である。
罪深い事であるとわかってはいても、それ以上の罪深さで世界を陥れようとしているファイドを放っておいていいわけがない。
最終的な目的こそ不明であるが――その異常さは明らかだ。
……と、しばらく自分の中で考えを纏めていると、イナがこちらの様子を伺っていることに気づいた。
急に黙ってしまい、気を悪くしたのかもしれない。
「……とりあえずは作戦の遂行が最優先だ。落ち着いて考える時間を得るためにもな」
「は、はい」
そう緊張しなくていい、と反射的に言いかけたが、程よい緊張感があってもいいだろう。
加えて緊張が高まりすぎて戦闘に影響が出るようならば、エイグが調整してくれるはずだ。
しかし、完全な制御に置けているかも不明な機械に依存してばかりもいられない。
レイアは気を引き締め直して、再び窓の外に視線をやった。
傍でイナの寝息が聞こえ始めたのは、それから30分ほど後の事だった。
やはりもうしばらくは、目が離せそうにない。




