第14話「広い蒼穹へ、狭い箱の中で」:A1
9月も早くに中旬を迎え、残暑も落ち着いてきた頃の黎明。
青みがかった空に灰色の雲が浮かび、肌を撫でる風は湿っぽくも不快感はない。
格納庫の付近では、既に大型の輸送機――40mの巨体を3つ収めるのだ、むしろ艦船と言っても差し支えない――が動力部を温めながら、すぐにでも発てる用意を済ませていた。
その傍にいる3つの人影、イナ、レイア、アヴィナ。
いつものように私服を着てはいるが、その上から青いジャケットを揃って着用している。
腕には大きくPと書かれたエンブレムが縫い付けられており、端的に言えばPLACEの制服といったところだろう。
数日前まで見たことが無かったため、急ごしらえであることが疑われる。
彼らを取り囲むようにして、日本支部のPLACE隊員達が彼らに視線を集めていた。
どう見ても送り出す為に、向けられているのが期待の眼差しであることは確かなのだが……このような状況に慣れていないイナは、身に覚えがない罪悪感で頭痛を覚えている。
アヴィナはそんなイナを見かねたのか、肩を指先でつついて視線を自分に向けさせた。
「どったのイーくん」
「……いや、いつまでこうなのかなって」
「バチ当たりだねえ」
「慣れてないんだよこういうの……」
善意であることは分かっていても、どうすればいいのかなど学校でも学ばなかった。
もっとも、学んでいても実践できないだろうが。
「じきに予定時刻だ。気が滅入るなら自分のエイグにメンタルコントロールを頼め」
「ぐぬぬ……」
一方でレイアはにべもない、というより状況的にそう見えるだけで、言っていることは正しい。
(俺、この二人とうまくやってけんのかな……)
アヴィナは朗らかで友好的であれど、その口から放たれるのは大体正論か理解の及ばないこと。
レイアは心情を理解はしてくれるようだが、あとは言うまでもない。
(……いやまあ、何をどうすればいいのか分かんないし。なんとかするしかないか……)
一応は腹を括るものの、その顔は今から組織を代表して、それも作戦の中核を担う人間のするものではない。
そんな彼の下に、今度は白髪の使用人、ディータが歩み寄ってきた。
「ディ、ディータ?」
「おはようございます、ミヅキ様。まだお時間はございますよね」
「え、ああ……そう、なのかな」
レイアの顔をちらと見て確認すると、小さく頷いた。
問題無いようだ。
「随分緊張しておられましたので、少しだけ激励に参った次第です」
「いやまあ……否定はできないけど」
見栄を張るでもなく正直に答えたイナに、ディータは微笑を浮かべた。
「肩肘張らずに――というのは難しいかもしれませんが、レイア様もアヴィナ様も、ミヅキ様を支えたいという気持ちは確かでおられる筈。どうぞ、手足のようにお使いください」
「……それ、主人に聴こえるところで言っていいのか?」
「構わん、元よりそのつもりだ」
「だそうですので。アヴィナ様も、ご無理はなさらぬよう」
「えっへん。イーくんには指一本触れさせないからね」
胸を張るアヴィナや相変わらず固い表情のままのレイアを手足のように使えと言われても抵抗感はあったが、とにかくディータが来てくれたことで雰囲気が和らいだ気がした。
正確に言えば、イナの緊張がほぐれただけだが。
「ディータ、シエラを頼むぞ」
「むろんです。しかし……既に私の手は必要ないかもしれません」
「だとしても、それがお前の仕事だ。支給部の責務もあるだろうが、優先順位を誤るなよ」
「は」
短く応え、ディータは深々と頭を下げる。
そして彼女は最後に再び、イナの方を向いた。
「そう、ミヅキ様……シエラ様はあなたを嫌ってはおりません。ただ少し、心の整理が必要なのです。ですので……必ずお戻りください」
言われてみれば、3人を囲う人々の中にシエラの姿は見当たらなかった。
イナはそれでやはり避けられているのだと思っていたが、ディータ曰く違うらしい。
だがそれは所詮他人の言葉でしかなく、信憑性は薄い。
「大丈夫です、お帰りになられた時にはいつも通りですから」
(いつも通り……か)
いつの間にか、そんなものが生まれてしまうほどの関係を築いていたらしい。
自覚はなかったが、PLACEの面々との関りはそう浅からぬものだとはどこかで感じてはいた。
仮にシエラも、いつも通りに戻ることを意識してくれているのならば。
仮に、本当はそうでなかったとしても。
イナは自ら、もう一度彼女の心に歩み寄るべきだろう。
今すぐにそれができないことは心残りだが、再び日本支部へ帰ってくる理由にするには十分だ。
「……と、そうでした」
決意を新たにしていたところ、妙にディータらしくもない思い出した素振りに注意が惹かれる。
「チニ様から、研究の経過などを連絡することがあるので適宜PLACEフォンを確認していただきたいとのことでした」
チニはミュウの姓だ。
彼女も何かイナと顔が合わせづらい事情が――いや、特に思い当る節はない。
「少しばかり人目を気にされる方ですので。私の方から謝罪申し上げます」
「あ、いや。別に大丈夫。PLACEフォンに気を付けてればいいんだな」
「ええ、私からは以上です。それでは皆様、どうかお気をつけて。作戦の行方もそうですが、何より無事を祈っています」
「まっかせんしゃーい! 天下無敵のトリオがぱぱっと片付けてくんよー!」
勝手に適当な修飾をゴテゴテとつけられて思わず突っ込みたくなるが、それくらいの心構えでいた方がいいかもしれない。
下手に水を差せば、アヴィナの戦意を削ぐばかりでなく自身の自信をも落としかねない。
レイアもそれが分かっているのだろう、目を伏せて小さく溜息をついていた。
ディータはそんなイナ達の様子に微笑みながら、会釈をして人混みの輪の中へと戻っていく。
「さて……よくできた使用人だ。そろそろ出発時刻になる。乗り込むぞ」
「じゃあ……みっなさ~ん! がんばってきま~~っす!!」
レイアが皆に背を向けて輸送機に乗り込もうとすると、アヴィナは急に大声を出して手をぶんぶんと振りまくった。
急なことでイナは驚き、どうすればいいのかわからなくなる。
「え……えと……行ってきます!」
混乱の果て、ほぼ反射的にイナは頭を下げ、アヴィナほどでないにしろ声を張る。
直後急激な羞恥心に駆られ、先にさっさと乗り込んでいたアヴィナを追って、逃げるように搭乗した。
それを確認した乗組員がハッチを閉め、イナは安堵したように溜息を吐いた。
「元気が有り余っているのは結構だが、浪費はするなよ」
「もろち……んんっ、もちろんですよぉ」
閉じられた空間に入ったせいで、皆の声は少し籠って聞こえるようになった。
冗談を言う余裕のあるアヴィナとは逆に、イナは未だに心臓が跳ねている。
興奮による緊張。だがそれは、悪影響ばかりではなかった。
自身の責任を改めて確認し、戦意を高揚させる着火剤になっていた。
それは良いのだが、呆けていてレイア達が歩き出していることに気づくのが遅れ、すぐに駆け足で後を追う。
「この輸送機は大きさこそ立派だが、ほとんどエイグ収納にスペースを取られている。衣食住は最低限、支部にいた時と同じ生活レベルではないことには注意しろ」
「つっても個室あるんでしょお?」
「格納庫にな。エイグ同士の間にあるわずかなスペースだが、人間が寝泊まりするには問題ない」
レイアの話だけでは想像に限界もあったが、要するに緊急時にすぐ出られるようにという配慮なのだろう。
「ほんで今はどこに?」
「その格納庫の傍にある、ミーティング用の少し広い部屋だ。我々は基本的にここで食事をしたり、出撃前の会議を行う」
「……他の人とは何もしないのか?」
戦いに赴くのはイナ達エイグ乗りだが、戦場に赴く際には輸送機がそこへ向かう必要があるだろう。
その操縦士やほかの乗組員とのやりとりも必要なはずだ。
「基本的には私が間を取り持つ。……というか、さすがに連絡係に子供を充てるわけにはいかん」
「いまさらだけどまあ、仕方ないねえ」
なんともコメントしづらく、イナは苦笑して話を流す。
「ひとまず今は離陸の為に席に着くぞ。さすがに格納庫には行っていられん、そこに座れ」
どうやらその個室に行っていたわけではなかったらしく、レイアが立ち止まって後続の二人に道を開けた先には、6つほどの座席が通路を挟んで一列並べられたスペースだった。
「ボクらだけかぁ。イーくん隣いーい?」
「え、ええと……」
「どこでもいいから早く座れ」
スペースがあるなら一つ開けて座ればいいのにと思わなくもなかった。
が、アヴィナに対してそこまで嫌悪感があるわけでもなかったため、気恥ずかしさはあったもののイナはそれを受け入れ座席に座った。
レイアはそれを察しているのか、向かい側の座席に腰かけた。
「操縦席、搭乗者が着席した。カウントダウンに入ってくれ」
いつの間にか耳元に付けていた小型の通信機に手を当てながら、レイアが言うのが聞こえた。
その間にイナは、レイアの見よう見まねでシートベルトを締めていく。
自分のやり方があっているのかは分からなかったが、試しに引っ張ってみても必要以上に弛む様子はない。
さて、いつ出発するのかと思った矢先――何の予告もなく、身体が僅かな加速を感じ始めた。
「え、ちょ、もう動くの」
「どったのイーくん、おトイレ?」
「いやそのこういうのもっと丁寧にさ」
「旅客機と一緒にするな。高度が安定するまでじっとしていろ」
「イーくんこういうのダメな感じ~?」
「ダメっていうか……!」
初めてのことで何が起こるか分からない、未知への恐怖。
イナは生まれてこの方遊園地でジェットコースターにも乗ったことがない人間だ。
いきなり飛びますと言われて心構えができるわけがない。
「もー、じっとしてなさーい!」
「ぬぐぐ……」
アヴィナに手を掴まれ、イナの握り拳は膝の上に置かれる。
「なんにも起こんないから、ね?」
本来ならイナよりも経験に乏しい筈のアヴィナに諭されるのは、なんとも空しい。
それにイナはこれから大事な作戦に赴くことを覚えているのだろうか。
ともあれ、アヴィナらの余裕がこれから起こることへの安全を保障している。
そう自分に言い聞かせていたイナの体は、3機のエイグとともに地上を離れ、黎明の空へと飛び去って行った。




