第13話「臨む者へ」:A4
(――起きて、シアス)
《ずっと起きているよ。どうした?》
暗闇の中、青い重厚な鎧を纏うエイグ『シアス』のコアの中で、アヴィナにAIが応じた。
青年と中年の間ほど、といった印象の爽やかさのある男声。
搭乗時に幾度となく聞いてきたものだが、聞いたことがない声だった。
というのも、アヴィナは彼のことを知らないのだ。
それどころか、彼が本当にシアスという名前なのかも定かではない。
気になりこそすれど、彼女には知る由がない。
アヴィナ・ラフには、PLACE参加以前の記憶がないのだ。
(身体検査してほしいなーって)
《別にいいけど……この間と変わらないよ》
(目ン玉は?)
《視力も異常なし。狙撃なら任せてくれればいい》
(んふふ~、じゃあその時はお任せしようかな)
虚空に向けて浮かべた笑みを薄いものにして、アヴィナは儚げな表情を浮かべる。
こんなものはただの茶番だという自覚はあった。
ただ、エイグへの疑念がそれを省かせてくれない。
もっとも、隙を見せる様子は未だない為、さっさと本題に入るほかないのだが。
(ね……シアス。司令さんの話を聞いてる時、ボク変な感じだったの。シアスならわかるよね)
自分でも違和感の正体は殆ど掴めていたが、あえて尋ねたのも同様の理由だ。
《カナダ、という言葉に強く反応しているね。手がかりがあるかもしれない》
(ていうかカナダで拾われたんだし、なんもないわけないっしょ)
というのも、あくまで伝え聞いた話でしかないのだが。
レイアいわく、まだカスタマイズを受ける前のエイグを駆っていた彼女が、戦火の飛び火を受けた場所で唯一発見した生存者が、アヴィナだというのだ。
しかしアヴィナという名前もしっくりくるものではなく、おそらくは本来別の名前があるのだろう。
確信はないが、言うなれば体が――本能がそう言っているのだ。
(ね、シアス。そこまで分かってるのに、まーだ記憶は読めないの?)
《そうだね。アクセスできないというか……無理に見ようとすれば、君の脳が傷つく可能性もある》
(何回も聞いたよソレ。未来の技術ってーのは、そんなにポンコツなの?)
《人間がそれだけ複雑ってことだよ。君はその中でひと際ね》
(なのに、最低二人の情報は引きだせたんだよね)
確証はないが。
シアスという名前の人物と、いま会話している者のモデルとなった人物。
アヴィナの違和感が正しいものならば、そういうことになる。
そして、脳にアクセスするのが難しいというのならば、エイグは無理に疑似人格を形成する必要はない筈である。
なのにこうして人間同士のような会話を成立できているということは――
《勘弁してくれ、私だって知りたいくらいだ》
(シアスが無理にボクの脳ミソを覗いたから、思い出せなくなった……とか?)
《……アヴィナ、君はイナくんにメンテナンスと言って来たはずだろ》
(違うなら否定すればいいじゃん)
《だから、私はAIに作られただけであって、AIそのものではないんだよ。いわば仮想ユーザー。私に文句を言われても困る》
以前も、終始こんな風に誤魔化されて終わった。
諦念が育っているのも否めないが、手掛かりは確かにここにあるのだ。
知りたいという欲求はなかなか抑え込めない。
冷静さを失ったままここへ来れば、脳へのリスクを冒してでも見ようとするかもしれない。
(……うっかりショックで思い出せってことだねぇ?)
《それが安全だけど、あまり思いつめない方がいい。そっちに気が逸れると、君でもやられるよ》
(じゃあ、そん時は頼むよ。その為のシアスっしょ)
どこまでも楽観的なアヴィナに、シアスは溜息を吐いた。
もちろん実際に呼吸しているわけではない。
この人物ならばこうするだろうという、仮想の言動をそれらしく表現したに過ぎない。
《君の思考は読めているはずなのに、予想を超えてくる》
(子供だからねえ、そこらじゅうがフニャフニャなんだよぉ)
《……とにかく。君の疑念はもっともだけど、戦争が終わってからでも遅くない。今は我慢していてくれ》
(それだとまるで、ボクらが勝つのが当たり前みたいだねえ?)
《いや、負けるかもしれないから無理をしろとは言えないよ》
シアスの声に明らかな呆れが顔を覗かせる。
確かに彼の言う通りで、アヴィナは自分の疑念がしつこすぎる自覚はあった。
もっとも、これだけ尋ねて何も答えられないともなれば、そうなるのも致し方ない点もある。
(……ま、ボクはおんぶにだっこだもんねえ。何も知らないまま死ぬのもしゃーないかなあ)
《そうならないように、私も努力はするよ。それに――》
(それに?)
《君はまだ生きた方がいい。いや、生きていたくなってるはずだよ》
どういうことかと問い詰めようと思ったが、自分の中ですぐに答えは見つかった。
イナだ。
彼の出現は、アヴィナの生活に既に少なくない影響をもたらしている。
まったく別の環境から訪れた、新しい刺激。興味が惹かれないわけがない。
歳も近く、もしも自分に兄がいたとしたらああいう風なのかもしれないと思うと、心の扉が勝手に開こうとしてしまう。
否、既に錠は壊されている。
(純情なレディのハートをいきなり奪っていくだなんて、罪なオトコノコだよねえ)
《……恋心かどうかは、定かではないようだけど?》
(ものの例えサ。実際気になってしょうがないのは確かだし……ま、迷惑にならないようにはするよ)
実際の所、恋心などという純真な感情で彼に近づいているとは断言できない。
それよりも彼女には、自身にもっと別の欲求があり、それを彼で満たそうとしている自覚が既にあった。
記憶のない自分への虚無感の解消。
少しでも気を抜けば、この場所のように真っ暗な空間に飲みこまれてしまうほど、アヴィナは弱い。
常に軽々と綱を渡るその様は道化師という比喩が良く似合う。しかし、その心中には常に焦りがあり、それを隠すので精一杯。
しかしそれが知られれば、ただ構ってほしいだけの面倒な子供だ。
本当は記憶がない事すらも忘れてしまうほど、楽しく過ごしていたいのに。
(昔のことがいつまでも気になっちゃうなんて、困ったもんだよねえ)
《忘れようとするほど、思い出してしまうものだよ。君の願いが叶えられることを願うばかりだ》
(……っていうのも、ボクがそう思ってるって言うのを、その人っぽく言ってるだけっしょ?)
《さあ……私はロマンチストだからね。AIに自我があると思った方が夢があるだろう?》
(変な人だねぇ。いつかキミが見つかったら、ボクの変人同盟に入れてあげるよ)
シアスは少し驚いたように、しばしの間応答をしなかった。
《……いいのかい?》
(ボクがリーダーだから、ルールなんてテキトーだよテキトー。まあ精々、死んでないことを祈るばかりだねえ)
このご時世、どこで誰がいつ死んでもおかしくはない。
それはもちろん、衣食住のおまけに戦争がついているアヴィナも例外ではない。
《そうだね。じゃあ、君が私を見つけるまでは、私は君を守り続けるよ》
(機械のくせにい、ナマイキなんだぁ)
エイグもイナのことも、戦争のことも、分からないことばかり。
自分の焦りも中々消えてはくれない。
それでも、ただ自分の願望を投影されただけなのだとしても、その言葉は安心するものがあった。
そして――彼女らが世界へと飛び立つ時は、刻一刻と迫っていた。




