第12話「すれちがう、決意」:A4
シエラ・リーゲンスは、ふと見やった外がもう薄暗くなっている事に気づいた。
それだけ自身が放心していたことを認め、得も言われぬ罪悪感も湧いてくる。
「お変わりありませんか、お嬢様」
自分が呆けている間も付きっきりで診ていてくれたのだろう、本来の従者たるディータ・ファルゾンが優しい声音と共に顔を覗き込んでくれる。
シエラはなんとか笑みを返そうとするが、うまく顔が動いている気がしない。
「ありがとう、ディータ」
「いえ、こちらが私めの本分ですから」
「……イナくんは、どうしてるかな」
呆けていたとはいえ、それまでの記憶ははっきりしている。
言い合いになった――とまでは言わないが、彼と思いがすれ違ってしまったのは確かな感覚だった。
そう簡単に譲るつもりはなかったが、イナの反応を無視できるほどの図太さは持ち合わせていない。
そんな苦悩ばかりは表情に出ているのがわかる。
「私が、間違ってたのかな」
「……そうですね。僭越ながら申し上げさせていただきますと――不満の矛先を間違えておられるのかと」
「え?」
「お二方の望みはどちらも正しいものです。ミヅキ様は、お嬢様がたが更なる危険にさらされないように、ご自身で守りたい。ミヅキ様のエイグはそれができる力がありますから」
未だ、にわかに信じがたい話だが、ディータのように信じ始めている者がいる、シャウティアの力。
確かにそれに頼れば、無理に戦う必要もないかもしれない。
「けど、それじゃイナくんが……」
「ええ。ですから、お嬢様はミヅキ様の負担を軽くしようと、自身で対処できる力が欲しいのですね」
「……うん」
「ですがそのどちらも、戦力の補充がなされれば深く悩むことでもありません」
「……だけど、それは」
今日に至るまで、姉のレイアが戻って、イナがシャウティアと共に参戦したこと以外に、ない。
十分だとも言えるが、今回のように頼れない場合もあり得る。
だからと言って、戦力を分散させることにも問題はある。単騎で対処が可能だとしても、単純に連合軍の物量は半端ではない。
(それに、あの兵器も出されたら……わからない)
シエラだけでなく、動けるエイグは皆あの兵器に貫かれた。
エイグの装甲を容易く溶かすあの熱線兵器は、おそらくエイグが束になってかかっても勝てるものでもないだろう。
ゆえにディータの言うことが、簡単には受け入れられなかった。
「あくまで、私個人の意見に過ぎません。結局は、連合軍の動向次第ということになります」
「……そうだよね」
今度は、ディータとすれ違いを起こしてしまうところだった。
誰もが皆、この支部で戦いが起こることなど望んでいないことは同じはずなのに。
その表現の仕方の違いで諍いを起こしかねない自分が、嫌になる。
否、近いことは既にやってしまっているのだが。
(だけど、謝るのも何か違う気がする)
いくら考えても、最善の答えなど出る様子はない。
きっと、これがきっかけで関係に溝が出るなど――
ない、と言い切りたいのに、目の奥からは熱いものが溢れ出してきていた。
「お嬢様……」
「だ……大丈夫、だから」
涙が出るなんて、情けなかった。
戦いに身を投じることを決めた時点で、色んなことを覚悟していたはずなのに。
結局、自分はまだ子供なのだと思い知らされる。
「お嬢様、そう悲観なさらないでください」
「いいんだよ、慰めなくても……」
「いえ――こちらを」
そう言って、ディータがスカートのポケットから取り出したのは、PLACEフォン。
何やら通話要請が来ているようで、振動しっぱなしだ。
しかしふと、振動音がもう一つあることに気づく。
枕元に置いていた、自分のPLACEフォンも振動していたのだ。
「な、なに……?」
突然の出来事に戸惑いながら、シエラは端末を持って画面を確認する。
どうやら、日本支部の隊員全員に向けているリアルタイム映像の受信を求めれられているようだった。
シエラはディータの反応を伺いつつ、承諾のボタンにそっと指先で触れた。
「――イナ、くん」
画面に映し出されたのは、司令室の真ん中で立つイナと、司令の席に座るアーキスタ。
直後には、イナと相対するように仮想画面が映し出された。
そこにいたのは、PLACEの本部たるイギリス支部司令、ズィーク・ヴィクトワールだった。
この状況と、それらが何を引き起こそうとしているのか。シエラは困惑しつつ、時間の流れにその答えを求めた。
まず最初に声を発したのは、アーキスタだ。
『ズィーク司令、通信にお応えいただきありがとうございます』
『ミヅキ君たっての希望と言われれば、こちらも無視はできないよ』
(……イナくんの?)
根拠もないが、嫌な予感がしてしまう。どのような帰結になることが『嫌』なのかも定かではないが、不安で鼓動が速くなるのを感じていた。
『それで、早速聞かせてもらいたい。君の考えを』
ズィークの視線が、胸に手を当てていたイナに向けられる。
表情は硬く、足も震えており、とてもではないが見ていられない。
けれどもその薄緑色の瞳は、確かに力強い光をたたえている気がした。
『……そちらのエイグを20機、日本支部へ配備してください。もちろん、戦える搭乗者が登録されているものです』
『彼の入れ知恵かい?』
イナは目を閉じ、深呼吸をして答える。
『いいえ。同じ思いであるだけです』
『しかしながら……状況から判断すれば、敵の目標は特殊な力を持つエイグの搭乗者たる君だ。君が離れることで、日本支部が攻撃にさらされることはなくなるだろうね』
『それは、推測でしかないはずです。俺がここを離れて、それでも攻撃を受けて、取り返しのつかない被害が出た時。貴方はその責任を、アーキスタ司令に全て押し付ける気ですか』
声は震えているが、イナの言うことは正しさを含んでいた。
『それに、先日ここを襲ったエイグの目的は、ヒュレプレイヤーだと聞きました。ええと……それなら、プレイヤーを守るためにも、戦力は必要なはずです』
『なるほど、確かにそうだ。しかし、こんな報告も届いている。君が初めて出撃した時、敵エイグは未知の兵器で君たちのエイグを圧倒したそうだね。そんな敵が、君が不在の時に大挙して押し寄せた時、新たに送った戦力が意味を成すだろうか』
だが、ズィークは理屈をこねてイナの意見を払おうとする。
それもまた、正しいものではあった。
――先ほどから、ずっとそんな話ばかりだった。
どちらも正しい。どちらも引けない、引きたくない理由がある。
そこで話は停滞して、曖昧なまま時間が流れたり、思わぬ方向へ話が進んだりしてしまうのだ。
イナはズィークの主張する正しさに圧されつつも、しかし抵抗の意思は失っていないようだった。
『それならば……い、今のうちに投降すればいいのではありませんか』
『ほう』
『一縷の望みも捨てて考えてるなら、今こうして話している意味すらないはずです。仮に、この日本支部をただの囮としか考えていないのであれば、俺には考えがあります』
『……聞こうか』
イナの足の震えは止まらず、目には涙が浮かんでいるように見えた。慣れないことをして自身でも困っているのが目に見える。
けれどもやはり、その瞳は力強さを失っていなかった。
あの日、死を悟ったあの日。暗雲を切り裂くように描かれた一筋の光を彷彿させる、力強さを。
そして彼はその一言を、叫ぶように、けれども静かに口にした。
『この要求を受け入れない場合、俺は作戦への参加を辞退して、シャウティアとともにPLACEの敵となります』
自惚れ、という言葉が不意に脳裏で蘇った。
自分がイナに向けたものだ。
これこそ、自惚れの極致と言った台詞だろう。
しかし、ただの自惚れとは違う。
困惑する脳ではすぐに表現できなかったが、何かが違った。
そう。
そう――彼は、さほど増長してはいないのだ。
彼はそんなことを心の底から望んでいるわけではない。
自身の力で何ができるか。それを考えた結果が、この脅迫まがいの要求なのだ。
危険な選択ではあるが、綱渡りを続けるわけにはいかない日本支部を変えるためには、必要な強引さだった。
実際の効果のほどは、顎に手を当てていかにも悩ましげな表情に変わったズィークを見れば、明らかだ。
『恩を仇で返すという言葉を、知っているかい』
『俺一人が救われる状況や、安全が保証されていない場所を与えられることが恩だとは、思いません。それに……視野の狭い子供からしてみれば、俺の味方はここにいる人達だけです』
『……君は、今の言葉にどれほどの責任が伴うか、分かっているのかい』
ぐ、とイナが言葉に詰まる。
分かってはいても、改めてそれを提示されて受け止められると断言できるほど、彼は大人ではないし、覚悟もできていないのだろう。
そんな彼を支えるように――アーキスタが、席を立った。
『日本支部は貴方の発案で設立されたものです。責任がどうこう言うんなら、貴方もその責任を果たすべきでしょう』
『ミヅキ君のエイグで脅しておいて、よく言う』
『ここに送ったのも貴方です。貴方の事ですから、考えがあるかもしれませんが……彼は、あくまで日本支部の一員ですので。……と、言うわけで』
振り向いたイナに、アーキスタが視線で合図を送る。
それに応じたイナは、ふたたびズィークの方へと向き直る。
『改めて、日本支部の戦力の増強を要請します。それが……俺のPLACEへの協力の継続と、作戦の参加への条件です』
しばしの、沈黙。
ディータも、シエラも、画面の奥にいるイナも。誰もが声を発さないまま、どれだけの時間が流れたのか。
また呆けていただけかもしれない。
ただ。
『――わかった、連合軍の動向を探りながら、数回に分けて搬送する。それでいいかい』
折れたズィークのその言葉だけは、しっかりと耳に残っていた。
……けれども。
映像の配信が終了したのち、シエラはベッドに身を預けて、目を開けたまま意識を自分の空間に閉じ込めていた。
(どうして……)
疑問。
否、正確には、不安だった。
(私が、弱いからだ……)
イナがこんな手段を取ってしまったのは。
自分が頼りないから。
レイアやアヴィナのような、単騎で大勢を相手取れる力がないから。
(……違う。イナくんは正しいことをしたんだ)
結局、今からすぐに強くなることなんてできはしない。
わかっているはずなのに。
(ああ……そっか)
彼に、頼ってほしかった。
彼に、信頼してほしかった。
シエラがいるなら、日本支部は大丈夫だと。
彼と並び立って、彼に信頼され、この支部を任せてもらう――ありえない夢を見て、ひとりで勝手に不貞腐れていただけ。
心のどこかで蓋をしていた想いが溢れ出し、嫌でも自覚させられてしまう。
言い聞かせるのとは、わけが違った。
シエラは勝手に、イナと自分を同等だと思っていたのだ。
しかし、彼はもともと、遠くにいたのだ。手の届かない次元に。
それを今回、ひどく痛感させられた。
結局自分は戦場の中にいる、無数の兵の一人でしかないのだと。
(……行かないで、イナくん)
ただの弱者の我儘が、通るはずもない。
涙が、頬を伝った。




