第12話「すれちがう、決意」:A3
思えば、他者の部屋に赴くことはこれまでなかった。
ミュウの自室……に近いところは訪れたことがあったが、居住区内、正確にはこのホテル状の施設では、やはり経験がない。
今まで、イナの自室に誰かが来る機会の方が多かったのだから。
「えーと、シー姉の部屋はっと。109、109……こっちか」
「……109?」
見覚えのある経路を通っていることに疑問を抱いていたが、アヴィナの口にした番号でそれが明確なものになる。
イナの部屋番号は、107だ。ということは。
「そだよ。配置次第じゃイーくんの二つ隣なんじゃない? 正確には覚えてないけどさ」
誰かから、シエラからも伝えられた覚えがない。
まさか、そんなに近くで生活していたとは。
だとすればもしかして、あんなことも――と思いかけて、特に恥ずかしがるようなことをしていないことを思い出す。
「どったの? 変な事考えちゃった?」
「……勘弁してくれ」
一瞬でも彼女がシャワーを浴びる光景が目に浮かび、不謹慎だと自分に言い聞かせて振り払う。
「ま、そろそろ目的のお部屋に……およ?」
ふいにアヴィナが立ち止まる。その理由はイナにもすぐにわかった。
シエラの部屋から、一人の男が出てきたのだ。
何者かと少し様子を伺っていると、それは――件の男、デルムだった。
イナは思わず体が強張るのを感じる。向こうも此方に気づいて視線が合うが、すぐに視線を逸らして、悲しげだった表情を引き締めた。
また何か言われるのだろうかと不安になりながら、こちらに歩いてくるデルムに小さな警戒心を向ける。
しかし、彼とすれ違い背後へと去っていくまで、言葉を交わすことはなかった。
(……そんなに嫌われること、した……んだろうなあ)
彼としても割り切れない感情があるといえど、イナよりも年上なのだ、多少は自省したということだろうか。
「だと良いんだけどねえ」
「え?」
「ボクがいなかったら突っかかったりして」
「……そうまでは思わないよ」
絶対にない、とまでは思わないが。
昨日この基地が襲撃された際、戦えないと聞いていた彼が出撃したということは、何らかの心情の変化があったのかもしれない。
「優しいんだねえ、イーくんは」
(そんなつもりはないんだけどな……)
ただ、理由も知らずに決めつけるのが嫌いなだけだ。
その点、イナの父親――瑞月孝一はそういう人間という印象だっただけに、あまり好ましくは思っていなかった。
「ま、いいや。早速入っちゃおう。こんちわわー」
「聞こえていましたよ。どうぞ、お入りください」
既に扉の前で待っていたらしいディータが、左手で開きながら顔を見せる。
その際にざっと体全体を見るが、特にけがなどをしているわけではないようだ。
ただ右手を隠すようにしているのは、気のせいだろうか。
「おじゃま~」
「……お邪魔します」
形はどうあれ、異性の部屋に入るのはこれが初めて――否、二度目か。
幼い頃にチカの部屋を訪れた時のことをカウントするならば、二度目だ。
例えば熊の人形であるとか、用途のわからない化粧品であるとか、そういったものが置かれているのかと思ったが、案外そうでもなく、見た目だけならばイナの部屋と大した差はない。
カーテンやシーツの色が少し違うくらいだろうか。薄い橙色だ。
ただ、これらはあくまで視覚だけの話であり。
どうしようもなく鼻腔を刺激する異性の匂いは、無視できないものがあった。
「………」
だが、それ以上に無視できないのが――シエラ。
ベッドに身を預け、上半身だけを起こしている体勢だ。
幸いと目は覚ましているものの、顔色はもとの白い肌にさらに増して白く、生気は薄いように見えた。
「あ……いらっしゃい、イナくん、アヴィナ。ごめんね、もてなしとかできなくて」
「いいのいいの」
アヴィナにどう続けばいいのか分からず、イナはとりあえず頷いた。
うまく話せない。理由は明確で、彼女を傷つけない話題が見つからなかったのだ。
「イーくん、フツーでいいのフツーで」
アヴィナにはお見通しなようで、イナは小声で助言をされながら腰のあたりを軽く叩かれた。
確かに、これを確かめに来たのだ、ここまで来て聞かないのでは互いにしこりが残ってしまうだろう。
「……その、シエラ。ディータも。大丈夫だったのか」
「私は問題ありません。少し疲れたくらいで」
「傷はエイグの物だから。私も大丈夫だよ」
ディータも少し様子がおかしいが、シエラの方は露骨だ。
それでは、心に傷を負っていると言っているようなものだ。
もっと、俺がしっかりしていれば。イナがそう思い拳を握りしめた時、ディータが隠していた右手でそっと拳に触れた。
その時気づいた。彼女の手は震えており、やはり何かあったのだと嫌でも知らされる。
「貴方が悪いとはどなたも思っていません。ただ私も、シエラ様も、自分の無力を嘆いているだけなのです」
「……だけど」
「イナくん……自惚れすぎだよ」
どうしても彼女のストレスを緩和しようとして、彼女の言葉がそれを遮る。
それに心臓を貫かれたような感覚に陥り、何も言えなくなる。
(自惚れだったのか。俺なら守れたっていうのは、間違いなのか? 迷惑だったのか?)
違う。違う、違う。
何を否定しているのかもわからなくなっているが、ともかく違う。
彼女が言いたいことは、おそらくそういうことではないのだ。
ディータも勘違いしてはいけないというように、拳を握る手に力を込めていた。
「イナくんに頼ってばかりじゃ、いけないの。私達も強くならないと、今度は……うまく行くか、分からないんだよ」
「それは……わかるけど」
「無理すんなー、って言いたいんでしょ?」
二人を刺激しないようにだろう、少し声のトーンを抑えたアヴィナが口を挟む。
イナも浅く呼吸をして、波立った心を落ち着かせる。
「……ごめんね、こんなこと言いたいわけじゃなかったのに。私も、疲れてるみたい」
「シエラ……」
先日と状況は似ていたのに、様子が違いすぎる。
否、似ていたからだろうか? とにかく、いまは彼女の心中を図ることは出来ないようだ。
「……また、出直すよ。二人とも、ゆっくり休んでくれ」
「ええ、シエラ様のことは私にお任せください。ミヅキ様も、アヴィナ様も、お困りのことがございましたら、いつでもお呼びください」
さすがにそれは、と拒みかけて、言うべき言葉がそんなものではないとすぐに頭の中で訂正する。
「ありがとう。……じゃあ」
「ええ」
儚げで、それでも嬉しげな笑みを浮かべ、ディータは手を放す。
そして結局、何を話せたわけでもなく――二人は、シエラの部屋を出た。
「……はあ」
扉を閉めて早々、イナの口から大きなため息が漏れる。
まだ部屋の中にいる二人に聞こえるかもしれないと分かっても、勝手に出ていた。
「なあ、アヴィナ。俺間違ってるのかな」
「さぁ?」
救いを求めるように問いの手を伸ばしたが、彼女はにべもなく拒んだ。
どうやら、いまは冗談を言う時の彼女ではないらしい。
「正しさってーのは間違いと両立するもんだよ。結局相手次第なんだからサ」
「相手次第ったって……」
それでは、どこまでいっても平行線ではないだろうか。
「ま、ここで話してもしゃーなしだよ。ここはいっちょ、別方面からアプローチをかけてみようじゃない」
「……別方面?」
ぱっと思い浮かぶのは、レイアの顔。しかし昨日の今日で、気持ちに整理がつききっているかは怪しい。そんな心境の彼女にこの話をして、心証を悪くされてはたまったものではない。
であれば、選択肢は自然に絞られていくのだが。
「ミュウの所? でも、なんで」
「コードーやケッカにはリユーがあるってもんだよ」
「は、はあ……」
いまいち言いたいことは分からなかったが、彼女なりに考えていることがあるらしい。
「どうせ、今日の内はシー姉と話すのは難しいだろうし」
「……まあ、そうだな」
特に予定があるわけでもない。
休む間もほとんどないまま、二人は踵を返して居住区を離れ、格納庫へと向かう。
残暑が未だ無視できない時期であるが、イナの肌を撫でる風の湿りはそれほど煩わしくなくなってきていた。
幸い、これまでイナは空調の世話にはなっていない。
(……思えば元の世界に比べて、涼しい気がする)
イナのいた日本は、季節の変わり目はひどく気候が不安定で、気候が極端になる時期には、より悪化する。そんな環境だった。
毎年最高気温の記録が更新される、とまでは言わずとも、異様に高いことに変わりなかった。
イナはそれで慣れていたが、違う環境で過ごせばその違いが嫌でも理解できた。
そういえば、この世界は年代だけを見れば、イナの世界から十数年ほど前ということになっている。
一応過去ならば、まだいくらか涼しい時だったのだろう。
「さあ、ついたぞお」
「……て、格納庫?」
アヴィナが満足げに両手を上げたのは、格納庫の前でだった。
ミュウに会いに行くのならば、ここから研究開発室に向かわねばならないはずだ。
「今日はこっちでデータ集めてんだって」
「はあ……」
彼女も彼女で忙しいらしい。
未だこの、ビルが立ち並ぶようなエイグの威圧感と通路の心許なさは拭えないが、ふと視線を前に向ければ、頼もしい自機――シャウティアの姿が見える。
たとえここにいる数十機のエイグが一度に襲い掛かっても、守ってくれるような、根拠のない安心感が湧いてくる。
と、よそ見をしながら歩いていると、アヴィナがふと立ち止まる。
イナも進路上に、桃色のツインテールと白衣を着た人影を認めていた。
「みゅ~~う~~っ!」
「うわ、きた」
「……邪魔ならどっか行くけど」
あくまで気を遣って言ったつもりだが、ミュウはどこか呆れたように湿っぽい目線をイナに送った。
「……別にいいわよ。それで、なんか用かしら」
「用っていうかー、これ、シー姉のエイグでしょ?」
「そうなのか?」
言われてみてみれば、とはならない。装甲に傷はついているが、それ以外は他に並んだエイグとの違いはわからない。
「大きな損傷はないみたいだけど、貰ったデータを解析してみると……」
ほら、と促されて見せられた端末の画面には、何が示されているのかは分からないもののやたらと『ERROR』の文字が散見された。
「なんかあったの?」
「多分だけど、全身穴だらけの痛みに耐えつつ無理やり動かしたから、それでエラー吐きまくったんだと思う」
話としてはそれで分かるものだったが、イナは妙な違和を感じていた。
機械が不測の動作にエラーを吐く、これは正常な反応だろう。
しかし、そこに同居する何かがどうにも掴めない。
「どったのイーくん。おなかいたいの?」
「いや、その……なんて言えばいいのかな」
なんとか絡まった糸をほぐす様に思考を纏めようとしても、絡まる一方だった。
だが不意に、過去の記憶がよみがえる。
かつてシエラを助けた時、彼女のエイグは機能を一時的に停止していた。
「そう、そういうのって、エイグはその……パイロットの安全とかを守るために、止めたりするんじゃないのか?」
「……ふむ」
専門家のミュウならば、とっくに気づいていることだろう。
特段関心を刺激されたというわけではないようだが、少し驚いたような表情はしていた。
「にわか仕込みの知識にしては上出来だと思うわ。――そう、普段アンタ達はエイグを操縦していると思っているかもしれないけど、エイグによって感情や思考を制御されてる節はいくつかあるの」
いきなり話が壮大になった気がして理解が追い付かないが、とりあえずついて行っている素振りをしておく。
「つまりそういう、エイグは搭乗者を好き勝手出来るだけの機能があるはずなのに、エラーを吐いたのよ」
「てことは、シー姉の気合がエイグを動かしたってこと?」
「……まさに、非科学的だけどね」
イナは息を呑んで、エイグを見上げ回顧する。
彼にとってロボットというのは、ある程度搭乗者の闘志に応じて動くものである。むろん例外も多く在り、架空のものに限るなど制約は固いものだが。
しかし現実でそれが起こったかもしれないというのは、なんとも受け止め難い話だった。
「もしも、人間の思考や感情をデータ化しているのだとすれば、不思議でもない――いや、不思議には変わりないんだけどね」
「つまるところ、シー姉はそんだけ頑張ったってことだね?」
「……まあ、アンタら的にはそういう解釈でいいわよ」
考えることの多い役職ゆえに、彼女のウンザリしたような表情に同情してしまう。
などと思っている間にも向けられていたアヴィナの視線の意味は、考えるまでもないだろう。
「……無理やり飛び出したって、聞いたけど」
「……そうね、私には止められなかった」
能わなかったのではなく、自身の判断でそうするわけにはいかなかったのだろう。
否、おそらくその場にいた全員が反対しても、彼女は戦おうとしたに違いない。
「通信機器の故障で助けは呼べない、でもウチにあるエイグは損傷した物ばかり。それでも誰かが戦わないといけなかった」
けれども、誰かにそれを強制することができる組織ではないだろう。
その一方で、彼女のように現状が把握できない者もそうはいないはずだ。
「結果的に正しいことのしたのはシエラよ、それはわかってる。けど……やるせない気持ちがあるのは確かよ」
そう認めざるを得ない自分や、怖さや不安を理由に彼女の代わりを務められない自分。
代わりになる戦力を寄越さないPLACEや、この状況でも手を休めることのない連合軍――イナでも想像に難くない。
「……結局、私一人じゃどうにもできないし、できることするしかないのよね」
ミュウは急に、どこか遠くを見るように視線を上に向ける。
さすがのアヴィナも、これ以上話を深堀しようとはしなかった。
「じゃ、なんか手伝えることがあったら言ってね~」
「ん……」
返事もどこか遠いミュウを置いて、二人は格納庫を去る。
その間、イナはずっと考え事をしていた。
自分にできることは、本当に無いのか。
シエラやミュウ、他の大勢の不安を取り除くことはできないのだろうかと。
それがシャウティアならできるのではないかと思うのは、本当に自惚れなのかと。
自分の身の振り方を決めたはずのイナは、今一度自分の在り方に苦悩していた。
□ □
その日は結局、アヴィナと別れてから自室のベッドで寝そべっているばかりだった。
すぐ近くの部屋でシエラが悩みを抱え続けているのかと思うと、昼寝する気にもなれず。
何かと人の多い食堂で美味しいものを食べて気を紛らわせようとは思えず、実体化の練習も兼ねて果物やパンを口にする程度で済ませていた。
(この力も、よくわからんよな……)
想像の実体化というのも、架空の世界ではそこまで珍しい概念ではない。
しかしそのたぐいの能力には決まって、実体化する物体への深い理解が必要であったりする。構成物質や原理、仕組みといったものだ。
(でも、『なんとなく』で案外うまく行くんだよな)
さすがに見たことも触れたこともないものは実体化できないが、そうした経験のあるものは、その時のことを思い出しながら念じれば実体化できるようだ。
慣れてはきたが、さすがに生活の一部として組み込まれるにはまだ日が浅い為、違和感は拭えないままだ。
(元から俺の体に備わってたのか? それとも、こっちの世界に来たから……?)
そもそも、この世界と元いた世界の関係性も明らかでない以上、予想に大した意味はない。
しかしながら、この世界ではヒュレプレイヤーであるというだけでその身を狙われる理由になるとあっては、不必要に考えるなという方が無理だろう。
それに戦闘でも活用できるのなら、把握しておいて損はない。
が、一人で考えてどうにかなるものばかりでもない。
一方で、聞けば誰かに分かることでもないらしい。
だが、この思考が無駄なことであるとすれば、イナは他の不毛な悩みに向き合うほかなくなる。
イナが参加を決めたことで事は大きく動き始めるはずなのに、自分は状況に流されているだけな気がしてならない。
実際、指示を待つばかりなのだ。イナにできることはない。
(……本当にそうなのか?)
自分の中で生まれた結論にあがくように、イナは心の中でつぶやく。
中身のない言葉だったが、それを皮切りに頭が回転を始める。
(シャウティアを使いこなせれば、時間も距離も無視してみんなを助けることができる)
あくまで、可能性だが。
(けど、たぶん俺の体がもたない。現実的じゃないんだ)
おそらくはエネルギーは有限である上に、時間に差があるとしても移動にはしっかり時間がかかる。
どこまでシャウティアが応えてくれるかもわからない中で、それを保険とするのは危険だ。
(でも、日本支部にはエイグが要る。万が一なんて起きていい筈がない)
しかし、その要求はPLACEの上層には通らない。
その理由は。
(俺……)
イナがいれば十分。あるいは、イナが離れれば大丈夫。
軽視されていると断言はされていないが、疑わしい扱いだ。
(だけど、作戦の確実な成功に俺は欠かせない……はず)
それこそ自惚れかもしれないが、事実として頼られているし、客観的に見れば頼りたくもなる力であるはずだ。
ならば、と一つの策が思い浮かぶが、何らかの理由をつけて却下されるのが見える。
(……いや)
それを蹴散らすように、また一つの策が思い浮かぶ。
非常に危険だが、効果は十分に望める。
だがそれを行動に移すにはまず、この支部で権力を持つ者に掛け合う必要がある。
イナは窓の外を見やり、まだ日が落ちていないことを認める。
そして緊張に手を震わせながら、PLACEフォンでメッセージをしたためていく。
完成してから何度も見直して、所々打ち直したりもして、十数分が一瞬で経過した。
そこから、送信ボタンを押すまでが長かった。
自分の行為や思惑は、本当に間違いではないのだろうかと。
今からでも誰かに尋ねて、間違っていないと言って欲しかった。
だが、それは結局――いざという時の逃げ道を欲しているだけだ。
(……もしもの時は、止めてくれるはずだ)
行為の正当性は、結果が出るまで分からない。
だとしても、そこにあった思いは人間性を問われるものである可能性は十分にあるが。
(……テロ組織に入っておいて、今更か)
もちろん、捨ててはいけないものもある。
それと同時に――我慢するばかりではいけないものがある。
守れる手段があるのなら、そこに力を尽くす。
過去の自分も、そうだったはずだ。
(……お願い、します)
それでもなお不安と恐怖をないまぜにした震えにおそわれながら、イナはその親指で、アーキスタ・ライルフィードにメッセージを送った。
――そののち、司令室で静かに食事をとっていた彼がそれに目を通して噴き出したことを、イナは知らない。




