第12話「すれちがう、決意」:A1
「あ、あれ……」
眠っていた、と脳が認識するなり、イナの体から温度が消えうせた。
戦場で眠るなどありえない。そんなことをしてしまったら、戦いは間違いなく――
(おっはよぉ)
眩暈までし始めていたイナを出迎えたのは、無邪気なアヴィナの声だった。
そこからは、焦りや緊張感といったものは感じられない。
(戦闘は終了した。オートモードで航行中で操縦の必要はない、そのまま休んでいろ)
(い、言われてみれば……)
イナの体は浮遊感とともに風を受けていた。金縛りを受けているような不自由さはあったが、おそらくそれがオートモードの感覚だろう。
周囲を見れば戦闘の様子もなく、曇り空の下まっすぐ日本支部へ戻っているのが見えた。
機動力の都合か、レイアを先頭にイナが続き、アヴィナが後方で地上を滑っている。
どうやらレイアの言う通り、戦闘は終わったらしい。
(いやあ、間一髪だったけど助かったよぉ。ボクは信じてたゾっ)
(た、たすかった?)
(あんれぇ、ねぼすけ? ほらあの、ミュウの言ってた……なんだっけ、ゼッキョー?)
絶響。
その言葉で、記憶にかかったモヤが振り払われ、意識を失う少し前を思い出す。
あのとき彼は絶響現象を引き起こし、ゼライドに不意の一撃を加えたのだ。残念ながらそこからは立つので精一杯だったため、結果がどうなったのかまでは覚えていないのだが。
(あれを目の当たりにしては、如何な『ブリュード』とはいえ下手な追撃もできないと判断したのだろう。しかし、それよりも気になることがある)
(気になる、こと?)
(韓国支部お手製、後乗せ通信セット! ……の調子がやっぱおかしいのよん。おかげで基地と連絡が取れないの)
(だが、そろそろエイグ自身のレーダーで感知できる範囲に入る。何もなければいいが……)
後乗せ通信セットのことはよく分からなかったが、エイグのレーダーならシャウティアにもある。
イナは脳裏に意識を集中して、浮かび上がる仮想のレーダーを見やる。
徐々に近づくPLACE日本支部。
格納庫が見えてきたところで、エイグの反応などはないことを確認する。
(どうやら、敵はいない……いや、これは!)
(んにゃ~? どっかしたの?)
(これは……爆発?)
空中から地上を見下ろしていたイナとレイアは一足先に、日本支部の基地の近くに起きた異変を目の当たりにする。
アヴィナも地上から、少し遅れてそれを確認する。
(戦闘でもあったのか……?)
(わからない。すぐに通信を繋げる――む?)
(なになに、どったのぉ)
(……レイアもディータも応答がない。タチバナは――ああ、よかった。状況を説明できるか)
レイアが一人で話し始める間に、イナ達の帰還を確認したのだろう、格納庫のハッチが動き出す。
彼女が通信しながら歩くのに続き、格納庫へ自機を収めていく。
(な……)
レイアから再度通信があるだろうと思っていたイナはシャウティアに乗ったまま待機していたが、彼女の驚いたような声を最後に通信は切れた。
その一瞬、焦りや恐怖といった感情が読み取れた気がした。
(な、なんなんだ……?)
(うーん、なんかただ事じゃないみたい。とりあえず降りてきてよ)
アヴィナに従い、イナはシャウティアを降りる。
体がなまったような、どっと疲労が覆いかぶさってきたような感覚に苛まれるが、それどころではない。
格納庫内は妙な空気に包まれていた。
出撃できなかったであろう人や整備員はいるのに、皆静かにしていた。
周囲を見渡しながら怪訝な顔をしていたイナの下に、腕を組み彼を待っていた様子の男が現れる。
「お疲れさん」
「あ、ザック……さん。その、何かあったんですか」
「まだ確かなことは分からんが……レーダーの調子がおかしいらしくて、それでそっちで対処したのが陽動の可能性が出たんだよ」
「え……じゃあ」
「実際に来ちまったんだよ」
『ブリュード』を囮に、来てしまった本命のエイグ。
だが、だとすれば、矛盾が起こっているのはイナでもわかる。
戦えるエイグがいない筈なのに、日本支部が無事で済んだのは何故なのか?
「まあ考えてることは大体わかる。だが、エイグは出撃したんだ」
「いや、でも」
「シエラちゃんとメイドさん。あと、デルムの野郎だ」
「え? ……え?」
ザックが出した名は、いずれもエイグの戦闘とは遠いところにいるはずのものだった。
(シエラのエイグは修理中の筈だし、ディータも、デルムって人も、戦えないんじゃなかったのか……?)
「ひとつひとつな。……まず敵が来て、シエラちゃんが痛みにかまわず無理やり出た。だが戦闘中に動けなくなって、メイドさんが出た。それでも無理があって、デルムが援護。自爆しそうになった敵をデルムが投げ飛ばして――見たろ?」
先ほど、外で見た爆発の跡の正体がそれだろう。
矢継ぎ早に伝えられたことはすぐに嚥下することはできなかったが、想像もできないことがあったことは確かだ。
「で、さっきレイアさんが飛び出してったのは、戻ってきたシエラちゃんが寝たまんまだからだ」
「! ……そんな」
状況は、あの時と似ていた。
イナの中で、輪郭の定まらない感情が渦を巻き始める。
もしかすると、助けられたかもしれない。
もしも彼女がこのまま、目覚めなかったとしたら?
いや、それだけではない。
妹のシエラが二度も危険な目に遭って、レイアはどれほど動揺しているだろう。
「あんまり自分を責めなくていい、やるこたやったんだろ。……とりあえず、何かあればPLACEフォンで連絡が来るだろ。それまで休んでな」
「……は、はい」
ザックの去り際に大きな手で背中を叩かれ、幾分か自責の念は払われる。
だが、自分の知らない所で自分の守りたいものが傷ついてしまったことは、簡単には片づけられないものがあった。
(……さて)
「イーくん、どーする?」
考えながら出口に向けて歩くイナの思いを代弁するように、今度はアヴィナが現れた。
イナは少し悩んでから、やはりシエラのことが気になっていることを再確認する。
「ケガ人とかって……医務室、だよな」
「そーだね。ボクはミュウとちょっとお話しするから、まったね」
「ああ」
アヴィナまで届いたかどうかも分からないほどの声量で応え、イナは入口でアヴィナと別れ、一人で支部の中を歩く。
妙な寂しさがあった。少し無理を言って、アヴィナに同行を求めた方が良かった気がするが、さすがに今から呼び戻すわけにもいかない。
(……悪いのは、たぶん俺じゃないんだ)
頭ではわかっていても、自分にはこの事態を無事に済ませられる力があったことを考えると、そう思わずにはいられない。
自惚れとはこういうものかと自覚すらしていた。
だが、それでも――先ほどしぼんだばかりの自責の念は勝手に再び肥大していく。
こんな心境でシエラの姿を見れば、自分の中でどんな化学反応が起きてしまうのか、怖くもある。
だが、彼女の努力から目を背けるのは、違う気がした。
ほどなくして到着した医務室の前。
扉の窓に張り付けられた立ち入り禁止の紙に呆然としていると――通路の先から、人影が見えた。
白衣を纏う若めの男、坂木剣城だ。
彼はコーヒー缶を片手に、もう片方の手で人差し指を立て、口に近づけた。
静かに、ということらしい。
「あ、あの……?」
恐る恐る、小さな声で話しかけようとして。
扉を隔てた医務室の中から、女性のすすり泣く声が聞こえてきた。
一度も聞いたことはなかったが、どうやらレイアの声らしい。
それだけで、ツルギの意図はおおよそ把握できた。
彼の視線に促され、イナは静かにその場を離れる。
「……ちょっと、間が悪かったね」
ツルギの言葉に、イナはばつが悪そうに俯く。
「冷やかしに来たわけじゃないのは分かってるから、気にしなくていいよ。レイアさんが部屋を出たら、君に連絡を送るから」
「……通信障害が出てるって聞いたんですけど、PLACEフォンは使えるんですか?」
「短距離なら問題ないみたいだよ。ちょっと読み込みが遅いみたいだけど……ともかく、それでいいね?」
「あ……はい。すいません、なんか」
「謝ることじゃないよ。とりあえず、シエラちゃんは過労。命に別状はないから、安静にしてれば大丈夫」
「……ディータは?」
シエラのことは一安心したが、ザックいわく無理があったというディータの方も気になる。
「久しぶりの搭乗で軽く酔っているみたいだったけど、大事をとって安静にしてる。幸いにも、大きなけがをした人はいないよ」
「……よかった」
安堵の息を漏らし、イナは胸をなでおろす。
これで怪我でも負っていたら、どうなっていたかわからない。
「どうやら君は、他人のことでも自分のことのように考えてしまうようだね」
「……そうなんですか?」
考えもしなかったことをツルギに言われ、イナは彼の方に目を向ける。
「感受性が高いというかなんというか。考えすぎてしまうと言えば聞こえは悪いかもしれないけど、うまくコントロールできれば誰よりも優しくなれる」
「や、優しく?」
誰よりもと言われても、イメージが湧かない。
それにイナは、優しくしようとして優しくした覚えはほとんどない。
「まあ、君くらいの歳ならよくあることだよ。僕らみたいに少しスレてくると、自分のことで精一杯だからね」
「別に俺も、自分でも精一杯ですけど……」
「自覚がないくらい、周りに気が配れてる証拠さ。そのぶん君を支えるのは、君が無意識に優しくした人達だろうね」
「………」
分かるような、分からないような。
しかし、アヴィナやシエラ、ディータが自分を気にかけてくれているのは、どこかで助けたからなのだろうか。
そればかりは本人に尋ねなければならないが、栓を開け珈琲を喉に通すツルギの言葉が正しければ、そうなのだろう。
「一応、君より長く生きた人間のアドバイス。自分とうまく付き合っていきな、一生モンだからね」
「自分、と……」
「分かれとは言わないが、まあ、いつか思い出してくれればいいさ」
ふとしたきっかけで伝えられた、自分でもわからない自分の一面。
しかし本人の心を除きでもしない限り、本当にその人の思いを感じ取ったとは言えないだろう。
そこに妄想や自分の欲求を混ぜ込んでしまうから、きっと分かった気になっただけで、齟齬が生じてしまう。
イナがそこまで理解し、自身の行動に反映できるようになるまでどれほどかかることだろう。
ただ、ツルギの言葉でその一歩を踏み出したことは確かだ。
「さて、僕はもう少しぶらついているよ。あ、良かったら軽い診察くらいはしておこうか?」
「えっと……よくわかりませんけど、良ければ」
飲み切った珈琲缶を床に置いて、ツルギはイナの体に触れ、軽く指圧したり脈を図ったりして、何かしらを診ているようだ。
特段痛むようなところもなく、至って正常とのことだった。
ただ年齢の割にやや体が細いことを指摘され、運動不足まで的中させられてしまう。
せめて体力くらいはつけておこうと、イナは小さく決心するのだった。
「まあ戦闘のあとだし、今日は休んどくんだね」
「はあ……そうします。ありがとうございました」
どうせ他に行くところもない。
ツルギと別れてからそう思いかけて、一人の男の顔がふと思い浮かぶ。
デルム。イナに因縁をつけた一方で先の戦闘で出撃したというが、その真意はどのようなものなのか、気にならないわけではなかった。
だが、彼とどう話せばいいのかなどわからない。イナは譲歩すればいいだけだが、デルムの方がイナを嫌っているのなら、下手に話しかけても相手にされないだろう。
――戦えねえんだよ、あいつ。
ザックいわく、かつては彼と共に戦っていたらしい。だが何かのきっかけで戦えなくなり、いまは整備員をしていると聞いていたが。
(嫉妬……)
イナも、誰かを羨む気持ちはよくわかる。せめて薄緑の瞳さえなければ、と何度も思ったこともある。今でこそ、変人同盟の一因となってそれほどコンプレックスには感じていないのだが。
だが、他者からそんな感情を暴露されたことがないため、自分の何がうらやましいのかと言われてもぱっと思いつかない。
イナとしては、必死に自分にできる最低限をやっているだけのつもりなのだから。
特に才能があるわけでもなく、置いていかれないようにするだけで精一杯。
そこが既にずれているのだが――イナがそれに気づくのは、もう少し先のことだろう。




