第11話「いま叫ぶとき」:A3
「シエラ、無茶よ……!」
彼女がエイグの損傷を抱えたまま出撃したことを憂いながら、ミュウは格納庫の外に視線を向けていた。
既にレーダーの感知を受けてハッチは閉じられているものの、そこに彼女がいることはわかる。
しかし物音がほとんどしないのは、彼女が動けないことを物語っていた。
おまけで、ライフルなどの武器を携行していた様子はない。そんな状態で戦闘ができるとは、思えない。
だからといって、この状況で他のエイグが出ても木偶が増えるだけだろう。
「な、なあ、司令の嬢ちゃん。何があったんだ、シエラちゃんがあんな……」
近くにいなかった隊員も、駆けよってミュウに問いかけてくる。
先ほど同じ問いをしてきた隊員は、その場で苦い顔をしたままだ。
「……敵が来たのよ。レイア達が対処しているのは陽動。それを待っている余裕はないわ」
「な……じゃ、じゃあ」
「さっきのシエラが見えなかった? 無理を押して立つこともままならないくらいの激痛に耐えられる? 本当は誰かが、止めないといけないのに……いえ、それも……」
シエラを助けるのも、このまま彼女を放置するのも正しいとは言えない。
もどかしい気持ちがミュウの小さな体の中で肥大していく。
「で、でも、戦うなんて無理なんだろ!?」
「………」
答えるのは簡単だったが、それは諦めているのと同義だった。
「なら、俺が」
「俺だって」
などと、話を聞きつけた隊員が出撃しようと騒ぎ始める。
すぐにエイグの下へ駆けつける隊員も出る中、入口より響いた声が皆の動きを止め、その視線を一点へと集めた。
「皆様、お止めください」
「……あ、貴方は――」
そこに立っていたのは、この場に似つかわしくないフリル付きの衣装を身に纏う使用人。
いまは戦場に立つ主人の従者、ディータ・ファルゾンだった。
「整備員の方。13番の機体の状況は」
一瞬の静寂から少しのざわつきが蘇り、答えが遅いと感じたらしい誰かが声を上げた。
「メンテナンスは続けて、稼働には問題ない!」
「13番って……ディータ、あんたもしかして」
彼女の用いた番号は、この場にいるエイグにつけられたものだ。
そしてミュウは、13番が誰の機体を示す番号であるかは知っていた。
「私が出ます」
「そ、それこそ無茶だ! あんたは戦闘員じゃ……」
「少なくとも、傷を負った方々よりは動けます」
「で、でも……」
ここにいる者で、ディータの働きぶりを知らない者はいない。
だがエイグ乗りながら戦闘を拒む以上、戦えるとはだれも思っていない。ミュウもそうだ。
「主人と皆様の危機を目前にして、それでもなお我儘を言えはしません。――申し訳ありません、道を」
ディータは人混みに会釈をしながら、自機への道を譲ってもらう。
彼女の鳴らす速い足音の律動は、この格納庫によく響いていた。
「……久方ぶりだというのに、立て込んでいて申し訳ありません。――私のエイグよ、お目覚めを」
ディータの静かな命令に、これまで沈黙し続けていたエイグが反応する。
瞳を光らせたエイグは首を動かして彼女の方を向き、装甲を開いてコアを露出させる。
「申し訳ありませんが、今一度ハッチを開けていただけますでしょうか。……ご安心を、無駄足では終わらせませんので」
妙な自信をその一言に残して、ディータは軽々しく柵を飛び越えコアの中へと姿を消す。
誰もがその姿を目で追い、固唾を呑んで見守っていた。
□ □
不意の警告音で、シエラは今まで意識を失っていたことに気づく。
気絶というよりは、眠ってしまっていたかのような感覚だった。
AIは相変わらず沈黙したままだった。
だとしても、警告音が鳴ったということは無視できない。
靄のかかった思考の中でレーダーを見、何を感知したのかを確認する。
反応は――ひとつ。それでも、味方でないことは確かだった。
(やっぱり、陽動だった……)
地面から響いてくる足音も、水中にいるかのように感じ取りづらい。
(動け……動け……!)
自分が出撃してからどれくらい時間が経ったのかわからないが、格納庫からほかの味方機が出撃していないところを見るに、やはり自分がやるしかないという状況は変わらない。
しかし、敵の緑色のエイグが視認でき接近してくるのがわかっても、その距離が詰められていくにつれて感覚が再びおぼろげなものになっていく。
(だめ……邪魔……!)
シエラの必死の抵抗に、頭の奥で何かが反応した。
ソレは彼女が足を一歩踏み出したときに、姿を現す。
《――搭乗者からの要求への回答を入手。これより2分間痛覚の共有を解除し、操縦サポートを行います》
AIの通告が聞こえたのか、否か。
不意に体が軽くなったと感じたシエラは、半分自棄気味に駆けだした。
「ハッ! ボロボロのエイグしかいねえのかよ、これなら楽勝じゃねえか!」
怯えの中で余裕を感じさせる声音で、ブレードを構えた敵エイグが迫ってくる。
シエラは太腿にマウントされたナイフを器用に両手に取り、果敢に立ち向かっていく。
「しかも素人と見た! そこだろッ!!」
直線的な軌道で突き進むシエラは良い的だろう。
彼女に向けて思い切り振り下ろされたブレードは、間違いなく彼女を捉える――ことはなかった。
すんでのところで避けた彼女は、追撃が来る前に右手のナイフを素早く投擲する。
「なッ」
不意を突かれた攻撃に対処はできなかったようだが、幸いと装甲に弾かれて致命傷には至らない。
「おいおい、全身穴だらけのはずだろ……」
敵エイグの口から、乾いた笑いが聞こえてくる。
彼の言う通りいまのシエラは、いわば全身に穴が開けられその痛みに苛まれている最中だ。
にもかかわらず彼女は、それを感じていないかのように動いているように見えているのだから、驚きもするだろう。
「だが――動きは固ェ!」
「ッ!?」
シエラが投擲したナイフを囮に追撃を加えようとしたところ、それを読んだ敵エイグがブレードの柄で叩き落とすように後頭部を殴りつける。
「エイグに頼ってるのが見えてんだよ。結局こんな素人しか出せねえってこったろ!」
AIによって痛みがなくなっていると言えど、脳が揺れて意識を手放しそうになる。
否、さすがに彼女も限界だった。
AIの告げた2分間を経過する前に――またも、暗闇の海に身を投げた。
(ああ、嫌だ……)
結局何もできなかった自分が。
これから起こってしまうであろう悲劇が。
あの時は運よくイナが駆けつけてきてくれたから助かった。
しかし彼も万能ではない。そんな幸運が、都合よく何度も続く筈がないのに。
結局また救いを求めてしまっている自分が、嫌になる。
もっと強く在りたかった。その為に努力してきたつもりだった。
しかし、自分は優秀な姉のようにはなれないのだと――世界に、否定された気分だった。
(いっそ、私を……)
諦念がその言葉を綴ろうとしたが、最後の抵抗がそれを阻止する。
それは、仲間を殺してと言うに等しい。
だがだとすれば、この気持ちはどこへ向かわせればいいのだろう。
その問いの答えが得られないまま、自身の声も聞こえなくなるその直前。
(――ご苦労様でした、お嬢様)
耳に届いたのは、戦場にいるはずのない従者の声だった。
□ □
「お? なんだ、またなんか出てくるのかよ?」
シエラを沈黙させ、調子に乗っている敵エイグの声。
地下の格納庫から姿を現し、立ち上がったのは先ほどと同じただのPLACEエイグ。敵にはそう見えていることだろう。
油断しているのが明らかに見える。
「一機増えたところで丸腰の素人だろ? せっかくなら少しくらい退屈をしのがせてくれよ」
「………」
ディータには、敵エイグの声など大して耳に入っていない。
久方ぶりの、エイグと一体化する感覚には違和も多い。それに体を慣らすことに集中するとともに、敵エイグの傍らで沈黙するシエラに心配の眼差しを向けていた。
辛うじてシエラは息を続けエイグも稼働はしているものの、この状況ではすぐにとどめを刺されてもおかしくはない。
「ああ、コレが心配か? 安心しろよ、殺せとは言われてねえ」
その言葉がどこまで信用できるだろうか。
声の調子からしても、享楽で人を殺しそうな雰囲気がある。
「目的はここの制圧だ。うっかりヒュレプレイヤーを殺しちゃあ勿体ないしな」
「……であれば、私を殺すことは出来ないでしょう」
少し考えて、ディータはそう告げた。
彼の言うようにヒュレプレイヤーにはそれだけの価値があり、その為にわざわざこの僻地まで足を運ぶ意味がある。
原因はおそらくイナか、あるいはディータの所在に気づいたか、あるいは。
いずれにしても、戦力に乏しいことが露見した以上攻め込まない理由はない。
少なくともプレイヤーが一人以上いるのであれば、少ないコストで大きなリターンが得られるのだから。
「てことは、あんたを連れてきゃいいってわけだ」
「可能であれば、どうぞ」
余裕たっぷりに答えてはみたが、実戦経験はほぼない。感覚に任せた戦闘になることは必至だ。
ディータは身構え、意識を集中させる。
エイグに搭乗していても、実体化の感覚は同じだ。
手にヒュレ粒子を集め、作り出すモノの形と性質をイメージとして付け加え――質量を与える。
次の瞬間には、両手にブレードを握っていた。
「へえ、本当らしいな。だったらちゃんと持ち帰らねえとなあ」
敵エイグがブレードを構え直し、互いに間合いをはかり合う。
最低でもイナ達の戻ってくるまでの時間稼ぎにならねばならない。勝てる見込みを図れるほどの余裕はディータに無い。
(……仮に彼が絶響現象を意のままに操れるようになったとして、ここまで戻ってくるにも時間が必要なはず。あとは私と――)
意識が他のことに向きかけて、ディータは気を取り直す。
(……ひとまず、貴方は私の指示通りに動いてください。それだけで構いません)
AIから無言の肯定を受けとり、ディータはすっと軽く息を吸う。
そしていつになく険しい表情をして、敵エイグへと向かっていく。
(右方下段から斬り上げ。右ブレードで防御)
ディータが念じた通り、敵エイグの攻撃に対してディータのエイグが素早く反応し、その通りの結果となる。
(左方の足で蹴り。右方ステップの勢いで右ブレードを薙ぎ、敵ブレードを弾いてください)
ほぼ、エイグを動かしているのはエイグのAI自身――というよりは、ディータがエイグの脳になったかのように動いていた。
一瞬のうちに相手の行動を読み、それを通信でエイグに伝え反応させる。常人では確実に不可能な芸当だ。
「な、なんだコイツ、素人のハズじゃ……」
「ええ、まったくの素人ですとも」
言葉を発する時も絶え間なくエイグに指令を送り続け、敵エイグが段々と後退させられていく。
謙虚に振舞うには惜しいほど、ディータは圧倒的だった。
「こんな隠し玉があるなんて聞いちゃいねえぞ!」
「ですから、隠し玉なのでしょう」
敵エイグの明らかな焦りを好機と見、ディータは思い切り踏み込む。
足でも斬れば身動きは取れないだろうと関節へ狙いをつける。
しかし刃が露出したボディを捉えるその寸前で、ディータの頭に激痛が走る。
「あぁッ、ぐ……!?」
立ち眩みを起こしその場で体勢を崩す。なんとか倒れ込まないようにはしたものの、隙だらけなのは間違いなかった。
「は、ハハ……なんだ、驚かせやがって……」
(ッ……上段、左ブレードで防御!)
急な形勢逆転と見た敵エイグがブレードを振りかぶるが、それでもディータは反応して見せる。
「な、なんなんだお前、どうなってんだよ!」
(上段、左方、右方……交互。右ブレードも加え防御――いえ、左足の……!)
しかし頭痛に苛まれる中では反応が追い付かず、ついに蹴りを受け攻撃を許してしまう。
人の身では経験したこともない衝撃に苦悶の声を漏らし、ディータは今度こそ仰向けで倒れる。
次の行動に反応しようとしたが、その前に右手首をブレードで刺され、左手は手で抑えられ動きを封じられてしまう。
さすがに日常の奉仕の中で、指を切る以上の怪我をしたことがないディータにとって、耐え難い激痛であった。
「なんだか知らんが、俺の勝ちだな。もう動けるエイグは……」
「……いいえ、まだ終わりではありません」
「ああ? 強がりも休み休み――」
「強がり。ええ強がりかもしれません」
手首に刺さったままのブレードが更なる痛みを伝えてくる。
だが、まだ斬り落とされたわけでもなく、それも致命傷ではない。
その程度で、彼女が止まる理由にはならない。
「しかし、主が受けた痛みに比べれば、こんなもの――ッ!」
ディータは歯を食いしばり、突き刺さった敵エイグのブレードで無理やり腕を切り離す。
あまりの痛みにエイグがBeAGシステムをシャットダウンしようとするが、ディータは意識を保つべく咆哮する。
「はあああああああああああああああああッッ!!!!」
だが、依然として動きを封じられた彼女にできることはないはず。
そんな敵エイグの油断が見て取れた。
確かにディータはその手でブレードを振ることはもうできない。
だが、彼女の武器はブレードでも、身体でもない。
(敵エイグ後方、実体化を!)
その、創造力。
直後光の粒子が敵エイグの頭上に収束し、一気に巨大な立方体となって質量を得る。
立方体はそのまま自由落下し、不意を突かれた敵エイグの頭を打つ。
打っただけだ。
大したダメージは、ない。
「ってェな、この……!」
小馬鹿にされたと憤りを見せた敵エイグが、再びブレードを振り上げる。今度は顔か、胸か――
しかし、死の覚悟をする必要はなかった。
ここまでも、ある程度の損害を含めて想定の中に納まっている。
だから、意識を手放す前にディータがすべきはただひとつ。
この幕を、引くだけ。
「動体反応!? まさか――」
「……ファイア」
悲鳴も、聞こえなかった。
格納庫の内部から絶え間なく、胸の同じ個所を何度も弾丸が襲いかかり、遂には貫通する。
真ん中を狙うことはできなかったようだが、それでも胸の奥に潜むコアを傷つけることには成功していたようだ。
その一瞬で、敵エイグは沈黙した。
――否、まだだった。
ディータは力が抜けていく中で、危機を再び感じ取っていた。
自爆だ。ある意味、最初からこれが想定されていたのかもしれない。
(うご……い、て)
左手は解放され、動けないこともない。
しかしディータの体が限界だった。
頭痛も、体の痛みも、その細い身で受け止めるには大きすぎるものだった。
あと何秒猶予があるのかもわからない。
(……誰か……)
イナ縋りたくはあったが、現実的ではない。
では、誰を頼ればよいのか。
もっとも近くにいるのは……
(…………デルム、様)
「――――うおおおおぉぉぉぉぉおおおらああああぁぁぁッッ!!」
ディータの声なき求めに応じたのか、格納庫からまたもエイグが飛び出す。
ソレに乗っているのは、半狂乱のデルム。
先日、出撃が遅かったイナを責めた整備員の彼が、いま、戦場を駆けていた。
彼はまっすぐ沈黙した敵エイグを引っ掴み、力任せに駆けて基地から距離を取り、そのまま何もない森林へと投げ飛ばす。
そして基地の方へ向き直り、両腕を広げて目を閉じた。
皆の盾となるように。
次の瞬間、爆破が起こり――同時に、ディータは暗闇に意識を手放した。




