第10話「貴方が想う限りは」:A2
居住区の一部に設置されているバルコニー。
レイア・リーゲンスは眠るように目を細めながら、手すり近くのベンチに腰かけていた。
静かな夏の夜――いまだこの高温多湿の環境には慣れないものがあったが、我慢できないものではなかった。
彼女がここにいる理由は、イナのもとに遣ったアヴィナの報告を待つためだ。もっとも、報告だけならばここで待つ必要はない。PLACEフォンを通じたものを、明日にでも確認すればよいだけの話だ。
それにマイペースなアヴィナのことだ、待っていても来ない可能性も十分に考えられる。それならそれで、しばし日々の疲れを忘れているのもいいかもしれない。
と思った矢先、バルコニーへ通じる扉が開かれた。
「たいちょーさ~ん」
「……どうだ、ミヅキの様子は」
このまま眠りかけていたのを悟られないように体を起こし、やってきたアヴィナの方へと向く。
だが勘の鋭い彼女のことだ、隠すだけ無駄だろう。
「そんな重く考えないで、みんなで一緒に背負おうよって言っときましたよ。少しは気が楽になったんじゃないですかね~」
「ならいい。私はそういう風には言えないからな」
年も近く、フランクに接することのできる上、状況を理解できている者――妹のシエラでも良かったが、戦士としては未熟な彼女では不安もあった。
それとは別に、些かシエラにはイナに特別な感情を抱いている様子が見られ、端的に言えば相談で終わらない可能性を心配したのだ。
上官としてだけではなく、姉としても。
「まあまあ、隊長さんは忙しいですから。こういう時くらい休んでくださいって」
「お前の若さに頼ってばかりもおれん」
アヴィナは呆れたように溜息を吐く。
「体だけは壊さないでくださいよう」
「それはお前もだ」
「隊長さんにはシー姉がいるでしょ」
自分でも、眉間にしわが寄るのを感じた。
私情を挟みすぎると戦いで不利になるとは分かっていても、全く意識しないことは不可能だった。
それでも少しは忘れていたかったのに、なぜあえてアヴィナは掘り下げてくるのか。
子供っぽい彼女だが、未だに意図が読めない所がある。本当は子供の皮を被っているだけと言われたら、信じるだろう。
「……私のことは今はいい。ミヅキは作戦に参加しそうか」
「んまぁ、やれって言ったらやると思いますよう。少しくらいはボクがサポートしますし」
まだ課題が解決されたわけではないようだが、まったく使えないよりはましなようだ。
元より、説得してすぐに心変わりするようなら、むしろ疑わしい。
「一人で戦えるようになれれば、それが一番なんだが」
「まー、贅沢言えませんよ。敵さんももうあのエイグ見ちゃったでしょーし、イーくんの為にもさっさと動いた方がいいですよ」
「……わかってはいるんだがな」
突如現れた終戦のカギである故か、その確実性を求めてしまう。
レイアも希望には縋りたい気持ちはあったが、やはりイナの不安定さとシャウティアの未知の力には不安をぬぐえないものがあった。
「なんだっけ、でうすえくすまきな?」
確かそれは――唐突に現れては、舞台の幕を無理やり下ろす神。
まだ幕が下ろされているようには見えないが、その時はすぐに来るのかもしれない。
それがただ、終戦を意味するものならばいいのだが。
「……あくまで、空想上の存在だろう」
「でもでもぉ、エイグってそもそも空から降ってきたわけでしょ? なんか『いる』としても不思議じゃなくないですか?」
「………」
確かに、そもそもの出自からして疑うべき存在であることは確かだ。だが、目の前の戦いに集中するあまり考えたこともなかった。
何より、なぜアヴィナはこのタイミングでそんな話をするのか。
つい邪推してしまうが、もしそんな神のような存在がいるとすればレイア一人でも、PLACEが束になってもどうしようもないのだろう。
考えるだけ、無駄である。
「そういうことを考えたくなるのも分かるが、いまは戦いに集中しろ」
「はあい」
適当に思える返事でも、されないよりましだ。
レイアもアヴィナも、今は与えられた使命を果たすことが最善の筈だ。
というより――それ以外に意識を向ける余裕は、少なくともレイアにはない。
そのあたり案外、アヴィナには余裕があるということか。
(……おかしな宗教にだまされないといいんだが)
如何せん飄々としている彼女だ、真面目な話をしていてもすべて冗談に見える。真に受ける方が疲れそうだ。
それにどうせ、エイグを介した通信では思考もある程度読み取れる。おかしな様子があればすぐにわかるだろう。
「ひとまず、説得してくれて助かった」
「説得だなんて、ボクはただお話しただけですよう」
「……なんでもいいが、とにかく助かった。用件は以上だ、寝ていいぞ」
「はぁい」
それなりに大役を果たしてくれたアヴィナに対して冷たいだろうかと言ってから心配にはなったが、彼女は特に気にした様子もなく、そのままバルコニーを去っていく。
(さて、私はどうしたものか)
いくら真夏といっても、夜風に晒されたまま一晩過ごせば風邪を引きかねない。
少しばかり面倒を感じたレイアだったが、ベンチを離れ自室に戻ることにした。
(……しかし、ディータが相談に乗るとは)
アヴィナに頼む前に、ディータ・ファルゾンの口からそのような話を聞いた時は少しばかり驚いた。
レイアにとっての従者である彼女は、レイアやシエラ相手に相談に乗ることはあっても、他の者達に対しては簡単なアドバイスをするのみや、聞き手に徹している印象だった。
そんな彼女が、信頼が浅い者に心を開いたとでも言うのだろうか。
一見自我を持たないようで、しっかりと自分なりの考えを持っているディータに限って、それはないはずだ。
(シエラも少し様子がおかしい。アヴィナやミュウはいつも通りのようだが……)
シエラに関しては、危機を救われたことへの恩があると言われれば納得はできる。
やはり変化が顕著なのはディータだ。
主人の一人たるシエラを救われたとはいえ、あそこまで態度を変えるものだろうか。
(付き合いが長いとはいえ、すべてが分かるわけではない……当たり前と言えばそうなんだが)
ディータがうまく説得できなかったということに、どうにも違和感がある。
むろん彼女もただの人間だ、全知全能の神などではない。
だがどこかで、彼女を万能に思っていた節があったのは確かだ。そう思わせるだけのことをしてきたのだから。
微細な表情や癖を見抜いて、考えを見通すかのように語るのが、ディータという人物だと認識している。
ゆえに彼女のソレは、何らかの異常に思えてならないのだ。
何故だろう。
彼の出現は、徐々にこの日本支部――あるいは、PLACE全体の変化を促している気がしてくる。
その中でレイアは取り残され、PLACEの中で居場所を失っていくような。
(……考えすぎか)
だが、もしも自分の周りから皆が離れていってしまったなら。
自分の戦う意味とはなんだ?
(……いまは考えなくていい、そんなこと)
脳裏にフラッシュバックする、過去の出来事。
まだ彼女が、戦争とは無縁だった時の記憶。
半ば見捨てるようにして家を出た娘を親はいま、どう思っているだろうか。
家のことを鑑みない親不孝者と思っているだろうか。
自分の命を大事にしない愚か者と思っているだろうか。
もしも再会した時、そのように言われたとして――自分は上手く言い返せるだろうか。
俯きそうになったレイアは、バルコニーを出る前に一度振り向いて夜空を見上げる。
よもや戦争をしているとは思えないほど綺麗な月、そしてそれを彩る数多の星々が、彼女の碧眼に世界の広大さを改めて知らしめる。
しかしそれは、いまは彼女の孤独感を肥大させるに過ぎず。
(……早く、終わらせなくては)
自分がこんな思いから、逃げなくてもいいように。
無駄に力を込めて扉を開け、レイアはバルコニーを後にした。




