第9話「未知の海の中で」:A4
「……なぜ」
給仕服を身に纏うディータ・ファルゾンは、イナの部屋を出るなりぽつりと自問した。
(なぜ、彼の前ではあんなに饒舌になってしまうの)
それは彼女にとって、未知の感情だった。
これまで感情を殺すことでただの道具であることに努めてきた彼女だったが、イナと出会ってからというもの、彼を前にしたときは奥底に閉じ込めていた感情が堰を切ったように溢れ出すのだ。
彼女はこの思いを適切に形容する言葉が見つけられないでいた。
(……彼が、この世界の人間でないから?)
強引な冷静さで自己分析をし、ようやくそれらしい答えに辿り着く。
(だから私は、彼には普段どこかで抱え込んでいることをぺらぺらと……)
それではまるで、彼を都合よく利用しているだけではないか。
ディータはそんな自分に嫌気が差したが、すぐその反応に違和を感じた。
心のどこかが、理由は他にあると訴えているような。
如何とも言い難い感覚は、彼女を困惑の渦の中に沈ませていく。
段々と息ができなくなるように、思考が堂々巡りになるその中で、彼女はまた一つの仮説を立てる。
(ああ、もしかしたら……私は)
それは、縋るような願い。
生きている限り、誰にも打ち明けることはない筈だった願い。
(彼に、私を理解してほしいのかもしれない……)
慰めてほしいのかもしれない。
憐れんでほしいのかもしれない。
だとすれば、その我儘を彼に押し付けていいのか、はたまた彼にそうさせるように誘導してもいいのか。
自分の中の良心が囁きかけてくる。
彼の目を奪っているのは、この世界には居ない人物であることはわかっている。
そうだとしても、彼女はいま胸の高鳴りを抑えられないでいた。
ここまでの体の火照りを感じたのも、何年ぶりだろうか。
少しの間だけでもいいから、彼の視線を自分だけのものにしたい。
暴走した感情が、邪な考えを生み出しディータを誘惑する。
(駄目……。私は、最後まで道具でいなければ……)
無理やり、湧き上がる想いに蓋をするように。
ディータは衣服の中で湿るものを感じる中、呼吸を整えながらその場を後にした。




