第9話「未知の海の中で」:A3
「じゃあ、お大事に」
「はい、失礼しました」
学校に通っていた時の癖でそう言い残し、イナは医務室を出た。
AGアーマーを纏っていたと言えど殴打されたのだから、念のために診てもらおうと、先日あいさつした坂木剣城のもとを尋ねていた。
しかし幸いと、結果は異状なしとのことだった。
痛みこそあれど、AGアーマーの防御力は見た目以上にあるようだ。
(ザックさんの怪我も、エイグとは関係ないって言ってたし。それに、コネクトリキッドが傷の回復を早めるとかも、シエラが言ってたな……)
昨日の朝のことを思い出して納得しかけたが、不意に疑問が過る。
怪我をしていても、エイグは操縦できるものなのか? と。
(いや……骨折してる様子もなかったし。案外大丈夫なのか? でも、怪我してる人も出ないとっていうのは、まずいよな……)
であれば、その負担はイナが背負うのがベストだろう。
改めて自分の役割の重さを感じ、溜息を漏らす。
「いかがなさいましたか?」
「うわ、いきなり出てくるなよ!」
「いきなり、ではないのですが。驚かせてしまったのであれば申し訳ありません」
丁寧にお辞儀をする彼女、ディータとは今日は初めて顔を合わせたことを思い出す。
彼女も多忙の身であるから、いつもそばにいるわけではないのは理解しているつもりではあるが。
「物思いにふけっていらしたようですので、何かお困りごとでもあったのかと」
「いや、困りごとっていうか……頭と心が一致しないっていうか」
ふむ、とディータが赤い瞳でイナをじっと見る。
「例の作戦への参加ですね」
「少しは落ち着いたから、その上で、やっぱり参加すべきなんだろうなとは思ってる。けど……役に立てる自信が無いんだ」
「立ち話もなんですから、お部屋までお送りしますよ」
なぜ自分の部屋に、と問う前に、彼女は言葉をつづけた。
「居心地が悪いと感じてはいけませんし、何かトラブルがあるといけませんから。ご安心を、すぐにお食事もご用意いたします」
顔を近づけて囁かれる間際、女性特有の甘い香りが漂ってきて酔いそうになる。
だがそれがばれては格好悪いと、なんとか平静を保とうとする。
ディータはそれもお見通しといったような笑みを浮かべながら、「行きましょうか」とイナを促した。
「それで、自信がないというのは」
「……ちゃんと役に立てるかわからないんだ。シャウティアに乗ってるって言っても、使い方もよくわかってない。それになんだか、俺じゃなくてシャウティアに価値があるって気がしてるんだ。俺じゃなくてもいい気がして」
もちろん、戦うことを選んだ以上それを拒む気はない。ないのだが。
「合理性が求められますから、そのように見られてしまうのは仕方ない部分があるとも言えるでしょうね」
共に階段を上りながら言うディータに、イナはやっぱりそうだよなと心の中で溜息を吐く。
しかし、と彼女は付け加える。
「エイグの性質上、シャウティアはミヅキ様にしか扱えません。シャウティアが必要というのは同時に、貴方が必要ということでもあるのです」
「……そうかもしれないけど」
「いいえ、そうでしかありませんよ。たとえシャウティアの力しか見ていない方がいらっしゃるとしても、無意識に貴方の価値を認めていることには変わりません」
それは、自分でもどこかで分かっていたことだ。だが、そこまで言われて初めて、自分の悩みの種はそれではないことに気づく。
「とどのつまり、ミヅキ様は与えられる役割の重さに不安を覚えておられるのでしょう」
彼はずっと、そのことに悩んでいた。だが難しく考えるあまり、堂々巡りで根元にある思いが分からなくなってしまっていたのだ。
「確かに、戦争を終わらせるための作戦の要とも言われれば、誰だって不安でしょう。そんな責務、簡単に負えるわけがありません。ただでさえ軍人とは性格の違う方ばかりの組織ですから」
「……でも」
悩みの根源が分かったところで、責任が重く大きなものであることには変わらない。
「酷なことを言わせていただきますが、その悩みはどう頑張っても、いえ頑張れば頑張るほど、解消できないものであると思います」
イナはどもることすらせず、黙る。
理解はできるが、受け入れられなかった。この感情をどうにかしたくてたまらないのだ。
「それを受け入れる決意ができたなら、それはどこかに狂気をはらんでおり、その時の精神が正常であるとは言えません」
「……でも、俺はそうしないといけないはず」
消え入るような声で呟いたイナは、ドアの開閉音でいつの間にか自室に辿り着いていたことに気づく。
ディータに微笑で促され、小さく頭を下げて部屋に入る。
「ミヅキ様、以前ここでお話しした時のこと、覚えておいでですか」
「え? ……っと」
ディータが指すのは、初めての出撃から帰還した後のことだろう。
イナは感謝の言葉が少なかったことに不満を感じ、それが我儘であると知りながらも、無意識に求めてしまう自分に嫌気がさしていた。
今も、シャウティアではなく自分に価値を見出してほしいと求めているし、その上――
「私はあの時、劇的な変化は心身が拒んでしまう、と伝えたかと思います。いまふたたび、ミヅキ様は自分を無理やり変えようと必死になって、もがいているのでしょう」
「………」
言われて初めて、自分がその状態に陥っていたことを自覚する。
「優しい貴方は、誰かの為に自身を犠牲にして、必要とあれば変化していきたいと考えているのだと思います。しかしその徹底は不可能に近いでしょう。それこそ、神や仏になるようなものです」
椅子に座ったイナに背を向け、ディータは机の上で何か作業をし始める。
時折手元に光の粒子が集まっているところを見るに、ヒュレ粒子で何かを実体化しているのだろう。
「しかし、善く在ろうとすることは間違いではありません。要するに、考えが極端すぎるのです。完全なものなど、この世にそうそうありませんから」
「……でも結局、俺はこんな、はっきりしないまま参加しなきゃならないってことじゃ」
「そうですね、戦場での迷いは不確定要素を生み、危機の種となるでしょう。ですが、ミヅキ様は与えられた役割や自分がなすべきことと思ったことに、素直に、真面目に、力を尽くす方ではありませんか?」
「…………わからないよ」
今まで、そんな大役を与えられたことはなかった。自分で大きなことを成し遂げたいと思ったこともなかった。そんなことを考える余裕はなかったのだから。
いつも誰にも知られず消えてしまいたいと考え、そんな思考から逃げるために自分を慰め、架空に逃げるばかりだった。
そんな自分が、そんな勤勉な人間であるとは、イナは思えなかった。
「いま、ミヅキ様に求められているのは、与えられたことにまっすぐに応えることではないでしょうか。人を殺すことを強いられたわけでもありません。何かを守らなければならないと責任を負わされたわけでもありません。貴方にできることを、貴方ができる範囲でしてほしい、それが一番の助けになると、そう思われているのではないでしょうか?」
ディータは精一杯、イナに理解しやすいように伝えてくれているのがよくわかる。
だが、それでも、それでも――言い訳を探すように、イナは納得しようとしない。
「むろん、断ってもよいのです。それでも、あなたはきっと自分が参加していればと思うことでしょう。しかし参加して失敗してしまったら、それも自分の責任と感じてしまうでしょうね」
「……八方ふさがりじゃないですか」
「そうですね、いっそそんな作戦のことなんて知りたくなかったとも思うかもしれません」
先ほどから一々イナの考えを先読みしたように語っているが、そんなにも単純な思考だったのかとイナは少し自分に呆れる。
「でも結局、どこかでこのことを知るでしょう。その時やはり、自分が参加していればと思うでしょうね」
――なら、どうしたって同じだ。どうせ、異世界の事情なのだから。
イナの内側から、悪魔のささやきにも似た声が響く。
だが、それは違う。
「でも、貴方はシエラ様をはじめとする、PLACEの為に戦うことをお決めになった。であれば、その為に最善を尽くしたのであれば、誰も貴方を責めません。仮に誰かが貴方を責めたとしても、全力であなたを許し、労うことでしょう。少なくとも私の仕える方々は、そのような人間であると認識しています」
確かに、シエラも、レイアもイナに感謝を述べていた。二人だけでない。多くの人間がイナに感謝を述べた。
「……でも」
これだけディータに言わせておいてなおも、イナはふさぎ込んでいる。
すぐに思い起こされるのは、イナに突っかかってきたデルムの態度だ。
「自分が許せない――でも、それだけではない筈です。貴方が本当に恐れているのは、他人の目ではありませんか」
心の中心を突くような言葉が、イナの体に電流のような衝撃を与えた。
「貴方は自己評価より、他者の評価を気にしているのではありませんか。だから大きな成果を残しても、それを自信にうまく繋げられないのです。むろん、他者の評価をまったく気にしないのも問題ですが……人が多ければ、異なった考えも出てくるのは当然です。しかし貴方に向けられた言葉のすべてを聞き入れていては、いつか貴方は自分を失ってしまう」
「………」
言葉の一つ一つが体に突き刺さる。しかしそれは大きな刃ではなく、針や釘のような小さなものがいくつもあるように感じられる。
だからなのか、ディータの言葉は説教くさくとも、苦味が無かった。
些細な言葉づかいから、イナの身を案じている気がしたからだろうか。
「きっとこれは、貴方が、貴方だけの力で解決すべき問題ではありません。人とのかかわりの中で、少しずつ凝りをほぐす様に、変えてゆくべきこと」
ようやく手元の作業が終わったらしく、ディータが何かを持ってイナの方を振り向く。
その手には、フルーツサンドとカツサンドの乗った皿があった。
思えば以前も、彼女にこうして食事を用意してもらっていた。
同時に、その時の彼女の言葉も想起される。
――ひとまずは食欲や睡眠欲をお満たし下さい。空腹と不十分な睡眠は精神にも不調をきたしますゆえ。
たしかに今のイナは、空腹状態だった。
「塩分も大事ですが、糖分の補給も大事ですよ。クリームも少し多めに入れておきました。紅茶もあとでお持ちしますね」
「……ありがとう、ございます」
小さな声で、それでも感謝の言葉を述べて受け取る。
「正式に参加を申し出るには、まだ時間があるでしょう。その時までに、私の言葉の意味が少しでも理解していただければ幸いです。私もその助けとなれるよう、尽くさせていただきますので」
「……なあ、その。どうしてそこまで言ってくれるんだ」
ただ心配しているだけで、ここまでイナに助言をくれるとは思えない。
あるいはイナが知らないだけで、彼女にはそれだけの想いがあるのかもしれない。
「迷いを抱えたまま前に進み、迷いを忘れるほどに身を粉にしている方と重なるのです。それは大変立派に見えますが、いつ重責と自責に押し潰されてしまうかもわかりません。あの方は付き従ってくれる者とその責任を支えに一人で自分を鼓舞し、そして自分らしさを失いつつあります」
そう語るディータの目は、いつもと違いひどく悲しく感じられた。
今まで何を考えているのかいまいち掴めない節があったが、彼女が他者に尽くすのは、本当にそれだけの並々ならぬ思いやりがあるからなのだろう。
「それもまた一つの道なのかもしれません。でも、私はそれが間違いであるかのように思えてならないのです。すぐ傍に貴方を想う人がいるのに、自分の意思を隠し、それすら見えなくなるほどに視野が狭まっているようにしか見えず……ああ、申し訳ありません。喋りすぎてしまいましたね」
「……いいよ。考えるきっかけをくれてありがとう」
「恐縮です。では、いま紅茶をお持ちしますので」
そう言って部屋を出るディータが逃げるように見えたのは、気のせいだろうか。
「……食うか」
空腹も相まって用意されたものをいつまでも待っていられず、イナはサンドイッチに手を伸ばした。
悩んでいたことも嘘だったかのように、しばらく無心で食事に耽っていた。
やはり空腹は余計なことを考えてしまい良くないのだと、イナは改めて感じた。
だが、その良くないこととは、決して無視してはならないことでもある。
しかし同時に、一人で考えてどうにかなるものではないことは、彼女が言っていた通りだ。
(要するに、もっと人に甘えろってことかな……)
おそらくディータが言っていた人物と重なっているのだろう。
そうなってほしくないというのはあくまで彼女個人の願いではあるだろうが、その道に進むことがイナにとっても望ましくないのは確かだった。
(迷惑とか、そういうの考えない方がいいのかな……)
しかし、ここの面々とは会ったばかりで、それほど信頼を重ねたとは言えないだろう。
(その辺は自分で距離を測れって事かな……)
自分は何もせずに、望んだ方向へ進もうとするのは難しいだろう。
自分をどうにかしたいと思い、その思いを自覚しているのなら、自分でできることはすべきだ。
(……とは言っても、やっぱり最初はシエラが一番話しかけやすいよな)
ふとポケットに入れていたPLACEフォンの存在を思い出し、電源を入れてない真っ黒な画面を見つめる。
イナは過去にSNSは使っていたが、他者との交流には用いていなかった。
そのため、こうした端末を通じてのコミュニケーションは、どう切り出せばいいのかよくわからない。
まさか、話があるから部屋に来てほしいだの、どこかで待ち合わせがしたいだの、文面だけで言えば思わせぶりも甚だしいことは言えない。だからと言って、相談があると言っては変に負担をかけてしまわないだろうかと考えてしまう。
(実際にそうなったわけでもないのに、心配し過ぎとは思うけど……)
すべて一度きりと考えているようなイナにとって、一度の失敗は死活問題だ。今後、シエラとの会話を避けるようになる可能性も否定できない。
――めんどくせえな、こいつ!
イナの内側から湧き上がる不満に、自分のことながら共感できてしまう。
とりあえずは、簡潔に用件だけを伝えれば問題は無い筈なのに。
(……今だけは、作戦に参加する方が気楽に思えるな……)
むろん、そんなつまらない逃げの選択をしたところで、それこそ後悔するのは目に見えている。
――落ち着きも足りないな。
前途多難だと他人事の様に思いながら、イナはため息をついた。




