第8話「共に生きる、誰か」:A3
それから歩くこと、数分。
一か所に集中しているだけあって移動は楽なようであるが、初めての景色ばかりで、イナは一度で道を覚えられる自信がなかった。
日光を遮る屋根付きの通路を通りながら、二人は蒸し暑さを増す空気の中、そこにたどり着いた。
元が私立大学とあってレンガ造りの外観はほかと似通っているが、面積自体はそう広くないようだ。
施設の一つというよりかは、倉庫といった印象を受ける。
「ここが、支給部だよ」
――入口なのか、これ?
目の前に扉はあるがすこぶる地味で、まるで勝手口のようだ。
「……ん?」
ふと聞こえたガラガラという音に耳を澄ませて少しその場を離れてみれば、何やら男たちが箱をいくつも乗せた台車を押しているのが見えた。
「なんだ、あれ?」
「ここに来るときも話したけど、支給部はこの基地の欲しいものが詰まってるの」
「ここで作って、あの人たちが運んでるってことか」
「そう、それで、どう作っているかっていうのが――」
言いながら、シエラは扉を開いた。
先ほどディータにアポイントを取っているとはいえ、少し無礼ではないかと思ったが、口にはしない。
「ああ、シエラ様。それにイナ様も。ようこそおいでくださいました」
真っ先に二人の来訪に気づいたのは、イナにとってはもはや馴染みとなったアルビノのメイド、ディータ・ファルゾン。
念のためパッと周囲の人の格好を見たが、彼女と同じメイド服を着ている様子はなかった。
「さあ、外はお暑いでしょう。冷房が効いておりますのでお入りください。例の物もご用意しております」
「例の物……?」
それが何なのかイナは気になったが、今すぐには渡してくれないようだ。
とりあえずは、状況に身を任せることにした。
「さて、支給部のお仕事について知りたいとのことですので、不肖このディータ、支給部長代理として説明を仕ります」
――つかまつるなんてきょうび聞かんぞ。
イナの心中のツッコミをよそに、ディータは二人を広めのスペースに案内する。
カーペットが敷かれ、ソファもあり、テレビもあり、なんなら台所もある。
各人の前に置かれた、長机が雰囲気をぶち壊していることを無視すれば、異様に広いリビングといった趣だ。
が、見てみればほかにもう一つ、目立つ部分があった。
テーマパークの入り口などで見たことがある、カウンターのようなものが部屋の奥に設置されていた。
「皆様はそのまま続けていてくださいませ」
それまでイナ達の方をちらちらと見ていた人々も、ディータに言われ何かを再開する。
しかし手元に何かを作るための道具はないようだ――いったい何をしているのかと気にしていると、数人のうちの一人の男が何もない机の上に手をかざした。
するとどこからともなく光の粒子がそこに収束をはじめ、あっという間に見慣れた人参がそこに出現していた。
男はそれを持ち、足元の段ボールにそっと転がした。
「まさか、ここって」
「はい――PLACEの要とも言えるヒュレプレイヤーの保護施設であり、隊員の皆様の要望を基に、可能な限りの物資を生産すること等を目的とする場所でございます」
イナが実体化を目の当たりにするまで待っていたのだろう、タイミングを見計らったかのようにディータが言う。
彼女の顔は変わらず穏やかなままであるが、イナの心中はそうではない。
今朝、ミュウ・チニと話したときのことをはっきりと覚えていたからだ。
――一人いれば町一つ、あるいはそれ以上の規模の地域を賄うことができる。
ただ、それは。
――そのプレイヤーのもつ人権をすべて無視したうえで、ただの物資製造機として一日中実体化だけをさせた場合の概算よ。
あと少しの衝撃で爆発しそうなイナの感情は、はっきりと表れようとしていた。
しかしそこで、ディータ……ではなく、おなじくプレイヤーの一人であろう女性が、イナの方に暗めの表情と共に歩み寄ってきた。
「……あの、その。私たちにできることって、これくらいしかないんです。それに、休める時には休めるようになっています。互いに穴埋めをする必要はありますが……」
だから、と、イナよりも人見知りそうな女性は続ける。
「あなたが思っているよりも、私たちはずっと気楽に生活できてるんです」
「………」
イナは、何とも言うことができなかった。
ただ、彼女が嘘を言っているわけでないことはなんとなくでも理解し、心を落ち着かせることはできた。
その間に、女性はゆっくりと逃げるように自分の持ち場に戻った。
「あんな話を聞かされたばかりですから、敏感になるのは分かります。しかしながら、なにも四六時中実体化をしているわけではありません」
「でも、なんていうか。うまく言えないけど……」
「確かに、PLACEの為です。……しかし落ち着いて考えてくださいまし。我々ヒュレプレイヤーの存在が少しずつ表に出てき始めたということはつまり、貨幣という概念が崩れようとしていることも意味しているのです」
感情の整理がつききっていないイナには――否、たぶん平常時の彼でも――彼女の言っている意味が分からない。
「話は逸れてしまいますが、この日本は資源に乏しく自給率も低く、他国からの輸入に頼るほかないのはかねてからの課題でした。しかしここ十数年で、日本への輸出に応えてくれる国は少なくなり始めました」
「……それが、ヒュレプレイヤーの利用が原因だってことか」
「はい。金銭的な利益など、大量の物資と、それを基に開発できる技術力があれば賄えます。日本には輸入をするための理由はあっても、他国には日本に輸出をすることに対するメリットが小さくなっていったのです」
日本の抱える問題は、まともに授業を受けていないイナでもある程度は知っている。
この世界では、それがより際立ってしまっているというのだ。
「おまけにPLACEが来たことで、更に正当な理由を与えてしまったとも言えます。ゆえに我々は、その償いをする意味でも、ここで物資を作らなくてはいけないんです」
「でも、それなら休んでる暇なんて」
「PLACEのある国家同士で独自の貿易ルートが作られていますから、ある程度は補助し合える状況にあります。数の少ないプレイヤーを奴隷のように働かせるよりは、此方の方が良いとは思えませんか」
「………」
そうは言われても、すぐには分からないのがイナだ。
「判断が難しいのであればそれでも構いませんが――なによりも、これは私達自身の意思であることは覚えておいてください。エイグに乗る方々が何かを守るためそれを選んだように、私達も自身の力でできることを模索したうえで、この道を選んでいるのです」
――確かに、そうだ。
それに、PLACE内で本当に非人道的なことをしているのであれば、ミュウもあんな話を自らするはずもないし、シエラもすすんでここを案内しようとはしない筈だ。
――隠しているだけかもしれないぞ?
「ッ!?」
自分以外の、何者かの――しかし自分の中から発せられたことに違いはない――声が聞こえた気がして、イナは体を強張らせた。
あるいはそれが、いまの自分の本心であると見せつけられているような気がして。
――疑うな。疑うな、疑うなよッ!
脈が速くなり、周囲の音が段々と薄れていく。
司令室の時と同じだ。
だが今度は、何が違ったのか――素直に脈は穏やかになった。
「だ、大丈夫、イナくん?」
周りからは急に立ち眩みを起こしたように見えたのか、シエラが慌てて駆け寄ってくる。
「やっぱり休んでた方が……」
「い、いや。大丈夫。柄にもなく難しい事考えたせいだと……思う」
「水筒をお持ちしました。今日も暑いですから、適宜水分補給をなさってください」
「……ありがとう」
「ありがとディータ、後で飲むね」
その手際の良さも、プレイヤーの能力によるものか。
ひやりと冷たい水筒をそれぞれお受け取り、イナは早速蓋を開けて口をつける。
水か、麦茶だろうかと思ていると、どことなく甘みを感じる飲料が口の中に入ってくる。
どうやら、スポーツドリンクの類のようだ。
「あとイナ様にはこれを」
「……?」
ひとまず口に含んだ分を飲みこんだイナに、ディータが更に何かを差し出した。
一見すると、薄めの黒い腕輪にしか見えない。
「PLACEフォンです。隊員間の連絡をする際に使われます。それを通して召集がかかることもございますので、こちらの説明書も読んでくださいませ」
「あ、ああ。ありがとう」
まるで早くイナを追い払おうと――否、ここから遠ざけようとしているようにも思える。
あれだけ疑念を露にしたのだ、ここにいるプレイヤーたちも気分が良くない筈だ。
「じゃあ、私たちは行くね。がんばって、ディータ」
「ありがとうございます、シエラ様。イナ様も欲しいものがあれば、お応えできる範囲で承りますので、またお気軽にお立ち寄りくださいませ」
「……ああ」
どういう顔をすればいいのか分からなかったイナは、目を逸らしながら会釈をし、入ってきた裏口から外へと出る。
むわっとした湿り気の多い気温が肌にまとわりつく感覚も、今はあたたかいと思えるくらいには、イナの体は冷えていた。
「はあぁあぁ~~~……」
「わっ。ど、どうしたの、イナくん。やっぱりどこか悪い?」
自身への呆れを含ませ、深呼吸を兼ねた大きなため息がイナの口から吐き出される。
扉を閉めたシエラがそれに素早く反応し、再び彼に駆け寄る。
「いや、違う……子供だったなあって」
「さっきのこと? う~ん、ミュウ達と何を話していたのかは分からないし、私からは何とも言えないけど……わからないなら、少しずつ知っていけばいいよ。ディータ以外は、ちょっと気難しいところはあるけど」
大丈夫大丈夫、と彼女はイナを励ましながら優しく背中をさする。
その優しさが更にイナの幼稚さを際立たせているとは、彼女は気づいていないだろうが。
「まあ、休みたいならいつでも言ってね」
「あー……そこは、大丈夫」
「そう? じゃああとは……格納庫に行ってから食堂に行けば、ちょっと遅いけどいい時間かな」
シエラはスカートのポケットからPLACEフォンを取り出して、現在時刻とこれからの移動時間などを考えているようだ。
「っていうか、身に着けなくてもいいのか、これ?」
「ん? んー……着けてたほうが便利なんだろうけど、ほら、なんていうか……かわいくないし?」
「……あ、そう」
言葉を選びながらも告白した本音は、なんとも歳相応のものだった。
確かに常にこんな黒く無骨なものをつけておくのは、外見を気にする少女には抵抗があるのかもしれない。
――まあ、携帯できてれば問題は無いんだろうけど。
あえてイナは、なにも言うことはしなかった。




