第8話「共に生きる、誰か」:A2
「じゃ、まずはここから。もう何回か来たかもしれないけど、司令室だよ」
「アーキスタさんがいるところだな」
先ほど来たばかりの司令室。
その扉の前で、イナとシエラは立ち止まっていた。
「うん。一見何もない、デスクがあるくらいの書斎か何かに見えると思うんだけど……実際の所は、大きな立体映像を映し出すための空間なんだって」
「それを使って、別の支部の人と連絡を取り合ってたり?」
「複数人で会議する時とかはそうみたい。それ以外の時は、デスクトップ型の小さいやつでやってるって聞いたよ」
「まあ、そりゃあそうか……」
「さすがにアポイントなしでいきなり入るのは難しいだろうし、ここは飛ばすね」
司令官の仕事の最中であったとしたら、邪魔以外の何物でもない。
あるいはこの声も、内側にまで漏れ込んでいる可能性すらある。
シエラが足音を抑えて歩き、イナもそれに合わせる。
するとシエラは、司令室からすぐ近くの扉の前で足を止めた。
部屋の名前は――《指令室》。
「……なんか違うのか?」
「邪魔しないように、こっそり見てみよっか」
いたずらっ子のように人差し指を口元に当て、シエラは身を屈めながらそっと扉を押し開ける。
大きな音を立てたりしなければ、司令室よりかは緊張感が薄いということなのだろうか。
――逆、っていうか、どっちも同じくらいなんじゃ?
イナの不安をよそに手招きをするシエラ。
恐る恐る覗き込むと、そこはいかにもSF映画に出てきそうな内観の部屋だった。
窓のガラスを通して見れる、牧歌的な夏の風景さえなければ。
――なんか、違う。合ってない!
とりあえずそこから視線を逸らし、内部の方に再度目を向ける。
部屋の奥にある巨大なモニターを中心として、扇状に専用の机とデスクトップPCのような機器が並んでいる。
数は少ないようだが、いずれもマルチモニターで、PC本体もイナの知るものより大きく見える。おそらく小型化が進んでいないのではなく、その上で可能な限りのスペックを求めた結果なのだろう。
そして各席に座り、モニターとにらめっこをしながら背もたれに溶ける隊員たち。
見れば手元にはこぼれにくい一口サイズのパンの詰まった袋がある。
おまけに卓上に置いたボトルの内容物はコーヒー。
それだけで、苦労している役職なのだと悟ることができた。
――いや、ズボラなだけなのかもしれないけど。
「ここはいわゆるオペレータールーム。レーダーに変なものが引っ掛かってないかの確認とか、戦況の把握とか、前線で戦うエイグに指示を出したりもするの」
「……ブラックなのか?」
「ん? ううん、カフェオレが好きな人もいるみたいだけど」
違う、そうじゃない。
だがそんな呑気な返答をするあたり、彼らは特に過酷な任務を強いられているわけではないようだ。
――偶然夜更かしをしてたとか、そんなんだよな、たぶん……?
シエラがここにいる彼らのことを把握していない、そうでないことだけを祈りながら、イナは心配の視線をオペレーター達に送る。
「まあ、ここもそんなに来ることは無いかな。じゃあ次は医務室に行こっか」
「あ、ああ……」
拭えない靄のようなものを感じながら、イナはシエラとともに指令室を出る。
――あの人たち、ていうか、隊員ってなんか給料とかもらってんのかな……?
ブラック、という単語から、イナはふとそんなことを考えてしまう。
しかしながら、テロリストと雇用という言葉がどうにも結びつかない。
とりあえず利害が一致して、同じ目的の為に行動できれば、あとは個人の自由――といったイメージを持っている。
むろんイナはその筋の専門家ではない為、実際の所どうなのか定かではない。
しかし例えば、人質などを利用し身代金などを得なければならないのはなぜか。
新たな武器を備えるという意図もあるだろう。
それ以上に、戦闘員をはじめとする隊員に給料を与えるため、と考えることはできる。
だがPLACE参加の際、その話をされることもなければ、そんな書面を見ることもなかった。
「なあ……シエラ」
医務室へと向かう通路を歩く中で、そこに気づいたイナが口を開いた。
「どうかした? あっ……トイレならそっちの通路の先に――」
「それはそれでありがとう……は、いいとして。PLACEの隊員って、この基地の外に出ることはできるのか?」
「う~ん……」
足を止めて、シエラは眉間にしわを寄せ明後日の方を向く。
「できないこともないと思うけど、難しいんじゃないかな。ていうか、出ようとする人がそもそもいないと思う」
「なんでだ?」
「ここで大体のことは済むからだよ。サービスとかは……そもそも外でもあんまり受けられないし。モノだけならなんでも揃うしね」
「なんでも……」
ヒュレプレイヤーの能力だ。
制限はイナも把握できていないが、日常的に利用するものであれば生産が可能なようだ。
「詳しいことは、私もよく知らないけどね。でも、そういう人は見たことないな」
「なるほどな……」
「もしかして、外に出たかったり?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。この組織のこと、全然知らないから」
「勉強熱心なんだね。あ、足止まってた……また歩こっか」
言って、二人で止まっていた足を再び動かしだす。
――勉強熱心……か。
思えば、ここまで何かを知ろうとするのは、イナ自身珍しいと感じることだ。
しかし自覚はない。
現状、自分を信じて行動するほかないということを理解し始めているのだろう。
そのために、得られる情報は可能な限り集めたい、と言ったところだ。
「そういえば」
別の方へと向いた興味から生まれる新たな疑問を、イナは吟味もせずに口にする。
「大けがとかしたらどうなるんだ? ほかにも、病気とか」
「手術が必要になったりってこと?」
「そう……だな」
曖昧な質問を捕捉してくれる彼女に、イナは反省しつつ頷く。
「どうかな。それもあんまり聞いたことないかも。一番大きな怪我しそうなエイグ搭乗者も、案外何ともなかったりするし」
「そういえば……」
今朝、イナが食堂で食事をとっている時に話しかけてきた男――名はザックだったか。
彼も各所に包帯を巻いていたが、先の戦闘によるものではないと言っていた。
イナを気遣っての嘘にしては下手すぎる。信じがたいが、嘘ではないのだろう。
「エイグ搭乗者はね、すぐに傷が治るの」
「……危ない薬とかではなく?」
ちがうよ、とシエラは苦笑する。
異世界ゆえに何があるか分からない為、これでもイナは真剣に問うていた。
「エイグに初めて乗るとき、ナノマシンの液体に浸かってなかった?」
「液体……」
その言葉を手掛かりに、イナは記憶を探る。
――そういえば、なんだっけ。コネクトリキッドとか言って……。
「夢中でよく覚えてないけど、なんかあった気はする。なんなら飲んだと思う」
「そう、たぶんそれ。液状のナノマシンで、いろんなものをスキャンしてるの」
言われ、イナは先ほどのチカとの会話を思い出す。
彼女も確か、イナの思考をナノマシンを通じて読み取っていると言っていた。
それ以外にも機能があるということか。
「あれのおかげで、傷の自然治癒が早くなるらしいの。だから、怪我をしないわけじゃないけど、あんまりお医者さんのお世話になったりすることは無いかな」
「ナノマシンで、傷を……」
そんな設定、どこかの架空で見たような――思い出そうにも、瞬時には出てこない。
「それでも、内臓とかがやられちゃうと手術がいるのかな? まあ、聞いてみれば分かるよ」
いつの間に着いていたのか、二人は医務室と書かれた扉の前に立っていた。
シエラはそこにノッキングをしてから、静かに扉を開いた。
「失礼しまーす」
「し、失礼します」
イナも彼女に倣い、声を抑えながら部屋に入る。
そこでの第一印象はというと、学校の保健室、だった。
冷房は付けていないようで、薄地のカーテンが外からの風でせわしなく揺らめいている。
部屋の半分ほどを占める白いカーテンで仕切られたいくつかのベッド以外には、薬や何かの資料をまとめたバインダーの並ぶ棚。
あとは白衣を纏う男性が座するデスクがあるだけだ。
「やあ、シエラちゃんか。……と、そっちの少年は?」
男は立ち上がり、イナの方を見る。
黒縁眼鏡の奥にある瞳は柔らかいが、人見知りの激しいイナには大して関係がない。
「えっ、と」
「これが例の新入り、瑞月伊奈くんです。いま、支部の中を案内してるんですよ」
「なるほど、そうか」
言葉に詰まるイナを見かねたのかは定かではないが、シエラが先に口を開いてくれたおかげで助けられた。
が、その安堵もすぐに破られる。
そこまで大袈裟に言うほどでもないが、ただ彼がイナに対して手を差し出したのだ。
「坂木剣城だ。日本支部で闇医者をやらせてもらってる」
「はあ、よろしくおねが……ヤミ?」
恐る恐る握り返し、一瞬でサイズや硬さが異なることに気づく一方で、違和を放つ単語にも敏感に反応する。
すると彼――ツルギは悪びれているのかどうなのか、ともかく後頭を掻きながら呑気に笑う。
「自分で言うのもなんだが、知識や経験は在れど、無認可というわけさ」
「ホントに腕のいいお医者さんなんだけど、ホラ。さすがに私達、世間じゃテロリストだし」
「以前までは、認可があったってことですか」
ツルギは苦笑しながら頷いた。
「このご時世、特に日本は、世界中で巻き起こる早すぎる変化のスピードに置いてけぼりになってる。その対応に追われて、救えない人も多い――まあ端的に言うと、カネの問題や大人の事情で動けないってことが多くてね。それでここにできたっていうPLACE日本支部の正義を信じて、参加を希望したわけだ」
日本、という言葉でようやくイナは其方に意識が向く。
改めて彼の顔を見てみれば、ざっくりとした顔の形や雰囲気、黒で統一された髪や目の色――なにより名前からして日本人であることが推測される。
日本支部という割に日本人らしい見た目の隊員を見たことがなかったイナにとって、彼はむしろ浮いている存在に思えた。
――俺が言えたことじゃないけどさ。
「……あの、よく参加しようって思えましたね」
「まあぶっちゃけ、PLACEの実際が正しかろうとそうでなかろうと、世間での扱いからしてテロリストに加担してるという結果は同じだしね。それでも患者は等しく患者。素性がどうあれ、等しく僕の救うべきものだ」
段々とイナの中で、彼に対する評価が確立していく。
自分の能力に絶対の自信を持つナルシスト――と評するのは的外れのようだが、それでも他者を憂う純粋な気持ちはイナにも察することができていた。
「凄いんですね、そんな風に自分の道を決められて……」
「いやまあ、博打なのは確かだし。参考にしちゃあダメだよ」
そうは言うが、彼の中で一貫して信じられる何か――《自分》がいたのは確かなはずである。
とてもではないが、そもそも自分を理解しきれていないイナにはできないことだ。
「それで、なんだ。僕はこの部屋の紹介でもすればいいのかな」
「あ、いいんですか? じゃあ、簡単にでもいいのでお願いします」
自分で説明するよりも良いと思ったのだろう、シエラはツルギに説明の役割を任せる。
しかし自分から言っておいて慣れてはいないのか、彼は気持ちを切り替えるように咳ばらいをひとつ。
「ここは医務室。と言っても、学校の保健室みたいだろう? 実際ここでは簡単な診察と、必要に応じて休憩用のベッドを貸し出しているだけだ」
「……もっとひどい病気とかだったりする場合は?」
「ここから少し離れたところに、でっかい機器をまとめたスペースも用意してもらってる」
頻繁に使うことはないけどね、と彼は微笑を浮かべる。
そこからは、残念さなどはなく。安堵している様子が容易に感じられた。
「あとはそこらの病院に負けないくらいのベッドがまとめられたところも作ってもらってる。まあこの場所の性質上、あって然るべきものだね」
「ということは、昨日の戦いの後は」
「みんな一旦、そこで安静にしていた。確か今はもうみんなの無事が確認されたから、避難してる一般の人しかあそこにはいない筈だね」
「あ……」
そういえば、と言わんばかりに声を上げるイナ。
仕方ないとも言える。ここに来てから、避難民の話題などほとんど出ていないのだから。
しかしアーキスタの口から出ていたことを思い出しただけでも、十分だろう。
――そういう人たちの命も背負ってるわけか、俺。
否、世界を敵に回すほどの規模の戦いに身を置いている時点で、もっと多くのものを背負っている。
だが単純にそれを言葉で伝えられただけでは、重みの実感は正直なところ、ないだろう。
一方で身近にある、世界の人口と比べればそれこそ限りなく少ないだろうが、それでも多くの、長期の戦いを望まない《ただの人》。
目に見えるそちらの方が、イナにとっては確かな重みとなって感じられる。
「まあ病院ほど整備されてるわけじゃないから、見るほどのものでもないかな。質より量を優先しているから」
「って言っても、ちゃんとカーテンで仕切られてるし、最低限のものは守られてるよ」
「部屋では仕切られてないってことか……」
若干の心配を覚えたが、そもそもそこの世話にならなければいいだけの話だ。
おそらく望んでもシャウティアがそれを許さないだろう。
「まあ自分の部屋がいいって言うなら、そういう要望にもできるだけ応えられるようにしてる。ベッドが少ない時や、一斉に看てる方がいい場合は、話が別だけどね」
「まずは、そういうことにならないようにしないとですね」
自戒の意味も込めていそうなシエラに、ツルギは静かに頷く。
「感染症の予防ならなんとかできるかもしれないけど、君たちのことは君たちでなんとかしてもらうしかないからね。何人も瀕死で帰ってこられても、僕の体は一つしかないから、助けられなくても恨まないでくれよ」
「は、はは……」
冗談で言っているわけではないだろうが、イナはどういう反応をすればいいのかわからず顔を引きつらせる。
「ま、軽いけがなら簡単に治るって聞いてるよ。風邪とかそういうことで気になることがあれば、気軽にここに来てくれ。いつもはそんな殺到するほど忙しくはないからね」
「……はい、ありがとうございます」
イナは一礼し、優しそうな人で良かったと心の中で安堵する。
「じゃ、次はいよいよ支給部だね。サカキさん、ありがとうございました」
「また会うときは、ここ以外でお願いするよ」
「こちらこそ」
手を振って見送るツルギに、イナは会釈をして部屋を出た。




