第7話「自分であり、自分でないもの」:A1
ヒュレプレイヤー。
イナが瞬時に記憶に検索をかけると、ひとつだけ浮かび上がるものがあった。
数日前、この世界に来たばかりの彼が国連軍の艦に保護されたとき、ゼライド・ゼファンとの会話の中で出てきた単語だ。
その時ももちろん、今もそれが何かは正しくは分かっていない。
「いや……知らない、かな」
初対面だが明らかに年下のミュウに対し、イナは口調をどうすればいいのか迷いながら答える。
その正体を知っているであろう彼女は、やはりかという風に息を吐いた。
「国連にいた時に、そういう話は?」
「今みたいに、知らないかって言われたくらいで。詳しくは説明されてない……な、うん」
「ま、戦争やってるなら大体知ってることだものね。一つの指標にはなるわ」
つまり、現在起こっている戦争に身を置いている者ならば、常識であるということらしい。
「私が口で言うより、実際にやってもらう方がいいかしら。ディータ、やれる?」
「承りました――ではイナ様、まずはこの手の上には何もないことをご確認ください」
まるで手品の導入のように、器状に広げた手の平を見せるディータ。
イナは袖口などもついでに見て、特に仕掛けがあるわけでもないことを認める。
仮に仕掛けがあるとして、素人目には見えなくても当然なのだが。
「では、今からここにリンゴでもご用意いたしましょう」
リンゴ。
6等分をしてそのうちの1切れだけでも、どこかに仕込むのは難しいだろう。
まさかその豊満な胸の中に、と馬鹿らしい考えを振り払い、彼女の白く細い手を注視する。
すると間もなくして、彼女の手から淡い光が発され始める。
否、光っているわけではないようだ。周囲から集まった光の粒子が、彼女の手の上に収束をしている。
それは段々と丸みを帯びた輪郭を形成し、やがて光が弱まるとともに、傷一つなく艶のある赤に着色されていく。
気付けば、彼女の手の上にはリンゴが乗っていた。
「……3Dプリンターとかでは、なく?」
目の前の超常現象を受け止めつつも信じ切れないでいるイナは、アヴィナやミュウに解説を求める。
アヴィナは楽しそうに口を吊り上げ、ミュウは言葉なく横に首を振った。
「大気の大半を満たすヒュレ粒子っていうものに特別な信号を発して、想像の実体化を行うことができる人物――これがヒュレプレイヤーよ」
イナは、言葉を失っていた。
エイグなどという架空のものとしか思っていなかった巨大人型兵器が存在し、かつそれで戦争をしているだけでも手一杯だというのに、魔法じみた現象を起こす人間がいるという事実は、明らかに彼のキャパを越えていた。
「なにビックリしてんの。アンタもプレイヤーなのよ」
「へっ?」
「格納庫に置いてるでっかいブレード。あんなん作った覚えはないし、何よりアンタが戦闘中に実体化現象を起こしてる映像も残ってる」
でっかいブレード――というと、イナが先の戦闘で振り回していたシャウティングバスタードのことで間違いないだろう。
――無意識すぎて、そんなことをした覚えがない。
「嘘だと思うなら、なんか適当にやってみなさいよ」
「やってみろったって……」
嫌だと言うような場面でもないし、言っても言わなくても大して変わらないだろう。
イナは迷いながらも、ディータの真似をするように手で器を作る。
――リンゴ。リンゴ……。
イナは目を閉じ、頭の中で、自身の記憶に刻まれたリンゴのイメージを思い浮かべる。
どんな成分が含まれて、どれくらいの水分があるのか、どんな味がするのか……知識は曖昧ながらに、それを《出す》という念を手の上に送る。
「お、お、おぉ……?」
薄目を開けて見れば、先ほどディータがしたのと同じように光の粒子が集まってリンゴを形成していくのが見て取れた。
彼女がしたものに比べやや形が歪なことに目をつぶれば、そこにリンゴが生まれたという事実は確かであるようだ。
「まだ不慣れなのは仕方ありませんが、イナ様一人に頼るような事態はまずありませんので、ご心配なく」
歪なリンゴを小動物のように撫でながら、近くの籠に入れるディータ。
それを聞いて、イナはほっとする。
「そういうわけで、アンタもプレイヤーって信じてくれたかしら」
「いや、まあ……」
実際にその現象を起こしたのだから、否定しようもないのだが。
「でも、俺って別の世界から来たはずなんだけど……」
「その口ぶりから察するに、アンタの世界にヒュレプレイヤーはいないみたいだし。まあ、ほんとにただの一般人なら、知らないって可能性もゼロではないけど。そこについては、今はわからないわね」
はっきりしない現状に、眉間に皺を寄せるイナ。
そんな彼の顔を覗き込むように、アヴィナが二人の間に割って入る。
「実はぁ~、ホントはこっち世界の人だったりして~?」
「その可能性もあるかもね。記憶喪失――あるいは、そのフリかしら?」
急に糾弾するような視線で見られ、イナは一気に体が強張るのを感じる。
そこまで言われては、元の世界の記憶が本物であるかどうかも怪しくなってしまう。
「まあ、アンタがそう言うならとりあえずはそれでいいわ。ただアンタがプレイヤーであることが分かった以上、私たちは――PLACEはなんとしても、アンタを守らないといけなくなる」
その言葉の意味がわからず、イナは首を傾げた。
眉間には皺が寄ったままだ。
「プレイヤーの絶対数は限りなく低い。おまけに、一人いれば町一つ、あるいはそれ以上の規模の地域を賄うことができる」
「そんなに……」
すごいのか、と続けようとして、ミュウにそれを遮ぎられた。
「そのプレイヤーのもつ人権をすべて無視したうえで、ただの物資製造機として一日中実体化だけをさせた場合の概算よ」
その補足に、イナは背筋に寒気が走るのを感じた。
ゾクリ、という擬音だけで表せるようなものではない。巨大な獣の舌で全身を舐め上げられたかのような、不快感を伴う恐怖だった。
「おまけに発生確率は低く、条件も確かではない。そんな状況でどっかの国に捕まって研究所送りにされてみなさい、ヒトの形を保てる保証はないわよ。おまけにアンタは、この世界に存在してないことになってるんだから」
いなくなっても、問題はない。存在しないものを殺しても、殺したことにはならない。
敵からすれば、イナは理想のサンプルであるというわけだ。
何よりイナはそこまで意識が至っていなかったが、彼女がそう言うからには、既にそういったことが何処かで起きている、あるいは起きていたことを示しているのだ。
見れば、アヴィナもひどく苦いものを口にしたように表情をゆがめ、いつも微笑を崩さないディータにも、嫌なものを感じているのが見て取れるほどに暗さが滲んでいた。
「プレイヤーになった原因はともかく、結果は受け止めて頂戴。そして戦場で堂々とそれを見せたということは、狙われるだけの格好の原因を作ってしまったことになる。慎重になることね」
――うっかり負けて捕虜にでもされたら、その時点でゲームオーバーか。
そんな言葉で言い換えられるほど、生易しいものではないが。
――まあ、シャウティアにはなんかバリアがあるし。大丈夫だろ……。
などと慢心で自分を落ち着かせつつ、ちらとディータとアヴィナの方を見る。
もしかすると、彼女らはヒュレプレイヤーである代わりに特異な外見を手に入れてしまったのだろうか。
とすれば、桃色の髪をもつミュウも?
そんなイナの胸中を察したかのように、ミュウがイナをつっついた。
「言っておくけど、私は染めただけだからね」
なぜか不機嫌に見えるのは、気のせいではないだろう。
差別的な目で見てしまっていただろうかと、イナはすぐに反省した。
「それに、髪や目の色がプレイヤーに由来する確証はないわ。ちなみにこの場でプレイヤーなのはディータだけよ」
「この場ってことは、他にも?」
「まあ、でなきゃこんな豪勢な生活は送れないわね」
言われ、イナは今朝の食事を思い出す。
多様な料理が並び、またその注文に応えることができるのは、ヒュレプレイヤーがいてこそ可能なものだったのだろう。
加えて、そこに金銭が発生している様子もない――など、今得られた情報だけでも考える余地はいくらでもあるが、イナの頭はそれほど賢くできていない。
「ま、詳しいことはその都度でいいわね。とりあえずは慎重に戦うこと。……さて。それよりも、こっちが本題ね」
――今のより大事な話ってなんだ。
ミュウはさらっと話題を変えようとしているが、イナはこの世界にしか存在しない能力を持っていると言われたばかりで、整理が追い付いていない。
まあ、時間を与えられたところで整理ができるかと言われれば怪しいため、強引に別の話を持ってくる方が良いのは確かだ。
「アンタのエイグ、アレはなに?」
「なに、って」
名前がどうか、などを問われているわけではないのは明白だ。
子供に謝罪を強いる親のような睨みで見られ、イナは何を言えばいいのか困惑してしまう。
「まさか、自分が何したか、ホントに何もかも分かってないっていうの?」
「え、ええと……」
反射的に誰かに助けを求めようにも、それはできない。誰も知らないのだから。
「……申し訳ない」
「いや、別に謝ることでもないけど。そうなると、無意識にやってたってこと?」
「うーん……」
その表現で間違いはないのだが、より正確に言えば。
「自分でも何をしたか分かってないっての?」
「……そうなるのかな?」
一方でイナの中に、戦っていたという記憶は確かにある。
いまいち要領を得ない答えに、ミュウは溜息を吐いた。
「とりあえず、アンタが嘘をついてない前提で話を進めるけれど。そうなると、不可解な点しか出てこないわよ」
「と、言われても……」
実際、自分も不可解なのだから、何ともいうことができない。
困って頭を掻いていると、ミュウがまた視界の下からぴょこりと顔を出した。
「ボクはイーくんの活躍を、数字でしか知らないんだけどー。実際ナニやったのー?」
「えーと……」
いざ言えと言われても、むろん言えない。
そんなイナを見かねたのか、ミュウが仕方なさげに奥の暗い部屋へと向かった。
何か見せてくれるのかと思いその姿を追っていると、小型のプロジェクターらしきものを持って戻ってきた。
手ごろな段ボールを2つ重ねて簡易な台を作った上にそれを置き、スイッチを入れれば宙に浮かぶ立体映像の画面。
イナの知識で言うところの仮想画面に、どこかから撮影された先日の戦闘が映し出された。
「この位置は……シエラ?」
「そ、辛うじて意識が残ってたシエラのエイグが残した、視界映像のデータ。音がないこと以外は、もちろん無編集」
ディータが静かに部屋の照明を弱め、画面が鮮明に見える。
音は確かにないが、イナは自身が乗っているはずのエイグが意味不明な挙動をしている映像が流れていれば、映像としては十分なものだ。
「なーんかミドリ色に燃えて一瞬消えたりしてるねぇ。全然攻撃受けてないみたいだし。あ、剣だしたよ剣」
「………」
アヴィナの無邪気な実況を聞き流しつつ、イナはじっと映像を眺める。
なんとなく、あの時そこで暴れていたことは体が覚えているのだが、客観的に見れば、それが自分だと思うことはできない。
まるで――そう。
あそこで戦っているのはシャウティアであって、イナではないかのような。
イナの中でふと生まれたその言葉は、不思議と腑に落ちた。
いくら戦場にいて興奮状態にあるとはいえ、ここまで超常的な力を振り回して戦うのが自分だなどと、思えるはずもない。
だがあの赤いエイグに乗っているのは自分で間違いはなく、それを操縦しているのも自分でしかない筈なのだ。
「なぁんで本人が一番ショック受けてんのよ。過剰な説明不足でこっちがショックなんだけど」
「いや……でも……」
明らかに血の気が引いているイナの手を、ディータの細い手が握る。
自分よりも体温が低いはずなのに、イナは不思議と暖かさを感じていた。
「エイグを手に入れた方の中でも、人の身に余る力ゆえに精神に変化を及ぼす事例は少なくないそうです。ですので、驚かれるかもしれませんが……」
「……ありがとう。だけど、そういうのとは何か違って」
「ちがうって、どーいう?」
「うまく言えないけど……シャウティアに、エイグに呑まれてる……? そんな風に、見える」
敵エイグをすべて沈黙させたところで、ミュウがプロジェクターを操作して仮想画面を消す。
それに合わせて、ディータも照明を元に戻す。
日焼けしていない肌が更に白くなったのを見て、アヴィナが引いたような顔になる。
「あちゃあ、こりゃ相当グロッキーだねえ。みゅうみゅう、今日はやめといたら?」
「でもせめて……いや、そうね。私の配慮不足だわ。外までついてくから、休ませた方がいいわね」
「いや、俺は……」
大丈夫だ、と言おうとして、ディータが細い体でイナを支える。
――けど、まだ俺に用があるんじゃ。
その思いは言葉にできない。
「むしろ初めての戦闘の後、今まで平気だったことが異常なのです。私もお付き合いしますので、お部屋でごゆっくりお休みください」
「う……」
休んだところでどうにかなるとも思えなかったが、これ以上自分が何かできる自信もなかった。
体は動くというのに、その意思が出てこないのだ。
――戦うって、こういうことなのか……?
今になって自分のしたことの重さ、正しくはその一片を知ったイナは、ゆっくりと溜息を吐いた。
それが今できる、精々の強がりであった。
ディータの肩を借りながら廊下をゆっくりと抜け、途中からアヴィナからも下から脇のあたりを支えるようにして手伝ってもらいながら、陽が強く照り始めた午前の外へと出る。
湿度の高い空気が、イナの冷めた体にまとわりつく。
いつもなら不快に思うが、不思議と心地よいものだった。
だが、それはすぐに破られることとなる。
「おや? そいつがまさか、昨日の英雄クンじゃあねえだろうなあ?」
明らかな挑発の意図を含めた声に、イナは顔を上げる。
不機嫌そうな金髪の男――無論、見覚えなどはない。
付近には似たような様子の男たちがあと3名ほど見える。全員此方を見ていることから察するに、ただの通行人ではないだろう。
「あいつらを助けたって言うからどんな虎の子かと思えば、聞けばあれが初めてで、いま目の前でゲロ吐きそうな顔してるじゃねえか? こんなのに助けられたなんて嘘だろ?」
――なんだ、こいつ。
沸点の低いイナは、冷たい体の底から熱いものが温度を上げていくのを感じていた。
風邪でも引いたかのような感覚だった。
寒いのに、熱い。
その矛盾が、イナの中にある何かを徐々に溶かしていく。
「イナ様、どうか落ち着いてください。彼らも慣れない状況に困惑しているのです」
ディータの制止も、意味をなさない。
「……要するに、俺が気に入らねえんだろ」
「あ?」
声量の低いイナに、男は眉をひそめ機嫌をさらに悪くする。
聞こえないなら聞かせてやると言わんばかりに、イナはアヴィナとディータの支えを優しく解いた。
そして、無駄な戦いを勃発させんと吠えようとした瞬間だった。
「気に入らねえなら、俺を――むぐっ!?」
不意に口が小さく柔らかな手に覆われ、続きを言えなくなる。
直後腰に足が巻き付いて、体のバランスが後ろに崩された。
咄嗟にアヴィナが抱き着いてきたことに気づくのは、地面と接触する寸前でディータが受け止めた時だった。
「イナ様。ここで力を振るった結果がどうであれ、状況は好転しません。彼らの態度も一過性の物です。あなたのその感情も。その荒波に呑まれてはなりません」
「ぷはッ……けど!」
「………」
アヴィナの手が離れ口が自由になるも、ディータの目は真剣そのもので、イナの口をつぐませる。
それを見ていた男たちは、心底馬鹿にしたような顔でイナを見。
今ここで、更に罵倒してやらんとするのが目に見えていた時。
「――ここで何をしている」
先ほどのイナよりも冷たい女性の声が、場の空気を鎮めた。
この場所へと続く階段をゆっくり上がってくるのは、長い金髪を一つに纏めた細身の美人。
レイア・リーゲンスだった。




