第6話「豊かな朝」:A3
名も知らぬ少年に連れられて、イナはいま格納庫の前に立っている。
夏であるせいか、朝から必要以上の気温と湿度が彼らにまとわりついていた。
「……で、なんだ?」
「こっちだよぉ~」
少年は見た目相応に子供であるらしく、イナの質問に対する答えよりも自分の言いたいことが最優先――そんな風に思えてしまうが、不思議と彼にはそんな雰囲気がない。
ついてくれば分かるとでも言うようだ。
――なら、そう言えばいいのになあ。
もやもやとしたものを感じながら、イナはまた彼についていく。
――それにしても、なんでこんな子供がいるんだ?
食堂で別れたシエラは彼のことを見知っているようで、心配の必要はないと言っていたのだが。
彼が何者なのか分からないイナにとっては、疑問と不安が尽きない存在でしかない。
「ていうか、ここ、なんなんだ?」
格納庫にくっつくようにしてある、それに比べれば随分と小さな施設。
格納庫は地下深くまで掘削しているため見た目よりも広く高い建造物なのだが、そこに入ってみても、地下へと続く階段があるようではない。
元より人間だけが出入りするようにできているようだ。
――いや、建物なんてだいたいそうだけど。
多くの部屋へ続く扉が並ぶ廊下を進む中、前を歩く少年がふと『同盟基地』と書かれたドアプレートの掲げられた扉の前で立ち止まる。
「……同盟?」
「ふっふっふー」
あからさまに口で言っている笑い。
少年はその扉をゆっくり開いて、中へ入るように促した。
イナは警戒心を強めて中に入るが、明かりをつけていないのか中は真っ暗だった。
というより、窓が付いていないようだ。
一体ここに何があるのだろうか、何をされるのかと不安までもが膨張していくのを感じていると、廊下からの光が遮られ、扉が閉められる。
いよいよ視界が闇に包まれ、方向感覚すら奪われたその瞬間。
バッ、とイナの目の前で光が放たれた。
反射的に細めた目がそれに慣れ、照らされたものを見て――イナは眉をひそめた。
玉座風の椅子に、最大限の傲慢さを醸しながら座る少年である。
「……えーと?」
「面食らったのも無理はないだろうね! 説明しよう!」
一人だけ置いて行かれているイナ。
少年は王が従者を呼ぶように、手を二度叩いた。
こんな茶番じみたものに付き合うのはいったい誰かと思いながら、光の中に現れる人影に目をやる。
白い長髪、それと同じくらいに色素の薄い肌。
他に誰も着ていなさそうなメイド服を身に纏う彼女は――
ディータ・ファルゾンでしかない。
「イナ様、お食事は如何でしたでしょうか」
「え、ああ……よかった……ですけど」
「それはようございました」
丁寧にお辞儀するディータに、イナも会釈で返す。
「……で、これはいったい?」
「アヴィナ様が私的に設立なさった秘密組織、変人同盟でございます」
壁のスイッチを入れて、ディータが部屋の照明をすべてつける。
あたりを見渡せば、煩雑というわけではないが、使わないものを寄せ集めた物置のような場所であることは一目瞭然であった。
封のされた段ボールが、少なくとも二、三十はある。
「ミヅキ・イナくぅん……ボクたちはねぇ、仲間を探しているんだよぉ。社会からつまはじきにされた変人をねぇ」
――ド直球に失礼だな、コイツ。
変に何かカギを握っていそうな中年のような演技をする少年は、うざったくはあるがどこか憎めない。
「語弊があるかと思いますので、補足をば……ここで言う変人とは性格的に特徴的なものがある方ではなく、生来から外見に特殊な特徴を備えているある方のことを指します。身体に障害を抱える方とも異なりますね」
――つまり、この目か。
少年はおそらくディータから聞いたのだろうが、そんな人間を集める意味も分からない上、イナはそんな括りの中に入れてもらいたいと思ったことはなかった。
……が、この少年を納得させられるだけの辞退の理由をこねられる自信は、イナになかった。
「……ちなみに、いつもは何をしてるんですか?」
「んーとね、訓練したりー、遊んだりー、お菓子たべたりー」
役をほっぽり出して、少年は夢を語るかのように言う。
「そういえば、ご紹介はまだでしたね。こちらのお方は、アヴィナ・ラフ様です。重装型エイグ『シアス』の搭乗者でもあります」
「え、この子が?」
イナはそれらの名前には聞き覚えがあった。
先日の戦闘から帰還する際、ともに動けないエイグを運搬した隊員の一人である。
その時の通信でやたら幼い印象を受けていたのだが、ここまであからさまな子供だとは思っていなかったのだ。
実年齢はわからないが、中身は小学生相当だろう。
「それと何か勘違いをしておいででしょうが……アヴィナ様はれっきとした女性でございます。扱いにはお気をつけて」
「え……えっ?」
先ほどから驚愕の連続で、同じことばかり言っている。
しかしこれは殊更にイナに衝撃を与えた。
まるで女らしさなどないジャージに、丸出しのスパッツ。髪も短く、一人称も『ボク』であり。声もまだ変声期を経ていないのか高いせいで、判別は非常に難しい。
ただ認識が上書きされて少年が少女へと変わった瞬間、イナの彼女を見る目は180度以上切り替わってしまう。
「あーっ、いまボクをヘンな目で見ようとしたなーっ?」
いけないんだー、と責めるように言いながらも、アヴィナは特別恥じらう様子も露出した足を隠そうともしない。
「まぁトクベツにゆるしてあげちゃおう、ボクはカラダがちっちゃくても器は誰よりも深いからね!」
堂々とひじ掛けに足を乗せ、後光が差しそうな勢いで天を仰ぐアヴィナ。
この年代特有のテンションはともかくとして、イナはやはり幼そうな彼女がエイグで戦っているということに疑問を抱いていた。
ただそれを口にするということは、自身にも同時にその疑問を投げかけるということに他ならない。
ゆえにイナは、口をつぐんだ。
「ま、ボクが呼んだ人はほぼ強制参加みたいなもんだけど、特別なんかすごいことしようってもんじゃないし、気にしなくていいよん。すごい目標があるわけでもないしぃ」
「適当……なんですね」
一応この場で一番この場のことを把握していそうなディータに振ると、無言の頷きが返ってくる。
「あーっ、いくらなんでもそういうのはダメだぞー! 変人仲間なんだから敬語はきんしー!」
「いやでもディータ……さん、は」
「ディータはそういうキャラだからいいのー!」
その理不尽さに、段々とイナはこの変人同盟というものが分かってきたような気がしていた。
基本的に断れないイナは、このアヴィナという少女に振り回されるしかないのだ。
諦念を込めた溜息を吐いて、イナは気恥しそうにディータの方を向く。
彼女の方は特に気にした様子もなさそうだ。
「……あの。嫌だったらやりませんから……」
「この場で一番偉いのはアヴィナ様ですから、拒否はできません。それに私は、イナ様と距離を縮めることに厭いはございませんよ」
「……じゃあ、はい。がんばります」
時々敬語が外れることはあったため、いずれにせよ口調は時間の問題だっただろう。
「んじゃ、ボクとも仲良くしてくれるとうれしいなー?」
「……まあ、そっちもがんばり……がんばる、よ」
「にひひ。合格ってことにしてあげよう」
改めて親し気な口調で話すことを意識すると、くすぐったさしか感じられず気持ちが悪い。
だがそれで嬉しそうにしてくれるのであれば、少しくらいは我慢しようと思えた。
その果てに裏切りの可能性があることなど、微塵も考えず。
「じゃあ、今日からボクのおにーちゃんってことで」
「はッ!?」
「あれぇ、妹系はお嫌かしらん? いやいやその顔はマンザラでもなさそうだねぇ」
「いや、そんな、急に言われたらこうなる!」
暑さのせいではない顔の赤さと口調の乱れは明らかな焦りを示していた。
「まーまー、そういう感じでって事だから。そんなに嫌ならイーくんって呼ぶから。ね、イーくん?」
「う……まあ、それなら……」
段々と精神が消耗していくのを実感していると、徐に扉が開く。
それはイナ達が入ってきたのとは別の扉だ。
一体何者なのか、まさかまだ同盟の仲間がいるのか――そんな想像をしながら硬直したイナは、その扉の奥から迫る人影に目を凝らす。
その背丈は、一瞬見ただけでだいたい把握でき。
――ちっさ。
「聞こえたわよ」
「ひッ!?」
点滴に威嚇する猛獣の唸りかと思うほど黒いものを含んだ低い声に、イナは飛び退く。
そのまま襲い掛かられるのではと臨戦態勢を取るが、返ってきたのは溜息だ。
そして姿を現したのは、想像据え置きの小柄な少女。
眼鏡に白衣を身につけて、髪は桃色のツインテールと来れば、もはや年齢の推測などは当てになりそうもない。
ただ、アヴィナよりも小さいことは確かだった。
「あのね――」
「みゅぅぅーーーっ!」
何かを言おうとした少女に向けて、アヴィナが飛び掛かる。
少女は慣れたように片手でアヴィナの顔を鷲掴みにし、自身に触れることを防ぐ。
「寝不足なの、寄んないで」
「えぇ~? ボクまだ今日のミュウをチャージしてないんだよう」
餌をねだる猫のように、アヴィナはミュウと呼んだ少女の手に頬をすりつける。
一方でミュウはそれなりに不機嫌であるらしく、乱暴に振り払った。
「えーと……?」
イナは首を傾げ、何か引っかかるようなものを感じる。
どこかで見覚えがあるような気がしたが、さすがにこんな風貌の少女は、イナの世界でもそうそう見有れることもない。おそらく架空の世界のどこかで見たのだろう。
ひとまず、ディータに視線で説明を乞う。
「あちらはミュウ・チニ様です。日本支部司令アーキスタ様の従妹に当たりまして、こちらで自主的にエイグの研究を行っております。アヴィナ様と特に仲がよろしく、会えばいつもあのように」
「ちなみに変人同盟のサポーターでもあるのだよ!」
「コレは染めてるだけだって言ってるでしょうが!」
――なるほど、ミュウって子も満更じゃないって感じか。
「何分かったような顔してんのよ! ……はあ、ほんとに調子狂うわ」
アヴィナを手でしっしと追い払い、ミュウは白衣の襟を整えて着直す。
「改めて、私がミュウ・チニ。体は使い物にならないから、頭でここに協力しているわ。これでもこの施設で2番目に偉いのよ」
「1番にすると、なにかと問題の種になりますから」
と、ディータが小声で補足する。
納得はできる。
「で、集会とやらは終わったのかしら」
「まあ紹介くらいだったし、いいんじゃなーい? なんかするのー? おにごっこー?」
「寝不足だっての聞いてなかった? それに用があるのはアンタじゃないの、そっちのアンタ」
と、不躾に指を差したのは先には、イナ。
「異世界から来たんじゃないかとか、そんな話は一応聞いたわ。その話はさておき、アンタのエイグの戦闘を見せてもらって、わかったことと、わからなかったことがあるの」
誰から見せてもらったのだろう、というつまらない質問ができるような雰囲気ではない。
「アンタの乗るあの赤いエイグが何を起こしているのか、それは何度見ても、表面的なことはなんとなくわかっても、その中で何が歯車を回しているのかが分からない」
シャウティアが起こしたこと――と、イナは脳に記憶を引っ張り出すように指令を送るが、うまく引き出せない。
正直、イナもあの時は夢中で、違和感など一瞬で消し去るほどに戦闘に夢中になっていたのだ。
何がおかしかったのかと思う以前に、出撃してシエラたちを助けたことくらいしか記憶にはない。
ゆえに、ミュウの言葉にしっかりと耳を傾けた。
「そっちはあとで。……もうひとつのわかったこと。これはとりあえずこの場の人間だけなら教えても問題ないでしょ」
「んー? なんかあったの?」
ミュウの視線が、アヴィナ――ではなく、ディータの方へ一瞬向けられる。
そこに含まれた意図など分かるはずもないイナは、ただ彼女の言葉を待った。
「ミヅキ・イナ……アンタ、ヒュレプレイヤーって知ってる?」




