第6話「豊かな朝」:A2
シエラに腕を引かれたイナは、初めての食堂に感嘆の声を漏らす。
カウンターらしきところではエプロンを着た人々が料理の片手間、トレイを持った隊員の注文を受け付けている。
食券らしきものを使っている様子はない。
視線を外せば長いテーブルが何列も並び、数人で座りたい者、一人で座りたい者の希望にも応えられそうだ。
イナはここに何人の隊員がいるかは把握していないが、その気になれば全員を収められるのではないだろうか。
彼の知識で例えれば、一般的な体育館ほどはありそうだ。
おまけに端の階段を昇れば、2階の席にも行ける。外にはテラス席もあるようだ。
特に設備を外から搬入したような不自然さはなく、最初からここは食堂だったのだろう。
――そんな場所の一角には今、人だかりができていた。
傍のイナから見れば、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
そこ以外で食事をとっている者達からも、そう見えていることだろう。
人だかりの中では既に食事を始めている者もいたが、集団の中心部分にはあきらかに誰かが座るための空席が用意されていた。
むろん、イナはそこに座るよう案内された。
「え」
「いいから、座って座って」
「………」
ちらりと集まった者達の顔色をうかがう。
表情や性別、年齢にそれぞれ違いは在れど、皆イナに対して少なくない興味を抱いているのは確かだろう。
間違いなくイナが求めていたものの筈、なのだが。
湧き上がる感情――主に羞恥心だが――からくる後ろめたさにも似たものが、彼の表情をよくわからないものにさせていた。
ニヤついているような、ともすれば苦笑しているような。
照れているような、ともすれば苦しんでいるような。
ともあれ緊張していることに変わりないイナは、防御するように身を縮めて椅子に腰かけた。
テーブルの上に置かれた、ベーコントーストや白米、味噌汁、サラダ、ヨーグルト――多様な朝食の数々はどれも食欲をそそるが、イナはそれどころではなかった。
彼にはいま自分の置かれた状況が、まるで謝罪会見のように思えていた。
「なあシエラちゃん、これがホントに例の新入りなのかい?」
「みんなでじっと見たら、こうなりますって!」
茶化すように疑問を投げかけた男の隊員に、シエラがすかさずフォローを入れてくれる。
敵意があるわけではないようだが、今のイナには刺激物でしかない。
――そうは見えないけどな。
なんて続けられようものなら、たとえ故意でなくても泣きだしかねない。
どう見ても嬉しそうには見えない彼を見かねて、シエラが慌てて対処に入る。
「えっと……昨日のお礼も兼ねて、歓迎会をしようって思っていたんだけど。迷惑だったかな?」
「い、いや! 気持ちは嬉しいけど……」
視線が、とまでは言えなかった。
しかしながら彼を取り囲む者達も子供ではない為、ばつが悪そうにして散らばり始める。
その中で一人の女が、イナに謝罪をするように片手を振る。
「ごめんね新入り君、ミイハアが少なくないもんだから」
「あ、いえ……」
ミイハアってなんだと思いながら、口にする余裕はない。
各々自分の席に戻って食事を始めるが、時折視線はこちらに向けられるのは相変わらずであるようだった。
――せっかくの善意をドブに捨てた感じが半端ねえ。
あのままを維持していたらどうにかなりかねなかったから、彼の思うように一概に幸せであるとは言い難いのだが。
せっかく集まってくれた人々の期待を裏切ったような気がして、それはそれで気分を少し害していたのだが。
「なんか……俺の方が申し訳ない……」
「気にしなくていいよ。とりあえず食べよ? 好きなのを選んでいいからね」
「あ、ああ。いただきます……」
隣に座るシエラに促され、イナは手を合わせてから少し逡巡し、白米の盛られた茶碗に手を伸ばした。
つい先ほど用意したのか、まだ湯気が立ち上っている。
「そういや新入り君」
と、今度は別の男から声がかかる。
箸を手に取ろうとしていたイナは、魔法でもかけられたように硬直する。
「いや、一発芸とかは求めちゃいないから安心してくれ。けど、自己紹介くらいはいいだろう?」
「そ……そうですね」
大丈夫? と言いたげなシエラの視線にぎこちない頷きで返し、箸を手元に置いて視線を寄せてくる者達の方を向き、イナはゆっくり口を開く。
「ええと……瑞月伊奈って言います。えと、15で、シャウティアっていうエイグに乗ってて、えーと……まだわからないことばっかりですけど、少しでも皆さんの力になれれば、って思います」
イナが座ったまま頭を下げると、誰かが合図をしたわけでもなく、どっと拍手が沸き起こる。
――そんなにすごいこと言ったか?
クラス替え後の自己紹介でも、イナはこれほどのリアクションをもらえたことはなかった。
……それは決して、内容がつまらなかったことだけが原因ではなかったのだが。
「ま、この支部は滅多に戦闘なんざねえから安心しな。肉体労働が主な仕事になるんじゃねえか?」
「はは……」
やや苦い思い出がよみがえるが、それでも役に立てるというのであればイナは喜んで力を貸すだろう。
――……じゃあ、食うか。
質問が飛んでこないことを確認して、イナは今度こそ食事を始める。
隣ではすでに、シエラがベーコントーストを少しずつかじっているのが見えた。
髪をよけながらついばむように少しずつ食べるその姿は、上品さと共に、イナの中で何かを想起させてくる。
「……な、なあに? なんかついてる?」
「あ、いや、ごめん……なんでもない」
無意識にじっと見つめてしまっていたらしく、イナは慌てて視線を逸らし、動揺が早食いの癖と共に出てしまう。
「やっぱり歳が近いといいのかねえ」
などと、周囲の中から妙に深みのある女の声が聞こえてくる。
ちらとそちらを見れば、半目でしっかりとこちらを捉えていた。
「状況が状況だしこんなん言うのもなんだけどね、若いうちに人間らしい事しときなさいよ」
「人間らしいって……」
ひとまず、愛想笑い。
そこまで大袈裟な事かと思ってしまうが、ここがあくまで国連にあだなすテロ組織だということを思い出して、複雑な思いになる。
――……ていうか、設備もそうだけど。軍隊でもないのに、食事ってこんなものなのか?
厨房の方からは、調理器具から出る金属音や何かの稼働している音が嫌でも聞こえてくる。
カウンターから聞こえてくるのは、料理を注文する声。
特に手間のかかりそうなものを注文しているわけでもなければ、それは出せないと言っている様子もない。
言えば出てくる、ということなのか。
――特別ここが豊かなのか?
むろんテロ組織に身を置いたことなどないイナには、眼前の光景が正常かどうかは分からない。
ただ、思っていたほど治安が悪いというわけではないらしい。
同じ目標のために協力し合っているのだから、それで当然だと言えるのだが。
「そういえば……シエラ」
「ん、なに?」
ミルクを飲んでついた白いひげを手布でふき取り、シエラが応える。
「ケガとかは大丈夫なのか?」
「……あー」
その問いに、シエラは苦笑交じりに複雑な表情を見せた。
罪悪感にも似たものが窺える。
「エイグは痛みの感覚だけを共有するから、私に直接のダメージはないの。コアも狙われていたわけじゃなかったし……」
だからそんなに心配しなくていいよ、とその瞳は言っているような気がした。
確かに絆創膏や包帯をしているわけではないし、痣などを無理に隠しているようにも見えない。
「……じゃあ、他の人は?」
「お。俺を呼んだか」
イナの声が聞こえていたのか、渋めの声の男がイナの方を向く。
「えっと……?」
「昨日助けてもらったエイグ乗りその2、ザックだ。よろしくな、新入り」
「よ、よろしくお願いします」
すかさずイナはザックと名乗った男の瞳を見る。
青い。
目の色と名前だけで判別するのもどうかとは思うが、これで日本人ということはないだろう。
――日本支部っていう割には、日本人は少ないのか?
などと思いながらザックの体の各所を見ると、足に包帯を巻いているのが認められた。
「まあ、こりゃエイグ関係ないから気にしないでくれ。そもそもコアをぶっ壊しでもしねえと、直接パイロットにダメージなんて入りゃしねえよ」
「そんときゃどっちにしろ死んでるけどな」
「違いねえ」
朝から笑えない冗談で近くの隊員とくっくと笑い合うザック。
ともあれ、大した傷は負っていないらしい。
ただしそれは、目に見えるという意味でのものだが。
「てなわけだから、気にしなくていいぜ。だいたい助かっただけで十分だってのに、それ以上を求めるのは贅沢が過ぎるってもんだろう?」
「そ、そうですね」
「だから、傷があるかどうかなんてあんまり気にしないことだ。……変に完璧を求めようとするのは、歳相応みたいだな?」
どこか得意げなザックの言葉は、イナの中で腑に落ちる。
まさにそうだった。
イナはその心までをも救いたい、救えていてほしいと考えていたのだ。
実際、それが理想ではあるのだが、ザックやシエラの様子を見るに、何か思うところがあるのは確かであるようだ。
そして、できることならばあまりそれには触れてほしくもない。
辛うじてそれを理解したイナは、それ以上話を続けようとはしなかった。
「ごちそうさま、でした」
時折周囲の隊員たちからの他愛もない質問に答えながら、なんとかイナは食事を終えた。
食べ始めの時間など確認してはいなかったが、体感としてもかなり長い間ここにいたのは間違いないだろう。
既に席を外している者もいた。
「じゃあ、食器はトレイに乗せてあそこのベルトに乗せてね」
「ああ、うん」
先に食べ終えていたにもかかわらず待っていてくれたシエラに従い、イナは食器返却所というコーナーにトレイを置いていく。
ふと振り返ると、先ほどまでの賑やかさが嘘のように静かになっていた。
依然として隊員たちはいるし複数人で談笑する様子はあるが、常に皆がまとまっているわけではないらしい。
言われてみなくとも当たり前のことだが、イナは如何とも言い難い違和感を覚えていた。
治安は悪くなさそうだ、とは思っていたが。
――変な対立とか、ないといいんだけど。
「じゃあ、そろそろ……」
「やあやあやあそこのおにーさん!」
「うおッ!?」
シエラの言葉を遮って、イナの視界がいきなり何者かの顔で埋め尽くされる。
イナは思わず飛び退いて転びかけるが、それが少年の顔と分かるなり、慌ててバランスを持ち直す。
「な……なんだ?」
イナやシエラよりも一つ、いや二回りほど背丈の小さい少年を改めて下から上まで見てみれば、真っ先に目に入るのはその紅色の瞳と、藍の髪色。
特別、飾っている様子はない。
イナは本能的に、この少年の異常を悟った。
似た波長を感じた、とも言える。
「おにーさんも、ヘンな人だよね?」




