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第5.5話「幕間①」:A1

 自身の部屋に戻ってきたイナは、すぐに何者かがここにいることを悟った。

 数時間前、シエラと部屋に戻って来た時と同じだ。

 オートロックがかかっているにもかかわらず、なぜか鍵が開いている扉。

 今ある記憶の中で、そんなことができる人間には、一人しか思い当たらなかった。


 全体的に細長い体躯、彼にとっては非日常的なメイド服、振り向くと同時に揺れる白髪と豊満な胸、そして何より彼女の特殊性を示している赤い双眸。

 彼女――ディータ・ファルゾンは、微笑と共にゆっくりとお辞儀をして見せた。


「おかえりなさいませ、ミヅキ様」

「あ、えっと、ただいま……です」


 目のやり場に困り、イナは視線を逸らしながら答える。

 その間にディータは顔を上げ、何かを言いかけて飲みこんだ素振りを見せた。

 むろん、イナが気づくはずもないが。


「レイア様の命で、軽食をご用意いたしました。加えて、お部屋の掃除もさせていただきましたので、すぐにでもお休みいただけます」

「掃除……?」


 そんなことをする必要があるほど汚した覚えは彼にない。

 部屋中をぐるりと見渡しても、目に見えて綺麗になったと思う箇所も見受けられなかった。

 しかしそれは自分が気づいていないだけで、ディータには気になる点があったのだろう。

 そもそも先ほど来たばかりで、大きな掃除ができるほどの時間もなかっただろうし――そう結論付けて、イナはそれ以上考えることはしなかった。

 彼は、自身の絶叫で窓ガラスやカップにヒビを入れていたことや、それが修繕されていたことになど気づいていないのだ。

 それほどまでに、彼は夢中だったのである。


「レイア様から承ったご用件は済ませましたが、何かお困りのことはございますでしょうか?」

「お困り……? いや……」


 あると言えばあったが、それはディータに頼むような事柄ではない。

 さして親しいとも言えない間柄の人間、加えて戦闘などとは縁のなさそうな彼女に対して、自分の戦果を褒めてほしいなどとは、言えるはずもなかった。

 何より、それを口にしたなどと、チカに会った時に言えよう筈もない。

 そんな小さなプライドが、彼の心を悩ませていた。


 一方で言葉の続きを待っていたディータは、困ったような彼の表情を見て、見透かしたように笑みを浮かべた。


「お話くらいならばお付き合いいたします。むろん、口外しなどはいたしませんので」

「いや、でも……」


 自分の勝手な欲求に彼女を付き合わせるのは、イナは気が引けていた。

 本当は、嬉しくはあったのだが。


「ともあれ、まずはお座りください」

「あ、ええと……じゃあ」


 ――話をする流れになっちゃったな、これ。


 拒絶も受容もしがたい状況にまた眉間にしわが寄るが、彼女の厚意を無下にするのも悪いと思い、イナは備え付けの椅子に恐る恐る腰かけた。

 前のテーブルには、彼女が用意したであろう数種のサンドイッチとティーポット、およびプラスティックのコップが置かれていた。

 そのローアングルから見るディータはやはり背の高さが強調して見えるが、どうにもイナは視線の違う状況での会話というものに慣れてはいなかった。


「あの、ディータさんもよかったら、座ってください」


 断られるだろうかと思いつつ提案してみると、彼女は一瞬だけ驚いたような表情をした。


「……そうですね。このままですと、ミヅキ様に失礼でしょうから」

「いや、そういうわけじゃ」

「存じております。お優しい方なのですね」


 イナの感情などすべてお見通しと言わんばかりの振る舞いに、イナは羞恥と共に、彼女に手玉に取られていることを確かに感じていた。

 焦っている様子など、この先も見られる気がしない。

 これが落ち着いた大人というものかと思っているうちに、ディータはゆっくりと対面の椅子に腰かけた。

 先ほどはシエラがそこに座っていたが、やはり、様々な点から彼女とは違うことが見て取れる。

 要約すれば――彼女は、シエラと比較するまでもなく、大人びており、美しい女性であると言えた。

 レイアも似たような印象を覚えるが、あちらは何とも言えない緊張感を放っているというイメージがイナにはあった。


「……で、えっと。何を話せばいいのやら……」

「でしたら、僭越ながら私の方から」


 むしろ、それを言いたいが為にこの場を用意したのかと思えるような口ぶりだった。


「遅ればせながら、動けぬ私の代わりに我が主人の一人であるシエラ様、また他の隊員の皆様方をお救い頂いたこと、心の底より感謝を申し上げます」

「いや、俺は――」

「いいえ、謙遜の必要はありません。誇るべきことなのです」


 ぴしゃりと彼の発言を遮る彼女は、どこか先ほどまでとは違っていた。

 飄々としているというよりかは、今ははっきりと言葉に熱を込めているのが分かった。

 彼女の主人であるシエラを守ってもらえたのだから、それほどに喜んでいること自体は不思議ではないのだが。

 イナはそのほかにも、何かしらの感情があるような気がしていた。


「きっと近いうち、意識を失った方々が目を覚ましたのちに、歓迎会をお開きになると思います」

「か、歓迎会?」


 その単語に、イナの中で期待と不安が入り混じる。

 望んでいたものである一方、注目を浴びて仕方がない状況になるのは目に見えていた。


「ミヅキ様は歓迎されていないわけではないのですよ。ミヅキ様の戦果は、既にこの支部中に伝わっているはずです」

「……でも、その割には」

「お気持ちは分かります。しかしながら、死を間際にしていた方々がいたと聞けば、そちらへの対処が優先されてしまうのは仕方がないと思います」

「うぐ……」


 言われなくても薄々分かっていたことだが、イナは生きているのだから、歓迎など後からでもできる。

 なのに、意識を失っている者達を放って自分を迎えろというのはあまりにも傲慢である。


 ――気を遣うかと思いきや、この人、結構素直に言うんだな。


 使用人というくらいなのだから、皆の言うこと全てを肯定するものかと勘違いしていたようだが、そうではないようだ。

 そもそもイナは彼女の主人ではないのだから、当然なのだが。


「しかしミヅキ様のお気持ちも理解できます。ゆえにレイア様はシエラ様のひとまずの無事を確認して、すぐに貴方様の下へ向かったのですから」

「あ……」


 確かにそうだ。

 姉であるレイアは、誰よりもシエラのことを心配していたはずだ。

 しかも、それは彼女のみならず、ディータもそうだ。

 主人である彼女の安否を、すぐ傍で確かめたいと思っているはずだった。

 にもかかわらず、態々謝辞を述べに来てくれたというのは。


「お、俺は……」


 気付いた直後、イナは羞恥と後悔で押し潰されそうになる。


 レイアがあのとき複雑そうな表情をしていたのは、切り出し方に迷っていただけでなく、シエラのことが心配でもあったからに違いない。

 涙とも、嗚咽とも違う、形容しがたい歪な感情を吐き出しかけたところで、イナはゆっくりと息を吐いた。


「……俺、子供ですね」

「ええ、それで良いのですよ。大人になれと促されるまでもなく、子供は大人になるものです。ましてやこんなご時世ですから――いま、子供であることを恥じる必要はありません」

「――っ」


 それでも、とイナは言いたかった。

 しかし心のどこかでは、彼女の言葉を既に受け入れ、滲むように溶け込ませ始めていた。

 心が軽くなった、という感覚だ。

 今までは自身への言い訳にしかならなかったであろう言葉が、他者からかけられるだけで全く別の力を持つことを、イナは初めて、強く感じた。


視た(・・)ところ、ミヅキ様はお優しい方のようですから。何も案ずることはありません」

「でも、俺……」

「無意識に何かを求めてしまう自分が恐ろしいのですか」

「……たぶん」

「ふむ」


 うっすらと開いたディータの眼が、イナを見据えている。

 その瞳が赤いせいかは分からないが――イナはほぼ反射的に、目を逸らしていた。

 恥じらいもやや混じっているようだが、イナはそれを自認できていないようだった。

 ゆえに彼は、自分に対して勘違いをしていた。


 ――俺も、同じなんじゃないか。普通じゃない目を怖がってる……。


「では、ひとまずはそのままでおられるのが一番かと思います」

「え?」


 意味深にも思えることを言い、ディータは席を立つ。


「劇的な変化はきっと、心身が拒んでしまうでしょうから。こうしたお話であればいくらでもお付き合いいたしますゆえ」

「ん、んん……?」


 それでいいのだろうかと、口にはせずとも腕を組んで首をかしげるイナ。


「もしもそんな自分がおかしい、嫌だと思ってしまうのでしたら、ひとまずは食欲や睡眠欲をお満たし下さい。空腹と不十分な睡眠は精神にも不調をきたしますゆえ」

「ディータさんは、休まなくていいんですか?」


 イナも後を追うように席を立って、部屋を後にしようとするディータに問う。

 すると彼女は、やや意外そうな顔をして振り向いた。


「私は、皆様に尽くすだけの道具ですから」

「ど、道具って……」

「使用人とはそういうものなのです。《仕える》が《使える》と読みが同じであるように、奉仕することでしか己の存在価値を示すことができないものなのです。私のようなものは特に」


 自虐を越えた、ある種の狂気や凝り固まった諦念のようなものを感じたイナは、僅かに肌が粟立った。

 例えば――彼が架空で幾度となく見た、戦いの中でしか生きる価値を見いだせないでいる若き軍人のような。

 別物ではあるが、生きるうえでの何かを大きく犠牲にしているかのような側面に関しては、似たものが感じられていた。


 ――それで、この人はいいのか?


「そんな顔をなさらずとも、私は日々を楽んでおります。お気持ちだけ受け取らせていただきますね」

「あ……」

「では、失礼いたします。申し訳ありません、私からばかりお話してしまって」


 イナが何かを言わねばと迷っている間に、ディータは素早く部屋を後にした。

 というよりは、イナが遅すぎたのだ。

 それ以上に、ディータの張っていた心の壁のようなものが、分厚すぎているような気もしていた。


 かくして一人取り残されたイナは、倒れ込むようにベッドに身を預ける。

 洗いたての暖かさとふかふかの柔らかさは心地よいが、自宅のものと違う洗剤の香りには違和感を覚える。


 ――……地雷、踏んだのかな。


 ディータが怒っている素振りはなかったが、心の中は穏やかではなかったのかもしれない。

 結局のところ、彼女がそうと言わない限りは確認できないことなのだが。


「………」


 寝ようにも寝る気分になれないイナは、テーブルの上にディータが用意した軽食があることを思い出し身を起こす。

 否応なく彼女のことを思い出してしまうが、素直な食欲がそれを上回る。

 腹が鳴る前にとイナは再度同じ席に座り、徐にサンドイッチに手を伸ばす。

 挟みやすいようにと考慮されたのか、あまり厚くはないトンカツが挟まれたものだ。

 やや冷めてしまっているようだが、そんなことは大して気にならない。

 しっとりとした食感と共に口に含めば、ほのかなソースの香りと共に溢れる肉汁――


 ――……うまい。


 語彙も捨てて単純にそう思いながら、イナは詰め込むように次々と口へ運んでいく。

 確かに空腹は余計なことを考える種だと、彼はしみじみと思うのだった。


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