第4話「絶望に抗う、それは響き」:A3
イナは、というと。
与えられた自室の中でベッドに仰向けになり、天井を見つめながら思索の海に潜っていた。
シエラが出撃前に言っていた言葉の意味が、未だに理解できずにいたのだ。
――イナくんは戦いたがっているように見えるの。
知らないうちに闘争心が露呈していたとでも言うのか。
しかしながら、イナはそれを自覚できていない。だがそれを違うとも言い切ることができなかった。
戦いたくなければ、シャウティアに乗らずあの場で死ねばよかっただけだ。
にもかかわらず、イナは戦いを選んだ。
その時は戦いということを意識していなかったのかもしれないが、結果としてそれは戦いに相違なかった。
――イナくんは、どうしてエイグに乗ったの。
「どうして、って……」
その4文字だけで、様々な言葉が脳裏で生成される。
生存、破壊、殺戮、逃避――その他に、問いとは関係のないものも多く混じっていた。
「わからねえよ、そんなの……」
ひとまず生存以外の言葉を撤去するも、焦げ付きのように残った関係のない言葉の残滓が、しつこく彼に囁きかける。
それがしたかったのではないかと。
――そんなわけあるか。そんなことを考える余裕は、俺には……。
――何かを考える余裕がなかったのであれば、自身の本心も自認できていなかったということだろう?
――だから、どうした!
頭の奥から湧き出てくる何者かは、イナの心を蝕もうと声を大きくしていく。
――お前がその時抱いていた感情を知るのは、俺だ。お前の本能だ。お前はあの時、あのエイグをぶっ殺してやりたかった! 『そう』なのさ!
内側から響く声は、そう言った。
自身がイナの、自分でも意識できない部分を把握している存在であると。
それを確かめる証拠はないのに、イナは否定することができない。
彼が本当に本能であるかどうかより、今のイナが求める答えを持っている存在であることの方が、何より重要であると思っていたからだ。
疑いは晴れなかったが、それもどこかに消えて、イナはそれを信じようとしてしまう。
あの時は結局悲鳴に同情心を煽られそれはかなわなかったものの、その意志が全くなかったかと問われれば、イナはやはり否定できなかった。
――今がどうとかは関係ない。お前の最初は『そう』だったんだよ。
――だから、お前は俺にぶっ殺しに行けっていうのか。
――お前は自分の中にまで責任を押し付ける相手を求めてるのか? 滑稽だな、愚かだな、バカだなクズだなお前は本当に!!
そんな人間が誰かを助けようなんて正義を気取ろうとしてるつもりか! バカも休み休み言いやがれ! お前にそんな資格はねえんだよ! 手を汚せ! いつまでもキレイでいられると思ってんのかよ!
てめえはもう、端から端まで汚物に塗れてんだよ!
自信の中から響く怒号に、彼の心は、震えていた。
恐怖と、怒りと、悲しみに。
根拠はやはり提示されないが、間違いだとも思えなかった。
――じゃあ、お前は俺にどうしろって言うんだよ……。
力なく寝返りを打ち、薄緑の瞳で窓の外を見る。
雨粒がガラスの上を垂れ、少しずつ雨脚が強くなっているのが見て取れた。
――ここで怯えて丸まって腐っていくか、敵をぶっ殺しに行くか、好きにしやがれ。
どちらも嫌だった。
否、違ったという方が正しい。
理由は説明できないが、直感がそう言ったのだ。
これが本能によるものだとしたら、イナと対話するこの言葉は誰が発しているものなのか?
その問いにはさすがに、返答はなかった。
呆れ切ってしまったのだろう。
「……どうすればいいか、より、どうしたいか……」
ふと口をついた言葉は、いつしか触れた架空に出てきた一文だった。
ここから連鎖するように、別の架空の言葉も出てくる。
「その時、俺の目の前にシャウティアがあったのは……」
出会いは偶然だとしても、乗ることを選んだのは偶然ではない。
その時、その選択を後押ししたものは何か――と。
「……死にたく、なかった」
目を細めたイナは、言い訳じみた口調で呟いた。
――なぜだ?
自答が返ってくる。
「チカの顔が思い浮かんだ」
――彼女は君を『うそつき』と言ったが。
「チカは俺に、俺の思いに気づかせてくれたんだ、きっと」
――では、その時の君の思いは?
「生きたい……それだけじゃなくて。生きて、もう一度チカに会いたいって」
――ならば、そこで丸まっているだけでも十分なのではないか?
イナの中で応える何かは、自問自答にしてはやたらと流暢だった。
まるでもう一人何者かが住んでいるか、あるいはもう決まり切っている答えを導くための鏡であるからだろうか。
「確かに、そうかもしれない」
イナは体を起こして、ベッドの端に座る体勢になる。
「けど、たぶん……それじゃ、きっとチカには会えない」
――なぜ?
今こそ、言うべき時。自分への決意を、自分にすべき時。
にもかかわらず、何かがイナの発音を阻害していた。
状況からして、先ほどイナの本能を名乗った何者かだろう。
現状の変化への恐れが、まだ残っているのだ。
自分の身の丈に合わないことをしようとしているのではないかと、心配しているのだ。
彼がしようとしているのは、そう――汚い空気を読み合い、平穏の皮を被った教室の中で、一人立ち上がって自身の意見を主張するに等しい。
今までその空気に呑まれ、離れるのが精一杯だったイナには、何よりも難しいことだ。
後ろ指を指され笑われるかもしれない。
心無い罵倒を浴びせられることもあるかもしれない。
物を投げられ、蹴飛ばされ、殴られることもあるかもしれない。
そうして自分が傷つく一方で、自分も誰かを傷つけてしまうかもしれない。
……そんなことをしてまで俺が主張すべきことが、この世に存在するのか?
燃え上がりかけた灯が勢いを失い、雨粒よりも小さくなりかけた時。
『――――――っ!!』
何かに向けて絶叫するシエラの顔が、脳裏をよぎった。
一瞬だけだったが、苦しみ、怒り、冷静さを失い、どこか諦めながらも、抵抗する意思を燃やし続けていて。
彼女が危険だということが、一分の迷いもなく理解できた。
そしてそれは、イナの中で消えようとしていた灯に、大量の油を注いだ。
――そんなことを気にして、俺は何を得られるんだ!?
イナは落ち着いて深呼吸し、邪念を外へと押し出す。
「……チカと同じくらい、大事に思えるものができたんだ」
まだ出会ってから数時間も経っていないかもしれない。
それでも、自分を信頼し、思いやりを持って接してくれた事実は確かだった。
元の世界では望んでももらえなかったものを、ここでは与えてくれたのだ。
「俺は、世話になった人が苦しんでるところを無視してやり過ごせるほど器用でもクズでもないし」
拳に、力が込められる。
「チカは、誰かが苦しんでるのを見過ごす奴を、きっと好きにはなってくれないと思うから」
自分には、力がある。
イナは根拠もないがその確信があった。
自身一人が加わりその力を振るったところで、どこまで貢献できるかはわからない。
だが、何もせずにただ結果を待つよりは。
自分が戦うことで生まれる可能性に賭ける!
「――ッ!?」
どくん、と大きく心臓が跳ねた。
ダムが耐え切れずに決壊したかのように、胸のあたりからイナの体中へと何かが高速で循環を始める。
行け、と自分の体が言っているように感じられていた。
不思議と、体は軽い。
「……待っててくれ、シエラッ!」
決意を固めたイナは、何者の言葉にも耳を貸さない。
その双眸から力強い光を放ちながら、心の中で生まれた叫びに身を任せていた。
それは、確信だった。
否、既に知っていたかのようだ。
どうすればそうなるのか。
その因果を、イナは既に持っていた。
ゆえに、その言葉は自然と口から飛び出した。
「シャァァァウトォォォ――――――――ッッ!!!」
密室に反響する絶叫。
それはただの大声からは発生しえない振動を放ち、放置されていたカップや窓ガラスに亀裂を走らせた。
彼の絶叫が引き起こした現象は、それだけにはとどまらない。
直後、窓の外に何かが現れた。
それが何かなどとは、言う必要もあるまい。
「聞こえてくれたか」
窓を開けたそこには、待ちわびたような面持ちでイナを見つめるシャウティアの姿があった。
シャウティアは既に屈み、イナを迎えるように手を伸ばしている。
サッシに足をかけて飛び移れば、強風と共に胸部の前まで移動する。
開かれたコアに入ると、まずは一息。
イナは自分のこの思いが、他者からどう見えているかはわからない。
だがそれを確かめる暇があるのなら、それに従って突っ走った方が、きっと後悔はしない。
(そうだろ、シャウティア)
《うん》
(お前は、チカのコピーなのかもしれないけど。……いつかチカに会った時、伝えてくれないか。俺、少しは頑張るようになったって)
《……うん!》
無論、頑張るのはこれからだ。
久しぶりに感じる出撃準備のプロセスを終えると、イナは瞬きを一つ。
視界も、他の感覚も、シャウティアのものと共有している。
(間に合うかッ!?)
《大丈夫――世界は待ってくれる!》
(世界が……?)
意味深なことを言うシャウティアに、イナは理解が追い付かない。
《叫んで、イナ! 応えてくれるからっ!》
だが、その一言で十分だった。
心の赴くがまま、再度叫ぶと――
あたりを、あたたかな光が包み込んだ。
「これは……!?」
瞬間、シャウティアは加速した。
否。
未来に対して減速を始めた。




