第4話「絶望に抗う、それは響き」:A2
(ど、どうする!?)
(どうすったって……!)
動揺の声が脳内に響く中、シエラは、呆然と立ちすくんでいた。
先ほどまで7機のエイグが傍を駆けていたはずなのに、今はそれが3機にまで減っていたのだ。
減った4機は皆コアからややずれた胸のあたりを射抜かれ、搭乗者の心身への負担が大きすぎるために機能を停止させたと考えられる。
既に隊は動けないエイグとともに敵機から距離を取り、周囲には淀んだ困惑の空気が流れ始めている。
数では確実に上回り、自分を除けば決して弱いとは言えない隊員が揃っていたにもかかわらず、この状況だ。
受けたのは不意打ちなどというレベルのものではない。
警戒を強めることすら許されずに先制されたのだ。
この状況を作り出した4機の緑色のエイグは、赤い双眸を怪しく光らせながら、並んで迫ってくる。
操っているのが人間だとは思えないほど規則的で、無機質で。
その実、生体反応はあるため搭乗者の存在は認められていたのでどうでも良いと言えばそうだったのだが、一番の問題は司令塔である隊長と副隊長のエイグが動けなくなっていることだった。
おかげで今、シエラの脳内は困窮を極めていた。
(誰が『ブリュード』クラスの敵が来るなんて予測できんだ!)
(通信は取れないのかよ!)
(駄目だって言ってんだろ!)
(とりあえず動けないエイグをどうにかしねえと!)
(自分だけ基地に逃げようってのかよ!)
(馬鹿、そんなこと言ってる場合か! 無駄に犠牲者が出るだけだ!)
(この数じゃどうやっても全滅だろうが!)
――どうして。いつもはこんなにピリピリなんてしていないのに……。
頭の中で反響し合う怒号。
目じりに涙を浮かべながら、シエラは感情の堰が切れないように耐え忍ぶので精いっぱいだった。
《アンサー、過去の戦闘で相対した敵戦力が同等か、それ以下であったことに起因すると推測します》
エイグに搭載されたAIが、素直に回答する。
他の者達と違って疑似人格が設定されていない彼女のAIは、ひどく無機質だ。
訊ねられれば、なんであろうと答えてくれる――事実に基づくデータと、シエラの本音を交えて。
つまりは仲間のことをそう思っているのだということを遠慮もなく示されるのだ。
しかもそれが自分の本音だというのだから、否定することもできない。
シエラはそんなことを、身近な人を真似た機械に言われるのが嫌だった。
ゆえに彼女は疑似人格のないままに、いわば初期設定でエイグを運用していた。
もっとも、状況が状況であるため、その効果が出ているかどうかは定かではないのだが。
(……どれもいい策とは言えねえ。とりあえずは動けない機体を守りながら足止めするしかねえ。基地に到着する前に、レイアさんとアヴィナちゃんを待つんだ)
(できるのかよ……!?)
(自分の仕事を忘れたとは言わせねえ。褒められたいだけでエイグに乗ったなら今すぐ基地に帰れ! そこにてめえの居場所があるかは知らねえがな!)
(ッ……)
一人の放った力強い言葉が、周囲の動揺を少しずつ払っていく。
言葉の端々からは、未だ恐怖が感じられる。
だが、自分たちはそれを乗り越えるための力を振るっているはずだ――そんな勇気を、奥に秘めている。
それでも、レイアとアヴィナが即座に敵を処理してこちらに向かってこれる確信があるわけではないのだが。
(シエラ機は戦闘を避け、少しずつでいいから動けない機体を運んで基地へ戻れ! 自分のことは分かってるだろ!)
(で、でも、私も……)
先ほどの話からして、ここで戦闘に参加しなければ、シエラは自己満足のためだけにエイグに乗ったということになる。
(まだ素人のシエラちゃんにゃ関係のない話だ! 誰も責めやしねえよ!)
(……っ)
正しいことを、言われた。
何も間違っていないことを言われたと、シエラは感じた。
なのに、彼女は受け入れがたかった。
思い遣りも感じられたのに。
自分がここから逃げても責められないことが――自分が彼らの役に立てないことを認めるのが、怖かった。
それでも、自分に与えられた仕事を放棄するわけにはいかない。
下手をすれば屍がもう一つ増え、手間が増えるばかりだ。
(他の機体は散開、周りを囲んで足止めだ。倒すことより回避を重視、時間を稼ぐことが第一だからな! 不用意に近づいてチャンバラ始めるんじゃねえぞ!)
(やるしかねえか……!)
(頼んだぜ、シエラちゃん!)
腹を括った男たちの言葉を受け止め、シエラも無理やり気持ちを切り替えて立ち上がる。
既に他の3機は行動を開始し、一点に集められた動けないエイグ4機とシエラが取り残された。
――やらなきゃ。
わずかに燻ぶりを残すやるせなさを拳の中で握りしめると、持っていたライフルを腰にマウントして、倒れるエイグのうちの2機、その胴に手を回した。
少女が大人二人を各片腕のみで持ち上げるなど不可能な芸当だが、エイグに乗ればそんなものは関係ない。
重いのは確かだが、それに耐えうる力をエイグは持っている。
「ふ、ん……っ!」
息を止めながら2機を担ぎ上げ、搭乗者に負担がかからないようバランスを崩さないように駆けださず、しかしすぐに追いつかれないように推進器を弱く噴かして戦場から距離をとる。
着地するたびに、普段とは比べ物にならない衝撃を発している感覚が伝わってくる。実際、地面にはわずかに亀裂が入り、そこから土煙も舞っている。
やや離れたところで一度下ろして、残された2機を再び担いで、今度はもう少し離れたところまで。そこでまた下ろして、残した2機をまた担いで――
実際に自分が担いでいるわけでもないのに感じる疲労は、精神的なものに起因しているのだろう。
乱れた息を整えつつ、脳内のレーダーでは友軍を示す青い点のうち、3つがいまだ動き回っていることを確認する。
苦戦しているようではあるが、目的の時間稼ぎはできているようだ。
(AI、距離は?)
《アンサー、発った戦場からは2.31km。日本支部基地までは57.66km》
脳裏に浮かぶレーダーが切り替わり、おおよその地形を描いた地図が現れる。
言われたようにまだ基地までは距離があるものの、行動が始まってからほとんど時間は経っていない。
この調子でいけば、追いつかれる前に基地に到着できるだろう。
とは言っても、一人でやるには負担が大きいものであることにかわりはない。
(司令室への通信は!?)
《アンサー、バックグラウンドで試行していますが依然として不可能です》
(お姉ちゃんやアヴィナには!)
《アンサー、同様です》
シエラは歯噛みをしながらも、機体の運搬の手を休めはしない。
相変わらず後方から目立った爆発の音は聞こえてこず、また大きな光も視界には入ってこない。
もっとも、4機がやられた時も大した光は発していなかったと記憶しているのだが。
瞼を閉じたその一瞬、光が放たれたとも考えられるが――
《これまでの交戦データに、そのような兵器が用いられたものはありません》
(だとしたら、本当になにが……)
《アンサー、僚機の受けた攻撃は高熱による溶解です。新たに導入されたと推測されます》
AIに言われ、シエラは地面に下ろしたエイグの胸元にある損傷に目をやる。
確かに、ただ弾丸に貫かれたにしてはやけに整った形の穴が開いていた。
(光線銃……ってこと?)
《アンサー、原理は無理解のようですがおおむねその通りです。利用していると思しき原理のデータをユーザーに書き込みますか?》
(今はそれよりも先にすることがあるの!)
《プロセスを中断》
素直に引き下がるAIを放置し、シエラは与えられた役割を着実にこなしていく。
段々と、心にも余裕が生まれてきているような気がしていた。
もっとも、他のことに気が回るようになったと自覚できただけで、現状に安堵できるほどの神経の太さは持ち合わせていない。
――それからもう少し、何事もなく時間が過ぎた。
殺風景は廃墟の並ぶ街並みへと変わり、明確な進歩をシエラに感じさせていた。
(距離は!)
《アンサー、発った戦場からは39.96km。日本支部基地までは20.01km》
(もう一息ッ。そうだ、他のみんなは!)
《アンサー、通信可能領域および各レーダーの効果範囲外です》
(……ジャミングか何か受けているのっ?)
《アンサー、集積されたデータにはない技術を用いたジャミングの一種と考えられます》
要するに、よくわからないが、周囲には誰もおらず、誰にも頼ることができないということだ。
ゆえに、データだけは正確なエイグのAIがいることは何より明るい希望の灯だ。
一方で、訓練でもこんな状況に陥ったことがなかったシエラは、底知れない不安とも戦い続けていた。
(PLACEはいつも、こんなギリギリで戦っていたんだ)
シエラの記憶する限り、エイグ搭乗者の隊員が出撃する頻度はそう高くはなかったし、戦闘で犠牲者が出たという話も聞いたことがなかった。
それだけ彼らが強いのだと、それまでのシエラは思っていたのだが。
こうしていざ苦戦しているところを見れば、その認識を改めねばならないことくらいは分かっていた。
――もしかしたら、私たちは連合軍に弄ばれていただけなんじゃ?
ふと浮かんだ言葉には確信もないのに、シエラを真実に触れたような気分にさせた。
――……その気になれば、いつでも日本支部を。日本を占拠する算段はつけられるということ?
《アンサー、非戦を掲げる日本への大々的な武力の持ち込みができない以上は不可能ですが、律儀に従う理由はないと推測します。しかし『ブリュード』が投入された場合、シフォンとシアスほか、日本支部の保有する多数のエイグを用いたとしても、多大な損害は免れません》
独言めいた思索の中に疑問を交えたせいか、AIが即座に意見を寄越す。
とは言ってもAIのもつデータに、AI自身の判断とシエラの見解を交え具体化したものだ、思考を整理してくれたともいえる。
《さらに、連合軍がPLACEへの攻撃を『ブリュード』ばかりに頼っている可能性は限りなく低いでしょう。他に腕の立つ搭乗者がいても不思議ではありません》
(でも、なんで今になって)
《アンサー、明確な回答をするための情報が足りません。ですが、確固たる根拠を付随させないという条件を加えれば、一つ、原因と思しきものはあります》
(……それは、なに?)
AIが情報の不足を訴える場合は、大体はシエラの記憶を借りて推測を立てる。
ということは、AIの言う原因はシエラも言われればすぐに気が付く何かであるということだ。
シエラの中でも、喉元までそれは出かかっていた。だが、何かがせき止めるようにして喉を通してくれる様子はない。
AIはそこに無理やり手を突っ込み引っこ抜くように――言った。
《アンサー、瑞月伊奈という少年です》
「!」
思わず、シエラは足を止めていた。
それだけの衝撃だったのだが、言われてみれば確かに、納得できる気がした。
というよりは、責任を擦り付ける対象として最も適していると思ってしまっていたのだ。
(……その、理由は?)
足を再び動かしながら、恐る恐る問いかける。
《彼が目覚めたタイミングでの襲撃、そして彼は数日前まで連合軍に身を置いていたとのこと。此度の連合軍の目的としては、スパイの回収か、あるいは脱走者の処分のいずれかと思われます》
(でも、それならこんなことしなくたって)
《アンサー、あくまで推測です。明確な回答をするための情報が足りません》
AIとて万能ではない。
知らないことはむろん知らない、それは人間と同じだ。
それに、仮にイナとの接触が目的だと分かっても、それを伝える術を彼女は持ち合わせていない。
このまま負傷したエイグを運搬し続けるしか、今の彼女にはできないのだ。
――イナくんは、そんなことをする人じゃないよね……?
懇願にも似た想いが、本人へ届いたかどうかを確かめる術はない。
ただ。
《アーキスタ・ライルフィードからの通信接続、不安定ながら受信に成功。安定化を図ります》
音量の抑えられたノイズの嵐が脳内に響く。
これでは会話もままならないが、それでももう少しで通信ができるようになるということだ。
希望の灯が――まだ種火だが――一つ増え、それはシエラに活力を与える。
あとは、仲間の無事を祈るばかり。
なんとか犠牲者だけは出さずにこの戦闘が終わってほしい。
それだけを強く願いながら、僚機を担ぎ直した瞬間。
レーダーに赤い点が映り、それは瞬く間に彼女との距離を詰めていた。
《警告。敵機高速接近。視認可能距離まで約34秒》
(ど、どういうことッ!? どうすれば……)
《アンサー、与えられた任務を優先するのであれば、一度負傷したエイグを置き応戦するほかありません》
幸いにも後方にエイグを置いていなかったため、今担いでいるエイグを少し離れたところで降ろせばそれで準備は整う。
腰にマウントしたライフルを持ち直し、太腿にあるナイフを一本手に取り、おぼろげな知識で構える。
いかにも素人と言った風の体勢だ。
レーダー上の赤点の動きに注意しつつそちらを見ていると、シエラの目に黒い人影が映る。
赤い双眸は間違いなく、敵のエイグだ。
《視認可能、捉えられました》
「っ!」
何をされるか分からないため、ひとまず右へと飛んで先制攻撃を警戒する。が、何も飛んでくる様子はない。
――もしかして、狙いは私じゃない!?
すぐさま体勢を立て直して、今一度赤目のエイグを見据える。
相手は土煙を上げながら停止し、じっとシエラの方を見つめている。
シエラの予測が外れたのかは定かではないが、そのまま動く様子はない。
(な、なに……?)
《アラート、敵3機が高速接近》
(え――!?)
動かない敵機の様子を伺っていると、レーダー上に再び赤い点が、3つ現れる。
ということは、つまり?
(やら、れた?)
《アンサー、明確な回答をするための情報が足りません。可能性としては濃厚です》
「ぁ、ああぁ……」
思わず開きっぱなしになっていた口から、情けのないうめき声のようなものが漏れる。
確証はないが、そうと考えるほかない。都合よく生きていると思えるほどの余裕は、とうに消し飛んでいる。
足に力が入らず、シエラは地面にへたり込む。コンクリートの地面が破壊され、亀裂が走る。
この周辺に人が住んでいないのが幸いだが、それでシエラの精神は安らぎはしない。
――これから、どうなるの?
――私も撃たれて。
――みんな、殺される?
――ここにいるみんなだけじゃなくて。
――基地にいるみんなが。
早くなる鼓動は、いつ止まってもおかしくないほどに跳ねる。
その音は体中に響いて、段々とシエラから理性や意識を奪おうと、見えない手を伸ばしてくる。
「あ、あ、あ……」
だが、それに抗おうとシエラは声を絞り出す。
――勝てなくても。
――勝てなくても!
「お姉ちゃんたちがぁぁぁぁっ!!」
彼女の絶叫に応えるように、雨はその勢いを増していった。




